間伐材利用の基本的問題点

・・・切り捨て間伐が横行する理由・・・

 

岩井國臣

 

 私は前に「現代社会において・・・そういった「日本人の感受性」がよみがえる事が世界平和をつくり出していくし、フランシス・フクヤマがいうような「歴史の終わり」ではなく、未来の世界文明を切り拓いていく」・・・と述べたが、科学技術文明の行き過ぎが心配される今日、これからの日本人の感受性や自然感が世界文明の新しい地平を切り拓いていくのではないか・・・と私は考えている。


私たち日本人は私たちの感受性や自然感に誇りと自信を持って、世界の人々に日本の歴史と伝統文化について語り、平和の思想を語っていかなければならない。それが私の文化観光を重視する所以であるが、世界の人々にわが国を見てもらう場合、私たち日本人と自然との関係、とりわけ「山」との関係が歴史的にそもそもどうであったのか、その点、私たち自身が充分知っておく必要がある。そういう観点から、私は先に、「縄文人と山」と題して小文を書いた。

http://www.kuniomi.gr.jp/geki/iwai/jyomoyam.html

 

 みなさんもご承知のように、わが国の山は問題だらけである。本来の姿に戻さなければならない。四手井綱英さんは、私たち京都大学山岳部の先輩であり、言わずと知れた林学の大家である。亡くなる直前に書かれた遺書みたいな本がある。「森林はモリやハヤシではない(2006年6月10日、ナカニシ出版)」である。今私が重大な関心を持っている間伐のことであり、四手井さんは何か参考になる話を書いているのではないかと期待を持って読んだが、間伐の話がどこにも出てこない。山や森林に関して、四手井さんならではの良い話がいっぱい出てくるのだが、間伐の話はいっさいない。不思議だ。ひょっとしたら、分かり切った話だからということかもしれない。きっとそうだ。

 そこで、私は四手井さんならではの森林生態学に関する話はいずれ詳しく紹介するとして、とりあえず、間伐について、ネットサーフィンをやりながら基礎的な勉強をしておきたい。山に関する現下の最大の問題は間伐の問題であるが、この問題は、学者の問題というより、私のような立場の人間が取り組まなければならない問題であるかもしれない。

岡山県は苫田ダムの下流の鏡野町にBWEという面白い会社がある。


以下は、そのブログから間伐に関する記事を抜粋したものである。


林業の現状

 戦後復興需要による木材の消費で多くの山が荒れ果て、それを回復するために昭和30年代に造林運動が展開されました。その当時、木材の価格が高く苦労をせずに木を売り儲けられたため、林業地でもない山も拡大造林として山を切り開き杉や檜などの針葉樹が植林されました。今から見ると、荒れた山の植林はまだしも、林業地でない山も切り開き植林したとことは、計画性のなさと雰囲気だけで造林されたものといえます。


 植林の方法は1haあたり3,000本程度を植林し、下草刈り、除伐、間伐などの維持管理を行い植林後40年で、木材として生産されるものでした。林業の利益は植林後20年頃から行われる間伐により生産される間伐材から発生するものと計画されていました。


 ところが木材価格は希望していたものとはならず、間伐作業に必要な経費の増加と合わさり、間伐作業で利益が出ず、逆に費用となってしまったのです。


 長期的な計画で事業を行っている企業は何とか間伐などの維持管理を行い、林業作業で生計を立てている林業家も自らの持ち山は維持管理を行います。それ以外の、林業作業を森林組合など外部に委託し、山林を所有しているだけの林業地は、林業の維持管理を放棄することになります。


 間伐をしなければ、人工林は隣の木々と枝が交差することとなり、光が枝に射さないこととなります。木々は光を求めて上に伸びる方向で成長します。細く背が高い木になっていきます。木材は太い方が強度もあり、利用の面でも優れています。細く背が高い木は雪や風の影響に弱く倒れやすく、利用の面でも良くありません。優れた木材を育てるためには間伐は現植林の方法をとる限り必要なものです。


 現在、多くの林業地が間伐遅れで本来の林業地として価値を無くしています。更に、それらの林業地は治山上も多くの問題を抱えています。



木材利用の変化

日本はよく「木の国」と言われます。果たしてそうでしょうか。人家に近い里山は誰からも見向きもされず荒れています。木材生産のために植林された人工林は誰も管理せずに放置され荒れ果てています。熊などの動物が人家近くに出没するようになっています。奥山も豊かでないことを示しています。 


