華厳経について


2016年2月26日

国土政策研究会

会長 岩井國臣



隋の智顗は、天台大師智顗とも呼ばれ、釈迦の人生を五つの時期に分けて、多くのお経を分類した。


①華厳時: 華厳経


②阿含(あごん)時: 阿含経、法句経など


③方等(ほうどう)時: 大方等大集経、阿弥陀経、大宝積経、大日経、金光明経、維摩経、勝鬘経、解深密経など


④般若時: 大般若経、金剛般若経、般若心経など


⑤法華時: 妙法蓮華経二十八品を中心とする法華三部経、大般涅槃経、観無量寿経



すなわち、


①華厳経は、釈迦が成道後まもなく悟りの内容をそのまま説いた経典であり、一即多、多即一の純粋な大乗哲学であるので、その内容が大変難しく、だれにも理解できなかった。


②それで次に、煩悩を取り除くための四諦・八正道の実践的な阿含の教えを説いた。しかしこの欲望否定の余りに倫理的な教えでは生命の喜びがない。これでは修行者だけの悟りの哲学と言わざるをえない。


③それでその次に、個々人が勝手に悟ってしまう小乗の立場を否定する方等の教えを説いた。


④そして更に次には、大乗仏教独自の空の思想を説いたのが、般若の時期なのである。


⑤そして、最終的に入滅の8年前になって説かれたのが法華経だったのある。



これを大雑把にわかりやすく言えば、①の華厳経は釈迦の本音、②③④は便法としての教え、⑤の法華経は、それらを総合した最終的な教えであると言っても良い。




日本における華厳宗は、第3祖・法蔵門下の審祥によって736年に伝えられた。金鐘寺(東大寺の前身)の良弁の招きを受けた審祥は、この寺において華厳経に基づく講義を行い、その思想が反映されて東大寺盧舎那仏像(奈良の大仏)が建立された。東大寺の華厳宗は、日本仏教の黎明期に重用されたが、最澄や空海の平安仏教の隆盛により、徐々に衰えていった。鎌倉時代には、法然の浄土教が出てきて、新たなうねりが起こりつつあった。明恵はこれに強く反発するとともに華厳経に基づく華厳宗の復活を図ることとした。

明恵は華厳の教えと密教との統一・融合をはかり、この教えはのちに華厳密教と称された。 高山寺は、華厳密教の道場として明恵が「度賀尾(とがお)寺」という古寺を再建したものである。明恵は日本における華厳宗中興の祖と言って良い。


日蓮も凄いが、明恵も凄い。日蓮を横目で見ながら明恵の凄さを書いたのがこの論文である。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/kegonkyou.pdf





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なお、一連の電子書籍を出版した2012年以前のWhat’sNewは、

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