拝啓 オバマ大統領 様
 
2009年5月22日 (金)
国土政策研究会会長
会長   岩井國臣
 
 
 私は、ここのところ一連のブログを書いてきました。
2009年5月 9日 (土)には・・・「ドンキホーテ」のように!
2009年5月13日 (水)には・・・「平和の論理」をどう語るか
2009年5月18日 (月)には・・・インディアン的なもの
 
2009年5月20日 (水)には・・・オバマ大統領への私の大いなる期待
 
というテーマで、それぞれ主として日本人向けに書いたものであります。
 
 
 そして今回は、これらの見解をふまえながら、やむにやまれない思から・・・・オバマ大統領に直接、私の考えをお伝えする次第であります。誠に失礼の段・・・お許しください。
 
 さて、私は先に、『 贈与に関する哲学的並びに実践的研究を世界的に進める必要があるのではないか。そして、そのことが「貨幣発行自由化論」の再検討と相まって、ネオ・リベラリズムの欠陥を埋めることになる。それをやる必要があるのは、ネオ・リベラリズムの本家であるアメリカであるし、またそれができるのも最初のアメリカ人の地域コミュニティを持つアメリカである。 これは、オバマ大統領への私の大いなる期待である。』・・・と述べましたが、要するに、私は、「現在のネオ・リベラリズムは、「貨幣」についての致命的な欠陥を二つ持っている」ということと・・・それを解決し得るのはオバマ大統領だということを日本人の皆さんに言いたかった訳であります。
 
 現在のネオ・リベラリズムは、「貨幣」についての致命的な欠陥を二つ持っております。ひとつは、言うまでもなく金融機関に対する厳しい監視態勢がないということであり、もうひとつは、地域コミュニティが崩壊してしまっているということであります。
 
 ところで、私は先に、私の「地域コミュニティ論」において、地域通貨に関する玉野井芳郎の考えを紹介しました。
 
すなわち、
『 一国の中に複数の通貨が流通するという形は、地域主義の考えから当然出てきますが、経済学者の中でもたとえばハイエクなどがすでに主張しているところです。通貨の発行を中央が独占しないで、いくつかの地域に分散させる。そして、その交換割合は各地域にそれぞれ決定させるというやり方は、理論的にもすでに何人かの人々によって提唱されている訳です。
 また、通貨をなるべく交換手段として使う、つまり貨幣の資金化をコントロールするということは、上から包括的に市場の一般理論として考えた場合には不可能に近い。地域市場と全国市場がフラットに結びついて一つの国民経済になっているような場合には、如何しても貨幣は利子を生む資本になってしまう。やはり、各地域の自立および地域内の経済循環が進展してくるにつれて、そういう問題の扱い方もはっきりしてくるのではないかと思います。(中略)
 通貨の地域内循環を拡大させていくということが、さきほどの通貨発行権の分散化と併せて重要な問題だと思いますね。』・・・と。
 
 なお、地域通貨につきましては、参議院議員時代に随分勉強して、「愛の通貨」というテーマでホームページに一連のページを書きました。
 
 
 これら私の主張そのものは極めて未熟だと思いますが、地域通貨の問題は地域コミュニティの再生を図る上で極めて重要な問題であるということはオバマ大統領も是非ご認識いただきたいと思います。私の尊敬する中沢新一とともに玉野井芳郎についても、オバマ大統領のご指示でオバマ政権につらなるどなたか適当な学者に勉強させていただけませんでしょうか。私がそのように言うのは、中沢新一と玉野井芳郎を勉強することが、アメリカが世界のリーダーとして引き続き発展していくために不可欠であり、アメリカの建国の精神「自由」がさらに発展していくために不可欠であると信ずるからであります。
 
 実は、オバマ政権に注目してもらいたい学者は、日本にはもう一人おります。見田宗介でございます。彼は著書「現代社会の理論」(1996年10月、岩波書店)のなかで、「最初のアメリカ人」のコミュニティは、もともと静かで美しく豊かであったが、近代化の流れのなかで崩壊し、現在彼らは新しく不幸になり、貧困になったと言っております。この根本原因は、貨幣の問題であるということのようであります。彼は、「貨幣からの疎外」ということと「貨幣への疎外」という言葉を使っていますが、要するに彼の言いたいことは、「自由」を守ることは基本的に大事であり、そのためには地域コミュニティの再生を図らなければならないということのようであります。
 アメリカにおいて、地域コミュニティの再生を図るべきは、必ずしも「最初のアメリカ人」に関わるコミュニティだけではないと思いますが、アメリカ建国の歴史を思うとき、オバマ政権は最優先で最初のアメリカ人のコミュニティの再生を図り、それをテコに政策の拡大を図っていくの良いのではないかと存じます。
 
 先の世界恐慌のとき、オーストリア・チロル地方の成功事例を目(ま)の当たりにして、アメリカの議会筋でもそれなりの動きがあったようでありますが、ルーズベルト大統領の反対もあって国レベルで地域通貨を実施するに至らなかったと聞いております。その辺の事情についてはオバマ政権でお調べになれば詳しく判るでしょう。
 
 今回の危機においては、言うまでもなくアメリカの財政危機は極めて深刻であり、「地域コミュニティの底力」に頼らざるを得ないのではないかと考える次第であります。オバマ大統領には アメリカの建国精神「自由」を守るために 全力で地域通貨の問題と取り組んで欲しい! それが私の切なるお願いであります。
 
 
                                     敬具




地域企業としての第6次産業(講演)
 
 
日 時:平成20年12月4日(木)  11:00~12:00
場 所:ひろしま(弘済会4階会議室)
出 席者:弘済会16名 温旧会30名
講 師:岩井 國臣
 
 
   皆さんこんにちは、今日はこうして私の為に話を聞いていただく機会を作っていただきまして、温旧会の皆さんあるいは弘済会の皆さん、関係の皆 さんにはお礼を申し上げたいと思います。国づくりと言いますか、地域づくりと言いますか、町づくりと言いますか、そういった問題については私が広島で局長 をさせていただいておりました頃からずうっと私なりに取り組んでまいりました。
ひょんな事から参議院議員を仰せつかって二期十二年務めさせて頂きましたけれど、その間も国づくり、地域づくり、町づくりが私のテーマでございまして、そ れなりに勉強をしてまいりました。昨年の7月に佐藤信秋君にバトンタッチをして、国土政策研究会という、組織そのものは小さいけれど、いろんな方々との人 脈とかつながりも深く、社団法人としては、わりにステイタスの高い団体の会長を仰せつかっております。一年少々経ちましたけれども、その間も、自分なりに これからの日本は、如何にあるべきか・・ということを考えてまいりました。
 
ご案内のとおりでありまして建設業は本当に大変な状況になってきております。
 
   私の立場を申し上げますと一つは国全体をどうするのかという問題があります。今、ご承知のようにどうしようもないような閉塞感に包まれてい る。全然希望が持てない。全般的に日本の経済社会は何をどうすればよいのか先行き全く不透明な状況です。地方でいいますと、東京とか大阪とか名古屋とか大 都市はまあ、それなりに元気なのですよ。ですが地方はさっぱり・・・・。特に、過疎地域といわれるところは、限界集落という言葉も生まれてきております が、大変な状況になっている。そういう状況の中で、過疎地域をどうすべきか。国全体の問題として考えねばなりません。世界的なグローバルな時代になってき ていますので、世界的な動きも見ながら国際的な視野でもって日本のあるべき姿というものを考えなくてはいけない。
   そういうことが一つございますが、もう一つ私の立場は建設業です。これは大変難しい問題ですが、私には建設業を何とかしなくてはならないとい う思いが大変強い。今日はそういう二つの立場で話をさせていただきます。全国的な立場というか、日本の国そのものをこれからどうすればいいのかということ もお話しさせて頂きますが、併せて建設業は新たなビジネスチャンスを見つけるということが非常に必要になってきているので、その話をしたい。
 
そこで、タイトルとして「地域企業としての第6次産業」を考えました。いろいろ私なりに考えてみて一つの結論がこれでございます。その話を皆様方に聞いて 頂いて、第6次産業というものをそれなりの関心を持って頂きたいと思います。必要があればテキストも配らせて頂きましたので、会社でもコピーをして頂い て、岩井國臣がこういう事を、話していたと会社の方にも情報として伝えて頂くような事があれば大変有難いと思っております。
 
さて、最初から大きな話になって恐縮ですが、閉塞感というのは日本の国だけではない。世界を見ますと、今度の世界的な不況と言いますか、サブプライム住宅 ローン問題に起因する大変な経済情勢になりました。日本の国だけではなくて世界各国が大変な状況に成ってきていると思います。アメリカではご承知のとおり オバマが新しい大統領になったということで、世界はどうなるのか、どう変わるのか・・・・。大統領選挙が終わりましてから、ずうっと見ているのですけど、 その辺の事を日本ではまだ誰も書いていません。オバマは大統領になって世界がこういうふうに変わる、動いていくのだ、変わっていくのだ、ということを誰も まだ書いてないですね。書けないのかな・・・・。まずその辺の話からしていきたいと思います。
 
