第7回 国土政策フォーラム 平成17年9月30日
<北海道の風土>
 フランシス・福山という今をときめくアメリカの哲学者がおります。そのフランシス・福山が言っております。真の自由とは世界でもっとも大切にされている価値観を政治の力で守る自由だと。そこでわたくしが思うには、世界でもっとも大切にされるべき価値観とは、地域の人々とともに風土を生きるその充実感ではないでしょうか。
 景観10年、景色100年、風土1000年と言いますけれど、風土、それはその土地の歴史・伝統・文化に基づくものであります。ですから、風土というものは千年二千年というものではなく、もっと長い年月をかけて形成されるものではないでしょうか。
 では、北海道の風土、つまり北海道の歴史・伝統・文化というものは何でしょうか? わたしはアイヌのことはほとんど何も知りませんが、アイヌの神話であるユーカラには大変心を惹かれております。ユーカラは世界的な拡がりをもって、わたくしたちにもっとも大事なことを語りかけているように思われます。そこにあるのは、宇宙との響き合いだと思います。
「ボーイズ・ビ・アンビシャス」――「少年よ大志を抱け」
 これは、北の台地における平成の開拓の合言葉であろうかと思いますが、北海道はいよいよこれから本格的な日本のフロンティアとなるはずであります。これが今日わたくしの一番言いたいことです。日本のフロンティア、ここに平成の開拓の重大な意味があるのだと思います。わたくしが思うに、世界平和のために北海道はなくてはならない存在であるということであります。日本はアメリカの後戸の神であり、アメリカ・インディアンやモンゴリアンの助けを借りながら、アメリカの足らざるところ、近代科学文明の足らざるところを補っていかなければなりません。北海道がその最先端を切り開いていくのであります。
 とりあえずはモンゴルです。ソイルト学長を中心とするモンゴル文化教育大学の助けを借りましょう。北海道にもモンゴルファンがたくさんおられます。今日も何人かが来ておられるはずです。それでは、北海道のモンゴルファンの方々、その場でお立ちください。立っていただけますでしょうか? ありがとうございます。(拍手)お座りください。

