流動的知性とは

 

 

 流動的知性というのは、まあいうなれば、一つの考え方にとらわれないで、無意識のうちにもいろんなことがらを勘案しながら、そのときどきのもっと も良い判断をくだすことのできる知性であるといっていいでしょう。 流動的知性という概念は、スティーヴン・ミズンが最初に言い出した概念だと思います が、彼は、博物的知能、社会的知能、技術的知能、言語的知能ということをいっており、それら知能の認知的流動性というものが人類に進歩をもたらしたと考え ているわけですね。そういう認知的流動性のある知能を持ち、かつ、複雑系社会のさまざまな経験をつん現代人類の知性を「流動的知性」と名づけたのは、多 分、中沢新一だと思います。中沢新一がよく使う言葉です。中沢新一の哲学にぞっこん惚れ込んでいる私としては、以下、中沢新一にならって、博物的知性、社 会的知性、技術的知性、言語的知性、流動的知性という言葉を使うことにしましょう。

 スティーヴン・ミズンは、心を考古学から解明しようという研究といっていいかもしれませんが、私たちの知性や心が何千万年とかけてどのように発達 してきたかを研究しており、彼の著書・「心の先史時代」(松浦俊輔, 牧野美佐緒訳. 1998年8月、 青土社)によると、私たちの脳には博物的知性、社会的知性、技術的知性、言語的知性などそれぞれの部屋があるのだそうです。それぞれが専門的な仕事をおこ なっているのですが、それらはほとんど関連せず、単独で動いていて、お互いに関連していません。ところが、現代人類(ホモ・サピエンス・サピエンス、つま り現代の私たち)にだけ、流動的知性というものが備わっています。これはそれぞれの部屋をつなぎ、関係させる知性のことです。そしてこの知性は「関係の中 にある何か」に、意味を与えようとしてきたのです。コンピュータでいえばネットワークコンピュータが出来たといってもいいかもしれません。これによって、 現代人類はネアンデルタール人に比べ、小さな脳を持ちながらも、多大な文化を生み出すにいたったのだそうです。

 人間には本来こういう流動的知性を有しているので、博物的知性、社会的知性、技術的知性、言語的知性などのある特定の知性にこだわらなければ、無 意識のうちにもいろんなことがらを勘案しながら、そのときどきのもっとも良い判断をくだすことができる筈ですが、人間は生活環境や教育環境などさまざまな 環境によって知性の流動性というものを失いがちですので、本来の能力を発揮できなくなるようです。したがって、博物的知性、社会的知性、技術的知性、言語 的知性などを高めながらも、どうすれば特定の考えにこだわらないで流動的知性が発揮できるかということが問題となります。

 特定の考え方にこだわらない知恵、それが中沢新一のいうところの「対称性社会の知恵」であります。私流にいえば、「両頭截断」ということになりま すが、世の中すべて対称性があります。善人がおれば悪人がいる。権力的な抑制があれば非権力的な自由がある。男性的なものがあれば女性的なものがある。光 の部分があれば陰の部分もある。世の中にはまあいろんなものがあるんですね。千差万別。まさに曼陀羅(マンダラ)の世界といっていいのではないでしょう か。私は、このことを華厳哲学は教えていると思うのです。

 中沢新一と赤坂憲雄との対談「網野善彦を継ぐ」(2004年6月、講談社)の中で、中沢新一は、「無縁・公界(くがい)・楽」(網野善彦、 1978年、平凡社)において網野善彦が語った人びとの「欲望」について、『 現実の中でつねに否定されて、短い期間に限って、ちいちゃな空間の中に自分 を実現した欲望が、まるで夢のようなかたちで出現しますが、つねに権力がそれを破壊したり、自分の中に組み込んでしまおうとしていく過程が起こりま す。』・・・と述べています。人びとの欲望というものが社会的な問題になるときは、つねに権力との関係がぎくしゃくしているということでありましょう。権 力との関係がいくらぎくしゃくしても、なお、人びとの「欲望」はそれを乗り越えて・・・まさに夢のようなかたちで出現するということでありましょう。

 私は、人間には流動的知性が備わっているため、人びとの「欲望」をある特定の枠の中に閉じ込めてしまうことはできないのだと思います。特定の枠の 中から飛び出す・・・、それが「自由」というものではないでしょうか。人間は、流動的知性があるからこそ「自由」を生きることができるように思われます。