 一度に降る雨量が半端でないこともありますが、昨今の水の被害は山の荒廃に原因の一部があることは明白です。漁業にも悪影響がでています。


 木材は人が生活することに欠くことができない資源です。住宅の建材、家具、生活用品、紙、そして燃料など、利用は多方面にわたります。

 木材の最大の良いところは石油などの資源と違い、再生産が可能であることです。木材は太陽エネルギーで常に再生産され、気候変動などの他の要因がない限り、なくなることはありません。気候に次ぐ要因は人の関わりです。木を乱伐し森林を荒廃させるのは人です。それと一度森林に関わり、その後の世の中の変化により関わりを放棄するのも同じことです。


 国内で生産される木材の利用は大きく減少しています。木材そのものの利用は変化はありませんが、輸入される木材が全体の80%を超える事態に至っています。


 木材を利用する側からすると、木材そのものは豊富に供給されているわけですから、林業に関心がなくても問題はないことになります。このことも林業が顧みられないことの原因となります。いずれ海外からの木材の供給が絶たれたとき、「木の国」でありながら木材の不足に直面することになります。



国の取り組み

 間伐に限った今までの国の取り組みについて検証します。

 20年近く前から間伐材が利用されず間伐ができない状況に至ることは認識されていました。まず国が行ったことは間伐材など小径材の利用促進を行うことです。その対策として新しい利用技術を開発することと、利用を促進するために川上の林業地に小径材を加工する施設整備を行うことでした。


 前者の利用技術の開発で現在これといったものが存在するでしょうか。例えば、実用化されているものでは「台形集成材」があります。これは小径材から集成材のラミナー材を通常の断面である長方形の形状とすると木材利用の歩留まりが悪くなります。それを少しでも木材の利用歩留まりを良くするために断面を台形とするものです。しかし、集成材は国際的な商品です。海外から集成材として輸入され、国内でも海外から素材であるラミナー材が輸入されています。台形として製材するコストなどからすれば競争力はどうしても弱くなります。


 後者の林業地に施設整備を行った効果はあったでしょうか。10数年以前に施設整備を行った施設を見て回ったことがあります。林野庁が施設整備の補助事業の実績を冊子にしていたものを参考にして行いました。実績にはすべて、国の補助により施設を整備しその結果間伐材の利用が大きく促進したと記載されています。見て回った結果は全くのでたらめでした。整備された設備は利用されず放置されている状態でした。モルダーを整備して内装材を加工する施設を例にしますと、当初は公共施設の資材として利用されますが、近隣の公共施設の建設が終わればそれで需要はなくなることになります。つまり、作る手段は整備しても販売するルートは全く作り上げられていないことなのです。本業の木材加工業自体が生産性が低いのに、さらにそれ以上に生産性が低い設備を導入してもうまくいかないことは明白です。予算のばらまきといい加減な実績報告によって、事業が全く見直しをされず現在に至っています。


 次に国が取り組んだのは、間伐材の利用から間伐そのものへの補助です。もし国が間伐の必要性を強く認識しているならば、農林業センサスという国の統計で何年生の人工林が全国にどれだけあるかにより、すべてを間伐するのにどれだけの経費が必要かが判りますから、それを予算化する必要があります。そうなれば莫大な予算になりますし、当然個人の林業地を補助するのはおかしいのではないかとの批判があるはずです。


 本来はすべての林業地をどのようにして将来につなげるのかの議論が必要なのです。林業地に適さないところは林業地と異なる山の回復を検討することとなり、林業地として残すところは利用の形態により区分して林業地として存続する方策を検討しなければなりません。個人の林業地(個人の利益のため)に補助するのがおかしいのであれば、それらの林業地を公有化すれば良いことになります。国民の合意を得て日本の数少ない恵まれた森林資源を後世に残すことは極めて重要なことなのです。


 しかし、国が現在行っている間伐の補助事業は森林組合などの林業従事者のための公共事業でしかありません。つまり、林業不況により林業の仕事が減少します。その穴埋めのための仕事として間伐事業が位置づけられているだけなのです。



林業生産流通の現状

 海外から多くの木材が輸入されていることは、木材の需要そのものは減少していないことを示しています。海外の木材製品に国内の木材製品が競争で負けているだけでしかありません。


