[No13]

精霊の王/中沢新一

註:以下は上記の本からの抜粋である。ただし、緑色の部分は、私の補足説明であり、文責は私にある。

 

第六章 後戸に立つ食人王

摩多羅(またら)神 

 

 常行堂(じようぎようどう)というお堂のある天台系の寺院に祀られている「摩多羅(またら)神」は、仏教の守護神としては異様な姿をしている。

 だいたい仏法を守る守護神としては、インド伝来の神々の姿をしているものが、おおむね主流である。これらの神々は、もとはと言えば仏教とは関わりのない「野生の思考」から生み出されたインド土着の神々で、象徴的に含蓄の多い姿をしているものである。ところが、常行堂の後戸の場所に祀られているこの神は、少しもインド的でない。さりとて中国的ですらなく、かといって日本的かと言えば、そうとも言いきれない。かつては天台寺院において重要な働きをした神であるのに、摩多羅神は謎だらけの神なのである。

 摩多羅神の神像図(「摩多羅神の曼陀羅」)といわれているものが、古くから伝えられているから、まずそれをよく見てみよう。

 

 

 中央には摩多羅神がいる。頭に中国風のかぶり物をかぶり、日本風の狩衣(かりぎぬ)をまとっている。手には鼓をもって、不気味な笑みをたたえながら、これを打っている。両脇には笹の葉と茗荷(みようが)の葉とをそれぞれ肩に担ぎながら踊る、二人の童子が描かれている。この三人の笹と茗荷の繁る林が囲み、頭上には北斗七星が配置される。

 この奇妙な姿をした神たちが、常行堂に祀られている阿弥陀仏のちょうど背後にあたる暗い後戸の空間に置かれている。この背後の空間から、阿弥陀仏のおこなう救済の働きを守護しているわけである。

 

 

 阿弥陀仏と摩多羅神の組み合わせは、とてもアンバランスなものをはらんでいるが、天台宗の中で発達した「本覚論」という哲学の運動では、とくにこの摩多羅神が選び出されて、重要な働きをおこなうことになった。この哲学運動では、教えを弟子に伝達するのに、密教風の「灌頂(かんじよう)」の様式を採用した。そのとき、本覚論の中の一元論哲学の奥義(「玄旨」)を伝える灌頂の場を守ろうとしたのが、この三人の神なのだった。摩多羅神はこのとき、暗い後戸の空間を出て、奥義が伝えられる場の前面に躍り出てくるのである。

 この神の由来について、はっきりしたことはもうわからなくなっている。鎌倉から室町にかけて、比叡山を中心にする天台系の寺院で流行していた本覚論は、江戸時代に入ると「邪教」の烙印を押されて、書物を焼かれたり、仏具を壊されたりしてしまい、表だっての伝承はそれで絶えてしまったから、摩多羅神の正体についてもすっかり不明となってしまった部分が大きい。きれぎれに語られてきたことをつなぎあわせてみても、なかなかこの神の実体には届かない。

 とりわけこの神の本質に関わる問題、たとえば、どうしてこのような名前と異例な姿を持つ神が、天台宗のなかで一元論思考を徹底的に推し進めたラジカルな哲学である本覚論と、深いかかわりを持つことになったのかとか、猿楽をはじめとする芸能の徒たちが、自分たちの芸能の守護神である「宿神」とこの摩多羅神とは同体の神であるという考えをいだくようになったのかとか、この神の本質をめぐる問いにじゅうぶんに答えられている研究は、まだあらわれていない。

 

 こうしたなかで、『異神』という画期的な中世思想研究の書物の中で、山本ひろ子の出している考え方が、いまのところこの問題にいちばん肉薄できている、と私には思える。 

  彼女はまず『渓嵐拾葉集(けいらんしゆうようしゆう)』(光宗(こうじゆう)著、一三一七〜一三一九に成立)に記録されたつぎのような記事に注目する。 

 摩多羅神とは摩訶迦羅(マカカラ)天であり、また タキニ天である。この天の本誓に「経に云う。もし私は、臨終の際その者の死骸の肝臓を喰らわなければ、その者は往生を遂げることは出来ないだろう」。この事は非常なる秘事であって、常行堂に奉仕する堂僧たちもこの本誓を知らない。決して口外せずに秘かに崇めよ。

 

 ここにあげられているマカカラ天(マハーカーラ、大黒天)といい、ダキニ天といい、どちらも仏教風に言えば「障礙神(しようそしん)」の特徴をそなえている。この神を心をこめてお祀りしていれば、正しい意図をもった願望を成就するために、大きな力となってくれる。しかし、少しでも不敬のことがあると、事を進める上に大きな障害をもたらして、あらゆる願望の成就を不可能にしてしまうというタイプの守護神が、障礙神なのである。民俗学風にこれを言いかえれば、このタイプの守護神はまぎれもない「荒神」である。

 しかもこの神はカンニバル(人食い)としての特徴ももっている。人が亡くなるとき、摩多羅神=大黒天=ダキニ天であるこの神が、死骸の肝臓を食べないでおくと、その人は往生できないのだという。

