「モノとの同盟」

 

 

 中沢新一の新しい哲学のことを、私は「光と陰の哲学」と呼んでいる。

 それは、ハイブリッド思想を支える哲学であり、モノ的技術を支える哲学である。おそらく田邊哲学の系譜に属するものではないかと思う。新しい「種の論理」ではないかと考えている。

 

 「光と陰の哲学」によってつくりだされる経済システムは、伝統と文化を大事にし、「贈与経済」を大事にする。それによってつくりだすべき政党は、伝統の力を重んじ、かつグローバルな力とも共存を図っていこうとする、矛盾に満ちながらも共生に邁進する政党、ハイブリッド思想を身上とする政党である。

 合理的というより不合理な面が多いし、いうなれば矛盾だらけの党である。「ヒューマニズムなんてクソ食らえ!」「真理の追究なんてばかばかしい!」「自由競争なんてクソ食らえ!」なんていうとたしかに言い過ぎだろう。しかし、合理性とか真理とかヒューマニズムとか自由競争などについては、もちろんそれとの共生を図り、あえて反対の闘争はしないが、それよりもっと大事なものを追及していく覚悟である。「モノ」へのこだわりだ。

 

 中沢は、その最新の著書『精霊の王』(2003年・講談社)のなかで、田辺元(はじめ)の哲学を「後戸の哲学」として絶賛している。輝かしい光を放っている前面の哲学者は、いうまでもなく西田幾多郎(きたろう)である。しかし、田辺元という「後戸の哲学者」がいないと世界を変えるエネルギーは発生しない。世界を変える実践のためには「後戸の哲学者」が不可欠なのである。そのように説く中沢こそ、これからの世界をリードする「後戸の哲学者」であろう。私たちはもう一度「日本哲学」の源流である西田哲学と田辺哲学をしかと見直して、中沢の「スピリット論」を発展させていかなければならない。

 これからの平和や地域づくりには西田哲学と田辺哲学を語らなければならないし、中沢の「モノとの同盟」という考え方が大事であり、心を大事にしなければならない。私は宇宙と響きあいと言っているのだが、感性を大事にしなければならない。地域づくりはまず「スピリット」、これは鬼や天狗や妖怪などと言い換えてもいいのだが、そういう妖しげなものが立ち現れうるような「場所づくり」から始めなければならない。

 わかりやすく言えば、河童の棲む川づくりとか天狗の棲む森づくりである。トトロの棲む森づくりでもいい。子供のための「脳と身体の学習プログラム」が展開できる場所づくりと言っているのだが、子供たちが感性を養い身体を鍛える学習プログラムを作って、それを全国いたるところに展開しなければならない。

 地域づくりでさらに大事なことは、NPOの存在だ。

 NPOとは「ノン・プロフィット・オーガニゼーション(非営利組織)」のことで、営利を目的とせず社会的な意義によって活動する団体のことである。これからは心を大事にする地域づくりを目指さなければならない。経済的な側面も大事だが、これからはむしろ精神的な充実を意識した地域づくりを目指さなければならない。経済的な活充化と精神的な充実を兼ね備えた言葉として、私は「地域活充化」という言葉を使っているが、地域活充化のバックアップをする「後戸の神」は、NPОであろう。そう、21世紀の地域づくりはNPOを抜きには考えられない。NPОは心はあっても力(金)はない。一方、企業や行政は力(金)があっても心がない。そこで二つが同盟を結ぶのだ。それによって地域活充化が現実味を帯びてくる。ともかく、そのエネルギー源、力の源は、NPОという「後戸の神」なのである。

 そして、私の目指すもの……それは「こころ」である。経済でいえば「贈与経済」ということかもしれないが、少なくとも当面は、わが国の経済システムとして、グローバルな市場経済のなかに、「贈与経済」をつくりだしていかなければならないだろう。モノ的技術はけっして市場経済一点張りでは発達しない。「信」を前提に成り立つ贈与経済によって発展するのである。

 

 今わが国は資本主義の真っただ中にある。キリスト教という「不変の同一性」という神のもとで発達した資本主義の真っただ中にあり、贈与の空間が消滅しつつある。真の豊かさと真の幸福が消滅しつつある。中沢が言うように、いま大事なことは、「モノとの同盟」である。それは「物とモノとの同盟」であり、物質的なものと精神なものとの同盟である。これはわが国だけの問題ではない。資本主義が猛威を振るうところでは、「モノとの同盟」が必要である。物とモノとの新しい同盟関係の創造が、今こそ求められている。贈与空間の復活である。

 中沢新一いわく―― 

「宗教は、モノとの新しい同盟をつくりあげるさまざまな実践へと、解体吸収されていくのである。さまざまな実践、それは個人の探求であったり、協同の実践であったり、伝承文化運動の形をとったり、市民運動と呼ばれることもある。あらわれる形はさまざまだ。しかし、それらすべてがひとつの共通点を持つことになるだろう。それは非人間的なモノへの愛である。人間主義 (ヒューマニズム)の狭量さを超えて、資本のメカニズムをも凌駕して、広々としたモノへの領域へとふみこんでいくのである。そのとき、宗教は死んでよみがえるだろう。宗教がみずからの死復活をおそれてはいけない。だいいち、そのことを説いてきたのは、宗教自身だったのだから……」 

 いやあ、すごい! さあ、これでやっと「劇場国家にっぽん」の骨組みができそうだ。うれしい限りである。

 

 

 註:以上は、最近上梓(じょうし)した拙著「劇場国家にっぽん」の中の一節ですが、私は、この一冊に、私の地域づくりのビジョンを掲げ、日本再生のヒントを挙げてみました。歴史のなかで光明を発する日本民族の魂と知恵。その魅力を紹介することが、日本の未来を切り拓くヒントになる、という衝動に駆られて筆をとりました。今こそ日本民族の魂と知恵の源泉をさぐり、この国のありようを検索すべきとき・・・・その思いに衝き動かされて筆をとった次第であります。この先、日本はどうなるのか? 日本人は何をなすべきか? 見えない未来に光を投げかけるのは、実は、歴史に埋もれた日本民族の魂と知恵ではないだろうか?

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