 失礼いたしました。あとでゆっくり話をさせていただきますけれど、中沢新一のベーリング海峡を中心といたしました環太平洋の輪というのがあります。そこではわれわれと一緒の蒙古斑を持った民族でございまして、蒙古というものが、いかにわたしたちに馴染み深いのか、身近なところにあるのかということを感じてもらおうということで、今はジンギスカンの礼賛の歌でありますけれど、聞いていただいたということです。日本のお経とほとんど一緒ですね。われわれに大変身近なものであるということをまず言いたいわけです。
 これから北の大地、平成の開拓という話をさせていただきますけれど、その前に、まず過疎化ということについて、少し、触れておきたいと思います。
 持続発展―――サスティナブルという言葉がありますけれど、そういう持続発展の原理というのは何かということでございます。哲学というものは大変わたくし、大事な学問だと思っています。学生の頃はほとんど哲学なんて勉強をしたことはないのですが、最近、いろんなことを考えて、やっぱり哲学を勉強しないとダメだなぁというようなことをつくづく感じて、わたしなりにいろいろとやっているわけでございます。
 世の中というのは人の集まりであります。したがって人間とは何ぞやということがよくわからないと、社会そのものも良くわからないということになりますね。
 いろいろ哲学者はおられるし、いろんな哲学の本もあるわけでありますけれど、私はさきほど冒頭に言いましたけれど、フランシス・福山、今をときめく世界的なアメリカの日系人の哲学者ですが、この方の『人間の終わり』という本があります。これもぜひ読んでいただきたい。
 それから9・11の直後に何かに突き動かされるような感じで書かれたそうでありますが、中沢新一の『緑の資本論』というのがあります。これもぜひ読んでいただければと思います。
 さて、サスティナブル、持続的発展の原理というものを考えるときに、種の原理――、日本の哲学は私が思うに、西田幾多郎の「場所の論理」というのと、田辺元の「種の原理」いう二つの流れでずっと来ているのではないかと思うのですが、その田辺元の「種の原理」というのがあります。多様体哲学ともいうわけでございますけれど、その流れを汲んで、中沢新一がさきほどの『緑の資本論』というのを、9・11の後、きちがいみたいになって一気に書き上げる本があるんですね。その中で『モノとの同盟』ということを、彼は言っているわけです。今はまさしく、近代科学文明は物質文明であります。それで果たして世界はやっていけるのか、21世紀それでやっていけるのか、いうなればアメリカの今、ものすごいパワーポリティックスで世界が席巻されているように思われますけれど、そういうことで、21世紀は、世界はやっていけるのかという心配が今、出ているわけでございます。
 わたくしは京都大学の山岳部でありますけれど、わたくしたち山岳部には偉い人がたくさんおられるんですね。南極越冬隊長で有名だった西堀さんもそうだし、桑原武夫もそうですし、いろいろおられるんですが、ボスは今西錦司なんですね。今西錦司の「すみわけ論」というのがあります。
 わたしどもは、小学校、中学校でダーウィンの進化論を習うわけでありますが、ダーウィンの進化論というのはいうまでもなく弱肉強食の世界ですね。今西錦司は若い頃京都の鴨川の川底の石っころをひっくり返してはカゲロウの幼虫の研究をやっておられた時期があるのですね。そのときにふっと思われるわけです。川底の石にぴたっとくっついて生息しているカゲロウの幼虫。そういう誠にか細い生物も、おっとどっこいこの世の中を立派に生きているではないか。ずっとこう見るとですね、必ずしも強い生物だけが生きているのではなくて、この世の中をうまくお互いすみわけて生きているのではないか、そういうような考え方です。わたしの言葉で言いますと、ちょっと変なたとえかもわかりませんが、ヘビはカエルを食いますけど、種のレベルで考えると、ヘビという種は、カエルという種を滅ぼしていないんですね。そういうようなのが種の原理といってもいいと思うんですけれど、田辺元の哲学は基本的にそこのところでこう似ている部分もあるんですけれど、もちろん違うんですよ、ですけれど、言いたいところはそういうことでしょうね。いろんな違いのある生物がお互い複雑に絡み合いながら、この世の中を形成していて、それが種の原理だということだと思いますが、そういうことがわたくしはきわめて大事なことではないかと思いながら、さきほど、あそこのマイクでアメリカ・インディアンだとか、モンゴリアンの助けを借りながら、アメリカの足らざるところ、中沢新一に言わせると「モノとの同盟」、――モノというのはカタカナで書きます。魂(たましい)というものは、見えません、人間の目に見えないところに魂はあるんです。それが物に現れたものがカタカナの「モノ」です。普通の物質は「物」です。物とカタカナのモノは、はっきり違う。かたや魂が入っていない、かたや魂が入っているということで、モノとの同盟ということを言っているわけですけれど、この今の科学文明、物質文明を否定しても、それは否定のしようがないわけだから、それはそれで肯定しながら、その足らざるところを補っていく、魂の部分を呼び戻していくということなんです。中沢新一の言っているモノとの同盟というのは。
 ですから、今まさに、ものすごい勢いでアメリカの世界化というのが進んでおりますけれど、これではやっぱりいけない。その足らざるところをなんとかしなくてはいけないと、みなさん思いませんか? 一神教は、ちょっといかがなものかという感じなんですよ。やっぱりね。一神教という宗教の話だけではありません。今の科学文明そのものが果たしてこれでいいのか、心の部分がおろそかになっていくのではないか、心の部分が、精神的なものがおろそかになっていくと、希薄になっていくと、そこに幸せというものがなくなっていくわけでありますから、ただ単に物質文明だけを追いかけるということでは、やっぱりいけないのだろうということなんですね。そういうことを基本的にまず申し上げないとと思います。
 そこで北海道の開拓のお話になるわけでございますが、北海道の風土というのは、何か? これは、間違いなく一万年、二万年前から続いているんですね。みなさん、白滝遺跡というのをご存知でしょうか? 黒曜石の。これは世界的な遺跡のようであります。世界レベルの。丸瀬布の旭川寄り、湧別川の丸瀬布から上流にいったところで、北側の山の中にあるようなのですが、それはかなり世界的に有名な黒曜石の一大産地であったようでありますが、当然、そこに人が住んでいるわけですから。だいたい黒曜石というのは、ヨーロッパその他世界の例でいうと、運ばれて100キロメートルくらいだそうです。ですけれど、白滝の黒曜石はおそらく400キロ、ですからアムール川あたりまで行っていたかも知れないといわれたりして、今までの世界の石器時代の文化を書き換えなければならないと言う人もいます。そこに一大生産地があったということは、そこに相当の人がいたということですよね。それは間違いないのです。
