「モノ」と「タマ」

 

 

 霊魂を「タマ」という。「モノ」の理解のためにまず「タマ」の理解が必要である。中沢新一の説明を続けよう。

 

 タマもモノも非人格的であるという点では共通している。しかし、ふたつのあいだにある微妙な違いが、このさいには重要になってくる。ふたつの関係を、もうすこしくわしく調べてみよう。折口信夫はタマの性質を見るのには、モノが生れる出るさいの胎生と卵生というふたつの方法のうち、卵生のモノの発生を考えてみるのがよい、といっている(霊魂の話) 。

 タマは内包空間に充満する力であり、その様子を古い時代には、「たまご」や「かひ」のなかに密封されているようにイメージしていた。その密封空間のなかでタマはますます力を増やして、とうとう「かひ」を破って外の世界にあらわれてくる。タマがモノとして「あらわれる」のだ。存在をあらわす「ある」は、この「あらわれる」から派生したことばで、日本語では存在というものを、内包的な潜勢空間からモノとして現勢化してくるプロセスの全体をとらえて「あらわれる」として理解していたというのが、折口信夫の基本的な考えである。

 タマは非人格的な強度として、この世界の外からやってくる。そうして、この世界の中にありながら、この世界にはいまだ姿をあらわさないために、特別な内包空間のうちに密封されているものとしてイメージされている。中沢新一がこういうように、タマについての折口信夫の説明はイメージである。土地には精霊がいると考えられており、今もなお地鎮祭が行われているし、モノにはタマが宿っているという考えから今もなお針供養や帯供養などが行われている。このタマの存在は今でこそ希薄になってきているけれど、わが国では伝統的な意識であったと考えてよい。中沢新一はこの「モノ概念」を現代に復権させようというのである。これは、宗教的には、超越即内在という問題であるけれど、そういう力は間違いなくあるのである。

 

 延原時行によれば(ホワイトヘッドと西田哲学の<あいだ>・・・仏教的キリスト教哲学の構想・・・、法蔵館、2001年3月)、宇宙は、有限な絶えず進化発展膨張する生き物でありつつ、超越者(御霊)がその中に内在するところのリアリティーである。

 よく知られているように、エドウィン・ハップルは、アインシュタインの「動的な宇宙などありえない」という科学的信念を、1929年にカリフォルニア州のウィルソン山天文台での天体観測で覆した。彼の観測によれば、銀河群の遠いものほどわれわれからその距離に比例した速いスピードで遠ざかっているではないか。彼は、パロマー天文台にアインシュタインを招き、見せたところ、アインシュタインは初めて、宇宙が固定的で不変のマクロコズムであるという旧来の先入観を脱却したという。

 現在の宇宙像は、いうまでもなく、時々刻々進化膨張する動的な姿のそれであって、これの特徴は、宇宙進化の最先端は、時空そのものの新しい創造なのであって、これには静的なマクロロコズムがまず存在するといったニュートン物理学的な前提は全然必要ではない、という驚くべき真理である。

 

 今地球環境が問題になっているが、地球の持続的発展を前提に、現在のビッグバン理論をもとに宇宙の力を考えてみよう。この世界の「モノ」はすべて変化している。循環的な変化もあるし、どのような変化をしていくのかわからないような変化もあるが、ともかくすべての「モノ」は変化している。生物の死と誕生もその変化のひとつであるし、森の多産性もその変化のあらわれである。道具は壊れるが、しかし新しい道具が生れ出てくる。もちろん人間が創り出しているのであるが、よくよく考えてみれば、人間の創り出す力なんてものはたいしたものではない。無から有を創れないからである。ガラスにしても鉄にしてもこの地球が創り出したものではないか。いな、その地球すらはじめかあったものではなく、宇宙の創造力が創り出したものである。すべて宇宙の力である。ビッグバンによる宇宙の変化の力がすべての「モノ」に及んでいるのである。「モノ」には、現実には見えないけれどたしかに変化の力がある。人間がそうであるように、いつどのような姿に生まれ変わるかはわからないけれど、この宇宙から消えてなくなってしまうということはない。必ずいつかはないかの形で生まれ変わるのである。再生するのである。しかもその変化は進化発展的である。すなわち、本来、「モノ」には「タマ」による多産性の力があるのである。その「タマ」の力は私たちには見えない。密封の容器に隠れている。

 

 中沢新一は言う。このタマは「たまご」や「かひ」のような容器の内部で成長をとげ、やがて殻を破ってこの世界にあらわれてくる。「あらわれる」が「ある(存在)」であり、このようなタマの密封・成長・出現の全プロセスには、いささかの否定性も関与していない、というところが重要なのである。

 

