ここ講演の原稿


◆第8回 風土工学シンポジウム 平成17年7月22日

<劇場国家にっぽん>

 

■グローバル化の時代に日本の歴史・伝統・文化を考える

 岩井でございます。

いま竹村さんから、災害の問題、食料自給の問題、エネルギー自給の問題のお話がございましたが、そこのところは大変難しい問題ではなかろうかと思い ます。ご案内のとおり、いまグローバルな時代になってきておりますので、そういう状況の中で、日本が国際的にどのように立ち振る舞うのかというところが、 大変難しいように思います。

 国民の消費者マインドというのか、気持ちもずいぶん昔と変わってきておりますので、これからどのような生活が国民の間で許容されるのか、いま近代 文明がどんどん世界的に進んでいると思います。そういう近代文明、これは自由主義とか、資本主義とか、市場原理とつながって、ものすごい勢いで、世界のア メリカ化といったことも進んでいるのではないか。そういうところに対してどう歯止めをかけていくのかというところは、大変私は難しい問題だと思います。し かし、やらなければならない。どういうふうにやっていくのか。できればいま竹村さん言われたようなことも、やることができればいいなとは思いますけれど も、率直なところ、なかなか難しいのではないかという感じでございます。

 世界の中で、特にいまものすごい勢いで自分のところの文明というのか、文化というのか、席巻してい るところがアメリカですけれども、そういった流れにどう歯止めをかけるのか。私は世界のアメリカ化、グローバル化、あるいは現代科学文明というものによっ て、大変心配しているのが、田舎がなくなってきているということです。過疎地域の過疎がどんどん進んでおります。東京の一点集中はいまだに止まらず、歯止 めがかからないんです。その反面、過疎地域はどんどん過疎が進んでいます。1万 4,000ほど集落あるんでしょうけれども、集落自体がなくなりつつあります。そういうことに対してどう思うのか、どう対処するのかというのが、私ども大 変懸念しているわけです。

 近代文明のものすごい勢いでの進展とともに、日本の歴史・伝統・文化というものが次第に壊れてきているのではないでしょうか。それもかなり心配な んです。今日は風土ということですけれども、風土というものも、言葉としてはあるんだけれども、これも次第になくなりつつあるのではないか。それではいけ ないのではないかという危機感かから、竹林さんも風土工学ということで頑張っていただいているんだろうと思います。

 そういうことで歴史・伝統・文化というものが現代の科学文明、あるいは世界のアメリカ化という現象によって、次第になくなってきている、これから どうなるのかという危機感を大変もっているわけでございます。

 先ほど竹内良夫さんから、日本らしさを取り戻さなければいけないという話がございました。全くそのとおりだと思います。また、竹内さんから、社会 人類学者、文化人類学者等の助けも借りながら、我々の土木哲学というものをもって、これがまた竹内さんの進めようとしておられる風土工学ということになる んだろうと思いますけれども、そういう民族学の先生方の助けも借りながら、我々として哲学をもたなければならないのではないか、そういう話があったかと思 います。私も全くそのように思います。

 基本的に日本の我々の歴史と伝統・文化を大切にしよう、大事にしよう、そういう声を上げていかなければならないのではないか。風土というものを大 切にしよう、大事にしようという声を上げていかなければならないと思います。

 しかし、そこが問題なんですけれども、我々が日本の国内だけで言っているのでは始まらないのではないか、グローバル化の時代でございます。ものす ごい勢いで世界のアメリカ化が進んでいるわけです。そういう状況の中で、世界に向かってどのようにそういうことを言うか、わが国の歴史と伝統・文化の神髄 は何か、日本の歴史と伝統・文化の一番大事なところは何か、そういうことももうちょっとはっきりさせなければいけない。それを世界に向かって、力強く言っ ていく必要があるのではないか。

 これからは国内だけで生きていくわけにいきません。世界の中の日本だろうと思います。そういう国際化の中で、日本は日本らしく、希望をもって、日 本の歴史と伝統・文化を大事にしていく。日本のそれぞれの地域の風土というものを大事にしていく、そういうことだろうと思います。

