文化交流の重要性

2015年3月26日

国土政策研究会

会長 岩井國臣



交流とは、相手の立場になって考えるところにその哲学的な意味合いがある。したがって、文化交流は、相手の人の日々の生活を支えている相手の人の生活している国又は地域の文化を理解し尊重するというところにその哲学的な意味合いがある。人々との交流の中で人々の気持ちにも気を配りながら、権威にへつらうことなく、世の中すべてのものを自分を取り巻く環境として受け止め、あくまでも自分自身の考えと意志で行動する、それが尊厳を生きるということだ。これは自立した自己を生きると言い替えても良い。


目まぐるし移り変わる社会において、自立した自己を生きていると、ふらふらすることなく、安定した人生を送ることができる。不安のない人生ということだ。自立した自己を確立する、そのためには、独善に陥ってはならず、できるだけ文化の違う人たちとも付き合って、より客観的な感覚を身につける必要がある。特に、現在のようなインターナショナルな時代をおいては、異なった文化を持つ他国の人たちと交流するのがいい。中国好きの私としては、中国人との交流を深めたいと願っている。



あくまで日中友好親善交流は、尊厳を生きる個人が基本であって、当面それを大いに進めるべきでだ。国家の付き合い、国家レベルの交流は、その後で良いだろう。多くの人々の意識が変われば国家の歴史認識もかわらざるをえない。それを期待したい。なお、尊厳ということについては、過去に少し書いたものがあるので、この際、それを参考に供しておきたい。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kenhuku.html





御霊信仰について

2015年3月26日

国土政策研究会

会長 岩井國臣


日中友好親善交流は大いに進めるとして、残る問題は靖国問題である。靖国問題は、個人レベルの交流の問題ではなく、日本の政治の問題である。「霊魂の哲学と科学」の「はじめに」申し上げたように、そもそも靖国神社は御霊信仰(ごりょうしんこう)に基づいて建立されたものである。したがって、靖国問題を解決するためには、御霊信仰についての深い認識がなければならないが、これは日本国内の大きな課題である。



御霊信仰については、「日本の道教遺跡」という私の小論文の「4平安京」に詳しく書いたので、ここではそれから御霊信仰の部分を抜粋するとしよう。すなわち、


 「日本の道教遺跡を歩く」(福永光司、千田稔、高橋徹共著、2003年10月、朝日新聞社)では、 神泉苑がそこに造られた理由を清らかな水が湧いていたことに求めているが、そんな単純なものではない。

平安京は、龍神の働きによって、永きに渡って繁栄が約束された都である。まあいうなれば、龍の都である。したがって、風水思想によって、龍穴に皇居、大極殿が造られた。風水思想によれば、もし龍穴の近くに龍の口があれば、この上ない理想的な都となる。神泉苑は正に龍の口でもあったのである。

龍の口といえば、猿沢の池が、芥川竜之介の短編小説にもあるように、有名であるが、神泉苑がむしろ歴史的には重要である。その歴史的な意義を話す前に、不思議な龍神の話を紹介したい。


http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/ryuuhusi.pdf


http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/amagoisin.pdf



さて、神泉苑の龍の口が果たした歴史的な意義について、話をする時が来た。御霊信仰の話である。


「いかみの怨霊」と「早良親王の怨霊」と「淳仁天皇の怨霊」を天皇にまつわる怨霊が怨霊の代表例であるが,その他にも平安の頃に非業の死を遂げた皇族は多い。

人々は天変地異の勃発や疫病の流行などを怨霊のたたりによるものと考え,それら怨霊を

祀り(まつり)だした。御霊会(ごりょうえ)という神事の発生である。

資料に初めて見えるのは,863年に平安京の神泉苑で執行されたものである。かの有名な京都の祇園祭もその本質はあくまでも御霊信仰にあり,本来の名称は梢園御霊会(ぎおんごりょうえ)であって,八坂神社の社伝では869年に天下に悪疫が流行したので人々は祭神の牛頭天王(ごずてんのう)の祟りとみてこれを恐れ,同年、全国の国数に応じた66本の鉾を立てて祭りを行い,神輿(みこし)を神泉苑に入れて御霊会を営んだのが起りであるという。

さて、かの有名な安倍晴明は,平安時代の偉大な陰陽師である。陰陽道そのものは奈良時代に確立された宮中の専門組織であるが,庶民相手の民間陰陽道がな

かった訳ではない。否,むしろ民間陰陽道は民衆を巻き込んで大きなブームを作っていったのである。民間陰陽師が全国を回りながら,方角や暦の吉凶,占

い,加持祈祷をして人々のハートをキャッチしていったらしい。平安時代の妙見信仰や室町時代の七福神信仰や江戸時代の庚

申信仰などはその流れであるという。 こっくりさん、方位や家相判断、九星占い、姓名判断などもその系譜らしいし、また大本教や金光教などの新興宗教も民間陰陽道の流れを汲むものと言われている。 逆に,宮廷陰陽道は、空海によって密教が誕生すると、その勢いに押されて次第に衰退していったようである。


