月見野遺跡(その2)

・・・太古のリズムを感じるか・・・

 

 

 

 

 図は字が薄くなっているのでちょっと判別しにくいが、左側に相模川が流れており、右側に境川が流れている。境川の先が江ノ島であり、すぐ横を引地川が流れている。薄いが赤くなっているのが旧石器時代の遺跡であり、境川と引地川に集中しているのが何とか判別できるであろう。この辺りがいわゆる相模野台地と呼ばれるところである。町田市、相模原市、座間市、大和市、綾瀬市、海老名市などである。月見野遺跡は、境川の支川目黒川にあるが、図の右上に確認できるであろうか。当時の舟運がどういう状態であったか想像の域をでないが、境川を遡っていけば八王子付近に出るので相模川や多摩川には容易に行くことができる。月見野遺跡の付近から鶴見川の支川恩田川には容易にいけるので、それを下っていけば多摩川である。旧石器時代は鶴見川と多摩川は河口付近で繋がっていたと考えられるので、そう言って差し支えないであろう。熱海は境川の河口と海で繋がっているので、月見野遺跡はまさに舟運の要衝にある。私は、黒潮文化と黒曜石文化が真っ先にぶつかったのがこの相模野台地でなかったかと考えているが、ここではともかく・・・月見野遺跡は熱海や相模川と繋がっているということと多摩川と繋がっている点に注目してもらえれば結構だ。

 

 なお、国道16号と国道246号の交差点および東名高速道路の横浜町田ICは月見野遺跡の近くにあるので、現在のような車社会にあっても月見野遺跡の付近は交通の要衝であると言える。月見野遺跡を訪れる際にはこのことはしっかり認識しておいて欲しい。国道246の旧道は、言わずと知れた大山街道であり、大山信仰の道である。海人(あま)のことを勉強すると大山信仰と熱海の伊豆山神社とのつながりがが見えてくる。国道16号は、今の所、関東平野の唯一の環状線である。東名高速道路はいうまでもなく濃尾平野と関東平野を結ぶ大動脈である。相模川の上流・桂川にはJR中央線、国道9号、中央高速道路が走っている。このように熱海との関係、関東平野との関係、濃尾平野との関係、或いは甲州や信州との関係を考えるとき、月見野遺跡の地理的な便利さは昔も今も変わっていない。

 相模原市立博物館を拝観すれば判るように、月見野遺跡をはじめとし相模野台地は、本来、ジオ的にはというか、自然的環境及び地理的環境とその地域の歴史・文化との関係から見て、今も大変住み良いところであると思われるので、いいよいよこれから住環境の整備に力を入れていってもらいたいものだ。

 

 

駅前は広くて美しい!

 

さあ、それでは駅前の道路を右手方向に歩き始めよう!

北の方向つまり町田の方向に歩くことになる。

歩き始めてすぐ、道路の向こう側に月見野遺跡の説明板が見える。

 

歴史資料館は500m先にあるらしい。

ゆっくり歩いていこう!

野球場横の歩道][信号を渡って住宅街を行く][はや着いた

 

 

 

 

 

 この写真は、歴史資料館から北(正確には北東)の方向を見たところ。写真にとるとちょっと分りにくいが、北の方向に下り坂になっている。実は、後で判ったのだが、歴史資料館はいちばん高いところに立っていて、その裏側も下り坂になっている。それら下り坂の一番下に昔の目黒川が流れていたのである。歴史資料館に来る途中信号を渡ったが、昔の目黒川は野球場からその信号を斜めに横断するようなかたちで流れていたらしい。つまり、信号より南はこの道路の西側、信号より北ではこの道路の東側を流れ、この道路の北側のいちばん低いところで再び目黒川は道路の西側に流れていたのだ。

 

 

つる舞の里歴史資料館の中の様子

][][][][][

 

 

 駅に帰りまわりをよく見たら月見野遺跡の案内板があった。

 

 

 この案内板の内、月見野遺跡の代表的な地点として、月見野遺跡上野遺跡第1・2地点から月見野遺跡上野遺跡第3地点を見て回ることとしよう!