 木材の利用にあたり、必要な木材の品質と量が、適正な価格でそろわなければなりません。大手の住宅メーカーが安定的に大量の木材を調達しようとすると、国産材でまかなうことは難しくなります。また、大規模な集成材工場や、合板工場も国産材だけで製造することは難しい現状といえます。その理由は大規模で木材をそろえることのできる流通にはなっていないためです。


 国内の一般的な木材の流通は、まず最初に伐採された木材が原木市場に持ち込まれます。製材工場がその木材を競りなどで買い取り製材し製品市場に持ち込みます。木材商が製品市場で競りなどで工務店などの注文を受けて木材製品を買い取り販売します。


 このように市場(いちば)を通した取引は、需要と供給の関係で適切な価格が形成されると思われるかもしれませんが、ここで形成される価格は思惑を受けた「相場」という価格形成となり、小規模な生産及び利用のためにはこの方法しかありませんが、(農産物などが例)大規模なものにはなじまない流通です。木材の利用においては、農産物のように天候に左右されるものではありませんから、事前に利用計画を作ることができます。木材の販売計画があり、それにもとずく製材などの加工計画、原木の調達計画、そして、木材の伐採計画となります。ここでの価格はそれぞれの段階の交渉で形成され、長期的に安定したものとなります。今よく言われている「市場(しじょう)原理」は長期的な需要と供給の関係を表しており、短期的な市場(いちば)でのそれではありません。


 しかし、国内では木材を大規模に生産する事業者が少なく、また、大規模に木材を製品化する事業者も少なく、上記のような計画された木材生産はないといえます。木材を利用する側も、国産材より輸入材の方が、セールス活動を含め利用しやすくなっているわけですから国産材を利用しないことになります。


 木材の生産及び流通を根本的に変革することは、政府を中心に長期的な戦略に基づいて行われなければなりません。しかし、政府が運営している国有林自体が経営的に息詰まっており、能力的に疑問といわざるを得ません。日本の林業はこのように変革する主体がなく、ただ成り行きで残っているに過ぎません。



林業のイメージ

 日本での林業のイメージはどのようなものでしょう。小説の世界では大阪船場の問屋を舞台に遺産相続にからむ財産として山の存在がでてきます。林業は資産家の投資対象で、不動産事業と同じようなもので、木材を生産する仕事はあくまでも資産を金銭に換える手段と思われています。


 海外で林業とは木材を伐採し搬出する、木材を生産することです。山の持ち主はあくまでもそれに付随するものです。林業が単なる資産家の投資対象であるのか、木材を生産する産業であるかの大きな違いが、日本で林業が産業として機能しない最大の理由となります。日本には国有林があるのではないかと思われるかもしれませんが、国有林は国自体が大きな資産家であるだけのことです。



林業を産業とするチャンス

 木材価格の低迷により、過去の林業は崩壊しました。過去の林業とは投資としての林業です。山を買い、植林し、維持管理を行い木材を育て、高値で売れる時に木材を売り、今までに投資した金額と利益を受けるのが過去の林業なのです。そこには「うまみ」がなければなりません。その「うまみ」とは木材価格が高いことです。株などで資産運用する以上の配当が望めなければなりません。当然これだけ木材価格が下がれば投資としての林業は成り立ちません。


 本来の林業とは木材の生産そのものです。木を育てることから、木材を生産することを林業の中心とする必要があります。林業が投資対象でなくなった今、林業を産業として作り替えるチャンスとして受け止めることが大事です。このような見方で林業を見れば、今と異なる取り組みが発見できると思われます。



林業の変化

 林業が投資対象であったことは、植林から間伐までの収益を生まない維持管理を、今までは将来の利益を見込んで林業家自体が行っていたのです。そのシステムが木材価格の変化により将来の利益が見込めない状況に至ったのであれば、製材業や建築業を兼業している林業家だけが将来の木材の安定確保のために赤字覚悟で維持管理を行いますが、それ以外は山を守るという義務を感じる一部の人以外は維持管理を放棄することになります。

 特に小規模の山林を所有しているだけの林業地は、多くが林業の維持管理を放棄しており、全国広大な面積の林業地がそのような状況に至っています。


 利益を生まない林業地は所有している人からすると、関心は全くないのです。林業地を保有していることで負担が発生すれば少しは関心を示すかもしれませんが、小規模な山林は固定資産税の負担がほとんどなく、ほったらかしにされます。また、林業地とは遠く離れた地域で暮らしてる人たちがほとんどですから気持ちの上でもつながりはなくなります。

