「古代社会源流」への旅立ち

 

 

  科学の対極にあるのは、魔術であり、宗教であり、芸術である。魔術や宗教や芸術は、心の世界に関係し、魂の満ち満ちた「モノの世界」である。「モノの怪」の世界である。私がかって「怨霊や鬼や妖怪」をキーワードに「平和の旅」をしたのも、歴史的事実をもとに心の世界を知りたかったからである。歴史に学ぼうという訳だ。学者は「自然の叡智に学び」、政治家は「歴史に学ぶ」ことが重要だ。

 中沢新一の「アースダイバー」ではないけれど、私は最近、中沢新一の言葉をヒントに「景観10年、景色100年、風土1000年、精霊万年」と言っているのだが、1万年前まで遡ってその土地の歴史を語らねばならない。地霊との響き合いが必要だ。中村雄二郎流に言えば、地霊のリズムと共振しなければならない。私はそう思って石器文化の勉強をしつつある。石器時代にも人びとの生活があり、その生活環境ごとに石器文化があった。特に、日本では、その地域その地域で生態系が違い石器の原石が違っていて、さまざまな石器文化が生まれている。すばらしい石器文化の花が開いていたようだ。その辺を勉強しようという訳だ。私の考えでは、国家構造や生態系の違いによって地域の生活環境はさまざまであるが、日本の場合は幸いにも多様性の文化が発達した。そういう「多様性」というものに着目したとき、日本の場合、「違いを認める文化」を有しているという点が人類史上まれにみる特徴ではないか。須藤隆司は、その著「石槍革命・八風山遺跡群」(2006年3月、新泉社)で次のようにいっている。すなわち、

 『 各地域には地域固有の石材環境があり、それに適した技術を開発した。革命的な技術が周辺部で生じても、そのまま受け入れるのではなく、地域の資源を枯渇させない有効な技術に組み替えた。それを可能にしたのは、地域をこえる社会ネットワークとして、資源が特定地域集団で消費されることなく、地域集団間で共同消費できるシステムを同時に開発したからである。旧石器社会の進化は、氷河期において激動した寒暖の環境変化を生き抜く技術革命であった。石器時代本来の「革命」とは「定住革命・新石器革命」であり、その後、幾多の「革命」を経て現代社会があるが、自らが引き起こした地球温暖化・環境変動をいかに生き抜くのか。地球規模の遊動生活社会である現代社会は、地域資源の活用法と共同消費の原則を誤っていなのか。旧石器社会の本質的「革命」にそれを学ぶべきであろう。』・・・・と。けだし、適切な問題提起だ。石器時代をも勉強すべきである。

 

 以上は、靖国問題に関連してつい先ほど述べたばかりが、3ヶ月ほど前には、以下のようなことを述べ、次の旅立ちを宣言した。

 私は、拙著「劇場国家にっぽん」を上梓したのを機会に、かってのホームページ「桃源雲情」を「劇場国家にっぽん」と改め、中沢新一のいう「流動的知性」を中心テーマに据えながら、「和のスピリット」と「空の天皇」と「愛の通貨」というタイトルで、「わが国における宗教感覚を生きることの重要性」と「天皇とともに<歴史と伝統・文化>を生きることの重要性」と「<地域通貨>によって贈与経済に生きることの重要性」を意識しながらいろいろと勉強してきた。おおむね、「和のスピリット」と「空の天皇」と「愛の通貨」のメインフレームも充実してきたのではないかと思われる。まだまだ追求しなければならない問題も当然あるのだが、そろそろ次の課題に移っていきたいと思う。次の課題は、「桃源雲情」の時代に取り組んできた・・・「地域づくり」と「juuu-net」と「河童大明神」である。今までの勉強成果を生かし、新たな想いを持って・・「私の旅」をつづけよう!ともかく仲間とともに地域づくりと川づくりの実践活動の現場に戻ろうという訳だ。

 私の新たな旅立ちが中沢新一の多摩美大「芸術人類学研究所」の発足と機をいつにしているのも縁というか摩訶不思議なものを感じる。なぜなら、そもそも私の地域づくりの出発点は「河童」であるが、「河童」といえば、多摩美大の創設者・石田英一郎の名著「河童駒引考」を抜きに語れないからだ。中沢新一の多摩美大「芸術人類学研究所」には「河童」がいる筈だ。私は、九州で河川部長をしていたときに、「自然との共生」ということについていろいろと考えた。そして、これからの国土政策論としては下河辺 淳(あつし)の「流域圏構想」であって、国土政策の大事なキーワードは「河童」だと思った。その考えは今も変わっていない。「河童」をキーワードに自然との共生社会をつくっていきたい。「河童」は私の実践活動とともに芸術人類学の大事なキーワードではないかと思う。「美意識」と「倫理」と「詞」は同じものであるという松本隆の考えを紹介したが、私もそう思う。美意識と倫理観と「河童」は私たちの奥深い意識の中で共存している。そこでは「自然の叡智」が働き、「わび」「さび」など日本文化を生み出した「野生の感性」が眠っている。ともかくその「野生の感性」を目覚めさせることだ。