 そういうふうに考えていくと、国内だけの問題で収まるのならいいんだけれども、そうもいかないとなれば、大変難しいように思います。日本の国是、 日本の国際化の中で進むべき基本的な方針、道は何かということの議論すら、大変いま貧弱ではないでしょうか。もっと、日本は世界の中でどう振る舞うべきな のか、日本の国是というものはこれからどうあるべきかという議論をしなければならないのではないか。私は私なりに、あまり自信はないんですけれども、そう いう観点で多少勉強してきておりまして、私の見るところ、日本の歴史・伝統・文化というものは、世界の中で大変な意味をもっているのではないか。先ほど世 界のアメリカ化と言いましたけれども、世界の日本化とは言いませんけれども、そこまでは言わないけれども、アメリカの行き過ぎを日本は是正できる、その力 をもっているのではないかと思います。

 そういう意味で、日本の国内、わが国の歴史と伝統・文化というものを、もう少し我々自身勉強しなければならないし、そしてそのうえで世界の歴史と 文明を勉強しなければならないのではないかと考えております。

 

■日本の歴史・伝統・文化の神髄は相手の立場になって考えること

 コジェーブというロシア出身のフランスの哲学者がいました。このコジェーブは、パリの高等研究院で、ヘーゲルの精神現象学の講義をされたわけであ りますが、ご存じのバタイユとか、ラカンとか、メルロ=ポンティなどのすばらしい知識人がその講義を聴講したと言われています。

 そういう世界的に偉い学者、超一流の学者だとお考えいただければいいと思いますが、そのコジェーブが、「現代の歴史の終焉には万人が賢人になり理 想的な世界が到来する」、と考え、その終焉の世界、歴史の終わりと言っているわけですが、それは決してアメリカのことではありません。いま世界はまさにア メリカ化が進んでいるんですけれども、アメリカ式の生活様式ではないということを、コジェーブは言っているわけであります。

 どうも日本のスタイルが歴史の最終の姿ではないかということを言っているわけです。これは山折哲雄さんがある本で書いておられますけれども、フラ ンシス・フクヤマという、日系人でありますが、いまをときめくアメリカの哲学者です。このフランシス・フクヤマが、「歴史の終わり」という本を1980年 代の終わりぐらいに書いたんですが、要するにアメリカの民主主義がいままでの歴史のたどり着く最後の姿だと言っているんです。しかし、その後、いろいろな 批判がフランシス・フクヤマのところに届いたそうです。それで自分もいろいろ考えたんでしょう、「歴史の終わり」という本の結論は間違っているかもしれな いということで、「人間の終わり」という本を、これは比較的最近ですけれども、書かれたのでございまして、その結論は、アメリカスタイルではないのではな いか、真の自由とは、社会で最も大切にされている価値観を政治の力で守る、そういう自由である、こういう結論を言っておられるわけです。

 そこで先ほどのコジェーブの話とも関連させながら、私なりに考えました。つらつらと考えて、私が思いますのは、社会で最も大切にされるべき価値観 というのは、地域の人々と一緒になって生きる。しかも、歴史・伝統・文化を大事にして、風土を生きる、その充実感ではないかと思うんです。そういうことを 私はまず皆さん方に申し上げたいわけでございます。

昨日もロンドンで同時多発テロが発生いたしました。これは大変なことです。厳重な警戒体制のもとでああいうことが起こっているわけですから、大変な ことです。イギリス当局が相当ショック受けているのではないかと思います。いずれわが自衛隊のイラク・サマーワからの撤退問題がいろいろ国民の間に議論に なると思います。どういう結論になるか、そのときになってみないとわからないというところがありますけれども、おそらく国論は二分されるのではないでしょ うか。ということで、世界における歴史観あるいは日本のわが国内の歴史観というものが、いま問われているのではないかと思います。

