小松和彦(こまつ かずひこ)

1947年東京都生まれ。埼玉大学教養部卒業。東京都立大学大学院博士課程修了。大阪大学文学部助教授を経て現在、国際日本文化研究センター教授。専攻は文化人類学・民俗学。著書は『異人論』『悪霊論』『神々の精神史』『説話の宇宙』『神隠し』『日本の呪い』『鬼がつくった国・日本』(共著)など多数がある。

なお、小松和彦さんの研究論文は国際日本文化研究センター(略称日文研といいますが、梅原猛さんが初代の所長で、現在は河合隼雄さんです。教授陣といい設備といい世界的水準のものです。ホームページもすごい!)の図書館で閲覧できます。小松和彦さんのインターネットブック(中村雄二郎さんの新しい試み)はここをクリック! 


『憑霊信仰論』・・・・妖怪研究への試み   小松和彦

 

目次

一 「憑きもの」と民俗社会 ――聖痕としての家筋と富の移動―― 

1 はじめに

2 民俗学的研究の若干の問題点

3 「つき」の基本的概念

4 「つみ」と「憑依」

5 聖痕としてみた「憑きもの」

6 聖性(異常性)の形象化そしての「憑きもの」

7 「憑きもの筋」と「限定された富」

8 総括と今後の問題  

 

二 説明体系としての「憑きもの」――病気・家の盛衰・民間宗教者――

1 はじめに

2 高知県物部村の事例

3 説明体系としての信仰

(1) 病気の説明体系と憑霊

(2) 家の盛衰と神霊

(3) 民間の宗教的職能者とその使役霊

4 まとめ  

 

三 《呪咀》あるいは妖術と邪術――「いざなぎ流」の因縁調伏・生霊憑き・犬神憑き――

1 はじめに

2 「障り」の病

3 因縁調伏

4 生霊憑き

5 犬神憑き(四足憑き)

6 式王子と式法

7 若干の考察とまとめ

 

四 式神と呪い――いざなぎ流陰陽道と古代陰陽道――

1 はじめに

2 土佐のいざなぎ流陰陽道

3「呪咀」のための祭文と儀礼

4 いざなぎ流の「式神」

5 呪禁道と陰陽道の伝来

6 陰陽師の活躍

7 陰陽道の「呪い」と「式神」

 

五 護法信仰論覚書一一治療儀礼における「物怪」と「護法」――

1 はじめに

2 『枕草子』からの事例

3 調伏儀礼

4 「護法」――験者の呪力の形象

5 憑霊としての「物怪」と「護法」

6 「憑坐」と「夢」

 

六 山姥をめぐって ――新しい妖怪論に向けて――

1 柳田国男の妖怪論

2 妖怪――祀られぬ神々

3 《神》と《鬼》

4 土佐の「山女郎」

5 「山女郎」の両義性

6 昔話のなかの「山姥」

7 今後の課題

 

七 熊野の本地 314――呪咀の構造的意味――

1 「熊野の本地」諸本について

2 呪咀・占い・殺害

3 陰謀の構造的意味

4「うわなり打ち」の視点

 

八 器物の妖怪 ――付喪神をめぐって――

1 怨霊・河童・付喪神

2 器物の精の妖怪化

3 御伽草子『付喪神記』

4 中世におけるものと人間

 


1 はじめに

村落共同体的感覚を喪失しつつある都会の住民には、この「憑きもの」という言葉は、それほどリアリティーを持って響かないかもしれない。しかしながら、都会生活者たちのなかにすら、その表面的な形態こそ異なっているにせよ、「憑きもの」信仰にきわめて近い価値認識の仕方を見出すことが可能だと私には思われるのである。

たとえば、同程度の生活状態の家が軒を並べている住宅地や団地で生活する人びとのなかで、人並以上の、つまり人びとの予想を遥かに超えた出世を遂げ、新たに家を建てたり、新車を買ったりして、今までの階層から急速に上昇してゆく人が現れたときの羨望は、想像するにあまりあるものであろう。

 

「憑きもの」といった場合には、私たちはそれを迷信といったイメージで眺め、日頃の生活には無縁なものと考えているわけであるが、ひとたび、「憑きもの」という言葉から「もの」という語を取り除き、「つき」という言葉のみに変えると、それはあまりに日常的な用語であるがゆえにむしろ見逃している言葉、つまり「今日はオレはついている」とか「どうやら自分にもつきが回ってきた」というように用いられる日常語へと転化することになるのだ。

このことからもわかるように、「憑きもの」をめぐって形成された概念は、その宗教的側面は急速に失われつつあるにせよ、現在の日常生活のなかにおいても頻繁に用いられる概念なのであり、そして、この点にこそ考察しなければならない重要な問題が隠されているのである。