 日本では、西洋に比べて、現在なお流動的知性が濃厚に働いているように思われます。いろんな場で申し上げてきたように、私たちは、「歴史と伝統・ 文化」を生きているのですから、何を考えるにしても「歴史と伝統・文化」が基礎になります。したがって、わが国の「歴史と伝統・文化」のなかでその流動的 知性がどのように働いてきたのか、実証がなければなりません。その偉大な作業をなしたのが網野善彦の「無縁・公界(くがい)・楽」であります。この研究成 果の評価はあまり芳しくないようですが、私は、中沢新一などと同じように、極めて高く評価したいと思います。網野善彦の「無縁・公界(くがい)・楽」を語 らずして天皇制を語ることはできないと考えているからです。人びとの流動的知性がわが国の天皇制を支えているし、そういうわが国民の象徴としての天皇自身 にも、当然、流動的知性が働いているのでありましょう。

 流動的知性は、わかりやすくかつ端的にいってしまえば、「バランス感覚」といっていいかもしれません。先に申し上げたように、認知的流動性のある 知能を持ち、かつ、複雑系社会のさまざまな経験をつんだ現人類の知性というものが「流動的知性」でありますから、流動的知性を発達させるためには、まず、 今の私たちが「歴史と伝統・文化」を「自由」に生き、複雑系社会のさまざまな経験をつみ、それがまた次の世代の生き方に繋がっていくということが大事なの です。それではじめて「流動的知性」というものは進化していくことができるというものでしょう。

 スティーヴン・ミズンは、上記著書の中で、「筆者がここで言いたいのは、現代人類の心の認知的流動性は、人間・動物・物理的対象についての思考に 混乱が起きたことで、違う人種が存在すると考える可能性だけでなく、他と比べて劣る人種があるかもしれないと考える可能性をももたらしているということ だ。必ずそう考えてしまうということではなく、そうした考えが起こる可能性があるということだけのことである。しかしこの可能性は残念ながら、人間の歴史 を通して繰り返し現実となってきた。」・・・といっています。

 彼のこのような意見を聞いていると、現代人類に「違いを認める文化」が定着する希望がないように思えてきますが、そうではないと思います。私たち 日本人は、今まで「歴史と伝統・文化」を「自由」に生き、複雑系社会のさまざまな経験をつんできたのだし、そういう生き方を今もつづけながら・・・それを 未来に繋いでいけば、少なくとも日本人は流動的知性を持った人種であり続けることができるし、さらには、わが国のこういう文化面での世界貢献ができれば、 現代人類にも「違いを認める文化」が定着する希望があるというものではないでしょうか。

 

 

>対称性社会の知恵 ・・・その他>26個のページがあります!

>両頭截断 ・・・その他両頭切断など>48個のページがあります。

人権問題と「劇場国家にっぽん」・・・>啓発のための社会装置を如何に作るか


中沢新一の「人類最古の哲学・・・カイエ・ソバジュ・」(2002年1月、講談社)から下記のものを紹介します。

>神にならなかったグレートスピリット

>熊の主題をめぐる変奏曲

>神話と現実

>マメの神話学

>南方熊楠

>日本神話の構造・・・中空均衡構造

>トライアッド

>縄文・ミシャグチ・道祖神

>新しい文明の鍵・「後戸(うしろど)」

>魔多羅神 ・・・・・・・・・・・・>天下の奇祭・「広隆寺の牛祭り」も是非御覧下さい!

 

>メビュース縫合型とトーラス型

>現代の社会問題と唯識・・・唯識の現代性

 


 

註:「場所」に関するページは>ここから入って下さい! 西 田哲学の心髄に触れることができます。「場所」に関するページは、ほとんどの場合流動性知性と関係があります。

 

註:「流動的知性」は中沢新一がよく使う言葉ですが、私は、かって、「ハイブリッド思想」と呼びながら、この問題に取り組んだことがあります。>是非、ここをクリックして下さい! 田辺哲学の心髄に触れることができます。

 

註:>「モノとの同盟」はここから入って下さい! 中沢哲学の心髄に触れることができます。これからの時 代、「流動的知性」を働かせて世界の平和を実現するということは、「モノとの同盟」を実現することに他ありません。是非、中沢哲学の心髄・「モノとの同 盟」を勉強していただきたいと思います。


劇場国家にっぽん ―わが国の姿(かたち)「あるべきようわ」―