第6次産業の夢は大きい!
 
  少し古くなって申し訳ないが、8年ほど前に、風土工学と「杜のくに・・・日本」と題して小論文を書いたが、その際、『 我が国は世界有数の森林国である。第五次全国総合計画にうたわれているように、多自然居住地域、つまり森林に恵まれた水源地域というか過疎地域こそ国土づくりのフロンティアである。』・・・と申し上げた。シビルエンジニアというか土木技術者、あるいは建設業は国土づくりのフロンティアに出て大いに活躍して欲しいと考えたからである。この考えは終始一貫変わっていない。私は過疎地域こそ国土づくりのフロンティアだと考えている。 今回のこの小論文は、当時の考えを点検の上大いにブラッシュアップをして、最新の考えとしてまとめたものである。
 
 さて、私は、最近(2008年)10月15日のブログで次のように述べた。
 「 行政とNPOとタイアップして,第6次産業を中心に,山口二郎さんのいう第2のニューディールとして地域発電事業と地域農業の新たな展開を日本で始めるのだ。 行政とNPOとタイアップして,第6次産業を中心に,金子勝さんのいう制約のある中での景気刺激策を思い切って展開するのだ。第6次産業が行う地域発電事業と地域農業が 今の危機を救うのだと思う。国の無策のため過疎地域の農林業は死にかかっている。ということはこれから第6次産業のやるべきことはいっぱいあるということだ。第6次産業の力強い振興を図ることによって,欧州諸国に大幅な遅れを取っている・・・再生可能エネルギーの利用が一挙に進む。そして,食料の増産が図れる筈だ。第6次産業は,今の日本を救う・・・将に救世主となろう。」・・・・・と。
 
 
 また私は11月7日のブログで次のように述べた。
 「 山が荒廃しています。これは由々しきことであります。
 日本人は,縄文時代はいうに及ばず,旧石器時代の太古の昔から山とは切っても切れない関係の中で生きてきました。そして山によって生かされてきたのであります。
 山は,日本の風土の基本をなすものであります。それが荒廃するということは,日本の風土が壊れることであり,故郷(ふるさと)が喪失するということであります。それはとりもなおさず世界に誇りうる日本文化が消えていくということであって、日本が世界平和のために大いなる貢献をするなどということは夢のまた夢になってしまうのではないでしょうか。
 しかし、今ならまだ間に合います。早急に国民的な議論を巻き起こして各方面にアッピールしていけば、都市側の人たちの理解も進むであろうし,新国土形成計画でいうところの第6次産業勃興のきっかけも生じてくるでありましょう。山がイキイキとしなければなりません。農山村がイキイキとしなければなりません。故郷(ふるさと)を喪失させてはならないのであります。
 故郷(ふるさと)を喪失するということは,上にも述べましたように,世界に誇りうる日本文化が消えていくということでありますが、さらに、佐伯啓思さんが言っておられるように,日本国民がニヒリズムに陥りかねないという問題も含んでおり、これはまさに国是に関する重大問題でもあります。そういう国是に関する基本的な問題について侃々諤々の議論をしなければならないのではないでしょうか。」・・・・と。
 
 
 私は,どうしも第6次産業を興さなければならないと思う。 私は、過疎地域で、行政とNPOと企業が力を合わせて、農業や林業との繋がりをもちながら、地域のためにやる仕事が・・・・第6次産業だと定義しているが、私の定義では第6次産業の担い手は企業である。ひとつの企業が農業や林業をやりながら出来るだけ何らかの加工業と観光業を営む・・・というイメージである。第1次産業でも良いし,第2次産業でも良いし,第3次産業でも良いから、ともかく行政とNPOとタイアップして,地域のためにやってほしいということだ。
 かかる観点から,私は11月9日のブログで次のように述べた。
「 私は、当面、過疎地域の市町村は、小水力発電と取り組むべきであると考える。そして,それを起爆剤にして第6次産業の次なる展開を考えれば良い。第6次産業の次なる展開、それは先端技術を駆使した間伐材利用促進である。先端技術を使って、最先端の製炭事業と最先端の発電事業を興すのである。
 過疎地域における第6次産業の夢は大きい。自然再生エネルギーを利用しての植物工場や養魚場をつくるという夢、そして外国人向けの新たな観光開発をするという夢が将にそこにある。過疎地域の将来は実に明るいのではないか。」・・・・と。
 
 
 
 以上のように,私は,私のブログで、第6次産業についていろいろと述べてきたが,最近,2006年ノーベル平和賞受賞者・・・ムハマド・ユヌスの「貧困のない世界をつくる・・・ソーシャルビジネスと新しい資本主義」(2008年10月20日,早川書房)が出版され,今,それを読んで大変大きな示唆を受けている。ムハマド・ユヌスのいうソーシャルビジネスを行なう企業とは,深刻な社会問題を解決するために設立するもので,金を儲けるための企業経営は行なうが,株主配当は行なわない。儲けは経営拡大または新規事業に使う・・・そのような成長志向の企業である。
 ムハマド・ユヌスは上記著書の中で、「 世界には二種類の人間がいる。(中略)ひとつは最大限の利益を追求したいという人々であり,もうひとつは人間と地球のために良いことをしたいと願う人々だ。」・・・と言っているが,私が今注目している森岡正博も同様なことを言っている。「どうして生命は,他の生命を犠牲にしようとするのだろうか」「それにもかかわらずどうして生命は,他の生命や自然と調和したいと願うのだろうか」・・・・と(「生命観を問い直す・・・エコロジーから脳死まで」、森岡正博、1994年、筑摩書房)。こういう疑問が森岡正博の「生命学」の出発点であり、共生の哲学を考えるときのいちばん大事な点である。
 
 共生の哲学との関連でムハマド・ユヌスのいうソーシャルビジネスをどう考えればいいのか。私は,今まで,第6次産業を当然株主配当を行なうものとしてイメージしてきた。行政とNPOと協力して事業を進めていくので,儲けのいくらかは故郷納税をしたり,NPOに寄付をすれば良いではないかと考えてきた。そういう第6次産業も当然あると思う。しかし、共生の哲学からは、ムハマド・ユヌスのいうソーシャルビジネスとして第6次産業を興す方がより良いのかもしれない。ここは大いに勉強しなければなるまい。