密教の僧・道賢の力によって、菅原道真の怨霊をのりきった朝廷は、積極的に御霊会(ごりょうえ)を主催していく。祇園御霊会である。いうまでもなくそれ

が今の祇園祭に繋がっていく。今宮御霊会や船岡山御霊会などが誕生するたびに、密教はこれを抱き込み統合することに成功する。都では、怨霊は人々の不満

を 糾合する神となった。怨霊が守護神に変身したのである。「ひっくり返し」が起っている。朝廷における暗殺や理不尽な配流もなくなった。そして祭りの

誕生だ。実にいい。何という知恵か。すばらしい。


このように、御霊信仰は素晴らしい日本人の発明だと思うが、 御霊会(ごりょうえ)という神事が、日本で最初に行なわれたのが神泉苑だということは十分認識していて欲しい。

なお、怨霊信仰については、私の電子書籍「怨霊と祈り」に詳しく書いたので、是非、読んでもらいたい。

http://honto.jp/ebook/pd_25231956.html 』・・・と。




御霊信仰の歴史的考察

2015年3月26日

国土政策研究会

会長 岩井國臣



「佐伯啓思の「正義の偽装」について」と題して、2014年の2月以降、私の政治論と天皇論を長々と書いてきた。


http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/saeki.pdf

それも4月にようやく終わり、次の課題に移る時が来た。次の課題は靖国神社における「御霊信仰」の問題である。私は、「佐伯啓思の「正義の偽装」について」という一連の論説の「おわりに」次のように述べた。すなわち、


『 天皇は、わが国の「歴史と伝統・文化の象徴」である。天皇は私たち国民とともにある。「天皇の祈り」というものは、私たち国民の幸せを願ってのもの、国家の安寧を願ってのもの、世界の平和を願ってのものであるに違いない。私たちが天皇のことを思って祈るということはないかもしれないが、私たちは、少なくとも、「天皇が祈る人」であるということは十分認識しておくべきであろう。東日本大震災の後も、不幸な死に方をした人々のために、現地で「祈り」を捧げられた。第二次世界大戦で不幸な死に方をした戦士のためにも、靖国神社に参拝して「祈り」を捧げたいと思っておられるに違いない。それを邪魔しているのは日本の政治だ。 目下、政治が間違っているために、天皇は靖国神社に参拝できないでいる。そういう状況は天皇のご意志に反する。誠に残念なことだ。天皇が心安らかに靖国神社にお参りし、第二次世界大戦で亡くなった戦士の霊を慰める、その状況を作ることが現下の政治家に課せられた責任である。靖国問題が終わらない限り戦後は終わらない。靖国問題を解決するために、政治家の猛反省を促したい。』・・・と。


http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/saeki14a.pdf




そうなのだ。 靖国問題が終わらない限り戦後は終わらないのだ。靖国問題には、 戦犯東条英機の分祀問題という政治決断だけという単純な問題のほかに、思想的に二つの大変難しい問題がある。日中戦争に対する歴史認識の問題、御霊信仰に基づく新たな儀式の問題という二つの問題である。


そのうち、日中戦争に対する歴史認識の問題については既に私なりの認識を書いた。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/singaito.pdf


私は、このような認識に立つならば、中国との歴史認識の根本的な相違はなくなると思う。問題は、わが国の頭の固いというか偏見を持った多くの人たちの認識を変えることの難しさである。欧米の列国がそうであったのだから、どうしても日本のかっての軍国主義を擁護したくなるのは人情である。しかし、中国との歴史問題は、欧米列国との関係ではなく、中国との関係を考えて、孫文に思いを寄せながら、ここはひとつ日本の正義を貫くことが大事ではないか。私はそのような思いから支那事変に関する一連の論説を書いたのである。


したがて、私がここで問題にしたいのは、御霊信仰に基づく新たな儀式の問題である。これはなかなか難しい問題であり、どうしても暦的な考察をを踏まえて、論じなければならない。そこで、まずは御霊信仰の歴史的なものを勉強し、この度、「御霊信仰の歴史的考察」という題の小論文を何とか取りまとめることができた。次の通りである。


http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/gorekisi.pdf




法華経の呪力

2015年3月26日

国土政策研究会

会長 岩井國臣



私は、猛勉強をしながら、何とか「御霊信仰の歴史的考察」を取りまとめることができたが、その中で『 比叡山延暦寺はその密教の力によって天皇を頂点とする朝廷をお守りしてきたのである。』 と述べた。 そうはっきり言えるのは、浄蔵や日蔵の頃だけかもしれないが、私には、天台密教の力の根源には法華経があると思えてならない。日蓮の呪力の根源にも法華経があるからだ。法華経の霊性と日蓮の呪力については既に書いた。

法華経の霊性:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hokerei.pdf

日蓮の呪力:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/nitirenritu.pdf


日蓮の呪力の根源にも法華経があることは間違いないが、それは日蓮だけのことなのか?それとも必死に法華経を唱えれば日蓮ほどの人でなくても強力な呪力が身に備わるのか?実は、法華経にその秘密があるらしい。浄蔵や日蔵は天台密教の僧だから、当然、法華経がその修行のベースにあり、その上で修験の修行をする訳で、法華経の霊力に負うところが大きかったと思われてならない。修験の修行をしなくても、必死に法華経を唱えておりさえすれば日蓮ほどの人でなくても強力な呪力が身に備わる場合がある。それをこれから説明したい。


