御子柴遺跡周辺の水環境

 

 

 

  さあ、それでは、南箕輪村の湧水を紹介するとしよう。唐木村長はじめ関係の方々に大変お世話になった。この場を借りて心から御礼を申し上げる。皆さん方も、表面的なものだけでなく、南箕輪村本来のすばらしい水環境を、是非、心眼でもって見てほしい。

 

  神子柴簡易水道水源は、

上伊那郡南箕輪村神子柴の    大清水川沿いの沢にあり、

水道水源となっているので、一般には入れない。

 

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半沢の湧水は、

上伊那郡南箕輪村田畑にある田畑神社北の

半沢川上流に湧水となって流れている。

 

ホタルの会によって保護活動が行われて夏にはホタルが多く見られる。

 

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不死清水(しんずらしみず)は、

上伊那郡南箕輪村南殿    「しんずらしみず」として村の伝説の残る湧水 である。

 

三州街道を通るたびに、この清水でのどを潤していた長者が、

臨終間際と思われたある日、清水を飲みたいと願った。

供の者が水くみに行き「主人はもう死んずら」と思いながら水をくんで帰ったところ、

まだ息があり、清水を飲んで元気になったという。

 

それからこの清水は「しんずら清水」と呼ばれ、

村人や旅人が長寿の水として親しまれるようになった・・・

と伝えられている。

 

 清らかな水を証明するように、この水を使って最近までワサビが栽培され、

昔はサケの稚魚を養殖したとの記録も残っている。

 

明治の初め、近代国会を目指す政府は、

新産業として養殖したサケの稚魚を川に放流する計画を立てた。

同村では一八七八(明治十一)年、

有志が養殖に関する要望書を県に提出した。

 水質調査をしたところ、清水の水は養殖に最適とされ、

七九年から四年間、

この水を使って養殖されたサケの稚魚が天竜川に放流された。

 

しかし、村人の願いはかなわず、

天竜川にサケが戻ることはなく、事業は失敗に終わってしまった、という。

 

 昔から不死清水に親しんできた山崎ことえさん(78)

「清水は昭和三十年ごろまで飲料水として使われていたが、

水道の普及で次第に飲まれなくなった」と話す。

 

しかし、いまでも冬には近所の人がお菜洗いに集まり、

夏には学校帰りの子どもたちがのどを潤す地域の憩いの場となっている。

 

 清水周辺は、道路改良に伴って公園へと整備された。

言い伝えにあるような昔の光景は見ることができなくなったが、

今でも「不死の水」を求めて、水をくみに来る人が絶えない。

 

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北殿湧水地は、上那郡南箕輪村北殿にある。

この付近は、昔から清澄な湧水が多く、中井沢川の源流となっている。

 

子どもの遊び場ともなっているが、

地元では、保全のため立ち入りしないよう呼びかけている。

 

     地元において立ち入り禁止をよびかけているが、

当面、やむ得ないのではないか。

 

それにして、実に良いところである。

水神さんもあるし・・・・・。

 

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塩ノ井湧水地は、上伊那郡南箕輪村塩ノ井にある。

 

少し前は、

信州「自然村」として観光資源として利用されていたが、

やはりお客さんが少ないということで、

 観光施設としては廃業状態となっている。

 

一部がわさび畑になっているものの誠に残念である。

 

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   このように、 御子柴及びその周辺は 、天竜川の豊富な河水のほかに、 河岸段丘における湧水の豊富なところであったらしい。

  現在は、 ほとんどは「水の聖性」というものを感じることができなくなっているが、心眼で見れば、往時の状態を見ることができるだろう。そして、どういう工夫をして「水の聖性」を表現するかがこれからの課題だ。

 

  今のシビルエンジニア(土木学者)はあまりシビルの匂いがしないかもしれないが、本来のシビルエンジニア(土木学者)に戻る萌芽はすでにでてきている。風土工学の誕生だ。

  私はかって、『 私の提唱する・・・・個性ある地域づくり、共生の思想にもとづく地域づくり、川童の棲む川づくり、巨木の町づくり、怨霊、鬼、妖怪の棲む町づくり・・・・これらはとりもなおさす風土工学の問題といったらよかろう。風土工学の新たな展開を心から願い、そして「杜のくに・・・日本」の幸せを願いつつ、明日のよろこびを夢見ることとしたい。』・・・と、元土木研究センター風土工学研究所所長の竹林征三さんの進める風土工学に期待を込めながら、若干、シビルエンジニアリング(土木学)に哲学の必要なことを書いたし、さらには中沢新一の「光と陰の哲学」による新技術論の必要性を書き、そういった・・・新技術論をどう展開するかという点にも触れておいた。

  私の言いたいことの要点は、『 地域づくりのNPO活動をやりながら、陰翳の技術、タマシイの技術、鎮魂の技術を含む「モノ的技術」、私に言わせればそれらは公共財ということになるが、そういう「タマ的技術」を含む「モノ的技術」を身近に感じることのできる「場」を作っていくことだ。そうすれば、世界の人びとは日本においてそれを体験し、自国にその種を植え付けることができる。それができれば、それが萌芽となって、世界レベルで「モノとの同盟」が行なわれていくのではなかろうか。それが可能となれば人類の新たな文明が始まる。 』・・・・ということであった。その後の勉強の成果を踏まえながら、今、このことを言い直すと、このような言い方・・・『 本来、土木工学は「場所づくり」のためにあるのであって、「場所」についての地理的な分析と哲学的な深い思考を前提として、地域の人びとに働きかけ、地理学的及び哲学的にすばらしい人びとを生成しくような・・・、そういう「場所」を作っていかなければならないのである。本来の「場所」を取り戻すこと、それは生成の「場所」を作ることであり、コーラ(chra)・「母」の復権を果たすことだ。 』・・・ということになる。

 

 

  そんなことを思いながら、かって、月見野遺跡は目黒川の周辺を歩いた。目黒川はすっかり下水路のようになって元の目黒川の「面影(おもかげ)」を見い出すことは難しいのだが、目黒川の上流はほとんどの区間が暗渠になっていて元の目黒川の存在すら判らなくなっている。「面影(おもかげ)」がなくなったということは、その場所に「面向き(おもむき)」がなくなったということであり、まことに残念なことである。「面影(おもかげ)」と「面向き(おもむき)」の問題は、哲学としてはコーラ(chra)・「母」の問題であり、いずれゆっくり勉強するとして、ここではとりあえず、以前にとりあげた・・・胞衣(えな)信仰を思い出しておいて欲しい。

 

 

  以上は、月見野遺跡を訪れた際に書いた文章であるが、御子柴遺跡の場合も同じようなことをつくづくと思う。水の神は死んだのか・・・・と。 皆さん、如何でしょう?  御子柴では水霊の発する声は聞こえますか?   十分聞こえるというのなら、結構、結構・・・・。だが、もうちょっと工夫があってもいいのではなかろうか。