 田園都市線の西側(中央林間方面)を見る。この案内板と現地はあってなくて、現在は、田園都市線の南側に道路ができている。後ろを振り向くと・・・駅の正面である。第1地点には南側の道路ではなくて北側の道路を行く。野球場沿いの道だ。この道路の下がり切ったところが目黒川。現在は管渠となっている。その向こうの上り坂を登り切った市営住宅が月見野遺跡上野遺跡第1・2地点である。案内板には、旧石器時代、縄文時代、平安時代の重複遺跡であることが書いてある。

 田園都市線の陸橋を渡ったところに「つきみの中学」がある。ちょうどその日は文化祭をやっていて、夢創というグループが太鼓をやっていた。

太鼓その1][太鼓その2][太鼓その3

 

 夢創というのは太鼓の好きな人たちが集まって出来たファミリーなサークルだ。大和を拠点に活動をしているらしい。童謡・民謡・ポップスなどの曲にあわせて太鼓を叩くもので、私は今さらながら太鼓の不思議な響きにビックリした。古代に想いを馳せて歩いていたせいかも知れないが、太鼓のリズムというものはまさに人の心に響くものである。ちなみに、デカルトは、若い頃、「太鼓に張られた羊の皮は、ほかの太鼓で狼の皮が鳴り響いていると、叩かれても鳴ろうとしない。それは、情念の<共感と反感>のゆえである。」 などと言っていたようであるが、太鼓のリズムにはまことに摩訶不思議なものがある。月見野遺跡という古代遺跡にはぴったりのリズムだ。太鼓の響きはたしかに「太古の響き」であると実感した。機会があれば、夢創というグループの奏でる太古の響きを思う存分聞いてみたいものだ。

 景観10年、風景100年、風土1000年というが、人びとの暮らしは1000年や2000年というものではない。もっともっと古い。場所には、そういう古代人の想いのこもった場所性というものがあって、場合により、精霊が宿っていて、宇宙的なリズムを発している。しかし、中沢新一の「アースダイバー」ではないけれど、理性というかイデアというか何かそういう哲学的な力を借りながらよほど奥深いところまで潜っていかなければその場所の持つ宇宙的なリズムを聞くことは難しい。私は、中沢新一の言葉をヒントに、景観10年、風景100年、風土1000年、精霊万年と言っているが、夢創の奏でる「太古の響き」を聞きながら、ふと、古代人の想いのこもった場所性というかプラトンの「場」(コーラ)というものが私の頭の片隅をよぎったのである。こういう場所性の問題というのは、地理学の問題でもあり哲学の問題でもある。

 荒木 亨が、地理学とコーラ(chra)について、次のように言っている。「古代ギリシア、プトレマイオスとストラボン以来、既に地理学は地表面の正確な測定測量と場所場所の性質、そこの気候、起伏、文明の分析という二つの傾向に別れていた。これがやがて、自然地理学と人文地理学の二大別に照応する。自然地理学は、18、19世紀を通じて地球の正確な地図作製の仕事を終ると、それ以上の新しい学問的原理を内発できなくなった。ジェオロジー(地質学)、ジェオデジー(測地学)、カルトグラフィー(地図作成学、製図法)、ボタニック(植物学)、ジェオフィジック(地球物理学)、ペドロジー(土壌学)、経済学、社会学、人類学などが次々と発達し、地理学は次第にそれら新学問の補助学の様相を呈するに至った。ベルクさんは、風土学によって地理学のこの危機を救おうとする。ジェオグラフィーという名前に代えてコロロジー(chrologie)という呼び方を試みた学者もいたが、不成功に終わったこの言い換えに、正にコーラ(chra)が隠れているのも面白い。 」・・・と。オギュスタン・ベルクは、地理学者の立場から、その著「風土学序説」でコーラ(chra)のことを取り上げている。私もまた、ジオパークの旗を振っている以上、地理学の立場からコーラ(chra)のことを勉強せねばなるまい。また、中沢新一は、哲学者の立場から、、その著「精霊の王」でコーラ(chra)を取り上げている。これも合わせて勉強せねばなるまい。