 往生とは、人が生前に体験した第一の誕生(母親の胎内からの誕生)、第二の誕生(大人となるために子供の人格を否定するイニシエーションを体験して、真人間として生まれ直すこと)に続いて、人が誰でも体験することになる「第三の誕生」を意味している。そのさいには、人生のあいだに蓄積されたもろもろの悪や汚れを消滅させておく必要がある。そうでないと、往生の最高である浄土往生は難しい。そこで、この恐るべき神が登場するのだ。人の肝臓には、人生の塵芥が蓄積されている。そういう重要な臓器を、摩多羅神は臨終のさいに、食いちぎっておいてくれるという慈悲をしめすのだ。カンニバルとは人生からの解放をもたらす聖なる行為だ。そしてそれを導いてくれるのが、恐ろしい姿をもって出現するこれら障礙神たちなのである。

 摩多羅神と大黒天の同体視は、発音の類似性によっているようにも見えるが、ここにダキニ天が加わると、別の意味を帯びてくる。ダキニ天という女神はもともとの生まれの土地であるインドでは、「マートリカ(お母さん)」と呼ばれる一群の女神の仲間である。マートリカは七人ないし八人が集まって、それぞれ「七母神」「八母神」という集団をつくる。彼女たちを祀る寺院は、多くの場合地面を円形に掘り抜いてつくった、半地下様式をもち、この女神たちがその昔「大地母神」と呼ばれた女神の末裔であることを物語っている。

 このダキニ天のもつ顕著な特徴と言えば、飲血を好むカンニバルである点に求められる。そのために、密教の灌頂の儀式では、ダキニ天が大きな働きをする。その昔(たぶん新石器時代)、大地母神は人間のお母さんたちが生んだ子供をいったん自分の体内に飲み込み、食べ尽くしたうえで、大人としての第二の誕生を与えていた。そこでこの大地母神の末裔であるダキニ天も、人のたましいが第二、第三の誕生を得るための灌頂の儀式に登場しては、重要な働きをおこなっていたのである。

 このダキニ天がインドの密教では、しばしば「ヘールカ」と呼ばれる男性形の神と、エロティックなペアーをなして出現してくる。ヘールカも飲血するカンニバルの神である。そして、ここで問題になっているマハーカーラ(大黒天)こそ、そのようなヘールカを代表する神の一人であり、ダキニ天と一体になって、古い自我を食べ尽くして、人のたましいを新しい次元に解放する働きをおこなっていた。

 そうなると、摩多羅神を大黒天でありダキニ天であると断定するとき、中世比叡山の大碩学(だいせきがく)光宗は、摩多羅神にヘールカとマートリカに共通するカンニバル的な特徴を付与して、これを最大級の秘密のベールに包み込もうとしているのがわかる。なぜそれは秘密にされなければならなかったのか。それは、摩多羅神をめぐる宗教的思考の中に、仏教が生まれるよりもはるか以前から活動をおこなっていた、「野生の思考」による新石器的な思考が、新しい表現のかたちを得てなまなましい活動を続けていることを、一般の目から隠す必要があったからである。後戸の神である摩多羅神を中心としてうごめき廻っているのは、理知的な仏教の体系をつくりだしているものとはまったく異質な、一種の「古層」に属する思考だ。仏教の歴史はたかだか紀元前数百年を遡るにすぎないが、こちらのほうはその百倍もの長い時間を生きてきた人類の思考である。仏教の中に、そのようなとてつもなく古い思考が生き続けている事実は、隠しておかなければならないことだった。

 

 ここで私は、二十年前のひとつの体験を想い出す。ネパールの首都カトマンズ全体を守護しているのは、この街の中心部にある広大な広場の西の端に祀られている「マハーカーラ」であると言われている。いまでは自動車の排気ガスのために、すっかり汚くなってしまったそのあたりも、二十年前にはまだ水と花で飾られて、清らかな雰囲気をたたえていた。石段を昇っていくと両側にはたくさんの物乞いたちがいて、喜捨を求めていた。そして、神官に導かれながらお堂に入っていった私は、そこに立つマハーカーラ神の像を見て、息を飲むことになる。

 暗いお堂の奥には、巨大な真っ黒な神のからだが立っていた。それをとてつもなく巨大だと感じたのは、真っ黒なからだが、まるで子供のようにぷっくりとふくらんでいたからだろうと思う。まったくそのマハーカーラは、幼児のような体型をしていて、バターを塗りつけられた口元は極端に大きく描かれていた)。それにどんぐりまなこがついている。そのとき私は、「これは熊だ」とつぶやいたものである。

 その瞬間、私は人類学の本で見たことのある、北米大陸北西海岸に住む先住民たちによる、みごとな彫刻をほどこされたトーテムポールを連想していた。そのトーテムポールの上半分には、大きな熊に食べられている人間の姿が描かれ、下半分には同じ熊のヴァギナから生まれ出てくる人間の頭部が描かれていた。この彫刻は、北西海岸に住むアメリカ先住民にとってきわめて重要な「イニシエーション」の思想を表現するものだ、と本には説明がしてあった。彼らは人間は二度生まれなければならない、と考えていた。そのためには、自然の王である神聖なる動物の熊によって、古い自我を食べられ、いったんは熊の生きる大地の底に呑み込まれたのち、同じ熊のからだから生命となって生まれ出てくる必要があると、彼らは思考したのである。

