[No14] 

精霊の王/中沢新一

註:以下は上記の本からの抜粋である。ただし、緑色の部分は、私の補足説明であり、文責は私にある。

 

第六章 後戸に立つ食人王

本覚論と魔多羅神

 

 

 私は「自力本願」というエッセイの中で、中沢新一の宗教についての考え方を紹介しながら、次のように述べた。

 『スピリットに帰れ!流動的知性に帰れ!・・・という訳だ。私たちは、[超越性]の領域に入っていければ、心の野を開くことができ、野生状態の心を取り戻すことができる。そして、イキイキと躍動するスピリットたちをはっきりと見ることができる。問題は、どうすれば[超越性]の領域、それは[無]の領域とか[トワイライトゾーン]と言ったほうが一般には判りやすいのかもしれないが、そういう[超越性]の領域に入っていけるかということである。私は、[両頭截断]とよく言うが、物質文明か精神文化とか、右か左かとか、白か黒かとかそういう相対的に相異なる違いというものを乗り越えてというか、そういう二元論的なもののこだわるということのない、まあ言うなれば[中空]領域というか[無]の領域に入っていけるかということである。その方法ははっきりしているのではないか。』・・・・と。つまり、これからの世界は、キリスト教原理主義のような二元論的な思想ではもはややっていけないのであって、日本仏教のような一元論的な思想を必要としているのではないか・・・ということだ。日本仏教における一元論的な思想は必ずしも本覚論だけではないが、中沢新一は、もっともラジカルなものとして本覚論を取り上げている。

 一元論的な思想で大事なことは、以下に紹介する天台哲学のように、対極にあるどちらも取り込み、主たるものの対極にあるものも同時に大切にするということである。それでは、以下において、中沢新一の考えを紹介しよう。

 

 

 どうして本覚論のようなラジカルな一元論の哲学が、摩多羅神に凝縮されている古代的ないし新石器的思考を呼び寄せることになったのか。

 それでは、そのことを理解するため、本覚論の思考そのものの内部に立ち入ってみることにしよう。

 本覚論の思考の特徴は、つぎのような文章にあからさまである。この文章は本覚論の思想が形成される過程でとても大きな働きをした、『天台法華宗牛頭法門要纂(てんだいほつけしゆうごずほうもんようさん)』(伝最澄作)という書物に載せられている。

 

第五 煩悩を一時に断滅すること

 真理の前に頭を垂れて、いっさいのおごりたかぶりを捨てて思慮してみると、生と死という二つの存在のあり方は、唯一無二の存在である「心」というもののしめす霊妙な働きであり、また有と無なる二つの存在のあり方は、人間にもともと備わった覚知性(本覚)の属性そのものだと言うことがわかる。その理由は、「心」はほんらい過去も未来もない時間性を超越した純粋な働きであり、「たましい(神)」というものはこの宇宙をあまねく埋め尽くしている存在の理法のことを、いいあらわそうとしているからである。このように考えれば、この世に生まれたからと云って、なにかがやって来たわけでもなく、死ぬからと云ってどこかへ去っていくわけでもない。過去・現在・未来という時間性を超越している「心」は、ほんらい潜在的なものであるが、これに現実化の作用がほどこされるとき、「心」は六つの知覚能力をそなえた具体的人間として生まれるのである。これをわれわれは仮に「生」と名付けている。存在の世界の理法である「たましい」に、空の働きが及ぶとき、五陰(ごおん)(色受想行識)で構成された現実的身体は、滅びていくことになる。これをわれわれは「死」の現実と呼んでいる。このように真実のリアルとは、「無来の妙来(なにもやって来ないようにしてやって来ること)」であり、「無生の真生(しんせい)(生まれないようにて真実に生まれていること)」であり、「無去の円去(えんきよ)(去らないようにして完全に去っていること)」であり、「無死の大死(だいし)(死なずして大いなる死のうちにあること)」にほかならない。生と死は一体である。有と空は同じものである。このように知り、このように認識するとき、はじめて自らの「心」の中にある仏生が顕れるようになり、生きるも死ぬも自在となる。

 六道(ろくどう)を生きる衆生のなんと哀れであることか。現実の迷いの世界を生きる三界の凡夫のなんと悲しいことか。いったん生まれたと云っても、無意識の欲望のままに生きて、生というものの真実を知らない。いずれ死んでいくのであるが、死の意味を知らないまま、むなしく死んでいくのである。唯一である「心」のしめす霊妙なる働きとしての生死は、無始無終(起源もなければ終末もない)として、常にここにあって働き続けている。こういう「心」に立ってみれば、死ねば生前のカルマが消えてしまうという考え(断見)が誤りであることがわかり、また自我が永久に続いていくという考え(常見)の誤りであることも知られる。死ねばなにもなくなってしまうのであれば、救済すべき衆生も存在しない。またもしも自我が永久に持続するのなら、涅槃(ニルヴアーナ)の大楽もないことになる。