オバマという人について私は二つの面で注目している。一つは私が地域づくりをずうっとやってきていますけど、その地域づくりですよ。英語でコミュニティー オルガナイザーと言うのだそうです。日本語で言うと地域社会活動家ということになるのでしょうかね。要は、地域づくりですよ。地域の問題、コミュニティー の問題、オバマは若い頃にそういうことをずうっとやってきた。市民活動の関係で弁護士もやられたということです。私なんかの立場からすると、コミュニ ティーの問題、地域の問題を若いときからずうっとやってこられたということで大変注目をしている。
もう一つは私の口癖みたいですけど、両頭截断(りょうとうせつだん)というのがあるのですね、二つの頭を切断する。禅の言葉ですけど、白か黒かというよう な・・・二項対立的に物を考えるのはダメということですね。善か悪かそういう風に考えるのは間違いであると・・・・、私もその様に思っています。これは私 の一つの基本的な物の考え方ですが、オバマはそういう考え方のようですね。あの人は民主党ですが、共和党か民主党か二大政党の立場を超えているのですね。 黒人ですよ。黒人は黒人ですけど白人としての物の考え方を持っている。白か黒かという問題も超えている。共和党か民主党かということも超えている。両方 あっていいのではないか。
皆さん方にもちょっと考えて貰いたいのは・・・善か悪かという問題です。善人でもない悪人でもない。悪人と言えば悪人だし善人といえば善人。物事というの はそういうものであるという風に思うのですね。市場原理、今グローバルな市場原理ですけど競争、競争の社会。それだけではいけないのであって、競争でない ものもある。そういうものの考え方というのは、非常に大事な事ではないかと・・・・私はそんな風に思っています。オバマはそうゆう基本的な哲学というか、 物の考えを持っておられる。そういう意味で私は今後相当世界が変わってくるだろうと思います。私は期待しています。
もちろん、アメリカの大統領ですからね。アメリカ人の一つの物の考え方とか性格とかがあります。オバマはアメリカ人として民主主義と自由主義に対しかなり 強い意識を持って居られるようです。私の見るところ、特に、自由経済・・・・。今、グローバルな競争、競争社会、市場原理、それはいかんということで保護 主義的な考え方もいろいろ言われてきている。しかし、私が見るところ、オバマが大統領になって基本的に世界における自由貿易、市場原理・・・、それを変え ることはないだろうと思っています。
今も、自由貿易、自由経済ですから・・・・農業は駄目なのですよ。林業も駄目なのです。このままいくと大変だ。難しい問題だ。しかし、日本は貿易立国です からね、よく考えねばならない。日本は保護主義に行くのか、そういう自由経済、市場原理の方に行くのか、その点を良く考えねばならない。この点、私は、先 ほど言ったように自由貿易か保護主義か、自由主義か保護主義か、そうゆう二項対立的な事ではいけないのではないか・・・と考えます。自由競争は自由競争で グローバルなものはある。かつ、それに対する別の経済、社会のシステムを作らないといけないのではないか。多様性社会ですよ。
 
私は過疎問題に重大な関心を持っています。リンゴも一部腐り始めると、すぐに全体が腐る様なことになります。同じように私は過疎地域がおかしくなると、日 本全体がおかしくなる。都市だけ発展すればいいというものではない。都市には都市で、色んな問題があります。しかし、私としては、やはり過疎地域・農山村 地域に重大な関心を持ちながら、何か・・・元気を出してやっていけるような事を考えないといけないのではないか・・・と必死になって考えています。
と言うことで・・・・「地域事業としての第6次産業」という、これは私が、今まで考えてきた結論だということでございます。
地域企業ということはあんまり聞いたことないと思います。地場産業というのではありません。地域企業というのは市町村とNPOと一緒になって力を合せなが ら地域のために尽くす、地域のために頑張る企業、というものを地域企業というのです。これから医療問題にしても教育問題にしても教育は学校に任せばいい、 そういうものではないと思う。地域ではないか。各家庭、各個人では出来ない介護の問題は、自分の家でなかなか難しい。地域で支えるということが大事だろ う。今までは国力ということを言ってきたが、今は国力の時代ではなくて、それぞれの地域が自立して行くようではないと日本全体の発展は無いのではないか。 私はそう思う。都会は、広島なんか元気な方ですよ。賑やかですよ。人はいっぱいいるし。だけど地方へ行くと、鳥取だとか松江もそうかも分からんけど、地方 へ行きますと県庁所在地ですらちょっと寂しい。シャッター通り、中心商店街がそういう状況になってきて元気が無いという風になっている。過疎地域はなおさ らです。そこで、これから地域でどうやって力を合せて地域の発展のため、やるかということでないと、日本全体が元気にならない。都市だけ元気になればい い。そんなものではないだろうということでございます。地域は、市町村とNPOと企業と三者が力を合わせて、地域のためにやるということであります。
 
6次産業というのは、皆さん初めてお聞きになる方もおられると思います。 今度の新しい国土形成計画の基本方針が閣議決定されました。元々三月くらい出すつもりが道路特定財源の問題もおかしくなって、ずれ込みまして六月に閣議決 定されましたけれども、新しい国土計画です。基本方針に基づきまして、今度、整備局が各知事さんだとか、財界の皆さんだとか、協議会をつくりまして整備局 が中心になって、ぞれぞれのブロックの計画を作って行く。そういう新しい法律制度になっている。その下になるのが新国土形成計画基本方針、閣議決定された 基本方針、その中に6次産業という言葉が出てくるのです。
元 々、農林水産省の人が言い出した言葉らしいが、1次産業と2次産業と3次産業を足したもの。企業で言いますと1次産業(農業、林業)もやります。食品加工 とか牛乳を加工したり、バターを作ったり、あるいはワインを作ったりすることもありますね。それは食品加工ですよ。食品加工というのは2次産業ですか ら・・・。また、建設業も2次産業。小水力発電なんかも2次産業です。国土交通副大臣の時、観光担当の副大臣をさせて頂きましたけれども、これから私は観 光だと思っています。観光はサービス産業です。ホテルをやったり、レストランをやったり、そういうサービス産業もやります。6次産業というのはそういうイ メージです。地域の中で市町村と一体となってNPOと一体となって地域の為に頑張ると・・・・。それがタイトルに書かして頂いた「地域企業として第6次産 業」です。それがこれからものすごく発展するのではないか、また、させなければいかないのではないかということでございます。
 
是非、建設業、公共事業を皆さん考えて見て下さい。自分の家でもお客さんが来られたら綺麗にするではないですか。お客さんを家に呼ぼうとしたら、それなり のことをしなければならない。外国人にどんどん日本に来て貰う。国内の観光もあります。国内観光も当然あるんですけど、海外からも観光客に来て貰うとなる と綺麗にしなければいけません。道路が汚い。まず電線は地中化しなければいけません。外国人にどんどん来て貰うということになると道路もネットワークも良 くしなければいけません。やるべき事はいっぱいある。これからは観光かな・・・という風なことを思っております。都市は都市だからやることはいっぱいある のですよ。しかし、都市は比較的まだ元気だから・・・・。一番の問題は過疎地域ですね。農山村地域に当面力を入れて、6次産業を展開する。農業もやり、林 業もやり、加工業もやり、小水力発電もやり、建設業もやり、サービス産業もやるという風な第6次産業というものを、過疎地域で展開していくべきではないか と考えています。
 
ところで、皆さん方に一寸考えて頂きたいのは過疎地域対策特別措置法に関して・・・です。過疎地域対策特別措置法というのが古くからあります。政府は何も しなかったのではありません。過疎地域対策特別措置法を作って、過疎地域に対しては随分手厚い施策を講じて参りました。過疎の問題というのは、中国地方で いえば特に山陰かも分かりませんけど、中国山地でいちばん最初に過疎が始まった。しかも、全国の中で、中国山地がいちばん激しく過疎が進んだと言われてい る。そういうことで・・・、私は、中国地方建設局長時代に、過疎問題に一生懸命取り組んだ訳ですけれど、今、言いましたように皆さんに考えて頂きたいの は、過疎地域対策特別措置法というのがあって、それにもとづいて政府は一生懸命力を入れてきたのもかかわらず、過疎化は止まっていない。それは何故かとい うことです。
建設省も、過疎、田舎の方だから放っておくということはしていません。河川行政も、道路行政も、まあどちらかというと都市に重点があったかも分からんけれ ども、田舎の方も手厚くそれなりにやってきております。過疎地域対策特別措置法もやってきた。ですが、過疎化の現象は止まっていません。現在、どんどん進 行しています。何故でしょうか、過疎地域対策特別措置法という特別の法律を作って手厚い対策をやりながら、何故過疎の現象が止まらないのか、歯止めがかか らないのかと・・・・。そこを私は一生懸命考えてきたわけです。
今、公共事業をやれば、過疎の問題が無くなると考えている人はいないと思いますけど・・・・。もちろん下支えで公共事業も必要なのです。やることはいっぱ いありますからね。しかし、公共事業をいくらやっても過疎は止まりません。何故、過疎が止まらないのかというところを、じっくり考えて貰いたいと思いま す。
 
