いよいよ明恵に・・・!

 

 

 中沢新一の「精霊の王」を勉強し終わって、いよいよ明恵を本格的に語るときが来た。やっと・・・という思いである。

 ところで、私は、先に・・・・『 わが国は、徳一と最澄の宗教論争のほか、明恵と法然の宗教論争というものすごい論争があって、結局は、現在のように、いろんな宗教ないし宗派がこの狭い国土に共存するようになっている。わが国は「和の国」である。わが国は、多分、風土に起因する・・・「違いを認める文化」というものを持っているのである。「和のスプリット」の活躍が旺盛なのである。しかし、みなさん、ここがいちばん大事なところだが、その「和のスプリット」というものは、わが国特有のものではなくて、「東北」すなわち「環太平洋の輪」に見られる世界の・・・それも極めて広範囲に、しかも世界一古くから生息する・・・「平和の使者」なのである。』・・・と述べたが、「東北」すなわち「環太平洋の和」の中で世界に与える影響力のもっとも強い国は言うまでもなく日本である。拙著「劇場国家にっぽん」で述べたように、今後、わが国はアメリカの「後戸の神」として世界平和に貢献していかなければならない。世界平和に貢献しうるわが国のもっとも誇りうる「歴史と伝統・文化」は「違いを認める文化」であり、その因って来(きた)るものは「和のスプリット」である。

 くり返す。わが国の「歴史と伝統・文化」の心髄は、「違いを認める文化」であり、その因って来(きた)るものは、「和のスプリット」である。私は、中沢新一の「精霊の王」にもとづいて、わが国の「和のスプリット」の出現する「場所」をそれらしくしつらえなければならない。宇宙と響きあえる「陰の場所」である。外国人、とりわけアメリカの若者には、日本のそういう・・・「和のスプリット」の出現する「場所」、宇宙と響きあえる「陰の場所」に訪れてもらう必要がある。光のお台場もいいけれど、陰のお台場もいい。

 

 中沢新一の「精霊の王」を理解する上で重要な「場所」は、すでにその一端を紹介したが、まだ紹介していない極めて重要な「場所」がある。それは、徳一と明恵の・・・共通の舞台・・・・興福寺界隈である。いうまでもなく興福寺東大寺春日神社とはそれぞれ隣り合わせの位置にあり、まあいうなれば一体の地域である。それぞれ藤原氏と深い関係を持っている。徳一は興福寺の逸材であるし、明恵は東大寺の逸材である。そしてともに藤原氏とは切っても切れない関係にある。徳一は最澄とそして明恵は法然と、それぞれ、世界でも最高レベルの宗教論争をしているのだが、徳一と明恵の背景にある哲学は、いうまでもなく、「唯識」と「華厳」の哲学である。私が思うに、それらはともに「和のスプリット」よって支えられているのではないか・・・・ということだ。

 実は、その「和のスプリット」が芸術として結実したのが「能」である。「能」は、もともと「猿楽」といったが、興福寺は、まあいうなればその発祥の地みたいなところである。少なくとも、「薪能」は、興福寺が発祥の地である。「薪能」は、平安時代の貞観11年(869年)興福寺西金堂の修二会で行なわれたのが始まりとされている。私は、「和のスプリット」をもっとも芸術的に表現したのが「能」だと考えており、そのもっとも基本にあるのが「翁」であろう。

  薪御能は、5月11日、12日の両日、春日大社と興福寺で行なわれる神事の一部である。11日は春日大社舞殿で咒師走り(シシバシリ)の儀として翁舞が、12日は春日若宮拝の舎(ハイノヤ)で御社上り(ミヤシロアガリ)の儀として能一番が、共に11時から行なわれた後、両日とも、16時から興福寺南大門跡般若の芝へ舞台を移して「南大門の儀」としての薪御能が行なわれる。芝生に敷かれた大きな敷板、四隅に青竹を立てて注連縄が張ってある。後の竹矢来には白地に興福寺の紋である下がり藤を染め抜いた幔幕がかかる。この野外舞台で、先ず興福寺の衆徒(僧兵姿)によって「舞台改め」がおこなわれ、金春・金剛・観世・宝生など各流派の能・狂言が次々に演じられていく。日の落ちる17時過ぎ、興福寺の衆徒の手で篝火が焚かれる。薪の炎にあやしく照り映える能面の美しさが観客を幽玄の世界へと引き入れる。

 

 

翁(おきな)

天下泰平・国土安穏

 

 

 

 正月の初会や神事能など特別な催しの際の初頭に演じられる。

天下泰平・国土安穏(あんのん)を祈る儀式性の濃い曲。

「申楽談義(さるがくだんぎ)」に世阿弥(ぜあみ)が「申楽(能)の舞いの根本は翁の舞であり、

謡(うたい)の根本は翁の神楽歌(かぐらうた)といおうことになろう」と語っているように、

「能にして能にあらざる曲」とも呼ばれ、

能の原点として現在も格別に神聖視され、古い芸態を伝えている曲である。

 

 かっては「翁」を演じる役者は、

7日間は、精進(しょうじん)潔斎(けっさい)し、

家族とは別の火で調理した食べ物を摂(と)る別火(べっか)の習慣があった。

 

現在においても、

演者は侍烏帽子(さむらいえぼし)に長袴を着け、

鏡の間で盃事をし、

幕際(まくぎわ)で切り火を打たせてから舞台に進む。

 

 何を隠そう!・・・・この「翁(おきな)」こそ中沢新一のいう「精霊の王」(謎の宿神・猿楽の翁・・・註:胎児がなにかのベールに護られたまま、繊細微妙な条件を保たれた環境の中に、静かに立ち現れてくる様子を、そっくりそのままとらえようとしたのが「翁」である。これを仏教哲理で表現すれば、空(力の充溢した空間)の内部から、物質的世界を形成する諸元素がまだ「微分」の状態で、地とか水とか火とか風とかいう「ベクトル」となって出現して、目には見えない微分状の生命体を形作ろうとしている様子を、身体の動作だけで表現しようとした絶妙な芸能こそが、「翁」にほかならない)であり、私のいう「和のスプリット」である。

 この「翁(おきな)」が徳一ゆかりの興福寺と明恵ゆかりの春日神社の神事として行なわれるということは、とりもなおさず・・・・徳一と明恵の奇(く)しき縁(えん)を想わざるを得ない。

 

 

明恵と春日神社との不思議な縁(えん)については、

まずはここをクリックして下さい!