 日本のわが国の歴史と伝統・文化の神髄は何か、文化庁長官の河合隼雄さんに「先生、日本の歴史と伝統・文化の神髄は何ですか」と聞いたんです。河 合隼雄さんは、いまいろいろなところで大活躍されていて、日本の良識の代表みたいな方です。河合隼雄さんいわく、「神髄がないのが神髄だ」と言われていま した。独特の言い方でございますけれども、私は私なりに、安田先生は安田先生、竹内先生は竹内先生、竹村さんは竹村さん、竹林さんは竹林さん、それぞれ皆 さんなりに日本の歴史と伝統・文化の最も大事なところはここではないか、世界に誇れるものはこういうところではないかと思いました。先ほどの竹村さんの話 は江戸時代のいろいろなお話がありました。これは世界に誇れる日本の文明ではないかということをおっしゃっているんだろうと思いますけれども、そういう日 本の歴史・伝統・文化の中の世界に誇れるものをどんどん世界へアピールしていく必要があるのではないか、アメリカの後ろばっかりついていく必要ないのでは ないかと思います。

 靖国神社の問題もあるわけでございますけれども、私は世界における歴史観、日本の中における歴史観ということが、少し欠如しているのではないかと 思います。

 いろいろな見方があると思いますけれども、私が思うに、日本の歴史と伝統・文化の神髄、河合隼雄さんは神髄がないのが神髄だとおっしゃっている、 私は神髄がある、それは違いを認める文化だと思います。相手の立場になって考えるということだと思います。多神教がいいというのではありません。イスラム 教やキリスト教が悪いということではないと思います。そういう宗教の話をしているのではありませんが、聖徳太子の頃から日本は「和をもって尊しとなす」と いうことですから、相手の立場になって考えるということだろうと思います。

 山口昌男さんという方がおられますけれども、両義性ということを言われるし、中沢新一さんは「モノとの同盟」、河合隼雄さんは「矛盾システムを生 きる」ということを言われるわけでありますけれども、要は白か黒か、善か悪か、どっちかに偏ったものの考え方はできないのではないか。禅問答みたいになり ますけれども、白といえば白だ、黒といえば黒だ、白でもないし黒でもない、そういう認識の仕方が「絶対的認識」というそうでありますけれども、そういうこ とで中沢新一さんは対称性社会、いまはアメリカ一人勝ちみたいになっていますから、世界は非対称社会になっているんです。ですけれども対称性社会でないと いけないのではないかと思いますが、そういうことで私は両方、どっちかというのではないのではないか。足して2で割るのではなく、白と黒と足して灰色がい いということではなくて、白もあるし黒もある、善もあるし悪もある、そういう世界だろうと思います。

 先ほどから安田先生の話にも、竹内さんの話にも、竹林さんの話にも出ておりましたけれども「心」、科 学文明というのは物質です。物質ですけれども、心の問題が抜けておるのではないか。我々の土木、いままでの土木にも心の問題が抜けていたのではないか、そ れを入れようしているのが竹林さんの風土工学だろうと理解できるんです。

 中沢新一さんは「モノとの同盟」ということを言っております。市場原理だけが経済ではないんじゃな いか、「贈与経済」ということを中沢新一さんは言っておりますが、そういうことにつきましてはテキストに少し書かせていただきましたので、 後ほど読んでいただければと思います。

 

■「劇場国家にっぽん」地域の人々を主役に

 そこで私がいまここで皆さん方に申し上げたいのは、私のテキストの題名が「劇場国家にっぽん」です。これは昨年本を出させていただいたわけです が、「風土に生きる人びと」というサブタイトルをつけさせていただいたわけですが、これはどういうことかというと、私は日本の歴史・伝統・文化の神髄があ る、違いを認める文化、相手の立場になって考える文化だ、相手を立てる文化だと思っているものですから、そういう基本的なものの考え方で、できるだけ世界 の人に、本当はアメリカ人にもっときてもらえばいいと思うんですけれども、ブッシュのようなやり方ではいけないのではないかと思います。相手の立場になっ てものを考えるというふうになっていかないといけないのではないでしょうか。

 そのためには日本人もどんどん世界に出掛けていって、我々の考え方を言うべきだろうと思います。先ほどの竹村さんのように、江戸時代はこうだっ た、食料の自給の面からいっても、エネルギーの面からいってもこうだ、すばらしいそういう文化をもっている、そのとおりになるとは限りませんけれども、そ の中の何に学ぶべきかということは考えるべきでしょうね。

