チベット問題に関する歴史認識について



中国共産党は、結党直後は、かつて清朝の支配下にあった諸民族の「民族自決権」を認め、1931年に江西省で樹立した「中華ソビエト共和国」時代には、チベットを含めた諸民族に対し、「民主的な自治邦」を樹立し、「自由に中華連邦に加入し、または脱退できる」と規定する憲法を制定するなど、民族自決権や高度な自立性を認めていたが、1949年の「中華人民共和国」建国以降は、「チベットは中国の不可分の一部分」という主張に転じ、今にいたっている。


文化大革命が行われていた時期は中華人民共和国とチベット亡命政府側の間には、まったく交渉はなかったが、1970年代末以降接触が再開した。チベット側は、「完全なる独立」を取り下げ、「中国主権下の完全な自治」・「チベット全域を単位としたチベット人の自治行政単位の設定」などの主旨で妥協する提案を何度か行っているが、中華人民共和国側はこれを「形を変えた独立の主張」だとして拒否した。


また、ダライラマ14世は、21世紀初頭からは「チベットの独立は経済的地理的に非現実的であり、チベットは中国の一部である」「チベットの外交と防衛は中国政府が担当し、内政はチベット人自身が担当するべきである」と述べている。


ラサ市では当局の厳しい締め付けにもかかわらず、地元チベット系住民や僧侶の抵抗運動も時折発生していた。チベット動乱によりダライ・ラマ14世がラサを脱出して30周年にあたる1989年3月には、大規模な抗議運動が暴動にまで発展し、多くの死傷者を出した。それ以降、外国人のチベット訪問には多くの制限が設けられた。


弾圧の状況については、ダライ・ラマやチベット亡命政府から発表された一例を挙げると、2007年8月に四川省のチベット族居住地区で行われた祭りでは、「ダライ・ラマの帰還を願う」と大声で叫んだ1人のチベット族男性が当局に逮捕されたことをきっかけに、数百人の民衆と警官隊が衝突、多数の民衆が殴打された。その数日後、軍兵士ら計約1万人が出動、住民4000人の村を包囲し、不穏分子を次々と逮捕した、またダライ・ラマが米議会から議会名誉黄金章を授与された当日の早朝、ラサでチベット仏教の僧侶数百人が受章を祝う活動を行っていたところ、4000人の武警や軍兵士が出動し、多数の僧侶を殴打し、数十人の僧侶が逮捕された、とされる。


また、同じく49周年となる2008年3月には、3月10日のデプン寺の僧侶によるデモに始まる抗議運動が、3月14日には大規模な暴動に発展し、多くの死傷者を出している(2008年のチベット騒乱)。米国の短波放送・自由アジア放送などによると、僧侶や尼僧を含む10人あまりのチベット族がチベットの旗をふり、ビラを配りながら抗議活動を行ったところ、中華人民共和国政府の武装警察が殴るなど暴力で抗議活動を鎮圧。聖職者への突然の暴力に、パニック状態になったとされる。また、300人の僧侶が参加してデプン寺からジョカン寺までデモ行進する計画があったが、市中心10キロの地点で武装警察に鎮圧され50人以上が連行されたという。


この様子は世界各国で大々的に報道され、暴動に対し強硬策を取った中華人民共和国政府は国際的な批判を浴びている。ダライ・ラマ14世は、この行為を文化的虐殺と呼び、激しく中華人民共和国を非難している。逆に、この件で中華人民共和国当局は「ダライ・ラマ14世側による組織的な破壊活動」としており、その「証拠もある」としている。しかし、その疑いについてダライ・ラマ14世側は否定し、「原因究明のために国際的な第三者機関による調査が行われるべきである。チベット亡命政府はその調査に対してすべての情報を提供する用意がある」としている。


ダライ・ラマ14世は、2008年8月21日発行の仏紙ル・モンドが掲載したインタビュー記事で、「(今月)18日にチベット自治区東部のカム地区で抗議行動を繰り広げていたチベット系住民に中国軍が発砲した」と言明した。インタビューでは、「死者数は確認する必要がある」と前置きしつつ、死者数が140人に達した可能性があるとの認識を示した。しかし、そのあとダライ・ラマ側はこれを訂正し、ダライ・ラマの真意は「死者数が140人に達した可能性について耳にしただけだ。確認するすべはない。したがってわたしにはわからない」というものだと説明した。また、同紙による「今年3月の暴動以降、ラサ地区だけで400人が殺害された」とするダライ・ラマの発言についても、インドにいるダライ・ラマの側近は「カム地方で騒乱が起きたことは認識しているが、死傷者数やその他の詳細については知らない。騒乱が起きた正確な日時も分からない」としている。


