プ ラトンの「コーラ」について
 
 


  私 は先に、『 これからの国土づくりや地域づくりや町づくりにおいては、「風土」ということが強く意識されなければならない。哲学としてはプラトンの「コー ラ」であり、宗教としては「空(くう)」であり、民間信仰としては「スピリット」というか「石神信仰」である。』・・・と述べた。そして、「スピリット」 について注書きで説明しておいた。「風土」や「空(くう)」或は「石神信仰」についても説明が必要かも思うが、ここでは、プラトンの「コーラ」というの は、ほとんどの人が聞いたこともない言葉だと思うので少し説明をしておきたい。説明とは言っても、私自身まだ勉強が足りないので、間違った説明になるかも しれない。ご承知おき願いたい。それでは、後日その間違いが判り次第適宜訂正することとして、勇気を出して説明することとしよう。
 
  藤 沢令夫という大先生がおられた。先生は、1956(昭和31)年京都大大学院修了後、九州大助教授などを経て69年に京大教授に就任、退官後の91年から 97年3月まで京都国立博物館長を務めた人である。先生は、古代ギリシャ哲学が専門で、特にプラトン研究で知られる。プラトン哲学の大家である。その先生 の著に、「自然、文明、学問・・・科学の知と哲学の知」(1983年9月、紀伊国屋書店)という本があって、それに、『 プラトンの宇宙論が要請する根本 原理としては、原範型イデアと、生成の「場」(コーラ)ないし「受容者」(ヒュポドケー)と、デーミウルゴス(創造者)・・・これは、万有の動と変化の根 源であるプシュケー+ヌウスの神話的象徴と解せます・・・・と、この三つを考えることができます。』・・・・という説明がある。
 
  と ころで、私は前に、中沢新一の「精霊の王」(2003年11月、講談社)を勉強した。
 
そ の「精霊の王」という本の中にも(コーラ)の説明が出てくる。引用しよう。
 
《そ れにしても、宿神=シャグジの空間はプラトンの言う「コーラ chola」というものに、そっくりである。(中略)
  コーラは「母」である、とプラトン[『ティマイオス』]はいきなり宣言する。そして、それは「父」とも「子」とも関わりのないやり方で、自分の内部に形態 波動を生成する能力を持ち、その中からさまざまな物質の純粋形態は生まれてくるのであると…語るのである。(中略)
  コーラは子宮[マトリックス]であると言われている。同じようにして、宿神もミシャグチも子宮であり、胞衣だと考えられていた。その中には「胎児」が入っ ていて、外界の影響から守られている。つまり、コーラは差異と生成の運動を同一性の影響から守り、宿神は非国家的な身体と思考の示す柔らかな生命を、外界 を支配する国家的な権力の思考から守護する働きをおこなってきたのだ。
  こうして私たちは、プラトン哲学の後戸の位置にコーラの概念を発見するのである。この概念は、極東の宿神=シャグジの概念との深い共通性を示してみせるの だが、それはおそらく、かつてこのタイプの存在をめぐる思考が、新石器的文化のきわめて広範囲な地域でおこなわれていたためだろう、と考えるのが自然では ないか。
コー ラという哲学概念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることができる。西 欧ではいずれこのコーラの概念を復活させる運動の中から、現代的なマテリアリズム(唯物論)の思考が生まれ出ることになる。その意味では、マテリアリズム そのものが哲学すべてにとっての「後戸の思考」だと言えるかも知れない。》(第十章「多神教的テクノロジー」,268頁,272頁)・・・・・と。

 
  ま た、オギュスタン・ベルクというすばらしい地理学者がいる。このひとは、1942年生まれのフランス人であって、パリ大学で地理学第三課程博士号および文 学博士号(国家博士号)を取得後、1984〜88年に、日仏会館フランス学長を勤めた人である。現在フランス国立社会科学高等研究院教授。風土学の領野を 開拓し、画期的な独自の理論を構築した人である。この人の最近の著書に「風土学序説」(2002年1月、筑摩書房)というのがあって、その中に、「神話に もとづいてプラトンは、場所(コーラ)を母に、存在を父に、生成を両親の子に譬えているのである。」という説明があるが、これは中沢新一の説明とほぼ同じ であろう。

 
  さ て、藤沢令夫の説明に戻ろう。原範型イデアとは何か? これがまたむつかしく、プラトン哲学を勉強できていない私などが人にこの説明をすることはできな い。私には、ホワイトヘッドのいう「永遠的対象」の方が説明しよい。ホワイトヘッドの哲学は有機体哲学と言われるが、すべてのものが変化する世界観から成 り立っている。その変化の中で名詞的に固定されているものが、ホワイトヘッドの考える「普遍」で、それを「永遠的対象」というのだが、それがプラトンのい う原範型イデアのことである。それは、私の理解では、存在というか出来事というか、そういうものの裏にある真実ないし真理である。
そ の「永遠的対象」が場所(コーラ)に作用し、変化のエネルギーによって生成という両親の子が生まれる。場所(コーラ)は、生成の母であるとか、母の子宮で あるというのはとてもわかり良いではないか。
ジ オパークでは、その地域における、地質的、地理的、生態系的、歴史的、文化的な「永遠的対象」を専門家が語る、 その「永遠的対象」が場所(コーラ)に作用し、さまざまな物語や風俗が生まれる。私は、そういうことでジオパークの演劇性が生じてくると考えている。
 
  け だし、ジオパークでは、プラトンの「コーラ」が強く意識されなければならない。中沢新一が言うように、 コーラという哲学概念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることができる。
私 は先に、『 これからの国土づくりや地域づくりや町づくりにおいては、「風土」ということが強く意識されなければならない。哲学としてはプラトンの「コー ラ」であり、宗教としては「空(くう)」であり、民間信仰としては「スピリット」というか「石神信仰」である。』・・・と述べた。

  「コー ラ」は、イデアというか永遠的対象というか、そういうものの作用がないと働かないのであるが、「スピリット」は自然の中で自然に活動が始まる。そういう違 いはあるけれど、流動的知性が働くという点では、まあ同じようなものと考えていいかもしれない。「空(くう)」についても、いずれ説明するが、これも 流動的知性が働くという点では まあ同じようなものと考えていいかもしれない。