清水寺の地主神社



平成30年10月12日

国土政策研究会

顧問 岩井國臣




地主神社には、平安時代に清水寺が創建された時よりはるかに古い信仰の歴史があった。つまり、清水寺の谷筋は、縄文時代からの死者埋葬の地であり、縄文人の祈りがあったのである。


大谷本廟から清水寺にかけての尾根筋が「鳥辺山」である。比叡山から東山に続く主尾根にある阿弥陀峰から発して、清水寺を経て大谷本廟に続く枝尾根が「鳥辺山である。そして、その北側、すなわち阿弥陀峰から発する谷が「鳥辺野」である。

伏見稲荷の場合は伏見山から発する谷筋に埋葬地の中心「御膳谷(ごぜんだに)」があり、「六道の辻」の場合は阿弥陀峰から発する谷筋に埋葬地の中心にそれがあったという訳である。


地主神社の公式ホームページによれば、地主神社の創建年代は縄文時代とされ、近年の研究により「恋占いの石」が縄文時代の遺物であることが確認された。また、周囲が湖であった時代にも、地主神社の境内地は島となっており、不老長寿の霊山「蓬莱山(宝来山)」 あるいは、「蓬莱の島」として古代人の信仰をあつめていた。地主神社の東隣下の崖には今も 「船着き場」の跡が残っている。


ところで、時代が進んで、強者と弱者が出て来ると、堪え難いひどい仕打ちを受ける人も出て来る。そういう人の願いは相手がいなくなることであり、「呪い」という「祈り」とはまったく逆の信仰形態も発生して来る。清水寺の谷筋では、「祈り」の他にさかんに「呪い」も行なわれたようだ。その名残が清水寺の地主神社に残されている。 



清水寺の地主神社:http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jishujin.pdf







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