2008年3月には、チベット全土で反中国のデモが起き、中国の警察によって制圧された(2008年のチベット騒乱)。死者数203人、負傷者は1千人以上、5715人以上が拘束されたといわれる。ダライ・ラマは「中国は文化的虐殺(ジェノサイド)を行っている」として中国政府を批判した。中国政府によるチベットのデモ弾圧に対しては世界各国より批判が集中した。

しかしこの「暴動」(中国政府はデモでなく「暴動」と認定)を好機と捉えた中国政府は徹底的なチベット独立派への取り締まりを行い、ラサ市内に多く居住していたチベット独立派は壊滅的打撃を受けた。


2009年1月19日のチベット自治区人民代表大会において、1959年のダライ・ラマ14世のインド逃亡後にチベットが中国に接収された事で、「それまで貴族に所有されていた農奴達が解放された事を記念する」として、3月28日を「農奴解放記念日」とする事を採択した。これに対してチベット亡命政府は「農奴解放」という言葉を使う事こそが侵略を正当化し、チベット人の感情を傷つけるものだとし、これに批判した。


2010年10月19日に、中国チベット族治州同仁県で、チベット民族の高校生、5千~9千人が、六つの高校から合流してデモ行進し、地元政府役場前で、「民族や文化の平等を要求する」などと叫び、中国語による教育押しつけに反発して街頭抗議を行った。近年の教育改革で、全教科を中国語で履修することが義務化されたことに、生徒が反発したものとされる。


2011年3月に中国四川省アバ県で若い僧侶が焼身自殺を図ったのをきっかけにして、僧侶や市民による大規模な抗議活動が広がった。その後もチベット人居住地域で、中国政府のチベット弾圧に抗議するチベット仏教僧侶の焼身自殺が増加し、同年11月の時点で少なくとも11件にのぼっている。同年10月には20歳の尼僧も焼身自殺した。



米国務省では2011年11月4日の記者会見で、相次ぐチベット族僧侶らの焼身自殺に懸念を表明し、中国政府にチベット族に対する「非生産的な政策」を改めるよう要求していることを明らかにした。

一方、中国政府は「焼身自殺はインドのチベット亡命政府の指示を受けたテロ」として非難している。また8月の焼身自殺事件で、抗議自殺した僧侶と一緒にいた僧侶は、自殺をそそのかしたとして教唆犯罪を問われ、懲役13年の判決を受けた。同年11月25日に人民日報ではダライ・ラマが焼身自殺を助長しているとする批判論評を掲載した。

また、英国のガーディアン紙がチベット僧侶を庇護する論調の報道を行った事に対して、中国の駐英国大使館が「歪曲報道である」と書簡で抗議を行っている。


チベット問題に関してアメリカ合衆国政府は、2011年10月、米国上下両院と行政府共同「中国に関する議会・政府委員会」による年次報告を発表し、さらに2011年11月3日には、米国議会で、トム・ラントス人権委員会がチベットの人権弾圧について公聴会を開いた。この公聴会では、チベット人亡命者らの証言も聞かれ、共和党のイリアナ・ロスレイティネン委員長が民主党ハワード・バーマン議員とともに、言論の自由や宗教・思想の自由への弾圧や、妊娠中絶の強制などについて「中国の弾圧は前年よりも悪化した」とした。ほか、共和党のデービッド・リベラ議員は中国共産党指導部を「北京の殺戮者たち」と呼び、人道主義の普遍性から中国に対して強硬な姿勢を取ることを提唱した。また、議長の民主党ジム・マクガバン議員は「かつてチベット鎮圧策を担当した胡錦濤国家主席にまで抗議すべきだ」と発言、フランク・ウルフ議員は「チベットは本来、中国とは別の国家だった。その民族をいま中国当局は浄化しようとしている」と非難した。