 いろいろなことあると思います。それぞれ皆さん方は日本の歴史・伝統・文化の中のここがすばらしいよ、それを世界の人々に言うべきであろうと思い ます。

 そしてまた、逆にどんどん世界の人々に、韓国からも、中国からも、フランスからも、ドイツからも、イギリスからも、世界各国から日本にきてほし い。東京だけではだめです、名古屋にもきてもらいたいし、京都にもきてもらいたいし、大阪にもきてもらいたい。それだけではないです、北海道、九州、それ ぞれの地域に歴史・伝統・文化ありますから、それぞれの地域に風土があって、風土を生きている人たちがおられるわけですから、その生きざまを見てもらいた いと思います。

 清水博さんという薬学の先生の「共生の論理」というのがありまして、薬学の先生だから薬の先生かと思ったら、そうではなくて、生命、薬を扱おうと 思えば、生命の何たるやというのをわからないといけないから、生命の研究をされた、「生命関係学」という言葉をお使いになっていますけれども、生命学の先 生です。

 この方が生命の研究をしながら、生命のシステムというのはなかなか難しくてわかりにくいんですけれども、ものすごくわかりいい例え話で言っておら れますので、それをご紹介します。

 舞台で役者が即興的に演じる即興劇というのがあります。多くの観客がそれを見ています。日本の歌舞伎もそうですけれども、「成駒屋」という声をか けたり、よかったら拍手をしたり、そういう舞台の役者と観客とのやり取りがあります。観客の反応によって舞台の上で演じている役者が、元気が出たり、アド リブでいろんなことやったり、即興劇というのはそういうものだそうです。

 私は土木屋ですから、舞台をつくったり、照明装置をつくったりするシステムエンジニアですけれども、舞台で演ずる役者と観客と、そしてシステムづ くりの人、舞台係、この3つがあるというわけです。

 私の「劇場国家にっぽん」というのは、地域の人々が舞台で演ずる主役です。そこへ国内から、外国からいろいろな人にきてもらいたい。我々はそれの 基盤をつくる、こういうイメージで、主役は地域の人々である、その地域の風土に生きる人々だというふうに思っているわけでございます。

 そういう意味で、地域の人々が元気をださなければいけません。中村雄二郎先生という哲学者がおられますけれども、中村雄二郎さんが清水先生の本を 見て、清水先生は舞台の上の即興劇の役者を、関係子という言葉はわかりにくいので、「メディオン」と呼ぶのがよかろうということで、私はメディオンと言っ ております。地域の人々・メディオンが主役だ。メディオンが元気をださなければいけない、そういうことを「劇場国家にっぽん」で考えております。

 そういう意味で、ビジター産業、とにかく外国からどんどんきてもらわなければいけないわけです。これからの日本の産業、もう臨海工業地帯の時代は 終わりました。関西空港だけではありません。成田もまだ北側に延長しなければいけないようでありますが、羽田空港も第2期工事をやらなければいけません し、とにかくどんどん外国から人にきてもらわないとはじまらないわけです。そして各地域に行ってもらわなければいけないわけです。そうすると、高速体系も 必要になってきます。

 ということでございまして、そういう基盤をつくりながら、日本の歴史・伝統・文化の神髄というものを外国の方々に見てもらう、その主役は地域の人 々である。ビジター産業というものを日本のリーディング産業に育てなければならないのではないか、そんな思いで本を書かせていただいたわけです。

■地域づくりからはじまる国づくり

 

 私が本省の係長の頃は、まだ国土庁というものがなく、当時は建設省の計画局というのがありまして、そこに地域計画課と総合計画課があって、そこで 全国総合開発計画をやっていました。私はそこで計画第一係長をしていました。全国総合開発計画は、第1次から5次までつくられました。5回目のときは、こ れからは開発の時代ではないのではないか、環境の時代だから、開発というのはいかがなものかという話もあって、第5次の全国総合開発計画とは呼ばなかった んです。「21世紀の国土のグランドデザイン」と言いました。ですけれども、実際は1次〜5次までできました。5次までできますけれども、一番光り輝いた のが池田勇人の所得倍増計画ではなかったかと思います。