 だから諸君は、生死に住んではいけないのである。生死の現実に無自覚なまま住むと、どうしても輪廻の苦を受けることになるが、これはまったく耐え難いことになる。またその反対に、生死を離れようとしてもいけない。自殺して解放が得られると考えるならば、それは断見の誤りに陥っているといわざるを得ない。諸君はすみやかに、唯一の「心」というものを認識して、断と常との誤りから逃れなければならない。誤った見解を捨て、まちがった修行法がもたらしてしまったものを癒さなければならない。これが生死に自在な真実の生き方であり、死に臨んでもうろたえることなく、仏を念じて心静かに死を待つ状態を実現する方法である。行者諸君、どうかこのところをよく思索して、生死を怖れない心を養ってくれたまえ。(『天台本覚論(日本思想大系9)』)

 

 ここにはきわめて大胆な思考が展開されている。インドに生まれた仏教は、二元論の思考を深層にセットしてあることによって動く、思想の体系である。それははじめ煩悩の世界から離脱するブッダの行為に出発する思想として、煩悩と悟りの間には厳密な区別が立てられ、煩悩を断つ修行によって、生死自在な悟りの境地が得られるものだと、考えたのである。現世への否定が、そのような思考を突き動かしている。ところが、日本に展開した天台本覚論においては、仏教の体系を支えている二元論の結構を解体に導いていくような、大胆な一元論的思考が活発な活動をはじめたのだった。

 伝統的な仏教は、煩悩と悟りの二元論から出発する。しかし、その区別がいったいどこに発生しているかと言えば、いかなる概念作用もおこっていない純粋清浄な「一心(唯一の心)」の上にほかならないではないか、と本覚論は考えはじめた。「一心」は有でも無でもない。知覚がもたらす情報から、思考は有と無の区別をつくりだす。ところが「一心」にはそのような区別が立てられない。知覚を動かしているのがその「一心」であり、そのようなものとして「一心」は有や無を超えているのである。

 この「一心」が霊妙きわまりない働きをおこすとき、生と死と呼ばれる現実がおこる。物質の元素をひとつに集合していく現実化の妙用がこの「一心」に働けば、身体や神経組織や脳の組織がつくりだされて、そこに具体的な人間が生まれてくるのだが、これを解体させていく空の力が働くと、死と呼ばれる現実が人に訪れることになる。しかし、その生も死も、同じひとつの「一心」が自己変転してあらわれた現実の二つの様態にほかならない。だから、生まれたといっても、それでなにかが世界に増えたわけでもないし、死んだといってもなにかが去ってしまったわけでもない。「一心」は、来ることもないし、去ることもなく、常にここにあって、妙用をなしている。日常凡俗のこの現実世界の中で、それは常に働いている。いや、日常凡俗がそのまま「一心」として、常に私たちの前にあらわれて、妙用をおこなっている。そうなると、修行をして現世を離脱することが重要なのではなく、たとえ修行などをしなくともすでに悟りは常にここに働いていると認識することが、真実の修行だということになるではないか。

 

 本覚論の思考方法は、だいたいこういうものである。仏教の修行を中心とした体系を支えてきた、深層の二元論がここでは解体されてしまっている。この思考法を徹底すれば、修行には意味がないことを知るのが修行であることになり、煩悩の世界を離脱することには意味がなく、煩悩のまっただなかに生きていながら、それが純粋清浄な「一心」の霊妙な働きであることを認識している生き方を実現してみせることこそが、真実の出家だということになっていく。本覚論はいわば「知」の極限まで接近していって、そこで「知」の体系を支えている土台を解体して、「知」でも「無知」でもない、「非知」の領域へ飛び込んでいけと、教えようとしていたのだった。

 まさにこの場所である。この場所において、本覚論は摩多羅神を招き寄せることになったのである。仏教は、ラジカルな二元論を深層にセットしてあることによって、自分をふつうの世間知とは違う、大きな体系として組み立ててきたのであるが、この二元論が「一心」による一元論につくりかえられていくとき、仏教という「知」の体系性は解体して、そこから普遍的な「人類の思考」というものが、大きく浮上してくることになる。「知」の体系性の背後に、ぽっかりと暗い「後戸」の空間が広がり、そこから新石器的な「野生の思考」の妙用が出現し、人類の普遍的な思考の「大地」と仏教という「知」の体系とが、この場所でひとつに溶け出そうとしている。