 どうも、人類は大きく分けて、三つに分かれるようです。最初人類は間違いなくアフリカで誕生します。それで、相当アフリカで人類が増えていって、世界的な気候変動があって、結局、食糧難だと思いますけど、その一部がヨーロッパへ地中海を渡るのだそうです。そしてアフリカのほかにヨーロッパでまた人類が増えていくと。その頃は、まだアジアに人はおりません。北アメリカ、南アメリカにもいない。そして、また相当の年月が経って、世界的な規模の気候の変動があって、マンモスを追う人たちが少しずつ東のほうへ行く。そのときに、マンモスを追っていく北回りの人たちと、それから海ですね、食糧を追いながらですから、航海、船の技術を得て、南回りで魚を追い求めながら――北回りと南回りがあるようですが、北回りはついにベーリング海峡を渡って、アメリカ大陸の西側ですね、西海岸、それからずーっと南アメリカまで人類が行くようでありますが、それがいわゆる古モンゴリアンです。わたくしたちと同じ蒙古斑点を持っている人たちであります。そのようにアフリカグループとヨーロッパグループと環太平洋の輪と中沢新一は言っているんですけれど、三つの民族といいますか、三つに分類されるということであります。
 そのマンモスハンターの一部が、間違いなくサハリンから北海道、あるいは当時は朝鮮半島も陸続きであったようですから、そっちも行っているかもわかりませんが、北海道にもいくつかマンモスの骨とかあるようですから、間違いなく環太平洋の輪の古モンゴリアンの人たちが北海道にも来ていた。そういう人たちが白滝の黒曜石を使って、一つの当時の石器時代の文化というものを作り上げていったというのは、間違いがありません。それが一万年、二万年前の話でありますから、それから急に北海道に住む人がいなくなったわけではありません。それがずっと続いているのだと思います。
 そういうふうに、わたくしは北海道の歴史を考えるときに、明治以降の開拓の歴史だけではなくて、そういう文化レベルで言えば、民族の文化――。アイヌのユーカラというものがいつの時代からできて、ずっと伝わっているのか、わたくしはよくわかりませんけれど、相当古いものではないのでしょうか? 何千年、あるいは場合によれば万年のルーツを持っているのかもわからないと思います。
 そういうふうに、わたくしは北海道の風土というものは、必ずしも明治以降の北海道開拓に限定する必要はないように思います。ですから、アイヌのユーカラも含めて、石器時代のいろんな遺跡なんかも含めて考えていく必要があるのではないか。そういう北海道の風土を生きる、そこには必ず、わたくしは――中沢新一がそう言っているわけですが、――アニミズムといえば、アニミズムかもわかりませんけれども、普通の宗教感覚と違う、宇宙との響き合いみたいなものが必ずそこにあるわけであります。
 で、これからの近代文明、さきほどアメリカの世界化と言いましたが、近代文明の足らざるところを、21世紀、それは何が足りないかというと、魂の、心の問題が足りないわけですよね。宇宙との響き合いだとか、自然との響き合いだとか、そういうものが足りないわけですから、科学文明、物質文明には、そこが足らないわけです。そこを補わないと世界は平和にならないのではないかと思うわけです。
 そこで、これはまた中沢新一の哲学の受け売りみたいになるわけですけれど、世の中のものというのは、必ず、光があれば陰がある、陰陽がありますよね。白だといえば黒、かならず作用、反作用じゃないけれど、相反するものが二つあるんですね。それに、いろんな言葉で言いますけれど、禅でもそんなことを言いますね、「両頭切断して、いっけん天によってすさまじ」という禅の言葉がありますが、白か黒かと善か悪かとか、たいてい物事というのは二つあるんですよ。みなさんは、自分の胸に手を当てて、自分は果たして善人だろうか、悪人だろうか――わたくしなんかは、決して善人とは思いませんし、悪人とも思わない、善人といえば善人かもしれないし、悪人といえば悪人かもわからない。そういうふうなもので、なかなか白か黒かとか、今度の郵政民営化はそんな感じだったと思うんですが、なかなか白か黒か、白といえば白だし、黒といえば黒だし――とか、そういうものではなかろうかと思うのです。
 河合隼雄もそういうことを言ってますね。矛盾システム。お互い矛盾する。これからどんどん矛盾するものが世の中に出てくるけれど、どっちかということではなくて、お互い矛盾するものをどう――調和という言葉がいいのかどうかわかりませんけれど、どう考えながら、一番いいやり方、方法、そのときにあった一番いいやり方というのを考えていく、それは簡単ではないかもわからないけれど、それが矛盾システムを生きるということだと河合さんは言っておられます。
 そういうのが中沢新一のモノとの同盟、田辺元の多様体哲学だと思うんですね。これからは、そういうことが大事でございますけれど、そういうものが、どういう形でどういう場所でやれるのか、北海道というのはそういうことを考えたときに、どういう条件を備えているのかということだと思うんです。
 わたくしは、やはり北海道というのは、まずはすばらしい自然、北の大地ということでありますから、雄大な自然が、そこに――だいぶ自然もなくなっていっているという面もあるんです、わたくし学生の頃、日高の山に入ったりしておりましたけれど、当時に比べたら、だいぶ山が荒れているとか、いろいろございますけれど、それでも、やはり内地に比べたら、北海道の自然というのは、雄大ですよ。すばらしいものがあると思います。それと、さきほどちょっと言いましたけれど、わたしは良くは知りませんが、アイヌのユーカラ・アイヌの神話というものがあるのではないでしょうか? ですから、宇宙との響き合いだとか自然との響き合いを考えるときに、わたくしは北海道は日本のいろんなところに比べてかなり優れた面を持っているのではないかと思います。
 しかし、札幌一点集中というと極端すぎるかもわかりませんが、どんどん札幌の人口が増える傍ら、北海道各地の過疎化は進んでいるんですね。そこが問題で、札幌が光輝く部分だとすれば、各地方の過疎地域というのは、北海道には随分多いんですが、陰の部分ですね。しかし、わたくしは、これから陰の部分に注目しなければいけない。光輝くところだけが――、さきほど、白があれば黒があると言いましたが、陰があれば陽があるということでありますから、光があれば陰がある、両方大事なんですね。光り輝くところだけで世の中が成り立っているわけはないと僕なんかは思う、したがって、そういう陰の部分である、どんどん人がいなくなって耕作地も放棄されているようなところのコミュニティというものを、どうするのかということを、ぜひ北海道のみなさんには真剣に考えていただきたい。
 そこでわたくしは風土ということを言いましたが、風土というのはそこに人々の生活がないといけませんよね。自然だけではないんですよ、風土というのは。そこの人々の生き様みたいな、生活ぶりが交じり合って風土というのができていくわけだから、そこに人々の生活がなければ風土はないんです。とすれば、ひとつの集落、ひとつのコミュニティというものを考えていただいて、そのコミュニティが持続できるように、サスティナブルなものであるようにしなければならないのではないかと考えております。
 ですから、平成の開拓というのは、もちろん、内地――東京からとか大阪からとか、どんどん入植、来てくれる人がいると同時に、諸外国から、諸外国もわたくしは、われわれの感覚と似ている、感性が似ている人たちがいいのではないかと思います。
 アメリカインディアンもなかなか感性が似ているんですよ。ちょっと時間がなくなってきているんですが、アメリカインディアンの感性がこんなものだというものを読まさせていただきます。

