慈覚大師について



平成31年1月12日

国土政策研究会

顧問 岩井國臣




円仁(延暦13年(794年)~貞観6年(864年))は、第3代天台座主。慈覚大師(じかくだいし)ともいう。大同3年(808年)、15歳のとき、広智に連れられ比叡山延暦寺に上り、最澄に師事する。最澄に忠実に仕え、学問と修行に専念して師から深く愛される。最澄が止観(法華経の注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであった。 

弘仁5年(814年)、言試(国家試験)に合格、翌年21歳で得度(出家)する。弘仁7年(816年)、23歳で三戒壇の一つ東大寺で具足戒(小乗250戒)を受ける。

この年、師最澄の東国巡遊に従って東国に向かう。最澄のこの旅行は、新しく立てた天台宗の法華一乗の教えを全国に広める為、全国に6箇所を選んでそこに宝塔を建て、一千部八千巻の法華経を置いて地方教化・国利安福の中心地としようとするものであった。

弘仁13年(822年)29歳で最澄から一心三観の妙義を授けられ、その後最澄は死去。 

そして、最後の遣唐使として唐に留学するのである。唐での修行は凄まじいものであり、その苦労は「入唐求法巡礼行記」を見ればわかる。


帰国後の活躍もこれまた凄まじいものであった。

円仁は、目黒不動として知られる瀧泉寺や、山形市にある立石寺、松島の瑞巌寺を開いたと言われる。円仁が開山したり再興したりしたと伝わる寺は関東に209寺、東北に331寺余あるとされ、浅草の浅草寺もそのひとつ。このほか北海道伊達市まで渡り、有珠善光寺を創建した。全く驚くべきことである!


今回のこの論文は、唐での苦労と帰国後の業績の主なものを書いた。


慈覚大師について: http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jikakudaisini.pdf




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