 

もちろん、「憑きもの」信仰が現在の社会生活に不可欠なものである、と説こうなどという気持ちは毛頭ない。ここでの私の関心は、「つき」という言葉によって指示される現象や、俗に「憑きもの」と称されている信仰を、人間と人間、集団と集団との社会的な相互関係を中心にしつつ、可能なかぎり根元的・本質的に把握し、それを媒介にして、日本人の精神の奥底に潜む情念の世界の一端を垣間見てみようということだけである。

 

2 民俗学的研究の若干の問題点 

所与の社会は、社会的なもの、経済的なもの、政治的なもの、宗教的なもの等々の諸要素が互いに関連し合って一つの結合体を構成している。

 

3 「つき」の基礎的概念 

「憑きもの」信仰を考察するとき、私たちはまず、「憑きもの」という言葉を、《つき》という語と《もの》という語の二つに区別してみる必要がある。

「つき」とは、何ごとかが生起している状態を表現しており、「もの」とは、その状態を発現せしめる原因となっている存在を意味する。

 

「つき」とは見せかけの説明でしかない。というよりも、「もの」との関連を考え合わせた場合、「つき」とは、生起し、現前する現象が、日常的な思考での理解を超えた、未知の異常なものであることを意味しているにすぎず、その現象の原因として用いられる「もの」という語が、その説明なのである。

しなしながら、「もの」という概念は、物質的存在と非物質的存在のすべてを含む無限定的概念であって、その実体はほとんど不明であり、裏を返せば、「もの」という概念は、明確な対象を指示しえない、実体を欠いた、つまり〈意味されたもの〉をもたない、カラッポの言葉なのである。「《もの》がつく」とは、このことから考えた場合、まったく見せかけの説明を私たちに提示しているだけである。

とすれば、トランプ・ゲームの異常な勝ちの原因を、「つき」のせいにし、「もの」に求めることによって、表面的には説明がついたかの印象を与えるとしても、実際には何も説明されていないことになる。

 

そこで、「もの」とか「つき」とかは、日常的思考によって秩序づけられている意味体系の領域が侵されたときに用いられる概念であることが明らかとなってくる。つまり、日常的思考では把握しきれない、それを乗り越えた形で現出する事象は、今まで日常的思考によって支えられていた意味体系の世界、理路整然そして説明されていた世界を破壊し、その意味体系の無効を宣言する。この突き崩された日常世界を修復するために、実際には明確な指示物を伴わない、空虚な言葉である「もの」とか「つき」とかいった言葉を、異常な事象にあてがい、本質的にはどうであれ、形式的、表面的な意味体系の回復を図るのである。

 

日常的思考というものは、世界に生起するあらゆる事象や事物を理解し、説明可能なものにしようと熱望している。しかしながら、世界には、その思考を越えた現象が絶えず生じてくる。意味を拒むこれらの現象を前にして、それでも日常的思考は、意味を要求する。このとき、見せかけの〈意味されたもの〉としての「もの」や「つき」が利用されることになるのだ。したがって、「もの」という概念は、何も意味していない。レヴィ=ストロースの表現を借りれば、「それ故、いかなる意味をも受け取ることができる」。

ここに至って、非日常的・宗教的思考の持主そして、一般の人びとの対極に位置する呪術=宗教者が、カラッポの概念である「もの」に意味を与える者として登場してくることになるのである。

 

多くの場合、一般の人びとの理解は、異常な事態の発生を「もの」がついたと把握するにとどまっており、「もの」の具体的内容の決定は、民間の呪術=宗教者の手にゆだねられている。つまり、その異常事態を、狐霊のせいであるが、犬神のせいであるが、あるいは怨霊であるか、その他の生霊、死霊、神霊であるかを決定するのは、彼ら次第というわけである。

 

4 「つき」と「憑依」 

要するに、「つき」という用語は、《日常の状態・能力+α》の状態として規定された場合には、個人にかぎることなく、多くの対象について用いられるわけで、文字通り、非日常的で神秘的な力とか霊的存在とかが、日常的・自然的存在に付け加わったのであるとみてもよいであろう。「憑霊」現象は、「つき」現象の一部を構成しているにすぎないのである。

このような視点に立つことによって初めて、個人に発現する「つき」現象(いわゆる「憑霊」と呼ばれている現象がその多くを占めている)と、社会集団や屋敷に発現する「つき」現象と同一性・類似性を明らかにすることが可能となってくるのであり、「憑きもの」信仰の一貫した体系的な研究の道が切り拓かれるのである。その結果、ついているものと、富や財産、地位の獲得とが密接に結びついていることが、次第に浮かび上がってくることになるはずである。