 今までのような林業家(山の所有者)に維持管理を期待する政策は破綻しているのです。


新しい林業の方向

 木を育てる林業から、木材を生産(伐採、搬出)する林業に切り替えたらどうなるでしょうか。まず木材を育てる植林や維持管理は行われません。今まで以上の最悪な結果となります。


 では、最悪の結果となる方向で見直しを行うことはどのような意味があるのでしょうか。

 それは木を育てる林業と、木材を生産する林業とを分離することにあります。利益を生まない木を育てる林業を、産業としての林業から切り離し、林業自体が収益構造を持つ形に変えるためです。


 当然、木材を生産した跡地の再生産、治山上の措置が必要になります。これらを行うためには、産業としての林業からの負担と、国などの公的な負担によりまかなうことになります。山の再生産などの方法は山の所有者の意向とは切り離され、専門機関が山の利用で最良の形態で行うことになります。


 自由主義に逆行していると思われるかもしれませんが、公的な負担を国民に同意してもらうためには絶対に必要なことなのです。もちろん林業地の所有者が適切に維持管理し、治山上も問題のない山を作り上げてもらえるならばそれにこしたことはありません。これだけ放棄された林業地が多く発生している現状では根本的に見直すことが必要なのです。



間伐の実施

 林業地には木材の搬出に有利な林業に適したところや、山奥の道路がなく搬出コストからとうてい林業として成り立たないところ、木々が育ちにくく治山上も問題があるところなど様々なケースがあります。過去において、山の所有者の意向で何の基準もないまま国の補助金を使い植林をしてきた結果です。

 その植林の方法も補助事業で植林されたため、一律に1haあたり3000本を植林するもので、間伐は当初から当然行わなければならないものなのです。


 間伐を山の所有者に任せて、できないことは明かです。ではこのまま放置すればよいのでしょうか。工業製品の輸出で外貨を稼ぎ、木材は海外から輸入するという現状が永久に続くことはあり得ません。豊かな資源である森林環境はあくまで環境であって、豊かな森林資源を育てるのは私たち自身なのです。まず取り組むことは、もう手遅れでもありますが、間伐をすべて行い過去に植林された木々を林業資源である木材として次の世代に残すことです。


 間伐を国の事業として行うことは、現在行われている間伐の補助事業とは全く異なるものです。現行の間伐の補助事業は、過去に失敗した造林の補助事業と同じで将来を見据えたものではありません。国ではこのような政策を行っているというアリバイ作りと、関係団体等の援助が主たる目的です。


 間伐を国の事業として行うということは、縦割り行政の林野庁予算の枠内で行う意味のない間伐ではなく、国全体で取り組む戦略としての間伐です。当然間伐は国の事業として行いますから山の所有者の負担はありません。ただし、個人の利益のために税金は使われるべきではありませんから、間伐された森は公的な位置づけになります。森林法では森林を伐採する場合、施行計画の届け出を求めています。これをさらに強化して、所有者の意向で木を切ることはできなくなります。それと逆に所有者の意向に関係なく、木を切らなければならないこともあります。森林環境の管理を個人に任せず、公的に管理し、林業の生産をより生産性を上げるために集約された林業とする両面をあわせて持つものです。



林業を産業へ

 林業を産業として成り立つものとするためには、長期戦略に基づき行わなければなりません。国が間伐を行うことで、人工林の森林環境の改善と林業としての森林資源を将来に存続させ、日本独自の問題である山林所有の細分化による林業への悪影響の回避など、解決する可能性があります。


 過去の林業が崩壊した今、本来の林業を産業として作り上げる絶好のチャンスとなり得ます。この機会を逃せば、林業は産業として今後成り立つことはないかも知れません。


 国がこれを行うことができるかと考えれば、まずできないだろうという結論です。行う能力があれば、とうの昔に行っているはずです。間伐の問題がいわれだし長い期間が経過しています。もはや間伐は手遅れである感がします。


 繰り返しますが、間伐が進まない林業の危機が、逆に見れば林業を産業とするチャンスでもあるのです。国で行わなければ、最終的には個人で挑戦するしかないのです。小さな試みがいずれ国を動かす大きな力になるかも知れません。


