新 しい文明の原理「共生」
 


 私は前に、ハイデッガーの技術論を勉強 し、それに反論するような形で、次のように書いた。すなわち、
『 歯 止め論については、規制緩和の時代にちょっと違和感があるかもしれないが、もっとも緊急を要する課題だ。フランシス・フクヤマがいうように、このままバイ オテクノロジーを放置しておくと、化け物のようなクローン人間が出現するなど「人間の終わり」がきてしまうであろう。したがって、新技術開発についてはあ る部分政治の関与が必要である。このことにもはや議論の余地はないように思われるのだが、残念ながら、現在そういう政治状況にない。世界の世論がそうなっ ていないということである。わが国でもほとんどそういう議論がおこっていない。
  また、風土的・民族的に芽生えた国民文化に関わる伝統技術の保存と活用という問題については、政治が関与すべき特別の問題なのかどうか・・・・、これから の議論であろう。 』・・・・・と。
 
 
  現在多くの人が「共生」ということを言う。しかし、森岡正博は、次のように誠に厳しく現在の風潮に警鐘を鳴らしている。すなわち、
『  「近代の機械論と二元論を離れてあらゆる生命との共存をはかる哲学を!」といった
底 の浅い思想では、現代文明の本質がまったく見えてきません。「調和」と「共存」を高らかに謳いあげる言説は、現代の社会システムのなかに「商品」として巧 妙に取り込まれてしまいます。そして、不安を抱える人々のこころに、ひとときの安堵と偽りの慰めを与えるだけです。
そ うではなく、人間の生命がもっている、この果てしのない「生命の欲望」の本質を、どこまでも突き詰めてあぶりだしてゆくこと。そして、その「生命の欲望」 と共犯関係にある科学技術と近代社会システムの姿を、クリアーに浮き彫りにしてゆくこと。そのうえで、そういう現代文明の枠組みにとどまっていることので きない人間のもう一つの本質というものを、どこまでも探し求めてゆくこと。
そ ういう地道な作業を続けてゆくなかから、「生命と現代文明」の本当の姿が、徐々に明らかになってくるはずです。そして、そこから本物の思想が立ちあらわれ てくるはずだと、今の私は感じているのです。』・・・・と。
  そして、彼は、「生命」の問題群に専門の枠を超えて挑戦しようとする、野心あふれる人々のネットワークというものの重要性を訴えている。私も同感である。 私は先に、下記のように述べたが、「共生」というのはジオパークの重要なキーワードであるので、私の提案する文化観光研究会も森岡正博の提案するネット ワークの一翼に入れてもらって、多くの皆さんと「空(くう)」を語り、「執着」を語り、「共生」を語っていきたいものだ。私の提案する文化観光研究会は、 ジオパークという「場」において「モノづくり」をやりながら哲学を語るというものであり、まあいうなれば「哲学と実践の研究会」である。面白い会になれば 良いと思う。
 
『  「空(くう)」は、仏教の心髄であると同時に日本文化の心髄でもある。したがって、外国観光客に日本文化の心髄を判っていただくには、何んとしても「空 (くう)」を語らねばならない。私としては、それをジオパークの一つの目玉にしたい。しかし、「空(くう)」を語るのは大変難しい。専門家が少ないという ことだ。したがって、観光関係者で文化観光研究会を作り、素人なりに文化の勉強や宗教の勉強を重ねていくことが必要かもしれない。その上で、私としては、 お寺さんに文化観光の一翼を担っていただくよう働きかけていきたい。
  寺は、貴重な地球的、宇宙的空間である。貴重なジオ的空間と言って良いだろう。おおいに「空(くう)」を語ってもらいたいものだ。 』・・・・と。
 
 
  さて、ここでは「共生」について、まず小林達雄の「縄文の思考」(2008年4月、筑摩書房、ちくま新書)のなかから、私がもっとも注目している「ハラ」 というものを紹介しておきたい。
 
