[No15]

精霊の王/中沢新一  エピローグ 

 

世界の王・聖杯

 

 

 『明宿集』の中のとりわけ印象的な一節で、金春禅竹は猿楽の「翁」は北極星であり、それゆえ「王のなかの王」であると述べている。この文章を読んで、私は不思議な共鳴現象に驚くのである。

 

 フランス十二世紀後半の作家クレチアン・ド・トロアの書いた有名な『ぺルスヴァルまたは聖杯の物語』は、・・・古いケルトの伝承であるアーサー王と円卓の騎士の物語と、これも古い起源を持つキリストの聖杯をめぐる伝承とを・・・ひとつに結びあわせて、長く人々の心を虜にするすばらしい物語を書いた。

 アーサー王はブリテン島を拠点にするケルト族の王であり、この島に侵入を試みるサクソン人と果敢に戦ったことで知られる実在の王である。この王は城を構えず、いつも天幕を王宮にして、移動しながら統治をおこなっていたと言われる。彼のまわりにはガラハド卿やぺルスヴァル卿をはじめとする、十二人の忠実な騎士たちがいて、大きな石でできた円卓を囲んで座り、おたがいの忠誠を誓っていた。

 この円卓の騎士の一人ぺルスヴァル卿が、聖杯探究の物語の主人公である。

 古いヨーロッバの伝承によれば、十字架上のキリストの血を受けた杯であるこの聖杯は、その後アリマタヤのヨセフという人物によってひそかにエルサレムから持ち出され、マルセイユを経由してヨーロッパに持ち込まれたあと、すぐに行方が分からなくなってしまった。一説にはケルト世界に運ばれて、そこで秘密裏に保管されてきたという。

 この聖杯について適切な質問をおこない、正しい理解をもった者があらわれるとき、大地には水と緑と生命力がみちあふれ、あらゆる病気は癒されていく。聖杯は現実の世界から隠された「力の源泉」をあらわしているのである。

 

 この物語は、つぎのニつの点で私の興味を強くひく。まず、アーサー王という人物そのものが、熊との深い結びつきを持っている点である。現代の神話学者フィリップ・ヴァルテルの研究(『アーサーまたは熊と王』など)によると、アーサー王のイメージには「熊のジャン王」というケルト伝承圏での原型があり、多くの点でアーサー王と森の王である熊は深い結びつきを持っている。そして天空を見上げるとそこには大熊座(北斗七星)と北極星がある。英語圏でいう「アーサー」はフランス語圏では「アルチュール Arthur」であるが、この言葉はもともと「熊」を意味するケルト諸語に由来している(例、ブルトン語arzh、ガリア語artos、ウェールズ語arth)。これが変化してArthurとなったのである。こうして、アーサー王、熊、北極星は、神話的思考において、ひとつの体系をなしていることがわかる。

 北方世界における熊の存在を考えてみるとき、アーサー王の名前にはきわめて重大な意味が隠されている。その世界で熊は偉大な「森の王」であったからである。

 力(主権)の源泉は人間の世界にはなく、人間の力を越えた自然の中に潜んでいるものだと考えられていたが、熊こそがそのような「超越的な主権」の体現者にほかならない、と考えられていたのだ。天体においては大熊座とその中心である北極星が、「天上の熊」とみなされていた。しかも北極星は動かない。すべての天体が、この星を中心に廻る。人間の世界の外、そして人間の手の届かない遠い所あるいは次元の違う領域に、真実の意味で世界を司っている存在がいる。まさに熊こそは、北方世界における「世界の王」だったのである。

 神話的な熊としてのアーサー王は、そこから神秘的な力を得ていたのである。アーサー王は、現実の世界の権力者たちと同列にならぶ王ではないことが、そこには暗示されているからだ。世俗の王たちは、王権やその象徴(レガリア)のまわりに組織された空間に、王の主権は実在すると信じている。つまり、王の権力の源泉が人間の世界にくり込まれている、あるいは、王権は天上界の神から人間にもたらされたと考える。ところが、そのような「天上界」は人間の幻想に所属しているものであって、結局はそういうやり方で人間の世界の内部にくり込まれてしまっている。

 ところがアーサー王は「世界の王」でありながら、人間の王を越えている。この王の「超越的主権」のあり場所は、国家を持たない北方の狩猟民にとってと同じように、人間の世界の外、自然の内奥にひそんでいると考えられている。神話的な熊であるアーサー王は、人間の世界に二次的な王、偽の王たちが出現してくる以前の、真実の「主権」のあり方をあらわしている。つまり、彼こそが二次的な王たちの出現と同時に見えない存在となってしまう「王のなかの王」であり、真実の「世界の王」としてこの世界のどこにもない空間を、天幕の王宮と一緒にたえまなく移動しつつある存在なのである。

 

 したがって、クレチアン・ド・トロアの出現を待つまでもなく、アーサー王と聖杯の伝説は結びつくべくして結びつく因縁を持っていたと言えるだろう。「カイサルのものはカイサルに、神のものは神に返しなさい」と語ったキリストの血を受けたその杯には、どのような意味であれ人間の世界に持ち込まれた「主権」を承認しなかったお方の思想が、深く染み込んでいる。聖杯は、地上のあらゆる権力の正当性ならびに正統性を否定する思想をはらんでいるのだ。

 聖杯こそが真実の力の源泉なのである。そこには大地を潤し病を癒す無限の豊穣力が宿り、それに触れた者は地上の権力者たちを超越した、真実の「世界の王」となる資格を得ることになるだろう。しかし、この聖杯は人の目に触れることのない異空間に隠されてしまった。偽りの力が世界を支配し、その力のまき散らす虚偽によってすっかり目を眩まされてしまった人々には、けっして見ることも触れることもできない異空間に、聖杯は隠れてしまったのだ。そこに入り込んでいける資格を持った者は、人間の世界を支配する力への欲望や嫉妬や愚かさから自由になれた、アデプト(精神の達成者)でなければならない。つまり、精神の探求における真実の「騎士」でなければ、聖杯に近づくことは許されない。

 アーサー王伝説と聖杯伝説は、このようにはじめから内密のつながりを持っていたわけである。北極星、熊、聖杯は、いずれも人間の世界の外にある「超越的主権」のあり方を象徴している。そこに、移動する天幕を王宮として、世界に堕落をもたらす外敵の侵入と戦う王の姿や、失われた聖杯城を求めてあくなき探求を続ける気高い騎士のイメージが引き寄せられて、ペルスヴァル(パルシファル)の物語が誕生した。

 この物語を、中世ヨーロッパにおける「主権」思想の新しい表現として、とらえ直してみることができる。そこには「ケルト」によって象徴される国家を持たなかった人々が抱いていた、「主権」をめぐる思想の復活が試みられているとも言うことができるだろうが、それが十二〜十三世紀という資本主義の勃興期に生まれたということには、何か大きな意味が隠されているような気がする。

 

 

さあ、次はいよいよ「力の源泉」の秘密へ!

ここをクリックして下さい!

 


 総目次に戻る!