私が一つヒントを申し上げましょう。実は、そういう統計は無いのですけど、例えば市町村なら市町村で考えますね。地域でいいのです。市町村に限定しないで いいのですけれど・・・。ある地域を考えます。ある地域を一つの国と考えます。一つの国と思って下さい。そして貿易収支を考えます。地域は貿易赤字なので すよ。ということは、地域だけでは食べていけないということです。基本的に・・・、地域に仕事がない、働き場所が無い。そこで、私は、貿易収支みたいなこ とを考えなくてはいけないと思います。
地産地消という言葉があります。あれはダメで、逆に言うべきです。地消地産。地産地消というのは・・・ですね、地域で作るのを地産、それを地域で使うとい うことなのです。それも必要ですが、私が一生懸命考えているのは逆です。地消地産です。地域で使うから地域で作れ。まずはエネルギーです。自動車のガソリ ンは日本で作れないから輸入ですよ。これは貿易赤字になるわけですよ。地域にとっては、地域で使うエネルギーは地域で作れと、地産地消というのは、地域で 作るから地域で消費しなさいということで・・・生産者の論理ですよ。私が言っている地消地産というのは、消費者の論理でそちらのほうがいい・・・。できる だけ地域が自立するような形に持っていかないと人口は減ります。6次産業は働き口を作らなければいけないわけですよ。農家は駄目です。もう後継者はいない ですよ。農業は壊滅状態になっています。農家を引き継ぐというのは大変難しい。特に若い人が、親もね、自分の娘、息子に農業を継がそうとは思っていない。 どんどん都会へ出て行きなさいみたいなところがあるではないですか。後継者が居ないのです。そこにお爺ちゃんお婆ちゃんが、残って農業をやっておられて も、それを引き継ぐ人がいない。
サラリーマンならどうでしょう。第6次産業があって企業があって、そこの社員で農業や林業をやるのはそれ程重荷ではない。家をそのままそっくり継ぐ、農業 を引き継ぐ事は、大変重荷になるようなのです。農業をやってみたいとか林業をやってみたいとか思う人がおりますよ。ごく数は少ないのですけれど、おられま す。しかし、農業も林業も後継ぎがおりません。私は、それを解決するのは6次産業だ・・・という事を実は言いたいのです。
 
第6次産業でとりあえずやるべきことは、私はエネルギーだと思います。技術開発が随分進んでいまして、これからは小水力発電です。大規模な発電事業は、既 に電力会社がやっていますから、やるところが少ない。ですけれども小水力発電というのは、発電量で10キロワットから1,000キロワットの間を小規模と いう。10キロワット以下をマイクロ水力という。1,000キロワットから上を中規模という。中規模も探せば、まだあると思いますが、小規模は結構あると 思う。私は何故小水力発電をやるべきだというと、つくる場所があるのだからつくればいいではないか、ということです。
問題はコストですね。今、皆さん方の家庭で電気を電力会社から買っていますよね。今、18円か19円くらいですよね。地域によって違うのが・・・・。工事 現場で工事用の電力を買えば12円か13円ですよね。小水力で良い場所を選ばなくてはなりません。水量と落差ですから場所を選びますけど、安い所では4〜 5円で出来る。長野県に大変熱心なヤマウラという企業があるのです。私は古い付き合いです。そこに長野県の企業局出身の優秀な技術者がおられる。発電事業 を長いこと企業局でやっていたプロみたいな人がおりますが、その人はできれば8円くらいでやりたいと言っています。国の経済産業省ですけどNEDO(新エ ネルギー・産業技術総合開発機構)の補助金が建設費の半分出るのです。ということで・・8円くらいで出来るのです。私は10円くらいでいいのではないかと 思います。工業電力12円よりも安く出来る訳です。場所を探せばいいのです。今度、環境省が何かそういう調査をやるようです。恐らく環境省は出先を持って いないから、補助金で市町村にやらすのだろうと思います。基本的に水利権は、市町村しか与えられません。一般企業は無理ですからね。中国電力、電力会社は 中小水力には手を出しませんから。小水力発電とかになると、結局、市町村が水利権を取ります。しかし市町村が発電事業を実施するについて金がない。PFI にならざるを得ないですけれども、やる場所がいっぱいあるのではないか。私はそういうところへ、乗り出して行けばいいのではないかと思っています。どの程 度あるか分かりませんけど。相当、数はあるはずです。日本は山国ですから。
 
そうすると今度は間伐材です。今はもう切り捨て間伐です。搬出しないのですよ。金が掛かるから。ほったらかしになっている。切り捨て間伐というのです。今 度、林野庁もそれではいかんということで、何かやるようですけど、どこまで出来ますか・・・・。要するに、間伐材で発電をする。間伐については、国からも のすごく補助が出ます。それに上乗せで県も補助が出ます。場合によれば、市町村も補助をしている所もあります。山林地主も少し負担があるのですけれど、そ の負担ができない。それで思うように間伐が進まない。思うように進まないけれど、それでも間伐はある程度できている。しかし、それを搬出して間伐材を利用 することはまったく出来ていません。
長崎総合科学大学の酒井先生が画期的な発明をされた。条件の良いところでトンあたり1万円の搬出費用を出し、その先生の方式で発電したらキロワット当たり 23円で出来ると先生は言っている。もし、搬出費用を除くと13〜14円で出来る。間伐の搬出をどうするか問題はありますけれど、間伐材で発電するのが良 い。小水力発電が安いとしますか。仮に10円でもいい。ソーラーとか風力発電は高いです。酒井先生の方式によるバイオ発電の方が安いと私は思います。問題 は搬出の費用でコストが掛かるので高くなる。23円掛かるといっている。その問題さえ解決すれば割に安くできる。今度、蓄電池がものすごい発明があった。 レドックスフローという電池がすごい。技術が発達しています。生協が11月から使い始めました。第一号が埼玉の方にあるのですが、今度見に行こうと思って います。夜間電力が安いですよね。夜間電力を蓄電して昼間使う。安くなる。どうもペイするらしい。生協が使い始めている。全国300カ所くらいと聞いてい る。実用段階になった。私は、小水力発電と間伐材発電と言って居るのですけれど、狙いは間伐材の発電です。酒井方式で蓄電池に小水力発電とプールすればい い。電気は色がついていないわけですから・・・・。平均コストが安くなる。私は小水力発電をやることによって、間伐材を酒井方式によって発電に使うことが 出来る。そうすると林業が随分助かる。仕事になります。
 
もう一つは炭です。今日お配りしたテキストの中に里山の復活と書いてありますけれど、これからは有機農業。過疎地域が厳しいグローバルな競争社会で、農業 が生き残っていくには高級な野菜を作らなければいけない。米もそうです。津和野の町長さんと対談したとき町長が言っていましたけれど、その米を台湾に持っ て行けば10倍で売れるそうです。中国は経済がとても発展しています。金持ちもいる。貧乏人もいる。そういう金を持っている人達は少々高くても旨まけりゃ 買う。しかも日本の食料品、米でも野菜でも安全なのですよ。健康的なのです。しかも旨い。そういうのは売れます。そういうことらしいですね。
炭も色んな種類がある。これも又、技術開発が進んでいる。普通の炭は燃料炭です。昔作った。これは500度600度で焼く。これは駄目です。そうではなく て700度・800度で焼きますと炭の質がガラッと変わってくる。
農地の土壌改良に使う。これからは農薬でなくて有機農業の時代かなと思っています。テキストに書いておきましたけれど、ミネラルだそうですよ。農業の作物 というのは、庭の植木もそうなのですけど、チッソ、リン、カリですよ。これが三大ミネラルと言われているのですけど。実際は、植物の生育に生き生きと元気 よく成長するには、17種類のミネラルが必要。それを化学薬品で、それを補給することは至難の業で出来ない。チッソ、リン、カリなら出来る。他にマンガン とか色々あるらしいですけど17種類うまく配合する事は、現実にやられていないし多分出来ないと言われている。里山に草があって木があって昔はそれが全部 堆肥にしたわけですよ。農薬を使わないで、全部堆肥、里山に生えている草とか木は生長している訳ですから。17種類のミネラルを、うまい具合に含んでいる わけです。ミネラルですから堆肥や炭にしても無くならない。変化しない、そういうミネラルをうまく使って行けば、米も良い米が作れるとか、野菜も高級野菜 がつくれるというような事らしい。私はこれから過疎地域において農業も発電も間伐材も里山も、大いに望みがある。十分仕事としてやっていける。
 
私のこのバッチ、観光です。観光・・・。オバマ大統領が、どのように世界を変えて行かれるか分かりませんが、アメリカという国は変わると思います。オバマ 大統領によってアメリカのイメージが変わると思います。貧困対策にも力を入れる事になっていくと思います。随分変わってくると思います。変わってくると思 いますが、基本的には自由貿易ということですから、市場原理は変わらないでしょう。ですから、各国、特に、発展途上国というのは大変ですね。アメリカや日 本などの力のある国は力のない国のことを考えねばならない。
そこで、皆さんにお聞きしますが、日本の歴史伝統文化の神髄というのは何でしょうか。日本の歴史伝統文化のなかで世界に誇れるものを、一口で言ったら、何 だと思いますか・・・・。私が観光担当副大臣の時に私的な懇談会を作ったのです。文化庁長官の河合隼雄さんの所へ行って委員になって頂きたい・・・とお願 いしました。副大臣の私的諮問機関です。懇談会ですよ。河合長官には快く委員になって貰った。これからは観光が大事だとおっしゃいました。文化庁も協力し ますよとおっしゃいました。だけど、事務レベルではあまり協力しそうもない。だけど河合長官は分かったとおっしゃった。岩井さんの言われることは分かった とおっしゃった。協力するということで委員になって貰った。その時、河合さんに日本の歴史伝統文化の神髄は何かと聞いたのです。どう言われるかと思った ら、神髄が無いのが神髄だと言われた。河合さんらしい言い方をされましたけど・・・。私はそうではない。違いを認める文化というものが日本にはある。別に 多神教が良いという意味ではないが、価値観の多様化、相手の立場になって物を考える・・・・、そういう文化が日本にはある。それを悪く言うと廻りの様子 ばっかり見て、自己主張が無いというような事になるのです。あいつは何を考えているのか、日本人は何を考えているのか分からん、というような事も・・・批 判と言えば批判かも知れません。だけど日本人というのは、いろんな人たちとのつながり、相手の立場に立って物事を考えるというか、違いという物を認めると いう文化がある。多神教が良いと言っているのでは無いけれど、まあ日本の宗教というのは多神教ですよね。何で無ければいけない、というわけでは無いのです よ。日本はね。やはりそうでないと・・・・。アメリカというのは一つの価値観でぱっと行くわけですよ。ブッシュもそうでしたね。そこはオバマになってどう 変わるのか、注目する点ではあるのですけど、私は、オバマはアメリカ人だからやはり日本人と違うと思っている。 広島は国際平和文化都市。毎年8月6日、 原爆慰霊祭をやっているわけですね。平和な国づくりに私らは邁進しなければならない。平和は、相手の立場になって物事を考える事ではないですか。それが日 本にはある。そうすると・・・外国から沢山日本に来てもらったら良い・・・ということになりますね。広島だけてはなく過疎地域にも来てもらったら良い。過 疎地域にも資源があるわけだから、観光資源としてこれから大いに開発していけば良い。どんどん日本に来て頂いて、日本の歴史伝統文化、日本人も一寸曖昧な ところがあるわけですけど、違いを認めるというのが日本人の心でありますから、その日本人の心に触れあっていただく。どんどん来てほしい訳ですよ。観光な のですよ。これからも世界の中で日本が国際貢献をするにはいろいろあると思います。しかし、まず、日本というものを海外の人たちに良く知って貰う必要があ る。それは観光ではないかと、そんなふうに実は思っている。
地域の立場で考えてみると、国際貢献だとか、平和がどうのこうのとかは、地域は関係ないかもしれませんが、ともかく観光が良い。地域の人たちは、要するに 元気であれば良いわけですから・・・これからは観光が良いのではありませんか。それぞれの地域の皆さんが、市町村レベルで一生懸命これからやろうとしてお られるのは観光ですよ。その場合、日本国内の都市だけでなくて、できれば海外からも来て貰いたい。私が言いたいのは、そういう事でございます。過疎地域に おけるこれからの一つのねらい目は観光だと思います。
 