2011年12月14日、四川省成都市において、成都鉄道工程学校で、学内のチベット人生徒200人が住む寮を、漢民族の学生グループが15倍の人数に当たる3,000人で集団襲撃した。チベット人の寮は個室、教室を問わずに破壊され、多くの生徒が重軽傷を負った。漢族の襲撃者グループは、「重要な勝利」とブログで報告した。


2012年1月6日、チベット人の男性と僧侶2名が中国政府の統治に抗議してそれぞれ焼身自殺を行った。僧侶は死亡、男性の容態は不明である。2011年3月から数えて、チベット人の抗議の焼身自殺は14人となった。また、1月8日には40代の転生ラマであるソナム・ワンギャルが、青海省ゴロク・チベット族自治州ダルラック県警察署前で、焼身自殺を行った。遺体を押収した中国当局警察に対して、2000人のチベット人が抗議デモを行い、遺体の返還を要求した。当局は返還に応じたが、チベット族は、ソナム・ワンギャルを讃えるポスターを張るなどの行動をとった。

翌1月9日、アメリカ国務省報道官は「チベットで新たに3人の焼身があったことは、米国にとっての深刻な懸念」と声明を発表した。

また、1月14日、ンガバで、若いチベット人が焼身自殺を行ったが、遺体を押収した当局警察は遺体に対して足蹴にし殴打した。これに怒ったチベット族およそ100人が抗議するが、中国武装警察は発砲、2名のチベット人が撃たれている。


2012年1月7日、インドの新聞ザ・タイムズ・オブ・インディアは、西部ムンバイの警察が、中国国籍のチベット人ら6人のスパイがチベット自治区からインド国内に侵入してダライ・ラマ14世を暗殺するという情報を入手、インド亡命中のダライ・ラマ14世の警備体制を強化する方針を決定したと報じた。ムンバイ警察は中国系情報機関の要員であるとした。

なお、ジャーナリストの有本香は、このリークについて、ダライラマによる灌頂に際して、「参加者を装って多数潜入したであろう中国側の全工作員に対する、インド当局の牽制の意を込めたリークによるもの」としている。


2012年1月、中国政府はチベット族に対して、旧正月をチベット式でなく、中国式で祝うように指示をした。また正月直前の1月22日から毛沢東、鄧小平、江沢民、胡錦濤ら歴代4人の肖像画を100万枚、チベット自治区の寺院や家庭に配布している。

このような中国政府の指示に怒ったチベット族は、同年1月23日、四川省カンゼ・チベット族自治州炉霍県(ダンゴ)でチベット族が抗議デモを行った。すると、中国人民武装警察部隊はこのデモを阻止するために、無差別発砲を行い、この発砲で、2名から6名が死亡し、60人以上が負傷した。武装警察の発砲に対して抗議するデモ参加者は5000人規模となった。同23日、四川省アバ・チベット族チャン族自治州アバ県では、真言宗を唱える僧侶らのデモ行進を治安部隊が妨害し、暴行を加えた。

この事件について、中国外務省の洪磊副報道局長は翌日の24日、「真実を歪曲し、中国政府の信用を傷つけようとする海外の分裂主義者の試みは成功しない」とチベット族およびチベット亡命政府を非難する談話を発表した。

同1月24日、色達県(セルタ)でもチベット族のデモ隊と中国当局の治安部隊が衝突し、数十人が被弾し、亡命政府発表では5人が死亡した。


2012年1月24日、米国務省オテロ国務次官(チベット問題担当調整官)は、同23日に発生した中国四川省でのチベット族住民への中国の治安部隊による発砲、および、チベット僧侶の抗議の意を込めた焼身自殺を受けて、「深刻な懸念」を表明し、中国政府によるチベット政策を「チベット族の宗教や文化、言語の存続を脅かす非生産的な政策」としたうえで、チベット族の人権尊重と中国武装警察隊への自制を要求した。

同26日、アバ県に近い壤塘県(ザムタン)で、チベット族の群衆に向かって中国当局警察が発砲し、1人が死亡した。

なお、中国の大衆からは、チベット人に対する同情の声はほとんどあがっていないとされる。他方、同年1月にインドのブッダガヤでダライ・ラマ法王によって行われたカーラチャクラ灌頂には、中国人が1,500人も参加している。なお、この行事に参加するチベット人を制限するために、中国政府は、チベット族へのパスポート発給を停止したが、実際には8,000人のチベット人が灌頂を受けた。