月見野遺跡(その1)

 

 

 月見野遺跡は東急の田園都市線つきみの駅のすぐ近くにある。車で行く場合は、東名高速道路の横浜町田インターチェンジから国道16号を経由するのがいちばん便利だが、東名高速道路を利用しにくい人はともかく国道16号を目指すことになる。この月見野遺跡を見ないで黒曜石を語ることはできない。それほど重要だということだ。是非、出かけて欲しい。遺跡跡には説明板があるだけだが、近くに「つる舞の里歴史資料館」があって、発掘された御子柴型石器や湧別川技法による細石刃が見られる。「つる舞の里歴史資料館」は、ここをクリックして場所を確認して欲しい。なお、車の人はこの地図も参考にするとよい。

 

 

 

「つる舞の里歴史資料館」・・・この裏の低地に目黒川が流れていた。

 

 

 

 

「つる舞の里歴史資料館」の館内は狭いが、中味は立派。

 

 

 私は、先ほど「月見野遺跡を見ざるして黒曜石を語ることはできない。」と申し上げたが、この点についてはそれなりの説明が必要だ。以下に、簡単にその説明をしておこう。

 今のところ(2006年8月現在)、日本列島の黒曜石については稲田孝司の「遊動する旧石器人」という本がいちばん良く書かれている。そこで私は、前にも述べたように、その本から九州の旧石器文化」に関する記述部分を紹介した。その要点は、『・・・湧別技法集団は本州全域に植民・遊動領域をひろげ、神子柴文化が九州南端まで影響を与えたとすれば、もはや列島の立派な主人公である。ナイフ形石器文化・南西日本細石刃文化を担った集団と湧別技法集団・神子柴集団とを対等な主人公としつつ、その,緊張関係を旧石器・縄文移行期のなかに描くことができれば、より均衡のとれた歴史復元になるのではないかと思う。・・・』という部分だ。

 北海道湧別川(白滝)の旧石器人が細石刃をつくる技術を湧別技法というが、その湧別技法でつくられた細石刃が月見野遺跡から出土した。このことすら驚くべきことだが、稲田孝司はその程度の話にとどまらないで、湧別技法集団は本州全域に植民・遊動領域をひろげた・・・といっているのである。だとすれば、白滝の黒曜石を語らないで日本の黒曜石を語ることはできないではないか。こういう稲田孝司の考えはどこから来るか。少々説明をしておかなければなるまい。

 

 旧石器時代末期から縄文時代初頭への移行時期に、湧別技法集団と神子柴集団が共存していた。湧別技法についてはいずれ詳しく述べるとして、ここでは神子柴文化よりはるかに古いということ、したがって湧別技法集団が神子柴集団に強い影響を与えた筈であることを述べるにとどめておく。私は、湧別技法集団の強い影響があってはじめて神子柴文化というものが誕生したと考えている。そして、神子柴文化の誕生によって縄文文化が始まるのである。湧別技法集団をおじいさんに、そして御子柴集団を孫に喩(たとえ)えると判り易いかも知れない。おじいさんの強い影響を受けて孫は立派に育つ。おじいさんやお父さんが死んで、完全な孫の時代になる。その完全な孫の時代が縄文時代なのである。月見野遺跡は、おじいさんとお父さんと孫の・・・三人同居の時代である。三人を見て、当時の人たちを想わざるを得ないし、その先祖がどういう人たちであったのかを想わざるを得ないではないか。私は神子柴石器をみて湧別技法集団を想わざるを得ないし、白滝の黒曜石を想わざるを得ない。神子柴文化の源流に白滝黒曜石がある。縄文文化の源流に白滝黒曜石があるのである。

 

 稲田孝司「遊動する旧石器人・・・先史日本を復元する1」(2001年12月、岩波書店)によれば、神子柴文化については、三つの種類に分類できるという。

 図中、1・6・7・12・〜15は尖頭器。2・3・8は石斧。4・11・16は掻器。5は削器。9は細石核。10は細石刃である。

 上段は、神子柴遺跡であり尖頭器と石斧と石刃素材をともなう。唐沢B遺跡なども同様である。私の喩えで言えばおじいさんの時代である。おじいさんは湧別技法を参考に御子柴型の石器を開発した。中段は、月見野上野1遺跡だが、尖頭器と石斧と湧別技法細石刃石器群をともなうもので、寺尾遺跡などもこの種類に含まれる。私の喩えで言えばお父さんの時代である。お父さんは、黒曜石に頼らなくても在地の岩石で鋭敏な大型尖頭器を作れるよういろいろと研究開発を重ね、尖頭器の槍と細石刃の槍の両方をいろいろと使ってみた。試行錯誤の時代である。下段は、佐久市下茂内(しももうち)遺跡だが、大型尖頭器を主体とする神子柴石器群で、あきるの市前田耕地遺跡などもこの種類に含まれる。私の喩えで言えば孫の時代である。孫は、在地の岩石にもよるが、できるだけ在地の岩石で尖頭器の槍を作るようにした。それだけ加工技術が発達したということだ。

 

 さて、神子柴文化誕生のもとになった湧別技法細石刃とはどういうものか。この説明が必要になってきたが、急いではいけない。まずは、細石刃の説明をしよう。

 

 

 図は、月見野遺跡群上野遺跡第1地点の調査報告書に掲載されている・・・第3文化層1区1群から出土した細石刃であるが、上段左端の細石刃の長さが2、88cm、幅が0、84cm、厚さが0、27cmという・・・すべてが極めて細かいものである。だから細石刃という。これは木や骨に埋め込んで槍とする。

 

 シベリアの植刃槍

 

 図は、シベリアの植刃槍であるが、骨製の尖頭器で、左側の縁(ふち)に28個、右側の縁に45個の細石刃が埋め込まれている。黒曜石の場合、細石刃の刃はカミソリの刃と同じように考えて欲しい。刃こぼれがしたら取り替えればいいのだ。ビックリするのは、黒曜石の刃はガラス質でできているので、上手に作ればカミソリの刃より切れ味が鋭い・・・ということだ。実際に外科手術に使っている人がいる。

 

さあ、それでは館内を見て回ってから、付近を散策するとしようか。

「つる舞の里歴史資料館」を館内の展示内容は、写真が撮影できないのでそのままは紹介できない。

ほぼ同じものがホームページにあるので、まずはそれを見て欲しい。

それでは月見野上野1遺跡の現地に行くとするか。

そうしよう!そうしよう!