場所の論理



 中村雄二郎によれば、そもそも「場所」というものは、コミュニティーとか環境というような<存在根拠(基体)としての場所>のほかに、<身体的なものとしての場所>、<象徴的な空間としての場所>、そして<論点や議論の隠された所としての場所>の三つがあるという。 
 
では、<論点や議論の隠された所としての場所(トポス)>とはなにか。中村の説明を紹介する。 

『 <論点や議論の隠された所としての場所(トポス)>は、古代レトレックでいうところのトピカ(トポス論)の持つ問題性をもっと広い観点から捉えなおしたものである。もともとアリストテレスではトピカとは、自分の行おうとする議論はいかなる種類の事柄にかかわるか、どのような話題から始めるべきか、を決めるものであった。キケロによれば、隠された場所がわかれば隠されたものがたやすく見出されるように、十分な議論をしようとすれば、その場所つまりロクス(トポス)を知らなければならない。こうしてトピカは発見の術とも呼ばれ、政治や法律の具体的な事例についての議論に不可欠なものとされた。
 このトピカは蓋然性の上にのっとった議論であるため、永い間、とくに近代世界に至って、不確かなものとして退かれることが多かった。しかし、近年になって、具体的な事例や問題の考察と議論において、適切な論点を発見することがいかに必要であるか、また、現実の多面的な豊かさを考えると、蓋然性を受け入れることがどんなに正確であるか、が見直されてきている。必然的な真理のもとづく議論はたしかに正確ではあるが、そうした議論はいくらしたところで、問題の持つすべての局面を考察したことにはならないからである。つまり、正確な推論の出発点となる前提は、えてして単に現実の一局面しか表わさず、したがってそこからの結論もおのずと限られたものになるからである。 』


 哲学者の説明は難しく、私たちにはちょっと理解しにくいが、私流に判りやすく説明したいと思う。風土もそうだが、環境というものは人々の感性に強い影響を与える。環境にはいろいろあって、地質学的な環境、地理的な環境、生態系的な環境、歴史的な環境、文化的な環境などがある。そういった環境がうまく整えられた「場所」では、人々の感性はそれなりに養われるし、それなりの学習も自ずとできる。門前の小僧習わぬ経を詠む・・・という訳だ。

 飯田賢二がその著書「日本人の鉄」(有斐閣、昭和57年4月)に「鍛冶屋のせがれ」というタイトルで書いているが、鍛冶屋の打つ鎚(つち)の音をしょっちゅう聞いたり、そこから出る火花をしょっちゅう見ていると、その鍛冶屋のせがれは豊かな思想性と創造性を身につけることができるのだそうだ。嘘のような話だが、私は何となくそうだと判る。それが中村雄二郎のリズムの世界であり、述語の世界である。
 松井孝典の「人類発展おばあちゃん説」というのがあるが、これもそうだ。女性は生理的に宇宙と繋がっているので、そもそも宇宙的、地球的なのである。おばあちゃんは長生きをするので、その宇宙的感性、地球的感性が孫に伝わり、そのおかげで人類はここまで発展してきた・・・という訳だ。

 けだし、ジオパークは、地球公園でもあるので、それなりにうまく整えることによって、地質の好きな人間、地理の好きな人間、生態系の好きな人間、歴史の好きな人間が育つのである。地質の好きな人間・・・それは宮沢賢治のような人である。私たち日本ジオパークモデル化研究会では、大学などの研究機関との連携が重要であると考えている。大学の先生方の助けを借りながら、ジオパークをそれなりにうまく整えていこう。その場合のキーワードは地球学的感覚と地球学的知見である。学者の先生方の地球学的感覚と地球学的知見によって、ジオパークをそれなりにうまく整えることができれば、日本の未来は明るい。私たちの子供や孫は、豊かな思想性と創造性に富んだ子供たちが育つからである。私としては、ジオパークを我が国最大のプロジェクトにしてほしいと思っている。



目次に戻る!