 

7 「憑きもの筋」と「限定された富」

童子霊を所有しているにせよ、動物霊を所有しているにせよ、特定の家屋敷の住人は、それらの超自然的存在が住みついていると信じられることによって、他の家の人びとから区別されている。そして、「憑きもの」を所有していない人びとから見れば、「憑きもの」につかれている家筋、別の表現でいうと「憑きもの」を飼い育てている家ないし家筋は、嫌悪すべき、邪悪で忌まわしい存在として把握される。

 

古代や中世に家筋が存在しないとはけっして断定できない。だが、家筋の成立と幕藩体制の確立、士・農・工・商、そして穢多非人という身分差別制の固定化、つまり政治の安定と政策によって階級間の流動性がほとんどなくなり、全国を浮草のように放浪していた下級の聖・遊行僧・芸人たちも定住を徐々に強いられたようである。

すなわち、中世において「悪」の担い手であった遊行民たちが、民俗社会内における異質な分子となったとも考えられる。そこまで大胆な想像をしなくとも、少なくとも、農民が土地に縛りつけられて生活しなければならない事実(共同体の閉鎖性)と、「憑きもの筋」の形成との間には、ある種の関係が認められるのはたしかである。というのは、共同体の閉鎖性・自律性と急速な富の獲得との間には、私たちの説く価値認識の仕方において、切っても切れない本質的な関連性が存在するからである。

 

「憑きもの」を所有していると噂されることは、本人にとって好ましくないことであるわけであるから、「憑きもの」の家筋というレッテルを貼ることは、超自然的存在の名を借りた、一種の、富者への社会的制裁を意味している。

 

閉鎖的・自律的村落共同体の主要な特徴は、表面的には、共同性・協調性が強調され、集団の成員そしての権利・義務の関係が明確に定められ、土地の利用・ 売買についても個人の意志よりも集団のそれのほうが優先する。共同体の生み出す剰余的富は少なく、そのため不作や災害によって生産物の絶対量が少なかった場合には、個人生活ばかりでなく社会全体の生活にまで影響を大きく及ぼす。その反面、個人的損失は、個人によって埋めなければならず、権力体系にしても、人は個人的上昇よりも集団的な場での名誉を志向し、また宗教的な権限の増大に向かうことが好まれ、個人的な富の獲得は好ましいものではない。これは、要するに、土地をはじめ、人間、財産など、社会生活に必要なものは限れれた数ないし量しか存在せず、そのため、一方が増大すれば、他方が必ず減少しているにちがいない、という事実認識が大きく作用しているからである。

 

このような「認識の方向づけ」としての《限定された富のイメージ》に支配されている社会の人びとは、できるかぎり平均的な、欲望を押さえた慎ましい生活を送ることに努める。並以上の富の獲得は、他者の富の損失の上に成立しているという観念が作用しているとすれば、はっきりと何を失ったかわからなくとも、他の人びとは、富の獲得者を社会的に好ましくない邪悪な人間として規定することになる。他人を犠牲にしての上昇であるがゆえに、彼は「悪」なのである。

注目すべきは、このような社会では、急速に財産を成して上昇する者を再び元の状態へ転落させようとする、一種の社会的統御つまり制裁のメカニズムも存在していることである。

 

私は、社会的不面目として作用する「憑きもの」の家筋というレッテルを、好ましからざる人や家に貼る人びとの行動や意識の根底には、漠然とした損失への感覚が働いている、と考えたい。

そうした認識が、自分たちから富を奪い取って急速に成り上がった者への報復・制裁として、邪悪な動物霊のついている家筋つまり「憑きもの筋」のレッテルを彼らの上に貼らせ、彼らを社会から隔離し、社会の日常性つまり秩序を守ろうとしたのである。

 

8 総括と今後の問題 

「憑きもの」信仰とは、社会の秩序の安定・維持を「善」とする日常的思考の論理がくだす厳しい社会的制裁・社会的統御のメカニズムの一つである。要するに、出る釘は打たれねばならない運命にあるわけである。

 

すなわちデマ、スキャンダル、ゴシップといった非公式的な情報が流され、現代風に表現すれば、「悪」のイメージ作りがなされるのである。祈祷師は、そのイメージにうまく乗っかればよいわけである。

 

古い「憑きもの」信仰は、たしかに滅びつつある。しかしながら、本稿で垣間見たように、農村ばかりでなく、現代の都市生活者の、重層した形で帰属する複数の集団のそれぞれのなかにおいてさえも、衣を改めた「憑きもの」信仰がなおも生きているのをはっきりと認めることができる。人びとが他人を犠牲にしてでも自分自身の上昇を望み、その一方では他人の成功を苦々しく思い嫉妬を覚えるかぎり、広い意味での「憑きもの」はけっして人間社会から消滅することはないのではなかろうか。