 その頃はまだ国土庁というものがなくて、我々建設省の中の計画局でやられていたのですけれども、時代が変わりまして、臨海工業地帯の重厚長大の時 代ではなくなりました。もう21世紀に入って5年目になるんですけれども、この21世紀はどういう国土目標でいくんでしょうか。どういう目標をもって国土 建設にあたっていくんでしょうか。どういう目標でもってそれぞれの地域づくりをやるんでしょうか、そのビジョンがないのではないか。国民がワクワクするよ うな、希望をもつようなビジョンがいまないように思います。

 ということで、新たな視点に立ってビジョンをつくらなければいけないということで、全国総合開発計画のもとは昭和25年にできた国土総合開発法で すが、その法律を変える必要があるのではないか。

 一つは、地方分権の時代です。地方分権というものを考えて法律をつくり直す必要があるのではないか。

少子高齢化の時代です。どんどん少子高齢化進んでいくんです、もう現実のものになりました。そういうことを考えて新しい国土計画が必要です。

 先ほど竹村さんから出ておりましたけれども、エネルギーの問題、災害の問題、新たな局面にきているのではないかというこことがあります。

 もう一つ、韓国や、中国や、ベトナムや、東アジアがどんどん経済発展しています。そういう国々と日本がどのように連携を取るか、これはものすごく 大事なわけです。国土総合開発法の時代はそんなのはなかったんです。

これは私の個人的な、独特の考え方ですけれども、先ほどから言っているアメリカの行き過ぎを是正する、「後戸の神」という言い方もあるんですけれど も、日本の歴史・伝統・文化、これの神髄を世界の人々に知ってもらう。世界の人々と手を携えて、日本がリーダーシップもってやっていく、そういう視点がこ れからの国土政策には必要ではないかと思います。

 いろいろな人によって見方はあると思いますけれども、今日新しい法律ができました。全国総合開発のもとになった国土総合開発法改め、国土形成計画 法という新しい国土計画に関する法律ができました。地方分権の時代でございますから、基本方針は国、中央で決めますけれども、あとの具体的な計画につきま しては、それぞれの地方にブロック、中心になるのは、中部地方整備局とか、近畿地方整備局とか、整備局が中心になるのかなと思いますが、県知事さん等と一 緒になって協議会をつくって、それぞれのブロックでブロックにふさわしい計画をつくっていこうという法律の仕組みになっているんです。

 開発がもう必要ないということではないんですけれども、開発というものはちょっと引っ込めまして、国土形成計画法という名前にしております。した がって、これから1年ぐらいかけて、基本方針をつくっていくことになると思います。私の個人的な考えを先ほど申し上げましたけれども、日本歴史・伝統・文 化、これはすばらしいものがある。これを世界にアピールしていくという立場から、ビジター産業を日本のリーディング産業に育てる、そういう観点に立っての 全国的なインフラ整備をしていく必要があるのではないかと思っております。

 

■地域の風土を活かしたシステム作りを

 

 先ほど山口昌男さんの両義性とか、あるいは違いを認める文化ということを言いましたけれども、我々自身も、皆さん方も、これからは二足のわらじを 履かなければいけないと思います。生活するところも、皆さん本拠地があるでしょう、セカンドハウス持っていますか。別荘ではありませんが、「二地域居住」 ということをうちの若い連中が言っていますけれども、セカンドハウスでもいいです、私は山小屋ですけれども、週末はそういうところで過ごすということが必 要だと思うし、本業と別業、本業とNPOとか、二足のわらじを履いたらいいのではないかと思います。そういうものをこれからの新しい国土計画に織り込んで いったらいいのではないか。

 もちろんナショナルミニマムというのもありますけれども、小泉さんの政策についてはいろいろ意見あ るかもわかりませんが、一昨年、本会議場で、これから日本は観光で生きていくということで、観光立国宣言をされた、そのことについては先ほどからいろいろ と申し上げた、私の考えとピタッと一致しておりますので、大変すばらしい政策課題であろうと思います。