 

 本覚論の奥義を伝える「玄旨灌頂」の主神は、それゆえこの摩多羅神があいつとめるのが、道理なのである。深層においてはカンニバルの神であり、表面にあらわれている姿は「煩悩即菩提」をあからさまに表現する、エロティックな歌舞音曲の身体(摩多羅神の前に立つ二人の童子は、煩悩をあらわす茗荷と悟りを意味する笹の葉を肩に、それぞれヴァギナとアヌスの快感を讃える歌を歌っている)をもつこの神でなければ、このような役目をつとめることは不可能だ。日本仏教が推し進めた大胆な哲学運動の、決定的なターニング・ポイントに、この摩多羅神が立っている。ここがひとつの頂点で、ここから先は解体が待っている。その重要な場面に、「後戸の神」が召喚されたわけである。

 

 

 猿楽の徒はこのような摩多羅神を、自分らの芸能の守護神である「宿神」と同じ本質を持つものと考えたのである。山本ひろ子はそこに「荒神」の概念が深くからんでいるのではないか、とつぎのように推測している。 

 さて摩多羅神が「三毒即三菩提(さんどくそくさんぼだい)」、「無明即法性(むみようそくほつしよう)」という本覚の理を体現する尊とみなされるとき、荒神との接近が図られる。なぜなら、荒神もまた「無明」や「三毒」を本体とする尊であるからだ。 

 一、摩多羅神事、只是三宝荒神ト習フ也。是又三宝荒神即三諦本有無明(サンタイホンウムミヨウ)即法性ナレバ、元品(ガンポン)無明ハ荒神ト習フ間、誠以テ本尊トスベシ。サレバ本山ニ摩多羅神ヲ最極大事ニ祭ル。修正ナンドモ慇懃ニ山王祭事ノ根元トナシ玉フ、此謂也。所詮本覚法身ノ妙体ニシテ御座ス故也。随テ利生モ新タ也。(「玄旨重大事 口決私書」) 

 「元品無明(がんぽんむみよう)」をともに本性とすることにより、摩多羅神と荒神は同体とみなされるわけだ。

 暴悪を退治するために忿怒の相を現わす荒神は、三宝を擁護するのでまた三宝荒神(さんぽうこうじん)ともいう、正式の経軌をもたない荒神は、中世あってさまざまな像容と活躍をみせていくが、「衣那(えな)」(胞衣)を荒神とみなす「衣那荒神」もそのひとつで、叡山では「是ヲ障礙神トモ、元品無明即荒神トモ云也」(『瑜祗経 決抜書』)と解されている。(……)

 ところで摩多羅神と荒神との交渉は、芸能神としても摩多羅神を考察する上で、重要な問題を示唆するものでもあった。金春禅竹の『明宿集』は、猿楽の翁を芸能神・宿神(しゆくじん)と説くが、摩多羅神と目されるこの翁は、また大荒神であると語っている。(『異神』)

 

 

 ここに書かれていることを、別の視点から読み直してみることができる。摩多羅神を荒神や胞衣の神や宿神や翁と結びつけているリンクを、それぞれの神に内在している構造の共通性として、見ていくことができそうに思えるからである。

 荒神は「無明」や「三毒」を本体とするというのは仏教的な言い回しで、じっさいにはこれは「自然力」と言いかえることができる。思考の秩序におさまることのできない過剰した「自然力」が荒神の本体なのである。この過剰してコントロールすることの難しい「自然力」は、荒神を転換点としておだやかな、人の生活に豊かさと幸福をもたらす柔和な力に変化をおこす。荒神の持つこのような転換する力が、この神を摩多羅神に近づけている。ものごとの境界に立って、境界の両面に広がる異質な力を相互に転換される力をもっているのが荒神ならば、それは胞衣が果たしている働きとよく似ている。この転換性、境界性によって、胞衣はまた荒神であると言われるのである。

 

 摩多羅神は「三毒」と「無明」を自分の内部に抱え込んだ神である。それというのも、この神を守護尊とする灌頂において、「三毒」「無明」はたちまちにして「菩提」に転換し、その相即が実現されると考えられているために、この神自身が「三毒」と「無明」を本質としていなければならないからである。

 そして、この灌頂がさずけられるとき、存在の真実の姿は人の前にあらわになる。そこでは、いたるところで「無明」が「明」に転換をおこし、「三毒」たちまち「菩提」に転換される過程がおこっている(またその反対の過程もいたるところでおこっている)。その無数の転換点に立って、せわしなく転換の「わざ」をおこなっているのが、摩多羅神なのだ。こう考えると、摩多羅神とは世界に遍在する絶対的な転換力をもつものの総称であると言えるのではないか。

