伊勢原

 

大山は伊勢原から行く。

だから、現在、伊勢原は大山と切っても切れない関係の町であることは言うまでもないが、

実は、

大山との関係は縄文時代に遡るようだ。

 

大山の山頂に縄 文時代の祭祀跡が発見されているが、

大山は縄文時代から信仰の山としてあがめ奉られていたのは間違いない。

 

大山は古代から神々の住処であったのだ。

このことを知る人は少なかろうが、

大山山麓に住む縄文人が大山をあがめ奉っていたさまを想像して欲しい。

 

伊勢原から見る大山の姿は今も美しい が、

伊勢原はともかく古くから人々が住んでいたということだ。

歴史的に大変面白いところだ。

 

江戸時代、大 山は関東の総鎮護であったし、

江戸城を作ったかの有名な武将・太田道灌のふるさとでもある。

鎌倉j痔代には、幕府との関係が深く、

この地から多くの優秀なご家人を出している。

 

大姫が、 ある事件で精神的にまいり、死にそうになった時、

頼朝は、

日向薬師に 異例のお参りをしている。

 

日向薬師は大 山寺とともにこの地の古刹であり、

ともに奈良の大仏との関係が深い。

 

行基と良弁が、

大仏建立の責任者(勧進聖)として、

資金集めをした拠点がこの地と鎌倉ではなかったか。

 

鎌倉は、・・・・・

鎌倉幕府ができたから関東の中心になったのではなく、

当時すでに、関東の中心であったから頼朝はかまくらに幕府をひらいた

・・・・・というのが私の考えである。

 

これはひとつの謎だが、

その謎を解く鍵を握るのが大山であり、行基と良弁である。