井上日召という人がいる。血盟団を率いた人だ。私のもっとも尊敬する四元義隆さんが尊敬する人物、それが井上日召ということだから、血盟団事件の善し悪しはともかく、井上日召という人は、相当立派な人物であったことは間違いない。これは、私の電子書籍「野生の思考と政治」に書いたことだが、 ここで、血盟団事件の被告の特別弁護・山本玄峰の陳述を紹介しておきたい。 山本玄峰は白隠禅師の再来といわれた名僧で、第二次大戦の終結を天皇に進言し,さらに玉音放送(敗戦の詔勅)の有名な一節「忍び難きをよく忍び、行じ難きをよく行じて・・・」を進言したと言われている。山本玄峰の陳述内容は以下の通りである。


玄峰はまず、大声でこう断(ことわ)った。

 

「第一、井上昭(日召)は、長年、精神修養をしているが、その中でもっとも宗教中の本体とする自己本来の面目、本心自在、すなわち仏教でいう大圓鏡智を端的に悟道している」と。

 次に玄峰は、「人、乾(けん)、坤(こん)――宇宙の本体のあらわれが我が国体である」と、指摘し、「仏教信者がなぜかかることをなしたか? 仏は和合を旨とし、四恩を基としている。百三十六の地獄があるが、悪をもってすれば蟻一匹殺しても地獄行きとなる。和合を破り、国家国体に害を及ぼすものは、たとえ善人といわれるとも、殺しても罪はない、と仏は言う。仏の中で、阿弥陀如来のほかに一つとして剣を持たぬものはない。道ばたの地蔵菩薩でさえ、小便をかけられても、黙々としてこれを受けているが、やはり手には槍を持っている」「法は大海の如く、ようやく入ればいよいよ深い。日召が真の仕事をするのはこれからと思う。万一死刑となって死し、虚空は尽きても、その願は尽きぬ。日本全体、有色人を生かすも殺すも日本精神ひとつである。これを知らぬ者は一人もないはずだ」

そして最後に、「胸に迫ってこれ以上申し上げられぬが、鏡と鏡、仏と仏との心にかえって、なにとぞお裁き願います」と言って合掌した。


山本玄峰の陳述は以上の通りであるが、井上日召が相当立派な人物であったことを判ってもらえばそれで良い。



さてこれから、井上日召の呪力については、中島岳志の著「血盟団事件」(2013年8月、講談社)に基づいて、要点だけをお話ししたい。


井上日召が少しずつ法華経を読み進めたのは、彼が袁世凱の顧問・阪西利八郎大佐の書生であった頃のことである。血盟団事件の約20年前のことであった。ある日、彼は、「南無妙法蓮華経」と書かれた法塔が夢を見て、その夢を「霊告」として受け取った。その後、日本に帰ってから、どうすれば無限の欲望から脱却できるか、そのような悟りを得るため座禅を始めるのだが、明けても暮れても座禅行を続けてはいるものの身中の苦労は増すばかりであったという。そういう折、ふと彼は中国時代の「霊告」を思い出し、「南無妙法蓮華経」と唱え死に(となえじに)するつもりで必死の修行を始めるようになった。発狂しそうにもなりながら、その恐怖を振りほどき、昼も夜もなく一心不乱に題目を唱える続けた。すると、心境は変化し、霊的体験を繰り返すうちに、題目を唱え拝むことにより、人の病気を治すことができるようになったという。


ところで、井上日召には、中国時代の同志・高井徳次郎がいて、その彼が大洗に「立正護国堂」という道場を作ろうと持ちかけてきたが、その際、高井徳次郎は病気直しの加持祈祷を井上日召に押し付けた。すると、病気が完治したという患者が次々と出てきて、井上日召は水戸周辺で一気に有名になった。井上日召は寝る暇もないほど忙しくなったという。その後、井上日召は、加持祈祷の病気治しとは決別し、血盟団結成に向かって歩を進めていくのだが、その辺の詳しいことは 中島岳志の著「血盟団事件」(2013年8月、講談社)を読んで欲しい。ここでは、井上日召が法華経による強力な呪力を身につけていたことをご理解いただければそれで良い。 修験の修行をしなくても、必死に法華経を唱えておりさえすれば日蓮ほどの人でなくても強力な呪力が身に備わる場合があるということである。それが法華経の秘密、法華経の持つ霊力だ。






法華経の日本的展開

2015年3月26日

国土政策研究会

会長 岩井國臣



法華経というお経は、それを必死になって唱えることによって、井上日召にも強力な呪力が身に備わったという誠に不思議なお経である。その誠に不思議なお経が日本においてどのように展開されたのか、それを書いたのが次の小論文である。


http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/hokekyouno.pdf



以上





前回までのWhat’sNew!

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/index04.html



なお、一連の電子書籍を出版した2012年以前のWhat’sNewは、


http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/huruiWN.html


です。