ところで日本は貿易立国です。このことを十分意識して欲しい。日本の自給率の40%を割って、このままではいけないのではないかと言われていますね。保護 主義の考え方も出ているのです。今、そういう事を言う人も増えてきました。しかし、保護主義に陥ってはいけない。日本は貿易立国ですから。資源の無い国で すから。貿易でもうけている訳ですから。世界の中での日本の立ち振る舞いというものが大事です。おそらくオバマは、自由経済という基本的な物の考え方は、 変えないでしょう。保護主義的な要素を少し入れ込んでいくということは無いと思います。このグローバルな自由競争というか、厳しい自由競争というか、これ は変わらないと思います。
日本の場合、自由競争でいちばんガンなのは農業です。農業がネックになって、あまり自由貿易に旗をふれないという事情があります。日本全体は・・・。しか し、これから、もっともっと日本は自由貿易の旗を振って行かないといけないのではないか。世界的な視野に立って言えば、保護主義的な施策を講ずることは出 来ないのではないか。そうすると、農業は壊滅状態になってくる。林業もそうです。
今でも、過疎地域の農業は、とにかく耕作放棄地がいっぱいある。農業は壊滅状態になっている。林業も壊滅状態になっています。しかし、農業も林業も、それ が成り立っていけるような事を考えねばならない。そこが大問題ですね。冒頭で言いましたよね。白か黒か両方ある。自由貿易とそうでない面がある。そうゆう 仕組みを作らないといけないのではないか、ということです。
第6次産業の育成、それも前提がいくつかございまして、今日はあんまり詳しく話す時間がありませんが、地域通貨というのがある。テキストに書いております ので又後ほどご覧頂きたい。地域通貨、名前くらいお聞きになった事があると思います。経済でいうと、今は市場経済です。地域通貨は何経済かというと贈与経 済。贈与です。盆暮れの贈与です。バレンタインデーはチョコレイト・・・、これは贈与。
私の京都のお墓、妙心寺なのですよ。親父が死んだときにお墓を大きくした。鞍馬石でいいのを買ってきて作り直したのです。親父の喜びそうなお墓にした。と ころが値段が無いのです。何とか霊園は値段があります。坪数によって、値段がついています。妙心寺の中の大心院というお寺は値段を言わないので、お布施を する。お布施というのは贈与なのです。そうゆうのが現実にあるわけです。贈与経済というのです。市場経済の中に贈与経済の部分を一部でいいから入れていか ないとダメだと思います。ただ単に市場経済オンリーではダメ。厳しい競争、競争の・・・・弱肉強食みたいな経済システムだけではいけない。片方に市場経済 と違う部分を作らなければならない。
だからテキストには地域通貨という部分に力を入れて書かせて頂いた。地域通貨の哲学なども書いてございますが、地域通貨を流通させるには、一つ前提条件が あります。市町村とNPOの協力ですね。地域通貨は地域の中で何でも買えるというものでないとダメ。農村で使えなくてはダメですよ。今全国に、沢山、地域 通貨がありますが。農協がガンみたいです。農協の反対によって野菜をはじめとする農作物が買えないというのがほとんどです。だから地域通貨が流通しませ ん。地域においても国においてもそうですけど、農業が基本だと私は思います。私は、地域通貨で農産品、特に野菜が買えないとダメだと言っているのです。そ ういう農協との関係で難しいことがありますが、地域でまとまれば地域通貨は出来る。野菜などの農作物が買えるとなると、ボランティア活動に対しても地域通 貨が使える。この地域通貨だけの話で1時間くらい掛かりますので止めますが、のちほどテキストを読んで頂きたいと思います。そういう前提条件を置きながら 地域のために頑張る地域企業、第6次産業とその地域企業というものが、これからの一つのねらい目ではないかなと・・・、そんな風に思っています。そう簡単 に建設業から転身することは出来ないとは思いますが、一つ、これからの検討課題にして頂ければ、大変有難いと思っています。皆さん、これから会社の方に帰 られたら、テキストをコピーしてもらって関係者に岩井國臣がこんな事を話していたと言って頂ければ大変有難い。これで私の話は終わります。
(58:30)
 
 
【質 問①】
「建 設業とか地域を活性化するには6次産業が必要だと言っておられます。6次産業は具体的なものは、農業であるとか、水力発電であるとか、あるいは木炭をつく るとか、間伐材発電を利用するとか、というような事を岩井会長が考えられていますが、具体化する手順というか、その辺をどのようにイメージしておられるの か。」
 
   あんまりそこのとこは、皆さんと意見交換をさせて貰いながら、具体的にどうすればよいのか考えて見たいと思いますが、 私が思っているのは、小水力発電が場所さえあればすぐにでも出来るのですよ。小水力発電から始めるのが良いのではないかと思っている。小水力発電がうまく いけば、間伐材を利用しての発電もできて行くと・・・・それらは建設業で出来るわけですからね。次は、農業に乗り出す。空き農地がいっぱい有りますから、 耕作候補地がいっぱいありますから、その農地を借りて農業をやるのです。今、企業が農地を買うわけにいかないが貸して貰うことが出来るわけで、貸して貰っ て、そこで農業をする事はOKです。買って自分の好きなように農業やること、あるいは大規模に集約して農業をする事は出来ない。空き農地がいっぱい有りま すから・・・、それを借りて農業をやることはできる。それには労働力の問題がありますが、都会にワーキングプアとかネットカフェー難民とか労働力はあるこ とはある。外国人の労働力を活用せねばいかんという難しい話があるかも知れません。しかし、労働力の問題は何とかなるのではありませんか。
ということで、小水力発電とか出来る。間伐材の発電もそんなに難しい話ではない。そこから始めて手を広げていく。観光関係に力を入れていく。観光で言い忘 れましたけれど、戦後、高度成長、これはまあ臨海工業地帯、高度成長ですよ。その時は道路を中心とした産業基盤。40年代、生活環境の事を言い出した。下 水道とか随分伸びました。環境ですよ。環境も現在、だいぶん良くなってきた。それでこれからは観光かな。海外から来て貰うと、いうふうに思っている。まず は建設業として水力発電を手初めて少しずつ手を広げて行って、観光関係にも手を伸ばす。観光はインフラ整備必要ですから。道路もいる、トイレもいります、 駐車場もいります、あるいは水辺の環境整備もいりますよ。観光関係だったらやることいっぱいある。それは建設業がいいのではないですか。いきなり観光とい うわけにはいかないから、まず、小水力発電から始めるのが良いのかな。少しずつ手を広げるのが良いのかなと思っている。
 
 
【質 問②】
「以 前、農大の先生の話を聞いたことがあるんです。最近、農地の減反政策によって耕作面積が縮小している今、言われるように田圃が荒れて、休耕地周辺も水不足 で痩せており、それを元の耕作地に戻すには、8年から10年かけて手入れをしないと元の田圃には戻らないといわれている。気の長い話ですよね。」
 
  気の長い話かもしれないが少しでも早く手を打たないとほっとくだけではないですか。
 
「時 間が掛かると言うことと、担い手の問題がある。今から人口少なくなりますよね、担い手が少なくなる。なかなか旨くかみ合わないのではないかという感じがす る。そこら当たりをどう考えていけばよいのか。」
 
労 働力の働き手の問題ですか。それは・・・私は心配する事はないと思います。責任ある地域のつながりの中でよほど信用のおける人を立て、地域のつながりの中 で外国人労働力の活用をやればいい。一寸日本の入国管理がきつすぎるが、今の入国管理の制度の中でも出来ます。
 
「外 国の手を借りるのは今後、当然の流れとなって来るとして、日本人に変えて外国人を導入する事で、従来の日本の治安が犯され、変わった事件が既に起こってい る現状があります。」
 
