狐火
 
 
注:下記の説明は,フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のものだが、大変よく書かれているので,それを引用させていただいた。作者に心から感謝する次第です。
 
 
 人々の寝静まった夜中、提灯のような火が点滅しつつ、十個から数百個も行列をなして現れる。行列の長さは一里(約4キロメートル)にも渡り、その数も次第に増えたかと思えば突然消え、また数が増えたりもする。火の色は赤またはオレンジ色が一般的だが、青い火の目撃例もある。
注:もはや狐火を見ることが・・・誠に味気のないつまらない世の中になった。何とかそういう心豊かな時代に戻れないものだろうか。
 
 その名の通り狐と密接な関係があるとされ、狐の吐息が光っているという説が多いが、他にも狐が尾を打ち合わせて火を起こしているとも、狐の持つ狐火玉と呼ばれる玉が光っているとも言われている。寛政時代の雑書『諸国里人談』では、元禄の初め頃、漁師が網で狐火を捕らえたところ、網には狐火玉がかかっており、昼には光らず夜には明く光るので照明として重宝したとある。
 
 現れる場所は道のない山腹など、人の気配のない場所であり、人の気配を感じると姿を消してしまうとされる。逆に人をどこまでも追いかけてきたという伝承もある。狐が人を化かすと言われているように、狐火が道のない場所を照らすことで人の歩く方向を惑わせるとも言われており、そのようなときは足で狐火を蹴り上げると退散させることができるとされる。
 
 逆に長野では、ある主従が城を建てる場所を探していたところ、白い狐が狐火を灯して夜道を案内してくれ、城にふさわしい場所まで辿り着くことができたという話もある。
 
注:「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」という内山節(たかし)の名著がある(2007年11月,講談社)。いずれ機会を見て紹介したい。
 
 正岡子規が俳句で冬と狐火を詠っている通り、出没時期は一般に冬とされているが、夏の暑い時期や秋に出没した例も伝えられている。
注:正岡子規にはこんな俳句もある。菜の花に婚礼したる狐哉 。菜の花の中に稲荷の鳥居かな。宵闇や露に引きずる狐の尾。狸死に狐留守なり秋の風 。石にそふ狐の跡や別れ霜。なお、与謝蕪村には、「公達に狐化けたり宵の春」という有名な俳句があるので,ついでに思い出しておこう。
 
 山形県の出羽や秋田県では狐火を狐松明(きつねたいまつ)と呼ぶ。その名の通り、狐の嫁入りのために灯されている松明と言われており、良いことの起きる前兆とされている。
 
 岡山県・備前地方や鳥取県では、こうした怪火を宙狐(ちゅうこ)と呼ぶ。一般的な狐火と違って比較的低空を浮遊するもので、岡山の邑久郡豊原村では、老いた狐が宙狐と化すという。また同じく邑久郡・玉津村の竜宮島では、雨模様の夜に現れる提灯ほどの大きさの怪火を宙狐と呼び、ときには地面に落ちて周囲を明るく照らし、やがて跡形もなく消え去るという。明治時代の妖怪研究家・井上円了はこれに中狐と表記を当て、高く飛ぶものを天狐、低く飛ぶものを中狐としている。
 
 狐火を鬼火の別称とする説もあるが、一般には鬼火とは別のものとして扱われている。
 
 
 
 
 
 王子稲荷の狐火
 
 
 
 
歌川広重 『名所江戸百景 王子装束ゑの木大晦日の狐火』
 
東京の北区王子の王子稲荷は、
稲荷神の頭領として知られると同時に狐火の名所とされる。
浮世絵師・歌川広重による『名所江戸百景』では、
狐が口から炎を吐いて多くの狐火を灯している光景が描かれている。
 
かつて北区一面が田であった頃、
大晦日に関東の狐たちが官位を得るため、
提灯を灯しながら王子稲荷へ集まり、
壮観なまでの狐火が見られたという。
 
装束稲荷で装束を改めた狐たちは、
関東総鎮守の王寺稲荷に参拝に出掛けるという訳だ。
そのような故事に因み、
毎年、 大晦日から元旦に掛けて、
氏子が行列を再現している。