註:中沢新一の著書「精霊の王」のうち、すでに勉強した部分を再掲しておく。 コーラ(chra)についての記述は第10章「多神教的テクノロジー」である。その要点を示しておくと次のとおりである。『それにしても、宿神=シャグジの空間はプラトンの言う「コーラ chola」というものに、そっくりである。(中略) コーラは「母」である、とプラトン[『ティマイオス』]はいきなり宣言する。そして、それは「父」とも「子」とも関わりのないやり方で、自分の内部に形態波動を生成する能力を持ち、その中からさまざまな物質の純粋形態は生まれてくるのであると…語るのである。(中略) コーラは子宮[マトリックス]であると言われている。同じようにして、宿神もミシャグチも子宮であり、胞衣だと考えられていた。その中には「胎児」が入っていて、外界の影響から守られている。つまり、コーラは差異と生成の運動を同一性の影響から守り、宿神は非国家的な身体と思考の示す柔らかな生命を、外界を支配する国家的な権力の思考から守護する働きをおこなってきたのだ。 こうして私たちは、プラトン哲学の後戸の位置にコーラの概念を発見するのである。この概念は、極東の宿神=シャグジの概念との深い共通性を示してみせるのだが、それはおそらく、かつてこのタイプの存在をめぐる思考が、新石器的文化のきわめて広範囲な地域でおこなわれていたためだろう、と考えるのが自然ではないか。コーラという哲学概念のうちに、私たちは神以前のスピリットの活動を感じ取ることができる。西欧ではいずれこのコーラの概念を復活させる運動の中から、現代的なマテリアリズム(唯物論)の思考が生まれ出ることになる。その意味では、マテリアリズムそのものが哲学すべてにとっての「後戸の思考」だと言えるかも知れない。』

 

 さあ、それでは、古代人の生活を想像しながら、

月見野遺跡上野遺跡第3地点へ向うとしよう!

歩行者専用道路の景色1][歩行者専用道路の景色2

 

 

はや着いた!

 

 

 この案内板は、目黒川の近くにあるが、東側は児童公園になっている。目黒川の向こうの景色を見て判るように、住宅街は、目黒川付近が低く、その向こうは高い。公園は斜面に作られていて、いちばん上が高台の住宅地である。 

公園横の目黒川1][公園横の目黒川2

 

 目黒川は、おおよそ川と言えないような状況で、残念だ。目黒川は田園都市線の下を暗渠でくぐっていて、あとはどこに続いているのやら判らない。消えてなくなっているのだ。これでは古代の状況を想像するのはまったく困難だ。何か痕跡がないか?日をあらためて上下流を探索するとしよう。アースダイバーとなって・・・・。

 「つきみ野」は、膨大な石器が出た遺跡の地である。しかも、御子柴型石器と湧別川技法による細石刃が併出するという全国でも貴重なな遺跡だ。私は、「つきみ野」という土地にできるだけ多くの古代の痕跡を見い出して、何とか古代に想いを馳せようとしている。過去、現在、未来という時間を超越した何か神のようなものというか宇宙的なものの響きを幽かに感じながら、過去や現在や未来について、一体、私に何が語れるのか? 黒曜石や「つきみ野」という土地に対する私の想いが、このインターネットによって地元の人びとにどう伝わるのか? また、今後、地域の人びとの想いがこの「つきみ野」という土地にどう刻印さていくのか? そして、将来、「つきみ野」という土地からどういう人が生まれて、どういうものが生成されていくのか? コーラ(chra)は母である。生成の「場」である。「つきみ野」に幸いあれ!

 

次はここをクリックして下さい!