  川を抜きにして地域の歴史を語ってはならない。その地域の歴史というものは川とともに刻まれてきたからである。農耕との関係も大きいが、川が舟運に果たした役割は実に大きい。皇太子が言われるように、京都に都ができたのは、京都が、淀川を通じて瀬戸内海、木津川を通じて奈良、宇治川と琵琶湖を通じて日本海にそれぞれ繋がっていたからである。

 卑弥呼の頃多くのクニが小河川のほとりに発生したのは稲作との関係からであるが、地方豪族の誕生と成長については大河川の舟運というものを考えながら語らねばならないのではないか。私はそのような考えから、日本の「歴史と伝統・文化」というものを見ているが、わが国の伝統・文化の多くが「水とのかかわり合い」のなかで育ってきたという面もあるので、地域の川や水を語るということは日本の「歴史と伝統・文化」を語ることそのものでもあるのである。

 「ロマンある地域づくり」とは、地域の自然的特性、歴史・文化的特性にもとづき、人々の感受性の深層部分を震わせるような気配りのされた個性ある地域づくりであって、それは「共生の思想」にもとづいて行われなければならない。地域の自然的特性を象徴し歴史・文化的特性を象徴する「川」をいろいろな切り口で大いに語ろう。

 

 さらに、「流域圏構想」については、考え方というより、実践活動をやっていきたいと考えているので、次のように述べておいた。

 私は、例えばアメリカインディアンの感性について述べたときもそうだったが、「野生の思考」とか「縄文の感性」という言葉をよく使う。もちろん、中沢新一の影響だ。「野生の感性」という言葉は今までに使ったことはないが、この際、「芸術人類学が問題とする感性」を「野生の感性」と呼ぼう。すなわち、私たちの奥深い意識の中に眠っている・・・・「美意識」と「倫理観」のもととなる感性、或いは「河童」をはじめとするいろいろな「怨霊、鬼、そして妖怪」をおそれ敬う感性、「スピリット」との一体感を感じる感性などをこの際ひっくるめて「野生の感性」と呼ぼうというわけだ。

 最近、ダニエル・ピンクの「ハイ・コンセプト・・・<新しいこと>を考え出す人の時代」(訳者・大前研一、2006年5月20日、三笠書房)という本が出た。日本人がこれから一番身につけなければならない「右能を生かした全体的な思考能力」と「新しいものを発想していく能力」、そして実現の可能性を検証する左脳の役割などについてわかりやすくまとめられている本で、大前研一によると、これからの日本人にとって必読の教則本である。まったく同感だ。しかし、私に言わせれば、これからの日本人にとって必要なのはまさに「野生の感性」であり、そのための「場所づくり」なのである。私は、自然との響き合いの「小さな場所」、宇宙との響き合いの「小さな場所」、人びととの響き合いの「小さな場所」を如何に作るかが、今、問われているのだと思う。西田幾多郎の「場所の論理」、中村雄二郎の「リズム論」を如何に「地域づくり」に生かしていくかが、今、問われているのだと思う。

 私の実践活動は自ずと川の現場ということになる。流域である。かって、私は「流域の再認識について」書いたことがあるが、今では観点をすこし変える必要があるかも知れない。そこで行なう「地域づくり」は「劇場国家にっぽん」で提唱してきた考え方が基本となるので、下河辺 淳(あつし)の「流域圏構想」などとは区別して、「劇場流域」と呼んだ方がいいかもしれない。「劇場流域」は、ひとつの流域をいうのだが、そこにはリージョナルコンプレックスと数多くの劇場があってそれぞれがいい形で連携している。いい形で連携とは、「地域通貨」による連携を私はイメージしている。そして、それらの連携のもと、それぞれの劇場において、地域の人びとが主役となって訪れる人びと(ビジター)に深い感動を与える。そういうイメージである。もちろん、ここでいう「劇場」は、象徴的な意味での「劇場」であって、自然との響き合いの「小さな場所」、宇宙との響き合いの「小さな場所」、人びととの響き合いの「小さな場所」のことである。これを、私は、「カムイポンシリ」と呼びたい。アイヌ語で「響き合いの小さな場所」という意味である。