 観光立国ですと、どんな市町村、過疎地域でも風土があるんです。その風土を活かしてやっていけばい いわけだから、どこでもチャレンジができるように思います。そのときに、我々はシステムエンジニアです。観客は観光客、地元の人たちがメディオン、即興劇 を演じている。我々システムをつくる側としてはどういうものを、どのようにつくるかということは極めて大事です。

 私は、PFI、プライベート・ファイナンス・イニシアティブ、最近プライベート・パブリック・パートナーシップ、PPPと言ったりしますけれど も、そういう新しい手法で、民間主導の公共事業の整備の仕方が必要ではないか。やることがいっぱいあります。金もいっぱいあるんです。国にないだけ、民間 には金がいっぱいありますので、プロジェクトがよければいくらでも動きます。金を集めたらいくらでも集まります。そういうところがありますから、民間のエ ネルギーをどのように活用していくかということを考えるべきではないかということでPFI、その中でもとりわけまちづくりPFIにつきましては重要だと思 います。

 先ほど安田先生の話で、巨大災害の世紀を生き抜く、国家戦略が必要だということもありますが、それぞれの地域で巨大災害を生き抜いていかなければ いけない、生き残っていかなければいけない、地域の問題が大変大きいように思います。地域はどうなるのか、地域の人々の生活は大災害によってどう変わって いくのかということを考えるべきです。地域の安全性というものをどのように考えていくか、異常渇水、異常洪水、そういうものをどのように考えていくか。

 愛知万博をいまやっておりますが、あれのテーマは「自然の叡智に学ぶ」です。もともとは中沢新一さんがそういうことを言いだしたらしいですけれど も、そのようなテーマどおりの展覧になっているかどうか、疑問な面もなくはありませんが、これからは自然の叡智に学ぶということが極めて大事なのかなとい うことを、安田先生の話を聞きながら思った次第です。

 安田先生から私に対しまして褒めすぎるお言葉をいただきましたので、お返しではないですけれども、1年半ぐらい前にこういうのを書かせていただき ました。先ほど申し上げましたフランシス・フクヤマの「真の自由」、真の自由とは、社会で最も大切にされて いる価値観、それを政治の力で守る、そういう自由だ。社会で最も大切にされている価値観というのは何か、地域の人々とともに風土を生きる、その充実感であ る。ということを先ほど申し上げました。

 最後に、安田先生の文章が出てくるものですから、読ませていただきます。「私は人々の心を衝き動か す動機となる文化的な価値観、それは地域の人々とともに風土を生きるその充実感であるが、そういうものを蘇らせることが極めて重要である。そういう地域の 人々とともに風土を生きる」。そのためにはまずは何といいましてもコミュニティの再生が不可欠である。地域的なコミュニティは農山村でしか再生できないの ではないか。都市では職業的なコミュニティとか、趣味的なコミュニティというものがあり得ますので、当然そういったものについての再生というのはあり得る と思います。しかし、地域的な意味でのコミュニティというのは難しいのではないか。趣味的なもの、職業的なコミュニティというのは当然ある と思います。

 それらのコミュニティがインターネット時代においてどう世界と結びついていくのか、そういったことはこれからの課題ですけれども、日本は違いを認 める文化という日本のアイデンティティを大切にして、新しい挑戦に踏み出すべきだと思います。

 確かに現在のニヒリズムということが言われますけれども、そういうものが日本に蔓延しています。コジェーブは歴史の終焉を日本に見たらしい。しか し、コジェーブは間違っているのではないかと思っているわけでありますが、世界における日本の歴史はむしろこれから始まるのです。そのためには安田先生が 提唱するドラゴンプロジェクトを、下河辺さんの流域圏構想のかわりに具体化させることが必要ではないか。安田先生は21世紀のライフスタイルについて、心 豊かにゆったりと暮らす、そういうことも言っておられます、すばらしいことだと私は思います。

 桃源郷に暮らす夢、それは縄文への憧れでもあるかと思います。地域的なコミュニティが職業的・趣味 的なコミュニティとつながって、世界につながっていく。日本の新しい歴史が始まるのです。

 最後に安田先生の提唱されましたドラゴンプロジェクトに触れさせていただいて、私の話を終わらせていただきます。ご静聴まことにありがとうござい ました。