 熊はそこでは偉大なるカンニバル(人食い)の動物である。それは人間を古いしがらみから解き放つために食べ、あらためて出産をおこなってくれるための、創造的なカンニバルの行為をおこなう。熊だけではない。「野生の思考」においては、自然や大地のように「産む能力」をもった多くのものが、このような創造的カンニバルの能力を持つと考えられていた。「ひょっとしたら」と、私はそのとき考えた。ここに立つマハーカーラとは、そのような熊が姿を変えたものであり、マハーカーラ神が持つと言われる飲血嗜好や人食いとしての性格は、もともとが新石器的思考にとっての熊のような動物にあたえられていた創造的カンニバルの本質を、そっくりそのままスピリチュアルな表現に移し替えただけのものなのではないか。

 大黒天に代表されるヘールカやダキニ天もその一種であるマートリカが、人の血を飲むことを好み、肉を食べることを愛好すると言われているのは、彼らが創造的カンニバルの末裔であることに由来している。貧欲に破壊するヘールカの大きな口が象徴するものは、古い自我を破壊するために食べ尽くす熊の口であり、マートリカたちが誇らしげに開いてみせるそのヴァギナは、二度目の誕生を可能にしてくれる熊のヴァギナを象徴している。インドに生まれた宗教は、「野生の思考」を否定するのではなく、抽象化して洗練された体系に組織することによってつくられている。だから、このお堂に立っているマハーカーラは、じつは新石器時代の熊に違いないのだ、と。

 面白いことに、カトマンズの街の西を流れるバグマティ川の岸辺には、大地の女神であるマートリカを祀ってある寺院が点在している。そこに行くには、街はずれのごみごみしたスラム街を抜け、ところどころに塵芥なども放置されている「坂」を下って、河原に降りていかなければならない。マートリカ寺院はたいてい半地下の構造をしている。地面を円形に掘り抜いてできた壁に、まるく女神を配置していくのである。そこには美しい女神の像が祀られているが、本質は恐ろしい飲血食人のダーキニと同体であると考えられている。街の中心部の王宮近くには男性の食人神ヘールカがいて、外の世界との境界にある「坂」の下に食人の女神が立っているのだ。王は人民を「食べる」存在となることによって、国家をつくる。しかし、その国家の周縁にはこの世界の真実の主権者である、破壊し産出する自然の力を象徴する大地母神がいる。中世の都市はどれも正直である。そこには王という存在と国家の秘密が、まだあからさまなかたちで表現されていたのだ。

 さて、図像に描かれた摩多羅神は、どれも不気味な笑いを浮かべてはいるが、身だしなみはスマートで、どちらかと言えば「すかしている」。しかし、本覚論の奥義に近づくことのできた少数の者たちは、これの本体はマハーカーラでありマートリカであることを知っているのである。つまり、常行堂の後戸に立って、前面に立つ光の仏である阿弥陀を守護している謎の神は、創造的カンニバルとしての特質を隠し持った、人類の思考の「古層」からやってきた表現として、理知的な仏教には理解不能の存在だ。

 摩多羅神が謎なのは、この神が自分の内部に複雑な重層性をかかえているからである。表面には、狩衣をまとって鼓を手に、いままさに音楽を奏でようとしている男の姿で描かれた摩多羅神がいる。この姿でいるときは、摩多羅神は本覚論の「煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)」の思想を直接に体現した、日本思想の「中世」をあらわしている。ところがこの摩多羅神の奥には、もう一人の摩多羅神がいる。この摩多羅神は大黒天(マハーカーラ)やダキニ天(マートリカ)の親しい仲間として、仏教の中にひそんでいる「野生の思考」に深くつながっていく存在なのだ。カンニバル(人食い)ということが、まだ重大な存在の哲学の表現であった頃の思考の残響を残したまま、この新石器的摩多羅神は、狩衣をまとった中世の摩多羅神の内部に隠れて、不穏な波動をあたりに放出している。この神の中には、折口信夫の言う「古代」が隠されているのだ。

 そのような神が、いわば本覚論というその時代の先端的な哲学思考の、まさに「後戸」に立つ。とてつもなく古代的な思考が、もっとも新しい思考と、文字どおり背中合わせに立っている。ロシアの詩人マンデリシタームの定義によれば、この構造はまさしく「アヴァンギャルド」と呼ばれるものにほかならない。

 

 では、どうして本覚論のようなラジカルな一元論の哲学が、摩多羅神に凝縮されている古代的ないし新石器的思考を呼び寄せることになったのか。そのことを理解するためには、もうすこし本覚論の思考そのものの内部に立ち入ってみる必要がある。

 

 

この章のつづきは「本覚論と魔多羅神」です。

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