「劇場国家」の骨組み

 

 

 「劇場国家にっぽん」は、歴史と伝統・文化を大事にする。そのためには何よりも心を意識した「モノづくり」が大事にされなければならない。たんなる「物」では駄目だ。魂のこもった「モノ」でなければならない。モノによって初めて人びとの間に響き合いによる感動が生まれるのである。「劇場国家にっぽん」は大きな感動を得るための「場所づくり」と「モノづくり」、そしてそれを目的としたコミュニティー作りを目指している。大切なのは「こころ」である。魂のこもった「モノ」である。

 「劇場国家にっぽん」では、地域の人びとが民族的なモノの深みへと降り立っていく実践を行なうよう仕向けるとともに、そういった地域づくりにおいて「場所をして語らしめる」ということや「コミュニケーション作り」を忘れてはならない。先に述べた三つの世界が互いに関連しあいながら生き生きとした地域が創られていくのだ。そういう地域づくりに邁進することこそが、これからの新しい土木技術者の生きる道なのである。土木技術者とは本来「モノづくり」の技術者である。タマこそ命だ。

 タマは人間の創りだす力ではない。人間も宇宙の創造力によって創りだされたものである。タマはもっともっと大きい偉大な力であり、それは神の力と言っていいのかもしれない。科学的に言えば宇宙の力だ。宇宙のすべてのものを変化させているその根源のエネルギーである。現実には見ることはできないが、たしかにすべてのものには変化の力が働いており、それがタマである。

 それは見えないがゆえに霊力と呼ばれる場合もある。死んでまたこの世に生れでる再生の力・霊の力である。先祖と連なる霊力であろう。生命力と呼んでもよい。進化発展の原動力でもある。

 それはまた森の多産性や大地の多産性をつかさどる力だ。繁殖力と言ってもいい。さらに海の幸、山の幸を与えてくれるという意味で「恩寵の力」と呼ぶ場合もあるだろう。モノはこういった宇宙の力、タマの力の表われである。モノづくりとは、それらの力を目に見えるようにすることだ。だからモノづくりに携わるものは、まずタマの力を信じなければならない。

 

「万象に天意を覚る(さとる)者は幸いなり、国のため、人類のため」

 土木技術者の大先輩である青山士(あきら)の良い言葉が信濃川の大河津分水の碑に刻まれている。青山は明治36年単身パナマに渡り、日本人でただ一人パナマ運河建設に従事し、その技術を日本に持ち帰り荒川放水路などを建設した。そのような先人の叡智に想いを馳せ、私たち土木技術者は、万象に天意を覚り、森羅万象の奏でる宇宙のリズムに耳を傾けなければならない。

 私は今、土木技術という言葉を農業土木や建築なども含めて広義の意味で使っている。より広義には、シビル・エンジニアリングということでいいのかもしれない。土木技術はモノ的技術である。今までつくられたいろんなモノを見て、これまで用いられたいろんなモノ的技術を見て、天籟、地籟、人籟を聞き、天意を覚らなければならないのである。 私たちはこの苦難の時代、伝統の技術、伝統の力というものを信じることから再出発をしなければならない。「世襲の原理」を軽んじてはならないのである。 

 技術とは、モノが内蔵している〈あらわれ〉を、感覚的対象として目に見え、手で触れることができるようすることである。技術により手を加えることによって初めてモノの本質を感じることができるのである。と同様に、「場所」の持つリズム性を感じることができるのである。人工が自然を完成するということはそういうことである。

 

 

 註:以上は、最近上梓(じょうし)した拙著「劇場国家にっぽん」の中の一節ですが、私は、この一冊に、私の地域づくりのビジョンを掲げ、日本再生のヒントを挙げてみました。歴史のなかで光明を発する日本民族の魂と知恵。その魅力を紹介することが、日本の未来を切り拓くヒントになる、という衝動に駆られて筆をとりました。今こそ日本民族の魂と知恵の源泉をさぐり、この国のありようを検索すべきとき・・・・その思いに衝き動かされて筆をとった次第であります。この先、日本はどうなるのか? 日本人は何をなすべきか? 見えない未来に光を投げかけるのは、実は、歴史に埋もれた日本民族の魂と知恵ではないだろうか?

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