 

 

三 《呪咀》あるいは妖術と邪術――「いざなぎ流」の因縁調伏・生霊憑き・犬神憑き――

1 はじめに 

高知県香美郡物部村では、「いざなぎ流」と称する、陰陽道的色彩の極めて濃厚な民俗宗教に依拠する、「太夫」と呼ばれる宗教者たちが、今日でも数多く活躍している。

 

いざなぎ流がいつ頃どのようにして成立したかを明確に示した資料は皆無であるが、彼らの管理・伝承する祭文類を簡単に検討してみたかぎりでは、民間の陰陽道に修験道や巫女信仰、民間信仰などが習合してできたもので、江戸時代の前期から中期頃までにほぼ現在の形態に近いものになったと思われる。

いざなぎ流の中核となっているのは、祭文を誦唱しながら行なう祈祷である。それゆえ、本稿では、いざなぎ流の宗教者を、「祈祷師」として記述することにする。実際、いざなぎ流の宗教者たちは、いざなぎ流独自の複雑な祈祷法を媒介にして、さまざまな祭祀や儀礼の指導者となっているのである。物部地方で思いられている《呪咀》という言葉も、いざなぎ流の祈祷と深い関連をもっている。というのも、この地方の人びとは、いざなぎ流の祈祷師たちは《呪咀》を祓い除く呪術を心得ているばかりでなく、《呪咀》を人に送りつける呪術も知っている、と信じており、祈祷師たちもそれを積極的ではないにせよ認めているからである。

 

私たちが呪咀という語を読んだ場合、〈じゅそ〉と発音し、呪いを意味すると理解するわけであるが、物部地方では発音の仕方もその意味も私たちのそれとはやや異なっている。

 

〈すそ〉とは、邪悪な感情を抱いた人によってもたらされる災厄として、もしくはその邪悪な感情それ自体として理解されている。

 

ところで、私が、この地方で用いられている〈すそ〉という語を漢字で呪咀そ記し、かつ二重ギュメを付した理由は、次のような考えに基づいている。物部地方の〈すそ〉という語が右で述べたように〈呪咀〉が転じた言葉と考えられること、〈すそ〉の意味内容の重要な核として呪いがあること、そしてその呪いを題材として物語に仕立て上げたのが、いざなぎ流祈祷師の所持する「すその祭文」であること、いざなぎ流祈祷師は〈すそ〉を送ったり、送られてきた〈すそ〉を相手に送り返すことによって、人を傷つける能力を有すると考えられていること。私はこれらのことから〈すそ〉を漢字の呪咀で表記してもよいだろうと判断した。また、私たちが用いる概念としての「呪咀」には含まれていない重要な概念が、物部地方の〈すそ〉には含まれている。その重要な概念とは、人類学でいう妖術である。すなわち、この地方の《呪咀》という言葉には、邪術と妖術の双方が含まれているのである。そのために二重ギュメでそれを示したわけである。

 

2 「障り」の病 

村人たちは、病気には二つの種類があると考えている。一つは医者でなおる病気で、もう一つは祈祷師しかなおせない病気である。後者は「障り」による病と呼ばれる。この病は、超自然的存在や神秘的力によって引き起されるものである。それは、超自然的な存在や力に触れる(触れられる)、ぶつかる、当たる(当てられる)、乗り移られる、といった意味合いがこめられた表現である「何かが障っている」という言い方で示される。

「障り」の原因は、神霊や祖霊によって与えられる《お叱り》と人間によってもたらされる《呪咀》の二つに大別されており、前者は人間が犯した過ちに対する、怒った神霊や祖霊による神秘的制裁で、後者は人間の邪悪な感情・気持を発端とする人間が生み出した神秘的力による災厄である。すなわち、《お叱り》では被害者が根本的には悪いとされ、《呪咀》では被害者は善、犯人は悪とされている。

 

6 式王子と式法 

「式王子」は、日頃は天竺天とか中空とか地中などに納められていて、必要に応じて祈り招き、そしてそれを操って《呪咀》を除くとされている。「式王子」は、極めて荒々しく恐ろしい神であると考えられており、しかも特定の神ではなく無数に存在している神霊や精霊を、特別の呪文・法文を唱えることによって式神化させるものであるらしい。

 

私の採集した資料から判断するかぎりでは、どれが一番強力だとは言いがたく、目的に応じていろいろな神霊や精霊が「式王子」として用いられているように思われる。祈祷師たちは、「式王子」の招霊・操作に関する知識や技術を「式法」と呼ぶ。

