河合隼雄「明恵 夢を生きる」1987年

註:以下は上記の本からの抜粋である。ただし、緑色の部分は、私の補足説明であり、文責は私にある。

 

貞永式目の思想

 

 

 承久三年(一二二一)に起こった承久の乱、およびそれに続く一連の出来事は、わが国の歴史において画期的なことであり、「革命的」と称することもできることであった。三人の上皇の配流に続いて朝廷領の没収、守護・地頭制の強化があり、乱後十一年目には、それまで日本を支配していた律令制度に代わるものとして、幕府が「貞永式目」を制定したのである。このことは、今まで形式的にしろ朝廷が保っていた権力の中枢としての座が幕府に移ったという事実のみならず、「貞永式目」という法そのものの内容、およびそれを支える思想が極めて画期的であったという意味でも、「革命的」なことであった。

 さて、承久三年の乱は、幕府軍の勝利によって、またたく間に終わってしまった。このとき明恵は、朝廷側の武士や公卿などの未亡人をためらうことなく高山寺にかくまった。『伝記』によると、このために怒った鎌倉武士は明恵を捕らえ、六波羅探題北条泰時のところに引っ立てていったという。明恵はすべて覚悟の上であったので、泰然として、彼にとっては敵味方なく、気の毒な人を助けるのは当然のことであると述べ、「是、政道の為に難義なる事に候はば、即時に愚僧が首をはねらるべし」と言い切った。泰時はもともと明恵を尊敬していたので、大いに恐縮して詑びると共に、むしろ、明恵の教えを受けようとした。

 承久の乱後に北条泰時が制定した「貞永式目」は、わが法制史上極めて画期的なものであり、明治憲法に至るまで、長期にわたってわが国を支える有効な「法」として活用されることになった。

 明恵の説く「あるべきやうわ」の本質が、「貞永式目」のなかに生かされ、それはのちのちまで日本人の生活のなかに生きてきたのである。

 

 私は先に、「あるべきやうは」について、河合隼雄の次のような見解を紹介した。『 明恵は、「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうは)」について、「此の世に有るべきように有ろうとする」ことが大切であると明言している。これは、当時急激に力を得てきた法然の考えに対するアンチテーゼとして提出されたものと思われる。従って、この言に続いて、現世のことはどうであっても後生だけ助かればいいなどと説いている経典はない、と言い切っているのである。

 このような例に接すると、日本人としてはすぐに「あるがまま」という言葉に結びつけたくなるが、わざわざ「あるべき」と、「べし」という語が付されているところに、意味があると感じられる。

 このような日々の「もの」とのかかわりは、すなわち「こころ」の在り様につながるのであり、それらをおろそかにせずになし切ることに、「あるべきやうわ」の生き方があると思われる。そこには強い意志の力が必要であり、単純に「あるがままに」というのとは異なるものがあることを知るべきである。

 明恵が「あるべきやうに」とせずに「あるべきやうは」としていることは、「あるべきやうに」生きるというのではなく、時により事により、その時その場において「あるべきやうは何か」という問いかけを行ない、その答えを生きようとする、極めて実存的な生き方を提唱しているように、筆者には思われる。 』・・・・と。

 

 では、「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうは)」という明恵の実存的な生き方を支える華厳哲学とはどのようなものであろうか。ここではほんの要点のみ紹介しておきたい。華厳哲学については、井筒俊彦の「事事無礙・理事無礙(上)・・・存在解体のあと・・・」(思想33号、岩波書店、1985年)などによって、いずれじっくり勉強することとしよう。

 

 華厳思想の究極は、法界縁起にあると言われたりする。この法界という語は簡単に説明し切れないことのようだが、どうも・・・「『現実のありのままの世界』と『それをそのようにあらしめているもの』との二つを相即的に表現する語として用いられる。」・・・らしい。