註:私は、中沢新一がいうところの「モノとの同盟」を実現する一番の近道は、魔多羅神の普遍化であり、宿神=シャグジの普遍化であり、胞衣信仰をはじめさまざまなスピリット信仰であると考えている。

 

 摩多羅神のもつこのような転換力を象徴しているのが、おそらくはその神が手にしている鼓なのである。ポン、ポン、ポン。鼓の革から発せられるその打撃音は、音が発せられるたびごとに、世界の様相をつくりかえていく。鼓の打撃音はひとつひとつが特異点のようなもので、その特異点を境にしてさまざまな転換がおこることを、人は鼓の音を聞く快感としてきたのである。摩多羅神と鼓は、本質的なつながりをもっている。摩多羅神のもつ境界性、転換力が、その手に鼓を呼び寄せているのだ。ポン、ポン、ポン。そのたびに、「三毒」は「菩提」に、「無明」は「明」に転換をおこす。そしてそのたびごとに、本覚論の語る「煩悩即菩提」の真理が、音現象として出現をはたすのである。

 もうここまでくれば、宿神=シャグジまではあと一歩ではないか。胞衣であり荒神であり、境界性(サ行音+ク音が象徴するもの)の神であり、ポン、ポンと飛び跳ねる音とともに蹴鞠の庭に瞬間瞬間の転換をもたらしていく転換の神であり、異質な存在領域との間に通路を穿って、植物の霊と人間が自由にことばを交わし合う神話の空間を実現するメタモルフォーゼの神である宿神=シャグジ。この宿神は翁であり、しかも摩多羅神でもあると、猿楽の徒によって断定されているのを見ても、もう私たちは少しも驚かない。そこに一貫した思考が働いているのを、はっきり見届けることができるからだ。

 しかし、宿神をめぐる思考が包み込んでいる世界は、摩多羅神が包摂しようとしている世界よりもずっと広大である。摩多羅神が転換を促すのは、仏教がそのことに意識を集中している「煩悩」や「三毒」や「無明」のことばかりであるのにたいして、新石器的な「野生の思考」の直接の末裔である宿神にとっては、この宇宙を構成するありとあらゆるモノとコトにいかにして転換をもたらし、よみがえりと刷新をもたらしていくかが課題となっているからだ。

 それにしても、本覚論が展開したラジカルな一元論の試みがなかったとしたら、こんなふうな神々の集合はおこらなかったような気がする。天台本覚論をひとつの哲学の試みとしてみると、そこでは物質と精神、大地と天、フィジックとメタフィジック、肉体と意識などを、一串で貫くことのできる全体的な思考の探究がおこなわれていた、と見ることができる。それによって、二元論をドライブとして駆動する仏教という伝統的な思考の体系は、解体の方向に向かわされていくことになったが、そのおかげで、仏教の「知」の体系と、縄文時代以来この列島上で生まれ成長をとげてきた「大地の神々」をめぐる思考とが、ひとつに結びあわされていくことも、おこったのだ。日本の中世を彩る多彩な思考の展開は、「知」の体系と「大地」的なもののおこなう非知的思考との結合の結果として、生み出されている。一元論思考の活躍が、それを可能にした。中世思想の面白さと言えば、ひとえにそのことにかかっている。

 

 このような時代風潮の中で、金春禅竹は『明宿集』を著したのである。これは草稿本のかたちでしか残っていない。その草稿本を見ると、はじめ禅竹はこの本のタイトルを『明翁集』としようとして、あとで訂正して『明宿集』と書き直している。これを見てもわかるように、翁の本質をあきらかにするために書き始められたものが、翁は宿神であるというテーゼを展開することに力点が移って、ついには「宿神としての翁」の視点から、神々と芸能の世界の全体を、統一的に解釈しなおそうとする大きな意図にまで発展していったものと推測される。

 私たちがすでに見てきたように、宿神はこの列島上できわめて古い時代から生き続けてきた「古層の神」の一形態である。もともとは境界性をあらわそうとする「サないしス音+ク音」の結合として、さまざまに発音されてきた共通の神の観念のつながりの中から、宿神と呼ばれるこの芸能者の守護神はかたちづくられてきている。この「古層の神」はミシャグチの名前で、諏訪信仰圏では独自な発達をとげた。その観念の形成を、藤森栄一氏はほぼ五世紀頃と推測しているが、この推測はミシャグチ神の構成の内部に、縄文的な要素と弥生的な要素がほぼ対等の力関係で共存しあっていることが、今日に残されている信仰の痕跡からも、はっきりと確認できるところからきている。