 

7 若干の考察とまとめ 

祈祷師たちの「科学的<pラダイム」の骨格になっているのは、彼らが祭文と呼び、また法文とか呪文とか呼ぶ一定の知識とその組合せによって構成される一連の儀礼である。彼らはこの知識と儀礼によって「障りの病」の治療を成し遂げるのである。

 

祈祷師および一般の村人の双方が共通して所有している「障りの病」のうちの《呪咀》に関する説明理論は、妖術と邪術の二つに区分しうるにせよ、その根本は一つの理論であるといえる。すなわち、人間が抱く憎しみや妬みはつねに神秘的な仕方で他人に害を与える可能性をはらんでおり、それがしばしば実現して病をもたらす、という理論である。

 

この基礎的理論に基づいて、この地方では邪術としての「因縁調伏」と妖術としての「生霊憑き」の二つのタイプの理論が形成されており、そしてこの二つの理論が交叉し融合した形で「犬神憑き」(「四足憑き」)の理論が形成されているわけである。

 

この理論に対して、その用い方次第では《呪咀》ともなるいざなぎ流祈祷師たちの操る「式王子」は、ほぼ完全に祈祷師たちの「科学的<pラダイム」のなかで意味をもつ存在である。それはいわば祈祷師の呪力の形象化であり、祈祷師なくしては活動しえない。

 

物部地方における《呪咀》の概念を検討した結果、その概念が憎しみとか妬みといった、人間ならば程度の差こそあれ必ず抱く普遍的な心理現象に根ざしたものであることが明らかになった。《呪咀》を病気の根源とする民俗理論が強い説得力をもって人びとに受け容れられている理由は、この心理現象の普遍性に基づいている。アメリカの社会人類学者G・フォスターは、こうした感情がいかに社会活動のなかで重要な要素となっているかを説いた論文のなかで、次のように述べている。

 

妬み(envy)はあらゆる社会に存在し、程度の差はあるにせよ、あらゆる人間の中に存在していると思われる。また妬みは、少なくとも無意識な形で破壊的な感情とみなされている。それというのも、敵意を含んだ妬みは、やがて社会を破壊しうる攻撃と暴力を導く可能性があるからである。人はやがて、妬みが彼自身を、そして社会を破壊するのではないか、という恐れを感じる。それ故、彼は自分自身の妬みの結果がもたらすものを恐れ、他人の妬みがもたらす結果を恐れているのである。その結果、あらゆる社会で、人びとは、妬みに由来するとみなす危険、とりわけ人びとの妬みに対する恐怖を、中和したり減少したり、あるいは統禦するために、さまざまの象徴的・非象徴的な文化形態を用いるわけである。

 

フォスターが的確に指摘するように、妖術信仰はこうした感情に対する社会の不安とその処理に関する民族的理論であり、物部地方の妖術の「生霊憑き」や「四足憑き」もその例外ではない。

 

村人は精神的な次元の「生霊憑き」「因縁調伏」などにつねにおびえている。ということは、彼らは人間が抱く妬みや憎しみをつねに恐れているということなのである。

 

3 調伏儀礼 

平安期においては、原因の定かでない病気や死は、「物怪」(物気)のせいにするのが一般的であった。すなわち「物怪」が人間の体内に入る(あるいは付着する)ことによって、そうした不幸が生じると考えていた。「物怪」とは、生霊とか死霊、神霊といった類の精霊が、人間に対して負(マイナス)の作用を及ぼす場合に用いられる幅の広い漠然とした概念である。

 

人びとは、病人の肉体に憑いている「物怪」を祈祷によって祓い落とせば、病気がなおると考え、またそれによって多くの人びとの病気を快復させることができた。「験者」と呼ばれる祈祷僧は、陰陽道の専門家たる「陰陽師」と並んで、このような「物怪」を病人から追い払うことのできる能力を具えた人びとであった。すなわち、彼らは一種の病気治療者=呪医であり、彼らの名声は、その呪力によってどれだけ多くの、ないしはどれほど重い病気をなおしたかによって決定された。たとえば、無道寺の相応、信貴山の命蓮、三井寺の心誉、白山の泰澄、等々、多くの層が、病気治療の験力にすぐれた者として、正史や伝説のなかに書き残されている。

験者たちの本尊は、一様ではなかったが、不動尊や毘沙門天などが多かったようである。

 

4 「護法」――験者の呪力の形象 

物怪の調伏に関する文献を丹念にあたってみると、呪文・経文の誦唱と「物怪」の顕現の間に、不可視的・観念的レベルに誤植おおむね属している媒介的存在がいることに私たちは気づかされる。それが「護法」と呼ばれる存在である。つまり、験者に読誦によってまず「護法」働きかけるのである。そして、それによってこの「護法」は活性化されて招き寄せられることになる。

