方広寺(京の大仏)



平成30年9月28日

国土政策研究会

顧問 岩井國臣


現在の方広寺は京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2にある天台宗の寺院である。 豊国神社がすぐ南に隣接している。もともとは豊臣秀吉によって創建された大仏殿で、広大な境内を持っていた。豊国神社はその敷地内に明治になって建てられたものである。 

横191メートル、縦240メートルの回廊に囲まれた土地が、秀吉が創建した頃の方広寺の境内で、その中に大仏殿があった。秀吉が創建した頃の方広寺の境内には、現在、現在の方広寺と豊国神社と京都国立博物館の新館がある。


天正14年(1586年)、豊臣秀吉は天正地震を機に奈良の東大寺に倣(なら)って大仏の建立を計画し、大仏殿と大仏の造営を始めた。文禄4年(1595年)、大仏殿がほぼ完成し、高さ約19メートルの木製金漆塗坐像大仏[が安置された。しかし、慶長元年(1596年)に起きた慶長伏見地震により、開眼前の大仏は倒壊した。


秀吉の子豊臣秀頼が遺志を継ぎ、片桐且元を中心に今度は銅製で大仏の再建を行ったが、慶長7年(1602年)11月、鋳物師(いも-じ)の過失により仏像が融解して出火し、大仏殿は炎上した。慶長13年(1608年)10月には再び大仏および大仏殿の再建が企図された。大仏殿の創建は慶長15年(1610年)から行われ、徳川家康も諸大名に負担その他を命じ、自身も米の供与や大工・中井正清を送っている。また、大仏に貼られる金の板金は江戸で鋳造されている(『当代記』)。6月には地鎮祭が行われ、大仏殿と銅製の大仏は慶長17年(1612年)に完成した。 


なお、その後、寛文2年(1662年)の地震で大仏は小破し、木造で造り直されることになった。この大仏は「都名所図会」によれば高さは六丈三尺(約19m)で、奈良の大仏(14m)よりもかなり大きかった。


寛政10年(1798年)の7月には大仏殿に雷が落ち、本堂・楼門が焼け、木造の大仏も灰燼(かいじん)に帰した。


その後は同様の規模の大仏および大仏殿が再建されることはなかったが、天保年間に現在の愛知県の有志が、旧大仏を縮小した肩より上のみの木造の大仏像と仮殿を造り、寄進した。しかしそれも、昭和48年(1973年)3月28日深夜の火災によって焼失している。焼失前には、堂内に方広寺と大仏に関する遺物の一部を展示し、通年の拝観も可能であった。 



方広寺(京の大仏): http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/houkouji.pdf






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