* ハラは、単なるムラを取り囲む、漠然とした自然環境の広がり、あるいはムラに居住する縄文人が目にする単なる景観ではない。定住的なムラ生活の日常的な行 動圏、生活圏として自ずから限定された空間である。世界各地の自然民族の事例によれば、半径約5ないし10キロメートルの面積という見当である。ムラの定 住生活以前の600万年以上の長きにわたる遊動的生活の広範な行動圏と比べれば、ごく狭く限定され、固定的である。いわばムラを出て、日帰りか、長引いて もせいぜい1、2泊でイエに帰ることができる程度ということになる。
  つまり、ハラはムラの周囲の、限定的な狭い空間で、しかも固定的であるが故に、ムラの住人との関係はより強く定着する。
  ハラこそは、活動エネルギー源としての食料庫であり、必要とする道具のさまざまな資源庫である。狭く限定されたハラの資源を効果的に使用するために、工夫 を凝らし、知恵を働かせながら関係を深めていく。こうして多種多様な食料資源の開発を推進する「縄文姿勢」を可能として、食料事情を安定に導いた。
 
* 縄文人による、ハラが内包する自然資源の開発は、生態系的な調和を崩すことなく、あくまで共存共栄の趣旨に沿うものであった。食料の味わい一つとっても、 我々現代人と同様に好き嫌いがあったに相違ないのに、多種多様な利用を旨としたのは、グルメの舌が命ずる少数の種類に集中して枯渇を招く事態を回避する戦 略に適うものであった。これは高邁な自然保護的思想に基づく思いやりというのではない。好みの食料を絶滅に追い込むことなく連鎖によって次々と他の種類に 波及して、やがて食料だけでなく、ひいては自然を危なくするという事態を避けることにつながる。多種多様な利用によって、巧まずしてこのことが哲学に昇華 して,カミの与えてくれた自然の恵みを有り難く頂戴させていただくという「縄文姿勢方針」の思想的根拠になったとみてよい。ハラそのものを食料庫とする縄 文人の知恵であり,アメリカ大陸の先住民の語り口にも同様な事情を窺い知ることができる。
 
* 西アジア文明につらなるヨーロッパにおいて,ハラの主体性を認めず,農地拡大の対象と見なす思想とは対立的である。
 
* ハラを舞台として,縄文人と自然とが共存共生の絆を強めていくのは,(中略)1万5000年前に始まり,1万年以上を超える縄文の長い歴史を通じて培わ れ,現代日本人の自然観を形成する中核となった。
 
* 森には森の精霊がいる。縄文人がハラと共存共栄するというのは、ハラにいるさまざまな動物,虫,草木を利用するという現実的な関係にとどまるのではなく, それらと一体あるいはそこに宿るさまざまな精霊との交換を意味するのである。
 
 
  「縄文の思考」である「ハラ」についての小林達雄の説明は以上であるが,日本の農村集落の構造は,中心にムラがあって,その周囲にノラがある。さらにその 向こうがハラであるが,そういうムラ構造の起源は縄文時代までさかのぼるのである。 まさに貴重な歴史的遺産であると言わざるを得ない。 私は先に,『 ジオパークという場所の演出にあたっては、その歴史的背景や伝統や文化が密かに感じられることが肝要だが、「和のスピリット」というものを 強く意識することが望ましい。「和のスピリット」の出現する聖なる空間というものは「宇宙との響き合い」のできる貴重な空間であるが、星空、地質、水に関 わる場所のほか、縄文遺跡は、そういう貴重な空間になるかもしれない。』・・・と述べた。
 
  そのこととの関連でいえば,縄文遺跡を中心として,日本の典型的なムラ構造をジオパークの歴史的遺産に認定すると良い。
  ジオパークの歴史的遺産は,それを保全するのが目的でなく,しかるべき保全をしながら必要なインフラ整備をして,大いに観光に役立てていこうとするもので ある。