「護法」は、修行を並み以上に積んだ高層や験者に対して本尊から与えられる一種の守護=使役霊と考えられていたようである。いわば「護法」は験者の修行のバロメーターであり、修行の深さに比例して「護法」も強力なものとなるので、験者と本尊との間の親近関係ないしは前者の後者への同化の状態を表現したものなのである。すなわち、「護法」は本尊から賦与された神霊という意味では験者にとって外在的なものであるが、彼の呪力の形象という意味では内在的なもの(=分身)であるといえるわけである。

 

「護法」の助けを借りて、験者は現前している状況に変化をもたらそうとするのである。

要するに、音としての呪文・読経は、「物怪」などの対象に直接的に作用するのではなく、それは一種の触媒としての機能、眠れる「護法」を呼び醒まし招き寄せるという機能を有するにすぎず、「物怪」と直接交渉をもつのは「護法」であると考えられていた。

 

「護法」が験者に祈り降される様子をより詳しく観察するために、少し時代が下ったものであるが、岩波日本古典文学大系本『曾我物語』から事例を引いてみよう。

これは、三井寺の高僧智興が重病に陥ったとき、末弟子の証空が師を病から救うためその身代わりになって命を捨てる覚悟をするが、日頃から証空の尊崇していた絵像の大聖不動明王がそれをあわれみ、不動自身が証空の身代わりになる、という『今昔物語』や『宝物集』『発信集』などにも収められている有名な話で、『不動利益縁起絵巻』や『泣不動縁起絵巻』などと題した絵巻まで制作された。

この事例で病気なおしの儀礼を司るのは、仏教系の祈祷僧ではなく、陰陽師安倍晴明である。彼が祈祷することによって病気が智興から証空へと引き移されるのであるが、その病気を「物怪」とはっきり述べていない。

 

晴明おそしと、まちし事なれば、七尺に床をかき、五色の幣をたてならべ、金銭散供、数の菓子をもりたて、証空を中にすへて、晴明、礼拝恭敬して、数珠はらはらとおしもみ、上は梵天帝釈、四大天王、下は堅牢地神、八大竜王まで勧請して、すでに祭文におよびければ、護法のわたると見えて、いろいろの金銭幣帛、あるひは空にまひあがりて、まひあそび、あるひは壇上ををどりまはる。絵像の大聖不動明王は、利剣をふり給ひければ、その時、晴明、座をたつて、数珠、証空の頭をなで、「平等大慧、一乗妙典」といひければ、すなわち、上人の苦悩さめて、証空にうつりけり。やがて、五体より汗をながし、五蘊をやぶり、骨髄をくだく事、いふにおよばず。是を見る人、晴明が危特のたうとき、証空の心ざしの有がたさに、いろいろの袖しぼるばかりなり。さて、証空の方よりは、煙たちて、苦悩しのびがたかりしかば、年来たのみたてまつる絵像の不動明王をにらみたてまつり、「はれ、二なき命をめしとりて、屍を壇上にとゞむ。正念に住して、安養浄刹にむかへとり給へ。知我心者、即身成仏、ありまり給ふば」と、一心の願をなしければ、明王、あはれとやおばしけん。絵像の御眼より、紅の御涙はらはらとながさせ給ひて、「なんぢ、たうとくも法恩をおもくして、一人の親をふりすて、命かはる心ざし、報じてもあまり有り。われ又、いかでかなんぢが命にかはらざるべき。行者をたすけん。かたいしゆくのちかいは、地蔵薩●にかぎらず。うくる苦悩を見よ」と、あらたに霊験あらはれければ、明王の御頂より、猛火ふすぼりいで、五体をつゝめたまふ。たうとしとも、かたじけなし共いひがたし。すなはち、証空が苦悩とゞまりけり。智興上人もたすかり給ふ事、在難かりし例なり。されば、三井寺に泣不動とて、寺の重宝の其一也。ながさせ給ひし御涙紅にして、御胸までながれかゝりて、今にあるとぞ承つたへたる。

 

仏教系祈祷僧たちがその守護=使役霊として「護法」を所有しているのに対して、安部晴明をはじめとして陰陽師たちは、「式神」を操ると考えられていた。ところが、右の事例では、晴明が祈り寄せる霊は「護法」となっている。

 

安倍晴明は修験道の山熊野に籠って千日間の修行をしたとされているから、修験者としての一面も持つと考えられていた。

 

