「杜のくに・・・日本」

 

                              平成11年11月吉日

                              参議院議員 岩井國臣

 

 我が国は世界有数の森林国である。第5次全国総合計画にうたわれているように、多自然居住地域、つまり森林に恵まれた水源地域というか過疎地域こそ国土づくりのフロンティアである。

 実は、その五全総の策定に当り、私は、流域の持つ本質的な意義について私見を発表したことがある。流域の重要性、そしてマナイズムの重要性、森の思想の重要性を言いたかったのである。平成6年6月に、国土審議会調査部会(部会長 下河辺淳)から、「四全総総点検調査部会報告・・・新しい時代のはじまりと国土政策の課題・・・」というのがが出たので、それに対する私の想いをまとめたのである。その頃ちょっと肩に力が入っていたので「四全総総点検を点検・・・・地域づくりに哲学はあるか」という誠に不遜な論文名となった。それを、個人的にはたとえ親しい間柄とはいえ、糟谷企画調整局長のところに臆面もなく持っていったのだから今から思えばおはずかしい限りである。

  全文はここをクリックしてほしい。国土審議会調査部会報告では流域というものに対する認識がほとんど無いことに大いなる不満を持っていたので、流域の持つ本質的な意義について私見を書いたのだが、要点は次の通りである。

 

 つまり、「これからは、自然再認識の時代である。自然に対する正しい認識というかトータルとしての認識が必要だと思う。自然の恵みのみならず、 自然の恐ろしさについても認識されなければならない。知水、潤水、敬水ということを提唱している人もいるし、敬水思想の重要性を説く学者もいる。今後、わが国民が持つべき自然観は、アニミズムによるだ けでなく、マナイズムによるものが重要であろう。水についても正にそうで、自然の恵みとしての水、自然の恐ろしさとしての水、それが水の本質であり、そういった水そのものについて国民の関心が高まっていけば、流域についての国民の意識が高まっていくのではないか。かかる観点からいって、自然の再認識の時代は、流域の再認識の時代である。そして、水の再認識の時代、森の再認識の時代である。自然の思想とともに、水の思想、森の思想が必要である。そして、それらを統合する哲学が必要である。」・・・・と。

 水の重要性、川の重要性、流域の重要性、そしてマナイズムの重要性と森の思想の重要性を言いたかったのである。

 このような経緯があるので、私にとって、「多自然居住地域」こそ国土づくりのフロンティアだとする五全総の考え方には本当に意を強くしている次第である。

 さて、さる9月、私達の「平成研究会」では、小渕総裁の自民党総裁選出馬に当たり、私達がそれまでずっと勉強してきたその成果を『21世紀の「国づくり」・・・新たなる挑戦・・・』という形でまとめた。その過程で、私は、これからのあるべき我が国の「国のかたち」を議論する班(班長は愛知和男衆議院議員)に属したので、私は年来の考えを皆さんに訴えることができた。結果、私の意見もある程度取り入れられて「杜の国・・・日本」ということになったが、ここではそのくだりを紹介しておきたい。

 

  『我が国は開かれた国際社会の中で、存在感のある日本国家らしい国のあり方を模索していかなければなりません。経済を中心にグローバル化が進む中で、「日本らしさ」を守り育てていかなけれ、日本は社会としてのまとまりを失ってしまうでしょう。

 今後、どういう点に日本人としてのアイデンティティーを持ち、どういう点に地球人としてのグローバルな行為規範をもつのかというバランスをとることが重要なものとなってくるでしょう。その上で、いかにグローバル化されようが揺るぎのない国、かつ、日本国内だけに通用するのではなく世界にとっても普遍性のあるものを持っている国を目指していくべきでしょう。

・・・

 およそ過去300年間にわたって支配的でありました「近代進歩主義」の思想は、科学技術の発達をもたらし人類に多大な貢献をしてきたことは事実ですが、他方で結果と仕手人間の傲慢さを容認し、大々的な地球環境破壊を招き、人類自体の生存基盤を切り崩しています。地球人類は、今や「近代進歩主義思想」に代わるものを必要としています。

 

 我が国の国土の三分の二は森で覆われています。この森の半分は自然林ですが、あとの半分は人工林です。我が国の文化は木の文化といわれ、生活の中に多くの木を用いてきましたが、それだけに木がなくなることを恐れた先人は、木をきれば必ずそのあとに植林をしてきたのです。我が国のような狭い国土に一億人を超える人間が住み、なおかつ非常に高度な生活を営んでいる国で今日でも国土の三分の二が森で覆われているという事実はまさに驚嘆に値します。

 こうした日本人の自然と調和を保ちながらともに生きていく生き方を総称して「杜のくに」と表現してきました。この「生き方」こそ近代進歩主義に代わる考え方につながるのではないでしょうか。東洋のものでも西洋のものでもない我が国独自の国柄である「杜のくに」の思想と感性について、われわれは自分たちだけのものとして大事にするのではなく、東洋の他の国や西洋諸国にも普遍的な価値として発信していってよいのではないでしょうか。

 このように、我が国は、これから自らの伝統と文化に根ざしたアイデンティティーに再び光を当て、「富国有徳」的な考え方を現代風にアレンジしながら、世界の人々に人間の生き方として、国あり方としてひとつのモデルを提示するという気概を持ってもよいのです。すなわち、人類が人間以外のもつ、つまり自然との共生を基本とする生き方を共有するならば、誰もが美しい環境の中でゆとりと生きがいを感じられる生き方をすることができるのではないでしょうか。その意味で、二十一世紀において我が国は世界の平和と持続的な繁栄の構築に主導的な役割を担っていけるのではないかと考えています。』

 

 私の訴えたい核心部分は、いうまでもなく『・・・「杜のくに」・・・この「生き方」こそ近代進歩主義に代わる考え方につながるのではないでしょうか。東洋のものでも西洋のものでもない我が国独自の国柄である「杜のくに」の思想と感性について、われわれは自分たちだけのものとして大事にするのではなく、東洋の他の国や西洋諸国にも普遍的な価値として発信していってよいのではないでしょうか。・・・』という部分である。

 

 時代は物凄い勢いで流れている。激流だ。したがって、そういった時代の激流に制度がついていけないのは止む得ない。そのために経済的社会的に大混乱が生じるのも止む得ない。現在の大混乱は、新しい世紀を生きるための産みの苦しみであり、単なる楽観は禁物であるにしても健全な意味での楽観主義でないとやっていけないのではないか。今述べたように、21世紀は日本の時代だと思う。私達は、明日の楽しみを夢みながら今の苦しみに耐えなければならない。よろこびのうちに耐えるのだ。