   そこは、やりようではないでしょうか。地域のつながりの中でそうゆうことをやればいい。あえて信用できる人を立てればいい。それはやりようはあると思いま す。外国人労働力は駄目だという風に決めつけない方がいいと思います。
  つらつら考えてこれしかないと私は思う。他に考えがあったら教えてください。
そ れをやれば良いと思います。
 
 
 
山 の再生
目 次
 
平 成20年11月27日
国 土政策研究会
会 長 岩井國臣

 
山 が荒廃しています。これは由々しきことであります。
日 本人は,縄文時代はいうに及ばず,旧石器時代の太古の昔から山とは切っても切れない関係の中で生きてきました。そして山によって生かされてきた のであります。
山は,日本の風土の基本をなすものであります。それが荒廃するということは,日本の風土が壊れることであり,故郷(ふるさと)が喪失するということであ ります。それはとりもなおさず世界に誇りうる日本文化が消えていくということであって、日本が世界平和のために大いなる貢献をするなどということは夢のま た夢になってしまうのではないでしょうか。
し かし、今ならまだ間に合います。早急に国民的な議論を巻き起こして各方面にアッピールしていけば、都市側の人たちの理解も進むであろうし,新国 土形成 計画でいうところの第6次産業勃興のきっかけも生じてくるでありましょう。山がイキイキとしなければなりません。農山村がイキイキとしなければなりませ ん。故郷(ふるさと)を喪失させてはならないのであります。
故郷(ふるさと)を喪失するということは,上にも述べましたように,世界に誇りうる日本文化が消えていくということでありますが、さらに、佐伯啓思さん が言っておられるように,日本国民がニヒリズムに陥りかねないという問題も含んでおり、これはまさに国是に関する重大問題でもあります。そういう国是に関 する基本的な問題について侃々諤々の議論をしなければならないのではないでしょうか。
 
日 本の山を良くしたいという私の思いをとりあえずしたためました。これからいろんな人の意見を聞きながら,できるだけ多くの人のご賛同を得られるような文 章に改め,日本の山を良くするための国民運動を展開できるよう,私なりに旗を振っていきたいと思います。
そ して、もし関係の皆さんのご賛同が得られるようであれば,是非,毎年一回,「日本の山を良くする国民会議」なるものを開催したいと考えています。みなさ ま方のご指導,ご鞭撻をいただきたくよろしくお願いします。
つ きましては,下記の拙文をお読みいただき,いろいろとご意見を賜りますよう,お願い申し上げます。 問 い合わせ窓口はここです!

 
 
 




ジ オパークとは?
 
 
 
は じめに
 
 
私 は、今年の正月に書いたように、日本におけるジオパークというものを夢見て、現在、一生懸命になって旗を振っている。
 
し かし、ジオパークというものが具体的にどんなものかもう一つイメージが湧かないという声が多く、苦労しながらいろいろと説明をしているのだが、現段階 で、私なりの説明をしておきたい。少しでも多くの方にご理解をして欲しいと願うばかりである。
 
 
* ジオパークとは、地域の人々が自ら作る公園であり、観光を強く意識して官民が協力して地域全体を整備するものである。
 
* その場合のコンセプトは、ジオ(地球)であり、地域の共通感覚は、国内の他地域との繋がり、東アジアとの繋がり、アメリカとの繋がり、太平洋諸島との繋が り、世界との繋がり、さらには宇宙との繋がりを強く意識した・・・・ 地球的感覚である。
 
* それらの繋がりは、関係と言い換えてもいいが、地質学的見地、地理学的見地、生態系学的見地、歴史学的見地、文化的見地から学問的、専門的に検討される。 (注:地球学との関係は後日触れる。)
 
* したがって、ジオパークは、地質公園と呼んでもいいし、地理公園と呼んでもいいし、生態系公園と呼んでもいいし、歴史公園と呼んでもいいし、文化公園と呼 んでもいいが、それらを総称して地球公園と呼ぶこともできよう。
 
* そして、基本的に大事なことは、地理学者を始め専門家の力によって、その地域の観光資源、つまりその地域の光り輝くものとは何か、そのことが地域の人々に 十分理解されていなければならないことである。(注:地理学との関係は後日触れる。)
 
* その上で、地域の人々は、自らの地域に誇りを持ちながら、自らの知見と感覚によって、観光客のためのインフラ整備をする。
 
* 地域の人々が自ら活動するもっとも基本的なものは、ソフト面ではお祭りその他の芸術文化活動であり、ハード面では地域の環境整備と手作りの案内板やベンチ などの利便施設の整備である。
 
* 地質学的な説明などの地球学的な説明は、ジオパークのもっとも根幹をなすものであるにもかかわらず、きわめて難しいので、インストラクターの活動が不可欠 である。
 
* つまり、ジオパークは地域の人々が主役であり、インストラクターが脇役となる。民間企業と行政はそれらを支えるという役割分担となる。
 
* 民間企業は、博物館や宿泊施設などのサービス施設を整備するものとするが、その際、地域の光り輝くものが何か、その地域と他地域との繋がりはどうなってい るか、芸術的に実感できるよう工夫されていなければならない。実感できるということは、理屈でなく感覚的にとらまえることができるという意味である。
 
* 行政は、地域の人々と連携して、道路や河川の環境整備を行う。特に、遊歩道の整備に当たっては、地域の環境整備と手作りの案内板やベンチなどの利便施設の 整備が不可欠である。私はそういうインフラ整備が重要であると思う。
 
 
 
 
以 上は、5月21日のブログであるが、どうもこれではちょっと言い足りないところがあるような気がして、その後、少し私の思いを書いてみた。以下はそれで ある。まだ書き足りない気分であるが、いずれまた補足するとして、とりあえずこれまでのところを報告しておきたい。
 
 
 
 
 
 
 
 




 

第 6次産業の夢は大きい!

 
平 成20年11月25日
国土政策研究会会長
岩井國臣


  少し古くなって申し訳ないが、8年ほど前に、
風 土工学と「杜のくに・・・日本」と 題して小論文を書いたが、その際、『我 が国は世界有数の森林国である。第五次全国総合計画にうたわれているように、多自然居住地域、つまり森林に恵まれた水源地域というか過疎地域こそ国土づく りのフロンティアである。』・・・ と申し上げた。シビルエンジニアというか土木技術者、あるいは建設業は国土づくりのフロンティアに出て大いに活躍して欲しいと考えたからである。この考え は終始一貫変わっていない。私は過疎地域こそ国土づくりのフロンティアだと考えている。 今回のこの小論文は、当時の考えを点検の上大いにブラッシュアッ プをして、最新の考えとしてまとめたものである。
 
さ て、私は、最近(2008年)10月 15日のブログで次のように述べた。
「 行政とNPOとタイアップして,第 6次産業を中心に,山口二郎さんのいう第2のニューディールとして地域発電事業と地域農業の新たな展開を日本で始めるのだ。 行政とNPOとタイアップして,第6次産業を中心に,金子勝さんのいう制約のある中での景気刺激策を思い切って展開するのだ。第6次産業が行う地域発電事 業と地域農業が 今の危機を救うのだと思う。国の無策のため過疎地域の農林業は死にかかっている。ということはこれから第6次産業のやるべきことはいっぱいあるということ だ。第6次産業の力強い振興を図ることによって,欧州諸国に大幅な遅れを取っている・・・再生可能エネルギーの利用が一挙に進む。そして,食料の増産が図 れる筈だ。第6次産業は,今の日本を救う・・・将に救世主となろう。」・・・・・と。
 
 
ま た私は11月7日のブログで次のよう に述べた。
「 山が荒廃しています。これは由々し きことであります。
日 本人は,縄文時代はいうに及ばず,旧 石器時代の太古の昔から山とは切っても切れない関係の中で生きてきました。そして山によって生かされてきたのであります。
山 は,日本の風土の基本をなすものであ ります。それが荒廃するということは,日本の風土が壊れることであり,故郷(ふるさと)が喪失するということであります。それはとりもなおさず世界に誇り うる日本文化が消えていくということであって、日本が世界平和のために大いなる貢献をするなどということは夢のまた夢になってしまうのではないでしょう か。
し かし、今ならまだ間に合います。早急 に国民的な議論を巻き起こして各方面にアッピールしていけば、都市側の人たちの理解も進むであろうし,新国土形成計画でいうところの第6次産業勃興のきっ かけも生じてくるでありましょう。山がイキイキとしなければなりません。農山村がイキイキとしなければなりません。故郷(ふるさと)を喪失させてはならな いのであります。
故 郷(ふるさと)を喪失するということは,上にも述べましたように,世 界に誇りうる日本文化が消えていくとい うことであります が、さらに、佐伯啓思さんが言っておられるように,日本国民がニヒリズムに陥りかねないという問題も含んでおり、これはまさに国是に関する重大問題でもあ ります。そ ういう国是に関する基本的な問題について侃々諤々の議論をしなければならないのではないでしょうか。」・・・・ と。
 
