[No11] 

日光の陰・礼讃 

 

 

 私は、前のホームページ「桃源雲情」で、徳一をおいながら、徳一と最澄との宗教論争を勉強した。もちろん私は、日本のアイデンティティーを「違いを認める文化」とする立場から、徳一の方に軍配をあげており、次のように述べた。

 『 徳一の歴史的価値はいうまでもなく最澄との「三一論争」にあり、私は、法相宗「唯識論」と相まってこの論争の重要性がもっと叫ばれて良いのではないかと考えている。源信の評価によって「三一論争」の最終決着が図られたとされているが、そんなことはない。「唯識論」の21世紀的発展と相まって「三一論争」の再評価がなされて然るべきではないかと思うのである。イスラム教原理主義やキリスト教原理主義は判りが良いかも知れないが、「平和の原理」としてはダメである。最澄や法然もこれ又然り・・・である。違いというものは認められなければならない。

 私の考えでは、かかる観点から、「三一論争」自体極めて高い歴史的価値を有しており、徳一研究は、「三一論争」にその重点が置かれて当然だと思うのだが、高橋富雄が指摘するように、仏教哲学と古代信仰の結びつき・・・・・、これはとりもなおさず徳一の目指した宗教改革だが、私には、これも又、極めて高い歴史的価値を有しているのではないかと思えてならない。』・・・と。

 しかし、最澄の歴史的価値を認めていないわけではもちろんない。徳一とのやり取りを見る限り、政治的には空海の方が一枚も二枚も上手で、最澄はちょっと真面目すぎるのではないかと思われる。空海からもぼろかすに言われて、ちょっと可哀想なぐらいだが、比叡山を天台密教の源源(げんげん)に仕立て上げていったその力量は驚異的なものがある。

 そして、その源源(げんげん)の流れの源(みなもと)近くに、慈覚大師(じかくだいし)こと円仁(えんにん)がいる。円仁の最大の功績は、私は、魔多羅神(まだらじん)を天台宗の「裏戸(うらど)の神」にしたことであると考えている。そして、私は、拙著「劇場国家にっぽん」のなかで『 わが国の古来の信仰、わが国の心、それは「野生の思考」ということなのか?「後戸」の神、マダラ神こそ、21世紀を暗示するもっとも大事な神のような気がしてならない。』・・・と述べた。

 ところで、光があれば陰がある。中沢新一のいう「モノとの同盟」は、まあ私に言わせれば「光と陰の哲学」である。今、東京でいちばん面白く光り輝いているのは「お台場」であるが、その陰である本当のお台場を紹介したことがある。同じように、日光東照宮は光り輝く表の日光である。ところが、実は、その裏に、本当の日光がある。それが日光・常行堂である。「常行堂を知らずして日光を語る事勿れ!」・・・である。

 さあ、それではいよいよ日光東照宮は常行堂へお詣りするときが来た。

 

 

 日光山境内はとにかく広い。どこに何があるかがよく判らない。東照宮(とうしょうぐう)を真ん中にして、東側には輪王寺(りんのうじ)と四本龍寺(しほんりゅうじ)跡が、西側には二荒山(ふたらさん)神社と大猷院(たいゆういん)がある。上の図は西側の図である。慈眼大師(じげんだいし)は天海(てんかい)上人のことだが、天海上人の墓所になっている慈眼堂が図の下側に見えるが、その慈眼堂と二荒山(ふたらさん)神社の間に常行堂がある。西側に隣接する法華堂と慈眼堂を二つ堂というが、ここを訪れる人は少ない。この二つ堂の裏の坂道を登っていくと慈眼堂に行く。是非訪れて欲しいところだ。

 

 

日光は常行堂の場所も判った!

では、いよいよ常行堂へお詣りしよう!

そうしよう!そうしよう!

 


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