挑戦の方法

 間伐を自ら進めるためには、間伐で生産できるものに価値を生み出す必要があります。現在、質がよく搬出が容易な間伐材は利用されていますが、それ以外は搬出経費も賄えず山に切り捨てられるだけです。木材の段階である半製品では製品価格が低く、それを高めることはできません。消費者に直接販売する製品を作り出し、新たな付加価値を作ることによって木材価格を高くすることが可能になります。


 間伐材を使った製品を加工し販売することと、間伐を行うことが同一事業体、もしくは協同体の組織で行えれば、最終製品の付加価値を間伐そのものに反映することができます。間伐を行い、なお製材や住宅建築を手がけている事業体は多くあります。しかし、彼らは自らの山の間伐に限られたものでしかありません。山の経営の安定のために製材や、建築また他の仕事を複合させているだけです。従って、彼らに全般の間伐を促進できる力はありません。


 間伐材を利用した製品で消費者に直接販売ができ、なお自ら間伐を行えるだけの付加価値を持つ新たな利用技術が開発されて始まることです。また、その技術は多くの人に認められるものでなければなりません。


商品化に向けて

 技術の開発は基礎技術と生産技術とに分けることができます。基礎技術は今後も改良を続けますが、ようやく一つの形ができあがりました。


 生産技術の開発は商品として成り立つために重要なものです。国内には各種の機械の専門メーカーがありますし、新しい機械を開発するメーカーもあります。一般的には専門メーカーに製作依頼をすれば時間もかからず作ることができます。


 しかし、機械そのものを作る必要はありませんが、機械を開発する能力は自らが持っていなければなりません。そうでなければメンテナンス、機械の改良、高度な機械への発展などを自らが行えず、生産技術は最初の段階で止まってしまいます。常に生産技術が改良、発展することが競争力の源泉になるのです。


 木材加工業で生産性の向上が進まないのは、木材業の規模が小さいため機械メーカーに新たな機械を発注しないため、さらに木材機械メーカーでは機械需要が明確でないために新しい機械の開発を行わないことが原因となります。


 生産技術の開発も自らが行います。時間がかかることになりますが、製品の競争力のためには絶対に必要なことです。現時点での進捗状況は機械の進歩を3世代に分ければ、第二世代目を開発中となります。第二世代目が完成すれば、商品化に移行することができます。


 第一世代 希望する加工ができること、信頼性、加工での省コストなどの検証。

 第二世代 小規模な生産ができること、生産性で商品化可能であること。

 第三世代 大規模な生産ができること、生産性が向上していること。


 実証建物はすべて第一世代の機械で加工を行っています。生産性はよくありませんから商品化には適していません。第二世代の機械は今年中早い時期に投入するよう努力しています。今しばらく猶予をお願いします。なお、木材は前年から自然乾燥を行い、機械の完成ですぐに生産を開始できる体制となっています。



間伐材の活用方法

  間伐材と主伐材の違いは木材の伐採方法の違いと、樹齢で間伐材が若いことです。木材の質からみれば、間伐材は主伐材の2番丸太、3番丸太の先端部と同じと考えられ、小径材として同一に位置づけられます。これら小径材は梁などの横架材には利用できませんが、柱材として現在も十分に利用されています。しかし、柱材での利用は乾燥が難しいことや、残材の利用など生産の歩留まりが悪いことが課題となり、柱材そのものが建設方法の多様化、集成材への移行など減少する方向にあります。


 柱材以外で小径材から生産可能な製材品は、2×4材で代表される平割材があげられます。2×4材は、製材効率の面、乾燥の面、歩留まりの面などで優れており、現在ほとんどが輸入材の独壇場です。これは国内で生産できないため輸入材に頼る必要があるのでなく、海外の林業地が日本を重要な消費地として売り込んでいる結果です。


 間伐材等の小径材の利用を促進するためには、需要が確実にある2×4材等の平割材の生産を増加させる必要があります。もちろん現状でも国産材で平割材は生産されていますが、2×4構法で利用はされていませんし、国産材での用途も輸入材の2×4材に置き換わられようとしています。高断熱、高気密化へ住宅がシフトする現状において、また、間伐材等の木材を利用でき利用すべき環境において、2×4材を国産で供給することは重要で必要な課題となります。