 
私 は,どうしも第6次産業を興さなけれ ばならないと思う。 私は、過疎地域で、行政とNPOと企業が力を合わせて、農業や林業との繋がりをもちながら、地域のためにやる仕事が・・・・第6次産業だと定義している が、私の定義では第6次産業の担い手は企業である。ひとつの企業が農業や林業をやりながら出来るだけ何らかの加工業と観光業を営む・・・というイメージで ある。第1次産業でも良いし,第2次産業でも良いし,第3次産業でも良いから、ともかく行政とNPOとタイアップして,地域のためにやってほしいというこ とだ。
か かる観点から,私は11月9日のブロ グで次のように述べた。
「 私は、当面、過疎地域の市町村は、小 水力発電と取り組むべきであると考える。そして,それを起爆剤にして第6次産業の次なる展開を考えれば良い。第6次産業の次なる展開、それは先端技術を駆 使した間伐材利用促進である。先端技術を使って、最先端の製炭事業と最先端の発電事業を興すのである。
過 疎地域における第6次産業の夢は大きい。自然再生エネルギーを利用しての植物工場や養魚場をつくるという夢、そして外国人向けの新たな観光開発をすると いう夢が将にそこにある。過疎地域の将来は実に明るいのではないか。」・・・・と。
 
 
 
以 上のように,私は,私のブログで、第6次産業についていろいろと述べてきたが,最近,2006年ノーベル平和賞受賞者・・・ムハマド・ユヌスの「貧困の ない世界をつくる・・・ソーシャルビジネスと新しい資本主義」(2008年10月20日,早川書房)が出版され,今,それを読んで大変大きな示唆を受けて いる。ム ハマド・ユヌスのいうソーシャルビジネスを行なう企業とは,深刻な社会問題を解決するために設立するもので,金を儲けるための企業経営は行なうが,株主配 当は行なわない。儲けは経営拡大または新規事業に使う・・・そのような成長志向の企業である。
ム ハマド・ユヌスは上記著書の中で、「 世界には二種類の人間がいる。(中略)ひとつは最大限の利益を追求したいという人々であり,もうひとつは人間と地 球のために良いことをしたいと願う人々だ。」・・・と言っているが,私が今注目している森岡正博も同様なことを言っている。「どうして生命は,他の生命を 犠牲にしようとするのだろうか」「それにもかかわらずどうして生命は,他の生命や自然と調和したいと願うのだろうか」・・・・と(「生命観を問い直 す・・・エコロジーから脳死まで」、森岡正博、1994年、筑摩書房)。こういう疑問が森岡正博の「生命学」の出発点であり、共生の哲学を考えるときのい ちばん大事な点である。
 
共 生の哲学との関連でムハマド・ユヌスのいうソーシャルビジネスをどう考えればいいのか。私は,今まで,第6次産業を当然株主配当を行なうものとしてイ メージしてきた。行政とNPOと協力して事業を進めていくので,儲けのいくらかは故郷納税をしたり,NPOに寄付をすれば良いではないかと考えてきた。そ ういう第6次産業も当然あると思う。しかし、共生の哲学からは、ムハマド・ユヌスのいうソーシャルビジネスとして第6次産業を興す方がより良いのかもしれ ない。ここは大いに勉強しなければなるまい。
 
 
 
 

 


 
風 土工学と「杜のくに・・・日 本」

 

 

 
平 成12年1月12日
参議院議員 岩井國臣



我 が国は世界有数の森 林国である。第五次全国総合計画にうたわれているように、多自然居住地域、つまり森林に恵まれた水源地域というか過疎地域こそ国土 づくりのフロンティアである。

実は、その五全総の策定に当たり、私は、流域の持つ本質的な意義について私見を発表したことがある。流域の重要性、そしてマナイズムの重要性、森の思想 の重要性を言いたかったのである。
全 文はここをクリックし て ほしい。

昨年の9月、私達の「平成研究会」では、これから21世紀の我が国のあり方を議論し、考え方をまとめた。私はこれからのあるべき我が国の「国のかたち」 を議論する班に属すことができたので、そこで私は年来の考えを訴えた。
で、「杜の国・・・日本」ということになったが、そのくだりを紹介しておきたい。『・・・「杜のくに」・・・この「生き方」こそ近代進歩主義に代わる考え 方につながるのではないでしょうか。東洋のものでも西洋のものでもない我が国独自の国柄である「杜のくに」の思想と感性について、われわれは自分たちだけ のものとして大事にするのではなく、東洋の他の国や西洋諸国にも普遍的な価値として発信していってよいのではないでしょうか。・・・』

時代は物凄い勢いで流れている。激流だ。したがって、そういった時代の激流に制度がついていけないのは止むを得ない。そのために経済的社会的に大混乱が 生じるのも止むを得ない。現在の大混乱は、新しい世紀を生きるための産みの苦しみであり、単なる楽観は禁物であるにしても健全な意味での楽観主義でないと やっていけないのではないか。今述べたように、21世紀は日本の時代だと思う。私達は、明日の楽しみを夢みながら今の苦しみに耐えなければならない。よろ こびのうちに耐えるのだ。

土木計画学研究委員会発足30周年記念のシンポジウムが、1996年の10月、東京で開催された。土木計画学は高度成長期に生まれた比較的新しい学問体 系である。新しい学問だけに大変遅れていると思う。シンポジウムにおいても、飯田恭敬土木計画学研究委員会委員長が土木計画学の地域の特異性などに対応で きていない問題点などを指摘されていたようだが、私も全く同感なのである。
土木計画学は地域づくりにほとんど役に立っていない。シンポジウムでは、さらに大石久和さん(当時の建設省大臣官房技術審議官)からは、「・・・・哲学が 欠けている。」との極めて厳しい指摘があった。その他いろいろと貴重な意見が述べられたが、この場では触れない。ここでは土木計画学の遅れている問題を鋭 く指摘しておけばそれで十分だ。

さて、土木技術はもっとも古い歴史をもつ技術といわれる。淮南子(えなんじ)という紀元前の中国の本があり、「築土構木」という言葉が出てくる。著者 は、人々が安心して暮らせるように築土構木を為すのは聖人であると言っている。土木技術の本質を言い当てていて大変おもしろい。なお、この文が出てくるの は、淮南子(えなんじ)の中の巻13であり「氾論訓」という解題がついているのだが、これは、「世のさまざまのことがらについて、ひろく古今にわたって得 失の理を論じ、道によって教化し、大いに一なる真理を悟らせる・・・そういったことが今求められている。それゆえに、今、私は、ここに、氾く(ひろく)論 ずるのである。」という意味であり、私は、これまた土木技術の本質を考えるに重大な示唆を与えているのではないかと思う。

平和を語るには、どうしても怨霊とか鬼或いは妖怪について語らなければならないようだ。小松和彦さんがその著書
「憑 霊(ひょうれい)信仰論」で 言ってお られるように、問題は、怨霊、鬼、妖怪とは何かと問うことではない。そうではなくて、そういった怨霊、鬼、妖怪のずっと背後にどういう真理があるのかとい うことこそが問題の核心なのである。

原爆ドームが私達の庁舎であったこともあって、私は、平和について語らなければならないし、「国際平和文化都市−ひろしま」について語らなければならな い。また、私は、地域づくりを専門にしている以上、平和の原理をふまえた「地域づくり」について語らなければならない。そのためには、どうしても、怨霊、 鬼、或いは妖怪のずっと背後にどういう真理がかくされているのか、その辺について深く探らなければならない。

中村雄二郎さんは、「デジタル社会の軽快さに流さずに、意味と存在の希薄化に対抗し、抵抗する強力なパトス<情熱>を大人は勿論のこと子供たちもひびの 生活の中で鍛え上げることである。それは、他人を蔑ろにする粗暴な力ではなくて、他人の痛みを感じ、開かれた感受性にもとづくような能力である。」とおっ しゃっているが、私も、魔物、奇怪な何ものかに操られないよう、子供のうちから、日々の生活中で、それらに抵抗する強力なパトス<情熱>を身につけていか なければならないのだと思う。そのための生活環境・・・生活空間が必要だ。そのための町づくり、地域づくりが必要なのだと思う。怨
霊、鬼、或いは妖怪たちの動きを鎮めなければならない。それらと向かい合わなければならない。そして、彼等と自分・・・さらには世の平和・・・安寧という ものを祈らなければならない。そのための知的なポトス<場所>が必要なのだ!

また、梅原猛さんは、「人間が生きていくということはどういうことなのか、それは植物も動物もみな同じ命であって、すべてのものはあの世とこの世を循環 しつつ、永遠に共生しているのだということを認識しなければならないと思います。そういう思想が人類に浸透したときに、人類は生き残る可能性がでてくるの だと思います。巨木の問題は文明の根底に関する問題であり、そして巨木を中心とする街づくりは、21世紀を正視する街づくりでなければならないと私は思い ます。」・・・・このように言っておられるが、こういうおおよそ工学の対象にはなりそうもない事柄についても土木計画学は問題にしなけれ
ばならない。土木計画学は梅原猛さんや中村雄二郎さんや小松和彦さんとの接点をもてるのだろうか。そうでないと明日の土木はない。土木の原点の原点に帰 れ!淮南子(えなんじ)「氾論訓」に帰れ!

