月見野遺跡(その3)

・・・水の神は死んだか・・・

 

 

 私は、先に、次のように述べた。すなわち、『 「つきみ野」は、膨大な石器が出た遺跡の地である。しかも、御子柴型石器と湧別川技法による細石刃が併出するという全国でも貴重なな遺跡だ。私は、「つきみ野」という土地にできるだけ多くの古代の痕跡を見い出して、何とか古代に想いを馳せようとしている。過去、現在、未来という時間を超越した何か神のようなものというか宇宙的なものの響きを幽かに感じながら、過去や現在や未来について、一体、私に何が語れるのか? 黒曜石や「つきみ野」という土地に対する私の想いが、このインターネットによって地元の人びとにどう伝わるのか? また、今後、地域の人びとの想いがこの「つきみ野」という土地にどう刻印さていくのか? そして、将来、「つきみ野」という土地からどういう人が生まれて、どういうものが生成されていくのか? コーラ(chra)は母である。生成の「場」である。「つきみ野」に幸いあれ!』・・・・と。

 「つきみ野」という土地は、確かに、黒曜石を語るになくてはならない誠に貴重な土地である。「つきみ野」という土地と黒曜石文化との関係を語らねばならない。そのためには、黒潮文化との関係を語らねばならないし、縄文文化との関係を語らねばならない。これは地理学者の仕事だ。また、「つきみ野」という土地の未来を語るには、「つきみ野」という土地の現在や過去を語らねばならない。未来と現在と過去を語るということは、過去、現在、未来という時間を超越した何か神のようなものというか宇宙的なものの響きを幽かに感じながら、それとの関係を語るということだ。これは言うまでもなく存在論であって哲学者の仕事だ。さらに、私は、今、『 黒曜石や「つきみ野」という土地に対する私の想いが、このインターネットによって地元の人びとにどう伝わるのか? また、今後、地域の人びとの想いがこの「つきみ野」という土地にどう刻印さていくのか? そして、将来、「つきみ野」という土地からどういう人が生まれて、どういうものが生成されていくのか? コーラ(chra)は母である。生成の「場」である。「つきみ野」に幸いあれ!』・・・・と述べたが、これはもう創造の話であって、こういったことを成すか成さないかはシビルエンジニアリング(土木学)次第だ。今の土木学は、こういう地理学と哲学を総合しながら、新しい価値あるものを作っていない。本来、土木工学は「場所づくり」のためにあるのであって、「場所」についての地理的な分析と哲学的な深い思考を前提として、地域の人びとに働きかけ、地理学的及び哲学的にすばらしい人びとを生成しくような・・・、そういう「場所」を作っていかなければならないのである。本来の「場所」を取り戻すこと、それは生成の「場所」を作ることであり、コーラ(chra)・「母」の復権を果たすことだ。

 

 さて、私は、本来、「つきみ野」という土地を「つきみ野」という土地あらしめているもの、目黒川、その現状を見た。今のシビルエンジニア(土木学者)というものはひどいものだ。すっかり目黒川を殺してしまったかに見える。あれはもう川ではない。川の水というものは本来飲めるものである。また、川には魚や昆虫がうじゃうじゃいて、それを子どもが自由に掴めるようでなければならない。本来「生成の場」とはそういうものだ。でもすっかり変わってしまった。ああ、目黒川はすでに死んでしまったのであろうか・・・?

 

 今のシビルエンジニア(土木学者)というものはひどいものだが、本来のシビルエンジニア(土木学者)に戻る萌芽はすでにでてきている。風土工学の誕生だ。私はかって、『 私の提唱する・・・・個性ある地域づくり、共生の思想にもとづく地域づくり、川童の棲む川づくり、巨木の町づくり、怨霊、鬼、妖怪の棲む町づくり・・・・これらはとりもなおさす風土工学の問題といったらよかろう。風土工学の新たな展開を心から願い、そして「杜のくに・・・日本」の幸せを願いつつ、明日のよろこびを夢見ることとしたい。』・・・と、元土木研究センター風土工学研究所所長の竹林征三さんの進める風土工学に期待を込めながら、若干、シビルエンジニアリング(土木学)に哲学の必要なことを書いたし、さらには中沢新一の「光と陰の哲学」による新技術論の必要性を書き、そういった・・・新技術論をどう展開するかという点にも触れておいた。私の言いたいことの要点は、『 地域づくりのNPO活動をやりながら、陰翳の技術、タマシイの技術、鎮魂の技術を含む「モノ的技術」、私に言わせればそれらは公共財ということになるが、そういう「タマ的技術」を含む「モノ的技術」を身近に感じることのできる「場」を作っていくことだ。そうすれば、世界の人びとは日本においてそれを体験し、自国にその種を植え付けることができる。それができれば、それが萌芽となって、世界レベルで「モノとの同盟」が行なわれていくのではなかろうか。それが可能となれば人類の新たな文明が始まる。 』・・・・ということであった。その後の勉強の成果を踏まえながら、今、このことを言い直すと、このような言い方・・・『 本来、土木工学は「場所づくり」のためにあるのであって、「場所」についての地理的な分析と哲学的な深い思考を前提として、地域の人びとに働きかけ、地理学的及び哲学的にすばらしい人びとを生成しくような・・・、そういう「場所」を作っていかなければならないのである。本来の「場所」を取り戻すこと、それは生成の「場所」を作ることであり、コーラ(chra)・「母」の復権を果たすことだ。 』・・・ということになる。

