「失われた地平線」 



小説「失われた地平線」2011年9月、河出書房)は、11章からなる本文と、プロローグとエピローグからなる。本文は英国のパスクル駐在領事だったヒュウ・コンウェイが、熱病で一度記憶を失って重慶の 慈善病院で作家のラザフォードに発見され、上海から日本経由でサンフランシスコへ向かう一緒の船旅の中で記憶を取り戻し、語った特異な経験をラザフォード が書き留めて原稿の形に纏めたものである。


あらすじ

1931 年に革命騒ぎで混乱したアフガニスタンのパスクルから80人の白人居住者を避難させる任務に就いていた37歳のコンウェイは、最後の3人(若い副領事マリ ンソン、東方伝道会のミス・プリンクロウ、アメリカ人のバーナード)とともに政府手配の小型機に乗った。だが、その操縦士は本来の操縦士とは別人で、飛行 機は目的地ペシャワールではなく、チベット奥地へ飛んだ。そして飛行機は最後に乱暴な着陸をし、操縦士は近くにラマ教の僧院があることを言い残して死んだ。夜が明けて、中国人張の一行が来て、4人をシャングリラの僧院に案内した。

僧院は近代的な施設で、集中冷暖房設備、アメリカ製のバスタブ、膨大な書籍を擁する図書室、グランドピアノ、ハープシコードなどを備えていた。食料 はすぐ下の谷間で潤沢に生産され、近くには標高8500mを超えるカラカル山がそびえていた。また豊富な金鉱があって、外部からの必要なモノの購入に不自 由しなかった。ここでは人々は平和でストレスのない生活をしていて、年をとるのが非常に遅かった。4人は外部に出る手段がないままに、シャングリラにとど まり、特にコンウェイはこの地を好ましくなっていった。

しばらくしてコンウェイは最高位のラマ僧「大ラマ」と会う機会を与えられ、いろいろと話を聞いた。この僧院は1734年に53歳でこの地に来たカプチン会 属のカトリック神父ペローによって創建され、その後、土地になじんで次第に性格を変えていった。そしてこの大ラマは齢250歳以上という長寿の奇跡を手に 入れたペロー神父その人だった。また、大ラマの話で、シャングリラではできる限り一定の数で新しい人を迎えるように務めてきたが、この20年ほど新来者が なかったので、信徒の一人が思いきって谷を出て補充の人員を連れてこようと提案し、大ラマの許しを得て計画を練り、偶然も手伝ってコンウェイら4人をここ に連れてくることになったという事情も分かった。

張は今や何一つ隠さず、僧院の決まりや習わしを自由に語ってくれた。また、僧院の何人かと知り合い、中にはショパンの直弟子を称するフランス人もい て、耳慣れた曲以外にもまだ出版されてないショパンの幾つかの作品までピアノで披露、楽譜に書き起こし、コンウェイはそれをおさらいして飽くことを知らな かった。 大ラマとの面会も3回、4回と回を重ね、広範な話題で心置きなく話し合い、心を交わした。こうしてコンウェイは次第に心身一体の満足を疼くほどまでに覚え るようになった。 コンウェイは大ラマとの対話を通して、下界の醜さというか、尽き果てぬ欲望うごめく世界を改めて認識し、それとは対照的に「シャングリ・ラ」の理想的な世界を知っていくのである。

さらに時間が経ち、外部に出る唯一の機会である、その地に物資を運ぶ運送業者が来ることになった。そのころになると、コンウェイだけでなく、ミス・ プリンクロウとバーナードもそれぞれの理由でこの地に居残ることに心を決めていた。一人マリンソンだけが帰心矢のごとくだった。そのマリンソンは僧院の満州娘・羅珍 と恋仲に陥っていた。ソコデ、その恋人と一緒に国に帰ることを決意した。

さて、何回目かの大ラマとの面会の折、大ラマはいよいよ自分の死期が近づいたことを告げ、シャングリラの歴史と運命をコンウェイの手に委ねたい と言い残して、寂滅した。すなわち、コンウェイは高僧との会見で次のように思いを託されるのである。

『 現在の世界は欲望と武力で満ちていて、早晩滅びてしまうだろう。そのとき、世界を新たに導くことがシャングリラの存在理由だ。そして君こそが、シャングリラの次の指導者だ。』


ところが、コンウェイはシャングリラを出ざるを得なくなった。シャングリラを出る決意をしたマリンソンは、運送業者の待つ場所までの山道の難所を一人では通れないというので、コンウェイが一緒に行かざるを得なくなったのである。そして谷を出たところで運送業者の一団と羅珍に会う。コンウェイの手記はそこで終わっている。

エピローグでは、最後にコンウェイがバンコックから寄越した手紙にこれから北西方面に長い旅に出るとあったのを頼りに、ラザフォードがコンウェイの跡を追い、手記の裏付を探る旅をする。コンウェイは果たして、シャングリラを尋ねあてるだろうか?