土木研究センター風土工学研究所所長の竹林征三さんの卓越した識見と精力的な努力によって、「風土工学」という新しい工学ジャンルが創造された、この理 論を適用することによりこれからの地域づくりに大きく寄与することが期待されている。私の提唱す・・個性ある地域づくり、共生の思想にもとづく地域づく り、河童の棲む川づくり、巨木の町づくり、怨霊、鬼、妖怪の棲む町づくり・・・これらはとりもなおさず風土工学の課題といったらよかろう。風土工学の新た な展開を心から願い、そして「杜のくに・・・日本」の幸せを願いつつ、明日のよろこびを夢見ることとしたい

 






 
地 域通貨の哲学
 
2008 年8月23日
国 土政策研究会
会 長 岩井國臣
 
地 域通貨は,閉塞感に満ちた今の世の中 を打開する起爆剤になるかもしれない。私はそんな感じを持っていて,わが国でも何とか地域通貨を根付かせたいと考えている。
「エ ンデの遺言」のあと,雨後のタケノ コのように全国各地で地域通貨が誕生したが,私の知る限り,成功例は一つもない。どれもこれもお遊びみたいなもので,通貨としての機能がない。通貨と言う からには,日常消費するものがある程度買えないといけないのではないか。日常消費するもっとも代表的なものは野菜だが,野菜が変えないような地域通貨はダ メだと思う。農業のバックアップが必要なのだが,それが難しいらしい。
経 済には、市場経済と贈与経済がある。 市場経済があまりにも強すぎて,現在,贈与経済がかすんでいる。しかし、贈与経済については,現在も宗教活動などが行われているし,今後,各種ボランティ ア活動を増やしていかなければならない。 ボランティア活動の活性化方策,それが今わが国におけるいちばんの問題だが、多くの人が都市に住んでいるので,やはり,日本全体のことを考えると,都市住 民が望むボランティア活動というものが大事である。となると,都市住民の希望というものを考えね ばならない。今,わが国において,都市住民は何を望んでいるか? それが問題だが,私は,経済的な側面というより,むしろ森岡正博のいう「生命的な欲望」 に光を当て,できるだけ多くの人がイキイキと暮らしていけるように,そのための「場」、 今ここでは宗教活動の場はちょっと横において,「 都市におけるボランティア活動の場」というものをおおいに創っていかなければならないというのが私の考えだ。都市におけるボランティア活動を如何に活性化 させていくか、そのことを考えねばならない。そのためには,ボランティア活動を支える,地域通貨の哲学的な意味合いをはっきりさせなければならない。地域 通貨の哲学である。
地 域通貨はさまざまなボランティア活動 の経済インフラである。その哲学的な意味合いが多くの人に理解され支持されれば,いろいろなボランティア活動が活性化し,「贈与の連鎖」が起って、イキイ キとした世の中になるんではなかろうか。私はそういう期待を持っているのである。
 
今 までも地域通貨については、いろいろ と書いてきた。しかし,そのほとんどは,経済的な観点からのもであった。すなわち、現在のように市場経済だけでは格差は拡大する一方であり,それを緩和す るために,なんとか贈与経済の部分を入れ込んで・・・・混合経済の状況を作り出さないといけないのではないかというのがその主な論点であった。
今 回ここでは,そういう経済的な側面で なく,哲学的な側面から地域通貨の問題を論じたいと思う。
と ころで、欲望については、森岡正博の 「無痛文明論」(2003年10月,トランスビュー)の分類に従って考えるのが哲学的には良いようだ。彼は,欲望を「身体的な欲望」と「生命的な欲望」に 分けているのだが,「身体的な欲望」はどちらかといえば先天的な欲求,「生命的な欲望」はどちらかといえば後天的な欲と理解していいかもしれない。マズ ローの欲求五段階説または欲求7段階説というのがあるが、それらの説では,欲求と欲望の区別がしていないので,哲学的な論考がやりにくいように思われる。 私の理解では,欲求とは先天的な欲のことで、欲望とはそれに後天的な欲が加わったものである。「生命的な欲望」には,先天的な欲のほか後天的な欲がある が,その境目のところで,先天的な欲が後天的な欲に変化する場合がある。「生命的な欲望」というのは大変微妙なもののようだ。
仏 教の教えでは108の煩悩があるとい うが、たしかに人間の 欲望には切りがないようだ。それに対抗するのが森岡正博のいう「生命の欲望」だ。
「生 命の欲望」に「補食の欲望」という のがある。森岡正博の説明は以下の通りである。すなわち、
『 自分が成功したり,何かを手に入れ るためだったら,他人を踏み台にしてもかまわないと思ってしまう本性が,人間にはある。私はこれを「自己利益の本性」と呼んできたが(拙著<引き裂かれた 生命>2001年)、この本性を支えているものが「身体の欲望」である。中略。それは,他人が持っているエネルギーや養分や願いのようなものを,この私が 吸い取って、私の一部分にしたいという衝動である。ちょうど、おいしそうな動物を捕まえてきて,料理し,それを食べようとするときの、ぞくぞくするような 興奮と充実感のようなものを、われわれは、他人が犠牲になるときに,味わっているのではなかろうか。』・・・・と。
『私 は思うのだが,この根深い「補食の衝 動」のエネルギーを利用して,「身体の欲望」を「生命の欲望」へと転轍することができないだろうか。「補食の衝動」は,他の人間や生命体から,エネルギー や栄養分や願いを奪い取ってきて,自分の中に取り込んで,自分の一部にしたいというものである。このときに、相手を犠牲にするようなかたちでその補食をす ると,それは「身体の欲望」の満足へと繋がっていくのであるが,そうではなくて,あいてもまた承諾するかたちでこの補食を行った場合にはどうなるのか、と いうことだ。』・・・・・と。
私 は,森岡正博のいう「補食の欲望」と いうものに着目することとしたい。といっても,問題の焦点は「補食の欲望」を「生命の欲望」に転轍するということであって、その可能性を考えてみたいとい う程度のことだ。
ま ず,拠り所になるのは,モースの贈与 論(1962年6月初版,2008年6月新装版、勁草書房)である。 モースの贈与論 (新装版のp43〜44)を読めば良く理解できるかと思うが,贈与には心がこもっているということだ。心・・・・,それは、贈り手の霊的実在の一部である が、それが贈与物の霊的実在と一緒になって受け手に手渡されるということらしい。贈与物の霊的実在は,モースの贈与論ではマオリ族の「ハウ」として説明さ れているが,わが国の伝統文化に照らしていえば,中沢新一のいう「タマ」のことである。以下において,説明の都合上,私は,人の霊的実在を魂(タマシイ) と呼び,物の霊的実在を「タマ」と呼ぶことにする。贈り手の魂は贈与物の「タマ」を引き連れて受け手の魂のところに行くのだ・・・・と考えれば理解しやす いのではないか。私はそのように理解している。
受 け手は、贈られてきたものをさっさと 使用すると同時にお返しをしないと、贈り手の魂や贈与物の「タマ」は受け手に祟ることになるらしい。これもモースの贈与論にはここまで書いてないが,私は そう考えている。祟りは恐ろしい。下手をすると死ぬことだってあるのだ。したがって、贈与という行為には「死の観念」が内在している。「死の観念」・・・ それが肝心なところである。
贈 与に「死の観念」が内在しているとい うことは,仏の送り手と受け手の間にと魂と「タマ」が介在するのだと考えを進めていけば,貨幣にも「死の観念」が内在しているということが判るだろう。今 村仁司がその著書「貨幣とは何だろうか」(ちくま新書、1994年9月,筑摩書房)の中で述べているが,「死の観念」は,一方で墓をつくるように,他方で 貨幣をつくるのだそうだ。貨幣とはそういう種類の存在らしい。
だ から,貨幣はさっさと使用しなければ ならないのだ。貯蓄するなどとんでもない。死ぬようなことはなくとも碌なことはない筈だ。江戸っ子のように宵越しの金は持たない方が良い。貯蓄して利子が 利子をよぶなんてことはとんでもないことだ。貨幣を長く持てば,今とは逆に,マイナスの利子がつくぐらいの方が健全なのである。せめて利子はつかないよう にしなければならない。それが地域通貨だ。
地 域通貨は,魂のこもった貨幣であり、 売り手の魂に作用し,売り手をある種の心理的な束縛下に陥らせる。買い手としては,売り手の魂に働きかけ,「補食の欲望」を満足させるという訳だ。売り手 は,その貨幣を長く持っているとやばいので、さっさとその貨幣を使い切る。さっさと「補食の欲望」を満足させるという訳だ。このようにして,「補食の連 鎖」が起こっていくのではないか。私の考えでは,地域通貨という貨幣、それは「死の観念」を内在しているのだが,そういうものを介在させることによって, 「補食の連鎖」が起こっていく。その連鎖は,「生命の欲望」に転轍されており、社会的意義の高い誠に好ましい連鎖である。
 
貨 幣というものは特別の価値のあるもの である。何とでも交換できるから、金と同じといって良いし,宝物といっても良い。したがって,貨幣を使うということは,本来,贈与なのである。贈与の本質 は相手の魂を奪うことであるから,贈与は「補食の欲望」にもとずく行為といっても良い。しかし,贈与を受けた方は,占めたと喜んでいる訳だし,さっさと貨 幣を使ってしまう限り,死の恐怖などはまったくない。それどころか,今度は自分でさっさと貨幣を使う(すなわち贈与を行う)という「補食の欲望」を満足さ せることができる。ここに「補食の欲望」という「身体の欲望」が「生命の欲望」に転轍されている。かくして、「補食の連鎖」は「生命の連鎖」に転轍される のである。
森 岡正博によれば(「無痛文明論」 2003年10月,トランスビュー)、「生命の欲望」には,「補食の欲望」の転轍されたもののほか,「開花の欲望」と「宇宙回帰の欲望」というのがある。 前者は禅でいうところの「放下著(ほうげじゃく)」ということ,後者は明恵の「あるべきようは」ということだと思うが,両者とも禅の極意を極めた人とか修 験の厳しい修練を極めた人とか,まあ特別の人でないとなかなかできないことである。したがって,現在のような社会,すなわち森岡正博のいう無痛文明や佐伯 啓思のいうニヒリズムから脱却するには,私たち一般人ができることは,「補食の欲望」の転轍しかない。今の世の中を良くするために,一部で良いからどうし ても地域通貨を導入しなければならないのである。
 
  森岡正博によれば、共生思 想が成熟するということは「身体の欲望」に「生命の欲望」が勝(まさ)るということである。そして,上述のように,地域通貨は「身体の欲望」を「生命の欲 望」に転轍させることであるから,共生思想を成熟させるためには, 地域通貨によってボランティア活動を活性化させなければならないということになる。これからの日本が共生思想で生きていこうとするのであれば,これからの 日本はどうしても地域通貨によってボランティア活動の成熟を図らなければならない・・・ということになる。
私 は,ボランティア活動の成熟なくして 共生思想の成熟はないし,共生思想の成熟なくして高齢者の住み良い町づくりなどできる訳がないと思う。富士の山も一歩からというが,「共生社会,コミュニ ケーション社会,ネットワーク社会」という人類の大きな目標に向かって,私たちはまずはボランティア活動から始めなければならないのではないか。,
 



 


何 故, 小瀬が沢・室谷洞窟が地理的な要衝なのか?
 