陰陽師と祈祷僧のいずれも「物怪」を追い払う呪術を所有していた。勢力的には祈祷僧のほうが貴族の間に浸透し発言力をもっていたようであり、陰陽師のほうが強力で恐ろしい呪力を使うことができたようである。すなわち、陰陽師は人を呪い殺す呪術を知っていたのである。さらに、祈祷僧たちに調伏できないような「物怪」を、陰陽師が祓い落としたという伝承が多いということによっても、それを確認することができるはずである。

さて、右の事例における安倍晴明の「病気なおし」の仕方について検討を加えてみよう。

まず、七尺に床をかいて、五色の幣を立て並べ、金銭散供、菓子を盛った所に、証空を据える。これは証空が智興に憑いている病気のつまり憑坐となることを意味している。御幣に諸神が勧請され、次いで祭文を読むと「護法」が招き寄せられる。それを見た晴明が、病気の引き移しを示す身振りをすると、病気が智興から証空へと移される。この病気は極めて重く、さしもの晴明もこの証空からさらに病気を祓い落とすことができないのであるが、彼に代わって不動明王が冥界に赴いてくれることになるのである。彼が招き寄せた「護法」が、この智興から証空への病気の引き移しに重要な役割を果たしていることは、もはやこれまでの私たちの検討によって、明白であろう。

この事例では、たしかに智興の病気の原因を「物怪」と述べていない。しかし、この場面が絵画化されている『泣不動縁起絵巻』(次ページ)には、祭文を読む晴明の前に、病気の原因となっている厄病神つまり「物怪」が描かれている。それは、五人おり、太ったしかもユーモラスな感じの、人とも動物とも決めかねる体躯をしている化物たちである。そして「憑坐」としての証空の右手側、晴明の左斜め後方には、「護法」に相当すると思われる、やはり動物とも人間とも判定のしかねる丈の低い異形の神霊が控えている。その姿から推測して鬼の一種と呼んで差しつえないと思われる。この鬼は二人おり、一人は鋭い眼差しと長い鼻を持ち、表情はどちらかというと人間に近い。もう一人は鼻が短く猿に似ている。いずれも毛深くしかも筋骨逞しい戦士の印象を与える。腰には刀を差しており、さらに右腰のあたりから後上方に向かって細長い棒が出ており、しかもその先端に紙が挟まれている。これはおそらく御幣であろう。両者とも地面に坐って合掌している。

とするならば、この病気治療の祈祷もまた「物怪調伏」なのであり、この鬼神つまり「護法」(「式神」とみなしてもよいであろう)が、晴明の祈祷によって智興の体に憑依して苦しめ病に陥れている「物怪」たちを駆り出して、証空へと引き移すのだと考えることが可能となるわけである。すなわち、私たちはこの事例のなかにも、呪文の誦唱―→護法の招霊―→護法による病人から憑坐への物のけの駆り移し、のプロセスを見ることがほぼできるわけである。

 

「護法」は、特別の場合を除いて、一般の人びとには見えない存在とされており、また「物怪」とちがって顕現化されるような状況も少なかった。憑依という形でその存在が第三者にも確認できる場合もあったが、「護法」の活躍する場所は、現つの時空ではなく、思考された時空と夢の時空とが中心となっていたのである。

 

 

六 山姥をめぐって――新しい妖怪論に向けて―― 

1 柳田国男の妖怪論 

私たちがもっとも妖怪らしく思っている妖怪は、土佐光信や鳥山石燕、河鍋暁斎などの絵師が描いた絵画のなかの妖怪・変化たちのようである。

たしかに、これらの妖怪たちは極めてユニークで魅力に富んでいる。

 

これらの妖怪はさておいて、民俗社会に伝承されている「妖怪」、つまり民俗学者がもっぱら扱ってきた「妖怪」誤植

 

2 妖怪――祀られぬ神々 

人びとによって祀られている超自然的存在が〈神〉であるのに対して、人々に祀られていない超自然的存在を〈妖怪〉と呼ぶことにしたいと思う。

 

3 《神》と《鬼》

すなわち、認識論的にみてゼロ価の状態の「もの」が人間にとってプラスを帯びると「神」になり、マイナス価を帯びると後者の意味でのつまりマイナス方向に傾いた「もの」になる。したがって、この「もの」(=「霊」)を祭祀の有無で区分すると、〈神〉と〈妖怪〉とに分けられるわけである。

 