 事法界は、われわれが普通に体験している『現実のありのままの世界』である。そこでは、それぞれの事物は明確に他と区別されて自立的に存在している。事物は互いに礙(さまた)げ合うということである。AにはAの本性があり、BにはB独自の性格があって、AとBとはそれによってはっきり区別され、混同を許さない。この境位が真に覚知された時、禅ではそれを『無一物』とか『無』とか呼ぶ」のであるが、華厳の術語によると、このようにして見られた世界が「理法界」ということになる。

 

 「事法界」においては、ものとものとの区別がある。「AをAたらしめ、AをBから区別し、Bとは相異する何かであらしめる存在論的原理を、仏教の術語では<自性(じしょう)>(svabhava)」という。ところが、「理法界」においては、ものの区別がなくなるので「自性」が否定されてしまう。つまり、自性は実在するものではなく、「妄念」にすぎないものになってしまうのである。これは井筒の言葉によると、「存在解体プロセスの、一応の、終点です」ということになる。実際に「華厳経」を見ると、一切が無自性で虚空のようなものであることが、繰り返し説かれている。

 この絶対的に空化された世界は、いわゆる何もないという意味での無や空ではなく、無限に「有」の可能性を秘めているものである。つまり、理法界の「空」は、「無」と「有」の微妙な両義性をはらんでいる。したがって、「無限の存在可能性である<理>は、一種の力動的、形而上的創造力として、永遠に、不断に、至るところ、無数の現象的形態に自己分節していく。・・・・・<空>(<理>)の、このような現われ方を、華厳哲学の術語で<性起>と」呼ぶのである。

 華厳哲学において、「性起」の意味を理解することは重要であるが、「一番大切な点は、それが挙体「性起」である」ことだと井筒は主張する。「つまり『理』は、いかなる場合でも、常に必ず、その全体を挙げて『事』的に顕現する、ということ。だから、およそ我々の経験世界にあるといわれる一切の事物、そのひとつ一つが、『理』をそっくりそのまま体現している」のである。「『理』はなんの障礙(さまたげ)もなしに『事』のなかに透入して、結局は『事』そのものであり、反対に『事』はなんの障礙もなしに『理』を体現し、結局は『理』そのものである、と。

 「挙体性起」などという言葉をきくと、明恵が石を愛し、島に手紙を出しなどしたりした行為がよく理解できるのである。ひとつひとつのものを「理」の挙体性起として見る、明恵はそのような心境に達して、この世界の事物に接していたのであろう。

 

 ある一つのものの存在に全宇宙が参与しているのであり、ある特定のものがそれだけで個として存在することは絶対にあり得ず、「常にすべてのものが、同時に、全体的に現起するのです。事物のこのような存在実相を、華厳哲学は『縁起』といいます。『縁起』は、『性起』とならんで、華厳哲学の中枢的概念であります」ということになる。・・・・(中略)・・・・つまり、ものが性起するとき、どれかの要素が「有力」的に現起し、それが主となって、「無力」的に現起したものは従となる。すなわち「主伴」の論理である。しかし、ここで大切なことは、「無力」な要素は見えないといっても、それは普通の人間の場合であり、仏や菩薩には、もちろん「無力」な要素も見えるのである。この両方が見える人を、井筒は「複眼の士」と呼んでいるが、「複眼の士」の目には「常に必ず、存在の<無力>の構成要素を、残りなく、不可視の暗闇から引き出してきて、いかなくものをも、<有力><無力>両側面において見ることができるのです。このような状態で見られた存在世界の風景を叙して、華厳は、あらゆるものが深い三昧のうちにある、というのであります」。 これが華厳における「事事無礙」の法界である。

 ふと一匹の黒犬を見る。それが足にまとわりついてくるとき、「この犬を年来飼っていたのだ」と明恵は直覚する。言ってみれば、すべての人はその心の中に黒犬を飼っているのだが、それに気づく人と気づかない人とが居るだけなのである。この犬は自分の犬だと気づくこと、それは「無力」の要素の存在に気づくことに他ならない。

 

 

 以上で、河合隼雄の「明恵 夢を生きる」(1987年)の勉強は終わりです。 

 

 目次はここをクリックして下さい!