山の国が育むもの

 

 

 9月11日の同時多発テロは、アメリカのみならず私たち自由主義社会をまさに驚愕のどん底に陥れた。宗教の怖さというものを今さらながら思い知ると同時に、21世紀における世界平和を願うときに暗澹たる想いにかられる。あのテロはイスラム原理主義のジハード(聖戦)であり、仮にビンラディンがいなくなっても、イスラム原理主義が勢いをを得ているかぎりジハードはなくならないといわれる。アメリカ及び同盟国を敵としたテロはなくならないということだ。日本は間違いなくアメリカの同盟国であるからジハードの対象となりうる。恐ろしいことだが、わが国においてもジハードは起こりうるという前提で対処しなければならないだろう。危機管理というか安全管理に万全を期すと同時に、経済援助を中心にアラブ諸国とも平和外交を進めなければならない。それが経済大国の責務であることはいうまでもないが、一方で、とくに文化面において、わが国の優れた思想や宗教のことをもっと世界に知ってもらう努力をしなければならないでだろう。

 日本は山国である。国土面積の約70%が山だという国は世界でも珍しい。

 そして、日本の登山の歴史はとても古く、世界に類を見ないほどである。西洋では、山は悪魔の住むところとして近代まで近寄る人は少なかったようであるが、わが国の場合、縄文時代にすでに山頂で祭祀が行われていたようであり、石器時代の狩猟生活を考え合わせてみれば、日本人の山との関わりあいは相当に古い。

 『日本百名山』の山の文学者、深田久弥が「信仰登山」のなかでこう記している。

 「・・・・『万葉集』に、山部赤人の富士山をたたえた歌や、大伴家持の立山をあがめた歌が残っている。山岳文学といったものを設定するとすれば、おそらくこれが世界最初の山岳文学の傑作であろう。これほど早くから、山をあがめ、山に親しみ、山が好きだった国民は世界中どこにもなかった。

 富士山に最初に登ったのは「続日本紀」に出てくる役小角(えんのこづぬ)という僧といわれ、天武天皇の時代である。また「富士山記」が収められている『本朝文粋』は平安朝の書である。その文章には実際に富士山に登ってみないと書けない山頂の詳しい描写が綴られている。

 このように日本の登山史は世界に類を見ないほど古く、今から1200年前に、宗教的な登山ではあったが、すでに登山の黄金時代があった。僧や修験者により、富士山、立山、槍ヶ岳、白山など多くの山が開かれている。記録としては633年の富士山登頂が世界で最も古く、それから九百年を経た1522年にメキシコのポポカテペトルが登られるまで、その登頂高度記録は破られなかったという。

 立山は701年に慈興(じこう)上人によって開山され、白山は716年に泰澄によって開かれた。さらに相模の大山は755年に良弁によって、日光の男体山は782年に勝道(しょうどう)上人によって登頂されている。ちなみに、ヨーロッパ・アルプスの最高峰モン・ブランが初登頂されたのは、それから千年後の1786年のことである。

  こういう日本の歴史を世界の人にも知ってほしいと思っている。日本文化のなかにいかに山の文化が育まれ、森の文化が含まれているか、日本人の心の源流がいかに自然に根ざしているのかを知ってほしいと思っている。

 日本人のアイデンティティーは山への畏敬(いけい)の念、森への畏敬の念から成り立っている。それは自然のなかを漂泊する自我であり、無の実感である。漂泊することにより自我にめざめ、違いを認める文化が生じ、それが多神教の文化をもたらす。多神教がいいとか一神教が悪いなどと言っているのではなくて、いろんな文化が共生する世界であってほしいのだ。違いを認めあう世界でなければならないということだ。もはや世界は一神教の文化ではやっていけないと思うのである。

 奥秩父は、荒川、多摩川、笛吹川、千曲川の源流である。その広大な山地には、2000m以上の山が20座ほどあって、北アルプス、南アルプスに次ぐ山岳地帯を形成している。その深い森と渓谷の景観はすばらしい。私のこれからの人生で、奥秩父の山や谷をできるだけ歩きたい、そんな想いからいずれは秩父に住みたいと考えている。秩父は歴史も古く、伝統・文化が豊か、人情も豊かであるので、大自然に抱かれた里の暮らしを求めてのことでもある。

 とりあえず、奥秩父の山や谷を歩くためのベースキャンプとして山小屋を作った。北極星と北斗七星がよく見えるから「北天の小屋」と名づけた。三峰口駅から歩い二十分、マイカーだと車から降りて十分、少し急な坂を登った尾根筋に建っている。秩父は日本列島で一番古い秩父古生層で有名だが、その古生層と第三紀層との間の断層が荒川本川の周辺に露出していて、地質学者なら一度は見るべきところだそうだ。

 太古、日本に生息したナウマン象を研究したドイツのナウマン博士が東大地質学科の初代教授のとき、この地をしばしば訪れ、周辺の景色の素晴らしさを称讃したという。今では武甲山が石灰岩採掘のためその美しい山容をすっかり変えてしまったし、荒川の流れも発電のため少なくなったが、それでもナウマン博士が絶賛した風景を彷彿とさせる美しい景観が楽しめる。私の山小屋の登り口は、御嶽山の登山口のすぐ近くだ。木曽の御嶽山を開いた普寛行者の在所が近くにあり、秩父にも御嶽山がある。その景色は素晴らしく、両神山、雲取山、甲武信岳など奥秩父の山々が一望に眺められる。

 人との響きあい、自然との響きあい、宇宙との響きあいのなかに、日本人の心が育まれると、私は信じている。ここで大事なことは歴史である。響きあいというものは時空を超えて行われるから歴史を忘れてはならない。歴史が、人間と自然と宇宙を繋ぎ、日本人としての心を育んでいくのである。

 そしてまた、異質な文化と響きあうなかから国際人としての心、平和の心というものが育まれていくにちがいない。このような思いから、私は町づくりにおいても響きあいの場「知のトポス」を作っていかなければならないと考えている。同時に、山や川が好きで自然を愛し、山村の人々との触れあいを大事にする人が少しでも増えることを願いながら秩父に出かけ、奥秩父の山々を歩きながらさまざまな交流を深めていきたいと考えている。

 

 

 

 註:以上は、最近上梓(じょうし)した拙著「劇場国家にっぽん」の中の一節ですが、私は、この一冊に、私の地域づくりのビジョンを掲げ、日本再生のヒントを挙げてみました。歴史のなかで光明を発する日本民族の魂と知恵。その魅力を紹介することが、日本の未来を切り拓くヒントになる、という衝動に駆られて筆をとりました。今こそ日本民族の魂と知恵の源泉をさぐり、この国のありようを検索すべきとき・・・・その思いに衝き動かされて筆をとった次第であります。この先、日本はどうなるのか? 日本人は何をなすべきか? 見えない未来に光を投げかけるのは、実は、歴史に埋もれた日本民族の魂と知恵ではないだろうか?

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