こうした対立を支えているのは、《神》が人間に幸いをもたらす超自然的存在であるのに対し、《鬼》は人間に災いをもたらす超自然的存在である、という点である。しかし、このことは《神》と《鬼》との二項対立に留まるものではなく、プラス、マイナスの差異はあるものの、ともに人間に対して非人間という点で対立しているとみることができる。したがって、次ページの図に示したように、《神》《鬼》《人間》の三極対立を示しているともいえる。しかも、この三極体系において、《神》も《鬼》も、形態的には擬人的性格を強く帯びている。つまり、《人間》はマイナス価を強く帯びると《鬼》になり、プラス価を帯びると《神》に近づく。そして、こうしたことは、《人間》のみでなく、《神》《鬼》のいずれについてもいえることである。

 

5 「山女郎」の両義性 

さて、これまでの検討で「山女郎」がたんに山中での恐怖心から生み出された幻想ではなく、その出現は社会的・宗教的道徳(=決まり)の遵守状態を反映しているらしい、ということを理解した。

 

7 今後の課題 

私の関心は多様な展開を示す全国の山の神を一つの山の神像にまとめ上げることにあるのではなく、特定の地域で伝承されている「山姥」をその民俗社会のなかで、生きている状態のなかで考察することにある。つまり、それを伝承している人びと=社会が、それに何を託しているのか、それから何を受け取っているのか、ということが問題なのである。

 

問題は、妖怪とは何かと問うことにあるのではない。そうではなく、これまで妖怪というレベルで貼られていたものを超えたところにあるものこそが問題の核なのである。柳田以降零落しつつあるかにみえる民俗学を再活性化させるためにも、私たちは多少の無理を覚悟してでも、こうした再検討・再考察を行なうことが必要なのではないだろうか。

 

 

八 器物の妖怪――付喪神をめぐって――

 

1 怨霊・河童・付喪神 

私がとりわけ興味深く思っているのは、怨霊(死霊・生霊)、付喪神、河童、である。

 

怨霊は、人間に内在していた霊魂が肉体から遊離して妖怪となったものである。これに対して付喪神は、人間が製作した器物のなかに宿る精霊もしくは年を経ることを通じて器物が獲得した精霊の妖怪化したものである。他方、河童は、宗教者や技術者がその呪術によって人形に霊魂を吹き込んでつくった人造人間≠フなれの果ての姿として語られることが多い。つまり、怨霊は人間起源の妖怪、付喪神は器物起源の妖怪、そして河童は上述の二つの妖怪の中間的な性格をもった人形起源の妖怪、という興味深い対照を示しており、そしていささか極端な言い方をすれば、この三つの妖怪が日本の妖怪観の基本的な姿を表現しているとさえいえるように思われるのだ。

 

2 器物の精の妖怪化

 

怨霊、付喪神、河童の三つの妖怪のうち、私たちにあまり親しみのない妖怪名は「付喪神」であろう。しかし、私たちがもっとも妖怪らしい妖怪としてイメージするのも、実は、この付喪神の類なのである。目鼻や口、耳、手足のある傘や提灯などの妖怪は、いずれもこの付喪神の一種である。

 

 

十四世紀頃に描かれた『不動利益縁起絵巻』は、三井寺の僧智興が重病にかかり、安部晴明に占ってもらうと、身代わりを誰か立てねば智興の命は救えないといわれ、そこで弟子の証空が身代わりに立つ。証空が晴明から身代わりの祈祷を受けて苦しんでいるのを見た証空の念持仏の不動明王の絵像が、彼をふびんに思って紅の涙を流し、証空の身代わりとして冥界に連れ去られるという、『今昔物語』などにもみられる話を絵巻にしたものである。

これで注目すべきことに、晴明が祭文を読んでいる場面に描かれている厄病神五人のうちの二人の器物の面影を留めた付喪神であり、そのうちの一人は明らかに角だらいの妖怪である。すなわち、器物の精が妖怪となって動き出すということが、この頃から絵のなかにまで描かれはじめていたのである。

 

4 中世におけるものと人間

付喪神という妖怪を幻想した人びとにとって本質的なことは、器物もまた生きており、したがって、それが死んだときには他の生物と同様に、成仏させねばならない、祀り上げねばならない、という信仰をもっていたということなのである。そうした信仰の面影が、今日でも盛んに行われている針供養などの器物供養などの器物供養行事に留められていることを私たちは知っているはずである。

 


 解説 佐々木宏幹 

著者小松和彦氏が、本書に収められた諸論文において究明的に意図しているのは、憑霊信仰≠ネるものを手掛りにし、媒介にして、「日本人の精神の奥底に潜む情念の世界」および「日本人の世界認識の仕方、価値認識の方向づけ」を明らかにすること。

 

 

奥付

憑依信仰論(ひょういしんこうろん)

小松和彦

1994年3月10日 第1刷発行

1998年12月21日 第9刷発行

発行者 野間佐和子

発行所 株式会社講談社 

講談社学術文庫

定価 本体1050円(税別)