黒曜石の七不思議
 
2008年7月23日
国土政策研究会会長
岩井國臣
 
 
 白滝における黒曜石の加工技術・湧別技法は驚くべき技術である。私はそのことを十分意識しながら,黒曜石を中心に旧石器文化の勉強をする必要性に気づき,昨年までいろいろと考古学的な勉強を重ねてきた。そしてそのときに感じた不思議を「黒曜石七不思議」として呼んで、素人なりに自分なりの考えを述べてきた。六つまで書いたが,七つ目がまだ残っている。実は,この七つ目の不思議は,縄文文化誕生の謎とも関連し,極めて重大な意味を持つ問題提起かと思われる。昨年の作業から何もしないまましばらく時間が経過したが,縄文文化をひもときながら私の文明論を展開する・・・・そういう心の準備もできたので,いよいよ七つ目の不思議に挑戦したいと思う。
 ただし,その前に,黒曜石の七不思議について今までの記事を振り返っておきたい。今までの記事は以下の通りである。
 
第1の不思議は「 武蔵野台地に大量に持ち込まれた黒曜石が伊豆・箱根、伊豆諸島の神津島、栃木県高原山でなく、なぜ八ヶ岳のものなのか? 」であった。この不思議ついて考えながら学んだことは, 富士眉月弧(ふじびげつこ)文化圏というものの存在の大きさである。
 
第2の不思議は「神津島には、いつごろ、どういう人が、何のために渡ったのか?」であった。この不思議について考えながら学んだことは,黒潮文化のすごさである。日本はやはり海洋国家であることをやはりしっかりと意識すべきだと思った。
 
第3の不思議は「 神津島の黒曜石は3万年ほど前から盛んに採掘されるようになったにもかかわらず, 熱海大越遺跡からは、なぜ2万年前の黒曜石しかでないのか?」であった。この不思議について考えながら学んだことは,日本の歴史において熱海の持つジオ的な重要性である。
 
第4の不思議は「神子柴で出土した黒曜石の尖頭器はいつ頃どこの誰が開発したのか?」であった。この不思議について考えながら学んだことは,もちろん御子柴文化の持つ歴史的な価値であるが,同時に,旧石器人の移動というものが私たちが考えるより遥かに広範囲であるということである。
これを言い直して「 野辺山には近くに八ヶ岳の黒曜石があるのになぜ神津島の黒曜石が運び込まれ、しかもその野辺山で、神子柴で出土したあのようななまさに芸術品とでもいうべき尖頭器がつくられるようになったのか?」であった。この不思議について考えながら学んだことは,新しい文化というものはやはり異質の文化のぶつかり合いのなかから生まれでてくるのだということである。
 
第5の不思議は「湧別技法集団は北海道から日本列島のどこを通って南下していったか」 出会った。この不思議を考えながら学んだことは,旧石器時代の道についてである。旧石器時代の道について私なりの考えができたと思っている。 
 
第6の不思議は「「何故、あそこに御子柴遺跡のようなすばらしい遺跡があるの?御子柴は聖地か?」であった。この不思議を考えながら学んだことは,聖地ということについてである。やはり聖地というものは,山と川そして水が関係するのではないかと思った。
 
 
 
 さて、これから黒曜石七不思議の最後の不思議に挑戦するのだが,縄文時代の勉強を少し初めて,今, 疑問に思うのは,小瀬が沢遺跡と室谷遺跡のことである。最古の縄文土器が出土したそれらの遺跡に白滝の黒曜石や八ヶ岳の黒曜石が運ばれており,それらの遺跡は誠に重要な遺跡であるが、それらは新潟県の福島県よりの奥深い山のなかにある。何故こんな山奥に我が国最古の縄文土器が眠っていたのか? また,何故白滝や八ヶ岳の黒曜石がここまで運ばれてきたのか? 誠に不思議ではないか。
 
 
 
 
それではまず現地に赴くとするか。