 私は先の講演で、「精霊万年」ということを述べた。すなわち、『 それぞれの地域には「歴史と伝統文化」がありますけれども、そういうものを生かす旅、それは・・・、どんな地域でも可能ですよね。比較的歴史の浅い北海道といえども、昔からアイヌがずっと住んでいるわけですから・・・。景観十年、景色百年、風土千年という言い方がありますね。実はそうではないんですよ。中沢新一さんに聞いたら、精霊というもの、すなわちスピリットが土地にはいる。精霊万年です。十年や百年や千年ではなく万年という単位でその地域というものを見ていかないと、いけないのではないか。やっぱり地質の世界に入ってくるんですけど、そういう地球ができて、その地域ができてからでもいいんですけど、そういうことをやっぱり、意識しながら・・・ですね、地域というものを見ていく必要があるのではないか。 ということで、「歴史と伝統文化」というときに、「歴史と伝統文化」はいつまで遡ればいいのでしょうか。縄文時代まで遡ればいいんですか? 石器時代まで遡ればいいんですか? どこまで遡ればいいのかわからんけど、「歴史と伝統文化」というときにその文化のずっとつながりはですね、私は少なくとも万年まで遡らなければならないのではないかと考えております。』・・・と。

 万年を語るにふさわしい本がある。稲田孝司の「遊動する旧石器人」(2001年12月、岩波書店)である。日本列島の後期旧石器時代、人びとはどのような動物をどのような方法で獲っていたのか。そのために使われた石器は、原石をどこから入手し、どのように製作したのか。豊富な図版と復元図をもとに、生活や社会のようすを具体的に示した好著である。特に、私は、北海道の細石刃文化の担い手が、東北地方へ、さらにはその南へと植民していった過程をダイナミックに描いたところに注目しており、私の「新しい旅」のガイドブックになるものと喜んでいる。北海道の細石刃文化の担い手とは、「湧別川の人びと」であり、私にふさわしいフィールドとして、今、「湧別川」を念頭においている。

 「湧別川」における私の実践活動は、果たしてどうなるか。地域の人びとに私の考えが受け入れてもらえるか・・・、そこが問題だが・・・。私は、「劇場湧別」に数多くの「カムイポンシリ」ができることを夢見ている。「地域通貨」が必要であろう。そのためにはリージョナルコンプレックスが不可欠である。また、21世紀型の観光というか私のいう「ビジター産業」を興すには新しい思想が必要で、私は、芸術人類学的な取り組みが必要だと考えている。むつかしい。新しい挑戦だ。どうなるかわからない。しかし、この流域は、「白滝の黒曜石」を擁し、「遊動する旧石器人」を語るにもっともふさわしいところである。遊動する旧石器人をおいながら、「精霊万年」を語るには「湧別」を出発点とするのがいいということだ。「白滝の黒曜石」や「湧別技法」についてはこれからおいおい語っていくとして、私の今の予感として、芸術人類学を語るにふさわしいところ、それが「劇場湧別」だということだけは言っておかなかればなるまい。

 ところで、さる4月7日(金)、東京日本財団ビルにおいて第8回国土政策フォーラムが開催された。『国土と地質と観光と』と題して・・・基調講演を私が行ったが、それは「ジオパーク」というものを充分意識してのものだ。それでは、「白滝の黒曜石」を語る前に、その報告をしておく。 ここをクリックして欲しい!

 なお、私の考えでは、「劇場流域」の情報の交換を中心とした全国ネットワーク組織が必要であり、「juuu-net」のNPO法人化について、この5月の連休中、幸野さんらと相談をしてきた。詳細は掲示板「自由の広場」を見ていただきたいが、私の意見は、「発言履歴32」に整理したのでそれを見ていただきたい。

 今、グーグルが、巨大な怪物に成長して、そのうちに情報社会を支配するのではないかと心配されている。しかし、それは反面、そういった市場経済とは対極にある贈与経済において、仲間でつくる手作りの検索エンジンが必要になってきているということであろう。「juuu-net」は、川づくりや地域づくりの仲間でつくる手作りの「検索エンジンと会議室」が目玉のひとつのプラットフォームである。分野ごとにいろいろなものができていいのではないか。巨大な怪物にこの情報社会が支配されてはたまらない。

 

 地域づくりは「劇場湧別」で実践活動を行なう。実践活動をやりながら、全国の過疎地域の過疎化に歯止めをかけるよう、私なりにいろいろと勉強をしていきたい。仲間はjuuu-netの仲間だ。河童は私がもっとも頼りにしている仲間のあだ名だが、私は、中沢新一のいう「芸術人類学」のシンボルにしたいとも考えている。私にとって大事なのは河童である。

 

さあ、いよいよ「古代社会源流」への旅立ちだ。

まずは、「武家社会源流の旅」がそうであったように、

まずは近くから・・・・。

そうしよう!そうしよう!