霊山
 
岩井國臣
 
 私は先に、小林達雄の著書「縄文の思考」(2008年4月、筑摩書房)から縄文人と山との繋がりに関する彼の見解を紹介した。すなわち、「ムラを取り囲む自然環境を単なる景観としてではなく、景観の中にいくつかの要素の存在を意識的に確認することによって自分の眼で創る風景とする。その風景の中に特別視した山を必ず取り込もうとしてきたのが縄文人流儀であったのだ。
 そうした山は、単なる風景を構成する点景ではなく、その霊力をもって縄文人の相手をするようになる。縄文人は仰ぎ見ることで、はるかに隔たる空間を飛び越えて情意を通ずるのだ。その積極性の典型的現れが、ストーンサークルや巨木柱列や石柱列や土盛遺構の位置取りを山の方位と関係づけて配置したことである。さらに、そうした山頂、山腹と二至二分の日における日の出、日の入りを重ね合わせる特別な装置を各地、各時期に創り上げたのである。
 しかし、ムラと山頂との距離はいかに頭の中で観念的に越えて一体感に浸ることができたとしても、物理的距離は厳然として存在し、信念、信仰の縄文人魂だけでは到底埋めることはできない。手を伸ばしても届かない山頂を呼び込むことは不可能だ。この壁を打開するために、ときには縄文人は自ら山頂をめざす決意を新たにして、ついに実行に移したのだ。その時期がいつであったかは特定できないが、その発意は神奈川県大山出土の注口土器の存在から、少なくとも縄文後期に始まっていることがわかる。」・・・・・と。
 
 そういう風景の中に特別視した山はどう呼べば良いのであろうか。小林達雄はその名称について書いていないので、どう呼べば良いのか分からないが、私としては、「霊山」と呼ぶこととしたい。風景の中に特別視する山のことである。彼は言う。「縄文人は神奈備型の山など特に際立った山に対して、縄文時代草創期から、早期、前期、中期、後期を経て晩期に至るまで終始一貫、強い関心を寄せていた。その兆候は、まずは縄文時代草創期に遡り、静岡県窪A遺跡は富士山を真正面に見据えた場所に陣取っており、少なくとも意識しようがしまいが、朝な夕なに黙っていても目に飛び込んできた筈で、いつの間にやら風景の中心に富士山をおいていたものと考えられる。」・・・・と。
 そういう例は、富山県極楽寺遺跡、長野県阿久遺跡、山梨県牛石遺跡、静岡県千居遺跡、東京都八王子の大遺跡、栃木県寺野東遺跡、群馬県天神原遺跡をはじめ、全国に大変数が多いようである。北海道鷲ノ旗遺跡、青森県大師森遺跡、秋田県大湯遺跡、青森県大森勝山遺跡などのストーンサークルもそうであるが、そういうストーンサークルの場合には、いずれの山も例外なく、左右均整のとれた裾広がりの神奈備型なのだそうだ。
 彼は言う。「こうした例を見渡すと、竪穴住居が多数遺された大遺跡や、大勢で膨大な日数をかけて築き上げた記念物を保有する特別な遺跡などの周囲あるいは遠くには、決まって目を魅く山の姿のあることがわかる。偶然の取り合わせなのではない。ムラの設営や記念物の設計に際しては特別な山に方位を合わせたり、二至二分の日の出や日の入りを眺望できるような位置取りがなされたりしていたのだ。」・・・と。
 また、彼はこうも言っている。「それらの山は、ムラの外に鎮座して、その位置によって、近景となり、中景となり、遠景となりして、独特の風景を創り上げる。一幅の山水画において、そこにある全てが描写されるのではなく、特別な意味を与え、選び抜かれたものだけが表現されるのに似て、縄文人もまた、その他多数を埒外に置き去りにして風景を創るのである。際立った山があれば、風景の中の重鎮とし、他をもって替えることのできない独自の風景に仕立ててゆく。したがって、めざす山が見当たらないところでは、まずは山を探すことから始めて、ムラや記念物を営む場所を選定したりしたのである。」・・・と。
 
 小林達雄のそういった見解を噛み締めながら、 私は、 日本文化の源流に、やはり縄文人と山との関係があるのだということを再認識し、うれしく思う次第である。
 
 さらに、小林達雄の言葉に耳を傾けよう。『 縄文時代の霊山信仰は、仏教や神道などの宗教、哲学的思想と結びついたりしながら、近世中期以降には観光的要素も加わって、カタチを変えては現代にまで日本の民族宗教として展開してきているのである。この間の経緯については、宮家準(「霊山と日本人」)が多角的な視点から論じている。
 山に対する信仰は、朝鮮半島や中国、さらに世界中でさまざまな様子を見せている。例えば、アメリカ合衆国ワイオミング州のビッグホーン・メディシン・ホイールは、2971メートルの山頂で特別に崇められている。アフリカ、オーストラリアにも知られている。一方、フランスの場合について、アラン・コルバンは、赤坂憲雄との対談において、「日本のような精神的に内化した山のイメージといったものとは、まったく違う」と明言する。
 たしかに、山に対する日本人の心には、日本の伝統的文化の象徴性を見るのである。』・・・と。
 
 
 では、このエッセイの最後に、前に紹介した私たち山岳部の愛唱歌「守れ権現」をもういちど掲げておきたい。
 
 
  守れ権現 夜明けよ霧よ  山は命のみそぎ場所
  六根清浄 お山は晴天 
 
  風よ吹け吹け 笠吹き飛ばせ  笠の紅緒は荒結び
  六根清浄 お山は晴天 
 
  雨よ降れ降れ ざんざとかかれ  肩の着ござは伊達じゃない
  六根清浄 お山は晴天 
 
  さっさ火を炊け ゴロリとままよ  酒の肴は山鯨
  六根清浄 お山は晴天