では、アメリカインディアンが、「グレートスピリット」と訳されることになった偉大なるもの(神ないし祖先)に捧げる、「祈りの言葉」(「カイエソバージュ4・・・神の発明」、中沢新一、2003年6月、講談社)というものに、耳を傾けてみることにしよう。これはカナダの五大湖のあたりに暮らしていたオジブア族のものである。

 
  おお、グレートスピリットよ、私は嵐の中にあなたの声を聞きます。

  あなたの息吹は、万物に生命を授けています。

  どうか私の言葉を、お聞き届けください。

  あなたが生んだたくさんの子供の一人として、

  私はあなたに心を向けているのです。

  私はこんなに弱く、そして小さい。

  私にはあなたの知恵と力が必要です。

  どうか私が、美しいものの中を歩んでいけますように。

  赤と緋に燃える夕陽の光を、いつも目にすることができますように。

  あなたが創り出したものを、私の手がていねいに扱うことができますように。

  いつもあなたの声を聞き取っていられるよう、

  私の耳を研ぎ澄ませていてください。

  あなたが、私たち人間に教え諭したことのすべてと、

  一枚一枚の木の葉や一つ一つの岩に隠していった教えのすべてを、

  私が間違いなく理解できるよう、私を賢くしてください。

  私に知恵と力をお授けください。

  仲間たちに秀でるためではなく、人間にとっての最大の敵を

  わが手で打ち倒すために。

  汚れない手とまっすぐな眼差しをもって、

  あなたの前に立つことができますように。

  そのときこそ、私の命が夕焼けのように地上より消え去っていくときにも、

  わが魂はあなたのもとに堂々と立ち返ってゆけるでしょう。 

 こういう詩でありますけれど、わたくしたちの心に響くものがもちろんありますし、またわたくしたち自身も、こういう感性を持っているのではないかと思うわけであります。そういうふうに考えたときにわたくしこれからの近代文明の足らざるところを補うことができるのは、まさにこの北海道であるというふうに思います。何もモンゴルにこだわらないんですが、わたくしも多少モンゴルの人たちとお付き合いさせていただいて感性が似ている、ものすごく親しみを感じることができる民族であるというふうに思うわけでございます。
 あと、いろいろ申し上げたいことがございますけれども、今は市場原理、競争、競争の世界はグローバルな市場原理でありますけれど、そういう社会経済が当たり前のように今、思われております。今ここにいるみなさんも、全部、市場原理なんて当たり前じゃないかと思っておられると思いますけれど、そうではありません。エンデの遺言というのがございますけれど、地域通貨ですね。中沢新一は贈与経済と言っておりますけれど、イスラムも一神教ですが、イスラムの通貨というのは銀行に預けても利子がつかないんですね。というようなことで、贈与経済ということをもっと喋りたかったのですが、時間がなくなりましたので、今日はテキストを配らさせていただいておりますので、のちほど、ゆっくりご覧いただければ大変ありがたいと思います。それでは、最後にモンゴルの響きを聞いていただきたいと思います。





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