 ここでいう境界性は、地形的なものだけを意味しているのではない。諏訪信仰圏のミシャグチは多くが水源との関わりをもっていることはたしかだが、この神をめぐる神話的思考の内部に立ち入ってみると、それが「胞衣」のような胎生学的オブジェに、強く結びつけられていたことがわかる。胞衣は「子供がやってくる空間」と現実の世界との境界を包囲して、内部の胎児を守る働きをしている。この膜状のものは、霊界の力が現実世界に不用意にさらされて、傷ついたり汚染されるのから守る働きをしている。またその膜は、荒々しい霊性をひめた自然力に直接に触れているものであるから、胎児を守る機能が失われれば、この世にあって恐るべき荒神と化すのである。いずれにしても、この膜を境界にして、さまざまな転換が発生している。「古層の神」の境界性とは、そのような広くて深い思考を包み込んでいるのである。

 シャグジ神の痕跡は、東日本の広い範囲で確認されてきている。その多くがいまでは八幡神社や熊野神社やさらに小さな小祠にすがたを変えてはいるけれど、そうした神社の今置かれている地形や環境を、過去の状態に復元してみるならば、そこがかつてはなんらかの意味での境界性にかかわっていることが、はっきりと見えてくるようになる。

 これが西日本に行くと「宿神」と呼ばれるようになる。東日本とは異なって、ここでは境界性にかかわるもの、生な自然力に直接触れながらおこなわれている生業(なりわい)、身体をとおしてその自然力を美に造形しようとする芸能などが、差別の対象とされた。猿楽をはじめとする芸能者の集団も、例外ではなかった。彼らはじっさいの地理的境界である「坂(サ+カ)」や「宿(夙、ス+ク)」にしか、住むことを許されなかった。こんなことは縄文的な東日本では考えられもしないことだったが、西の日本では、シャグジのような「古層の神」のはらむ境界性は、「御社宮司(ミシヤグジ)」のように尊称をつけて社会の中心で大切にお祀りされるものではなく、貶められながらも不気味な霊威で人を畏れさせる両義的な観念として、地理的な境界の場所に置かれて、注意深く処理されることになったのである。

 このように宿神は、とてつもなく古い意識の地層に根を生やしながら、この列島上で成長をとげてきた観念なのである。諸道諸芸にたずさわる人々の家では、この「古層の神」を自分たちの芸能の守護神として大切にしてきた。とりわけ猿楽の徒にとって、そのことは大きな意味を持っていたはずだ。それと言うのも、猿楽の芸そのものが、ものごとの転換、変成、変身(メタモルフオーゼ)の表現に関わっているために、同じ転換・変成・変身が自在におこる時空を住処とする宿神とは、ほかの諸芸にもまして、本質的なつながりを持っていたからである。

 その猿楽芸のエッセンスを凝縮したものが、ほかならぬ「翁」である。「翁」の舞いには、猿楽という芸能そのものの本質と構造が、きりつめられた象徴性をとおして、端的に表現されている。金春禅竹の以前に、そういうことを言い出した人があったかどうかはわからないが、「翁」と宿神は同体であるという禅竹の思考は、まったく正確である。猿楽芸そのものが、「存在の胞衣」ともいうべき宿神に守られた潜在空間の構造を、身体と音曲の表現として、顕在化させようという芸能なのである。「翁」はその芸能の思考構造じたいを、具体的な身体の動きとして、人の目に見せようというのだ。

 

 それならば、「翁」はまぎれもなく宿神であろう。と、そのことに思いあたったとき、金春禅竹の思考は発火をはじめた。宿神である「翁」の観念を、違う尺度(ゲージ)で動いているほかのいろいろな思考同士をいちど同じ尺度にあわせて、そこに対称性を発見したり、内面の共通性をあきらかにするための「ゲージ場」にしてみたら、千差万別百花繚乱のごときわが列島の神々の世界に、ひとつの統一的な理解をもとあらすことができるのではないだろうか。「古層の神」によって、思想史の再編成が試みられた、といってもよい。このような試みは、かつておこなわれたことがない。その後も、柳田国男があらわれるまで、そのような試みは絶無であった。その意味でも、『明宿集』は日本の思想史の中で、ユニークな位置を占めている。『明宿集』はこうして、「翁=宿神」を鍵概念にして、つぎつぎと神々の間に失われた対称性を発見していくことになる。

 

 

 それではいよいよこの一連の物語

「精霊の王」も終わりに近づいた。

エピローグである。

 


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