 

私は先に,次のように申し上げた。すなわ ち、『 小瀬が沢洞窟と室谷洞窟は,特別の技術集団の工房であった可能性が高く,それが故に,北海道産の黒曜石や神津島の黒曜石がそこに運ばれてきたらし い。
さ て,問題は,その場所が特別の技術集 団 の工房に選ばれたかということである。「縄 文文化の起源を探る・小瀬が沢・室谷洞窟」(小熊博史、2007年5月、新泉社)では,その理由として,その場所が地理的な要衝だからと言っている。私も そう思う。しかし,何故そこが地理的な要衝なのかについては,小熊博史の説明では腑に落ちないところがある。そこで、黒 曜石7不思議の七つ目の不思議は, 「何 故,小 瀬が沢・室谷洞窟が地理的な要衝なのか?」という不思議にしよう。
そ して、この不思議については,小 熊博史の説明では腑に落ちないということも含めて,現 地に赴き,現地を見ながらいろいろと 考え てみることとしたい。』・・・・と。
 
旧 石器時代に湧別技法が日本列島を席巻するが,人々の往来は私たちの想像以上に盛んであったらしい。そういう状況の中で,会津は交通の要衝であったと私は 睨んでいる。私は,会津を通らないと日本列島を行き来することは困難であったと考えており、どこか只見川の源流を通ったに違いないと考えている。遊動の時 代,徒歩で川を渡らねばならず,大きな川が交通の障害であった筈で,只見川や阿賀野川を中下流部で渡ることは困難であったのではないか。
そ こで、「何故,小 瀬が沢・室谷洞窟が地理的な要衝なのか?」という不思議に答えるためには,常 浪川(とこなみがわ)のこと、会越国 境の山のことを知らねばならぬと思いながら、新津から磐越西線に乗り換えて,現地に赴いた。
新 津が磐越西線の起点であること,
阿 賀野川下流の町であることを実感してほしい。
 
 
会 越国境の山々の主峰は御神楽山であるが,その南に狢が森山という山がある。その狢が森山と御神楽山の間に峠があり,乗越し林道が走っている。阿賀町室谷 すなわち 常浪川(とこなみがわ) 流域から只見川流域は金山町に抜ける林道である。正式名は津川林道室谷線という。今回この林道を少し走って,周辺の様子を見たが,周辺の山は岩山が多く, 古代,徒歩でこの峠を越えることはむつかしかったのではないかとの印象を持った。
 
仮 にそれができても金山町から只見川の右岸 を源流までいくのは大変困難であろう。また、 国土地理院の2万5千分の一の地図を見た上での判断だが,常浪川(とこなみがわ) は廊下が多く,ザイルなしでこの沢を溯行することは困難との印象を持った。
以 上は私の印象であり直感である。本当 のところは地元の漁師にきてみないと判らないが,古代の人が 常浪川(とこなみがわ)の流域の山々の内適当なところを狩り場にしていたとしても、常浪川(とこなみがわ)の流域の沢筋又は尾根筋を交通に使ったとは ちょっと考えにくいのではないか。だとすれば、「何故,小 瀬が 沢・室谷洞窟が地理的な要衝なのか?」という疑問がますます強まってくる。
 
 
上 述したように,日本海側と会津を結ぶ 交通路は,旧石器時代,只見川の源流を通った。集落がないために,渡し船の利用ができなかったからである。しかし,室谷洞窟や小瀬が沢洞窟が特別な技術集 団による工房として使われた時代,只見川や阿賀野川が丸木舟で渡れたとしたらどうであろうか。俄然,津川という「場所」が地理的な要衝として浮かび上がっ てくる。近世,津川は会津と越後を結ぶ要衝・川港として栄えるが,私は,上記のようなことを感じながら,室谷洞窟や小瀬が沢洞窟が特別な技術集団による工 房として使われた時代において,すでに只見川や阿賀野川が丸木舟で渡れたのではないかと思うようになった。
次 に,ページを改め,室谷洞窟や小瀬が 沢洞窟が特別な技術集団による工房として使われた時代において,すでに只見川や阿賀野川が丸木舟で渡れるようになっていたのかどうか,その点を考えてみた いと思うが,その前に,津川という「場所」を紹介しておきたい。
 
ま ずは、津川の郷土資料館を見学しよう。
 
次 に,狐の館を訪れよう!
 
 
狐 の行列は住吉神社から出発する。
住 吉神社の神は言わずと知れた舟運の神である。
津 川という「場所」が川港の町であることを実感して欲しい。
 
 
で は,いよいよ核心部分に入っていこう!
 
室 谷洞窟や小瀬が沢洞窟が特別な技術集団による
工 房として使われた時代において,
す でに只見川や阿賀野川が丸木舟で渡れたかどうか、
そ の点について考えてみたい。
 
 
 
 






黒 曜石の七不思議
 
2008 年7月23日
国 土政策研究会会長
岩 井國臣
 
 
白 滝における黒曜石の加工技術・湧別技法は驚くべき技術である。私はそのことを十分意識しながら,黒曜石を中心に旧石器文化の勉強をする必要性に気づき, 昨年までいろいろと考古学的な勉強を重ねてきた。そしてそのときに感じた不思議を「黒曜石七不思議」として呼んで、素人なりに自分なりの考えを述べてき た。六つまで書いたが,七つ目がまだ残っている。実は,この七つ目の不思議は,縄文文化誕生の謎とも関連し,極めて重大な意味を持つ問題提起かと思われ る。昨年の作業から何もしないまましばらく時間が経過したが,縄文文化をひもときながら私の文明論を展開する・・・・そういう心の準備もできたので,いよ いよ七つ目の不思議に挑戦したいと思う。
た だし,その前に,黒曜石の七不思議について今までの記事を振り返っておきたい。今までの記事は以下の通りである。
 
第 1の不思議は「 武蔵野台地に大量に持ち込まれた黒曜石が伊豆・箱根、伊豆諸島の神津島、栃木県高原山でなく、なぜ八ヶ岳のものなのか? 」で あった。この不思議ついて考えながら学んだことは, 富士眉月弧(ふじびげつこ)文化圏というものの存在の大きさである。
 
第 2の不思議は「神 津島には、いつごろ、どういう人が、何のために渡ったのか?」で あった。この不思議について考えながら学んだことは,黒潮文化のすごさである。日本はやはり海洋国家であることをやはりしっかりと意識すべきだと思った。
 
第 3の不思議は「 神津島の黒曜石は3万年ほど前から盛んに採掘されるようになったにもかかわらず, 熱海大越遺跡からは、なぜ2万年前の黒曜石しかでないのか?」で あった。この不思議について考えながら学んだことは,日本の歴史において熱海の持つジオ的な重要性である。
 
第 4の不思議は「神 子柴で出土した黒曜石の尖頭器はいつ頃どこの誰が開発したのか?」であった。この不思議について考えながら学んだことは,もちろん御子柴文化の持つ歴史的 な価値であるが,同時に,旧石器人の移動というものが私たちが考えるより遥かに広範囲であるということである。
こ れを言い直して「 野辺山には近くに八ヶ岳の黒曜石があるのになぜ神津島の黒曜石が運び込まれ、しかもその野辺山で、神子柴で出土したあのようななまさに芸術品とでもいうべ き尖頭器がつくられるようになったのか?」で あった。この不思議について考えながら学んだことは,新しい文化というものはやはり異質の文化のぶつかり合いのなかから生まれでてくるのだということであ る。
 
第 5の不思議は「湧 別技法集団は北海道から日本列島のどこを通って南下していったか」出 会った。この不思議を考えながら学んだことは,旧石器時代の道についてである。旧石器時代の道について私なりの考えができたと思っている。
 
第 6の不思議は「「何 故、あそこに御子柴遺跡のようなすばらしい遺跡があるの?御子柴は聖地か?」で あった。この不思議を考えながら学んだことは,聖地ということについてである。やはり聖地というものは,山と川そして水が関係するのではないかと思った。
 
 
 
さ て、これから黒曜石七不思議の最後の不思議に挑戦するのだが,縄文時代の勉強を少し初めて,今, 疑問に思うのは,小瀬が沢遺跡と室谷遺跡のことであ る。最古の縄文土器が出土したそれらの遺跡に白滝の黒曜石や八ヶ岳の黒曜石が運ばれており,それらの遺跡は誠に重要な遺跡であるが、それらは新潟県の福島 県よりの奥深い山のなかにある。何故こんな山奥に我が国最古の縄文土器が眠っていたのか? また,何故白滝や八ヶ岳の黒曜石がここまで運ばれてきたのか? 誠に不思議ではないか。
 
 
 
 
そ れではまず現地に赴くとするか。