地蔵信仰について


平成28年12月28日

国土政策研究会

会長 岩井國臣



六堂の辻・西福寺では、昔、お盆に住職が西福寺に保存されている地獄絵の解説をしておられた。その住職が亡くなられてからは、現在、住職による絵解きは行われなくなっているが、地蔵菩薩は地獄とこの世を自由に往来されて、私たちの切ない祈りを聞いて、亡くなった子どもや親を地獄の苦しみから救ってくれる、そういう意味のことが地獄絵には描かれているのだと思う。



そういう切ない祈りでなくとも、常日頃地蔵菩薩に祈っていると、自分自身、死んでも地獄へは行かず天国に成仏できるのだと私は思う。いろんな地域でお地蔵さんの祠を見るが、お花が飾ってあったりお供え物がしてあることが多い。近所に信心深い人がいるのだろう。そういう信心深い人は、死んでも地獄へは行かず天国に成仏できるだろう。


私などは、どちらかいうと信心のあまりない方であるが、対象物は何でもいいから、ともかく祈るということが大事だと思っている。祈りのある生活をしたいものだ。


私は どちらかいうと信心のあまりない方であるが、私の記憶の中では、お地蔵さんに対する記憶が圧倒的に多い。


私の記憶にあるお地蔵さんは、 奈良を中心に、十一面観音と対になって祀られている地蔵菩薩とはまったく違うが、京都の寺町三条の矢田寺に祀られている地蔵菩薩とは、どうも同じ範疇のものらしい。

しかし、二つの範疇に入らないお地蔵さんがある。私の好きな昔話に「笠地蔵」というのがあるが、村はずれの峠などに祀られている笠地蔵のようなお地蔵さんのことだ。

私は、十一面観音と対になって祀られている地蔵菩薩と矢田寺に祀られている地蔵菩薩と笠地蔵のようなお地蔵、それら三種類の地蔵がどのような経緯で祀られるようになったのか、それを明らかにしたいと思った。この論文はそのためのものである。


http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jizouzentai.pdf





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なお、一連の電子書籍を出版した2012年以前のWhat’sNewは、

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