 

 そんなことを思いながら、目黒川の上流と下流を歩いた。目黒川はすっかり下水路のようになって元の目黒川の「面影(おもかげ)」を見い出すことは難しいのだが、目黒川の上流はほとんどの区間が暗渠になっていて元の目黒川の存在すら判らなくなっている。「面影(おもかげ)」がなくなったということは、その場所に「面向き(おもむき)」がなくなったということであり、まことに残念なことである。「面影(おもかげ)」と「面向き(おもむき)」の問題は、哲学としてはコーラ(chra)・「母」の問題であり、いずれゆっくり勉強するとして、ここではとりあえず、以前にとりあげた・・・胞衣(えな)信仰を思い出しておいて欲しい。

 

 さて、「つきみ野」は、御子柴型石器と湧別川技法による細石刃が多量に併出しており、それ自体がまことに得難い古代の痕跡だが、目黒川に何らかの形で古代の痕跡が見い出すことができればこれからの町づくりにおおいに役立つ。私はそんな思いで目黒川の上下流を歩いてみた。

 

   

 

 これは発掘当時の地図と航空写真であるが、これと比べて今は市街化が著しく、目黒川もかなりの部分が暗渠化していて当時の面影はまったく無い。黒曜石を訪ねる私の旅は、前回、『 目黒川は、おおよそ川と言えないような状況で、残念だ。目黒川は田園都市線の下を暗渠でくぐっていて、あとはどこに続いているのやら判らない。消えてなくなっているのだ。これでは古代の状況を想像するのはまったく困難だ。何か痕跡がないか?日をあらためて上下流を探索するとしよう。アースダイバーとなって・・・・。まあ、ともかく歩いてみよう。 』・・・というところで終わった。この地図や写真では分かりにくいが、まんなか付近に市営住宅団地が見える。その南側を現在の田園都市線がとおった訳で、前回は、「つる舞の里歴史資料館」を見た後、田園都市線を目印にその南側を歩いて、目黒川が田園都市線と交わる辺りで終わったのであった。今回は、前回終わった辺りから北側を歩こう。

 

前回歩いた目黒川の方を見る][野球場の西側の児童公園を見る

市営住宅団地の方を見る][児童公園の上から下を見る

 

 滝山街道という鎌倉と八王子を結ぶ古い街道がある。滝山街道は鎌倉の玉縄城(たまなわじょう)と八王子の滝山城を結ぶ街道である。現在は国道16号線が幹線道路になっているので、この付近では、滝山街道は遊歩道に切り替わっている。前回は、つきみ野中学からその遊歩道を少し歩いた。前回は鎌倉方面に歩いた訳だが、今回はその逆、八王子に向って歩こう。

滝山街道1][滝山街道2][滝山街道3

 

 上の地図で右上から左真ん中に走っている道路があるが、これは横浜市の水道管が埋められている・・・いわゆる水道道路である。現在は遊歩道になっている。滝山街道から適当なところでそちらに向う。その水道道路を上から下へ歩いていけば、目黒川に出くわすはずだ。この付近は梨畑などもあって田園的な雰囲気の残る良いところだ。

 

水道道路1][水道道路2][水道道路3][水道道路4

 

 水道道路をしばらく歩いていくと、「つる舞の里歴史資料館」の裏あたりで目黒川に出くわす。

 

目黒川1][目黒川2][目黒川3

 

 

 目黒川は暗渠になってなくなってしまうが、その先はすぐに「つきみ野」の交差点だ。目黒川はダメだが「つきみ野」は良いところだ。交差点の付近にこんなすばらしい店があった。月見野には・・・こういう店が増えると良いですね。

 

 

 

 

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