 さらに中沢新一は言う。生命現象がゲノムのような物質的過程に還元され、生死にかかわることがらの多くが技術によって操作されるようになり、ついには商品化されていこうとしている現代にあって、民俗学はそのような還元や操作を受けつけないモノの活動の領域がたしかに存在して、いまも活動を続けていることをあきらかにしようとするのである。私は唯物論ということばで、物質的過程への還元をめざす科学主義のことではなく、民族的なモノの深みへと降り立っていく実践(プラクシス)のことを、そう呼ぼうと思うのだ。

 

すごい! 中沢新一はすごい! 中沢新一は新しい唯物論で21世紀の地平を切り開こうとしている。私はその道を一緒に突き進んでいこうと思う。実践(プラクシス)が大事である。行動あるのみである。

 

 私たち蛙は、古池に飛び込まなければならないのである。そうしなければ水の音は出ないのである。大音響は出ないのである。響き合いは生じないのである。だから、行動しなければならない。私たち蛙は、古池に飛び込まなければならないのだ!そのための動機付けと雰囲気づくりが必要だ。それは演出家の仕事であるかもしれない。演出家は、中沢新一の指し示す行動原理にしたがって私たち蛙が行動するように、仕向けなければならないのだ。

 

 しかし、忘れてならないのは、古池という場所の存在と松尾芭蕉という主体の存在である。

 

 古池という場所はとりもなおさず舞台装置であるが、舞台装置係は、私たち蛙が飛び込むその・・・古池という場所をつくらなければならない。その場所は古池だから古池らしい古池をつくらなければならない。そのためには、下手な作為に頼るよりも、場所をして語らしめるということが大事である。「劇場国家にっぽん」では、「場所をして語らしめる」ということが大事である。

 松尾芭蕉という主体はとりもなおさず観客だが、会場係は、それぞれの観客がもっともいい雰囲気で水の音を聞けるように、誘導しなければならない。イヤホンも準備して解説をしなければならないかもしれない。幕あいにはうまくトイレや売店に誘導しなければならないかもしれない。すべて観客のことを考えてソフトなサービスを提供しなければならない。コミュニケーションが何よりも大事である。

 

 このように、「劇場国家にっぽん」では、地域の人々が・・・民族的なモノの深みへと降り立っていく実践(プラクシス)・・・・を行うよう仕向けるとともに、そういった地域づくりにおいて、「場所をして語らしめる」ということや「コミュニケーションづくり」を忘れてはならない。先に述べた3つの世界が互いに関連し合いながらイキイキとした地域が創られていくのだ。そういう地域づくりにまい進することこそ・・・・これからの新しい土木技術者の生きる道だ。土木技術者とは、本来、「モノづくり」の技術者である。タマこそ命だ。

 

 タマは人間の創り出す力ではない。人間も宇宙の創造力が創り出したものであり、人間の創り出す力を含むけれど、タマはもっともっと大きい偉大な力であり・・・、それはもう神の力といっていいのかもしれない。科学的言えば宇宙の力だ! 宇宙のすべてのものが変化しているその根源の力だ。エネルギーだ。現実には見えないけれどたしかにすべてのものには変化の力が働いており、タマはその変化の力だ。見えないが故に霊力と呼ぶ場合もある。死んでまたこの世に生れ出る再生の力・霊の力である。霊力である。先祖と連なる霊力であろう。生命力と呼んでよい。進化発展の原動力でもある。そしてそれはまた・・・森の多産性や大地の多産性をつかさどる多産性の力だ。繁殖力と言ってよい。そしてそれはまた・・・、海の幸、山の幸を与えてくれるという意味で「恩寵の力」と呼ぶ場合もあるだろう。モノはこういった宇宙の力、タマの力のあらわれである。モノづくりとは、そういう宇宙の力、タマの力を見えるようにすることだ。だから、モノづくりに携わるものは、タマの力を信じなければならない。

 

「万象に天意を覚る(さとる)者は幸いなり、国のため、人類のため」

 

 青山士(あきら)をはじめ先人の叡智に想いを馳せ、我々土木技術者は、万象に天意を覚り、森羅万象の奏でる宇宙のリズムに耳を傾けなければならない。天籟、地籟、人籟を聞かなければならないのである。私は、今、土木技術という言葉を農業土木や建築なども含めて広義の意味で使っている。より広義には、CivilEnineeringということでいいのかもしれない。土木技術は、モノ的技術である。今までつくられたいろんなモノを見て、今まで使われたいろんなモノ的技術を見て、天籟、地籟、人籟を聞き、天意を覚らなければならないのである。

 私たちは、この苦難の時代、伝統の技術、伝統の力というものを信じることから再出発をしなければならない。「世襲の原理」を軽んじてはならないのだ!

 

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