 間伐材等の新たな活用方法は、セルフビルドのための住宅キットです。小径材から生産される平割材を競争力のあるものとするべく、その手段として開発されたものです。 


 建材という中間製品でなく住宅キットという最終製品を提供する事により、一般の人を販売対象とすることができ、また最終製品であることから2×4材との競争を回避することができます。 新たな住宅キットは主たる資材を平割材で構成し、すべての部材を一人で取り扱うことができ、一人でセルフビルドすることが可能となります。このことにより、住宅をセルフビルドするという新たな需要を作り上げることが可能となります。


 この住宅キットが利用され平割材の生産が拡大すれば、2×4材に対抗できる生産性の向上、原木の供給体制等を確立する余地を生み出すことができ、2×4材の国産化が図れる可能性があります。


 団塊世代のリタイア、二地域居住の潜在的要求など、社会は住宅を容易にセルフビルドできる手段を求めています。地方の過疎化、都市部の過密化の社会的な問題を、都市部と地方との二カ所の住居を持つことにより、新たな生活スタイルが構築され、緩やかな過疎過密の解決手段を提供することになります。


建築確認について

 新しい工法である「一人で作るログハウス」は建築確認が下りません。建築確認行為は建築基準法で規定され、許可行為でなくあくまでも確認行為です。確認行為とは事前に国が決めている建築工法に合致していると確認したということです。事前に国が決めている(オープン化)建築工法は木造の場合、軸組工法、2×4工法、ログハウス工法の3種類です。新しい工法はログハウス工法に近い工法ですが、内容は異なります。


 ログハウス工法は、ログ材を積み上げる通常のログハウスです。ログハウス工法で住宅を建設する場合、強度のために太いログ材が必要となります。それでは小径材の利用と、セルフビルドを行うことができません。それらを行うためには新たな建築工法を作り出す必要があります。しかし、新たな建築工法は今までにないものであることから、国が決めている建築工法には合致しないことになり、建築確認は下りません。


 確認を下りるようにするためには、建築工法の大臣認定を受ければよいのですが、それには経費や手間が多大にかかります。はたしてこの経費と手間をかける意味があるのでしょうか。逆に、建築確認が下りた建物が安全の保証があるのでしょうか。阪神淡路大震災で多くの建物が倒壊し多くの人が亡くなっています。それらの建物のほとんどは建築確認を受けた建物です。結局のところ、安全は自らが判断する以外にないのです。


 建築確認が下りないといって、違法建築として建築することは許されません。しかし、建築面積が10m以下の建物、及び都市計画区域外では500m以下の建物は(木造個人住宅に限る)建築確認を必要としていませんから自由に建築することができます。


 もし、大臣認定を受け都市計画区域内に建築確認を受けて建築できるとしても、防火区域の規制により壁が木材でできている場合、隣地との境界から3m離して建てる必要があります。そうなれば、相当の面積の土地を必要とし、現実性はありません。


 壁が木材でできているログハウスなどの住宅は本来自然の中に建てられるべきものなのです。また、新工法が二地域居住などの田舎暮らしのセカンドハウス的な用途に利用され、過疎地の振興に寄与することから、都市計画区域外に限定した利用とする方が開発目的に合致したものといえます。


 建物の安全性は利用する人自らが判断することで、建築確認などにより国に頼っても裏切られることになります。建築基準法で規定しているのはあくまでも最低限の規定であり、本来は建築基準法を上回る強度が建物には必要なのです。



 ブログ 「木 家 社会」からの抜粋は以上である。


 林野行政もそれなりに頑張っているとは思う。私がそう言うのは,さる4月に「 森林の間伐等の実施の促進に関する特別措置法」という法律ができたからである。後で述べるように、山の管理の第1義的な責任は市町村にある。その市町村の財政的基盤がこのたびの法律で相当強化されたので,今回の林野庁の努力は高く評価されなければならない。しかし,残念ながら,この法律は,間伐促進法であって,利用促進法ではない。間伐の個人負担と搬出費用に対する対策が,皆無というのは言い過ぎだけれど,ほとんどないからだ。

 

 また、国会審議のやり取りを聞いていて私が思うのは,四手井さんのおっしゃっていることを真剣に受け止めていただき,林野庁は今後の林業のあり方について是非考え直してほしいということだ。

 

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