河合隼雄「明恵 夢を生きる」1987年

註:以下は上記の本からの抜粋である。ただし、緑色の部分は、私の補足説明であり、文責は私にある。

 

明恵と夢

 

 

 ながきよの夢をゆめぞとしる君やさめて迷へる人をたすけむ (『明恵上人歌集』)

 

 明恵房高弁(みようえぼうこうべん)は、承安三年(一一七三)に生まれ、貞永元年(一二三二)に六十歳(数え年。以下同じ)で没した、鎌倉時代初期の名僧である。彼の生きた時代は、平家から源氏へ、源氏から北条へとあわただしく権力の座が移り、その間にあって、法然、親鸞、道元、日蓮などが現われ、日本人の霊性が極まりなく活性化された時代であった。明恵はこれらの僧と共に名僧として崇められたが、他の僧のように「新しい」宗派を起こしたのでもなく、彼の教えを守る人たちが現代に至るまで大きい宗派を維持してきたというのでもない。しかし、彼は世界の精神史においても稀有と言っていいほどの大きい遺産をわれわれに残してくれた。それは、彼の生涯にわたる膨大な夢の記録である。

 

 明恵は「夢を生きる」ことによって自己実現を図り、華厳と真言の世界を統合した新しい世界、それは21世紀の哲学にも通じ得るまったく新しい世界であるが、そういった新しい華厳の世界の先達となった誠に希有な人であるが、河合隼雄によれば、そのすべてがそれら膨大な夢の記録によって解明できるのだそうだ。

 

 夢は心全体の平衡状態を回復させる機能をもつ、と先に述べた。個人が成長に伴って築きあげてきた自我は、ある程度の統合性や安定性をもっており、あまり事が起こらないと、そのままの状態で安定している。これは安定しているとも言えるが、停滞している、と言うこともできる。自我はそれなりに安定していても、異なる側面から見ればそれは何らかの意味で一面的であり、もっと高次の統合へと向かって変化してゆく可能性をもっている。従って、われわれが自分の夢に注目し、それを自分の自我の在り方と照合し、夢の告げるところの意味を悟り、自分の生き方をそれに従って改変してゆくときは、以前よりは高次の統合的な存在へと向かって変化してゆくことになる。このような変化の過程を援助する仕事をするのが、いわゆる分析家であり、その仕事のなかに夢分析ということが重要な役割を占めることになる。

 異質のものの結合によって新しいものが生まれ、その結合をなし遂げるためには、心理的・身体的な強力なエネルギーの流出を必要としている。

 

夢の作用 

 夢は補償作用をもっと述べた。ここでユングが述べている補償的(kompensatorisch)と補完的(komplementar)なはたらきの区別について明らかにしておく。補完的というのは、ある存在に対して、あるものをつけ加えて完全なものにする場合で、半円に対して他の半円を加えて完全な円とするような場合である。これに対して、ユングが補償的という用語を用いるのは、それが何らかの意味で他の一面的存在を補うはたらきをもっているが、それは必ずしも完全になることを意味していず、その存在にとって受け入れやすい特徴をもつことを意味している。例をあげるならば、たとえば、外向性の極めて強い人であれば、それと対極にある強い内向性は補完的な存在と言えるが、おそらくそれはあまりにも差がありすぎて両者が統合されることはまず不可能であろう。これに対して、弱い内向的傾向は、外向的な人にとっても受けいれられる可能性があり、それは補償的であると言える。ユングが無意識は補償的にはたらくと言うのは、その提示する内容が、自我にとってある程度受け入れやすいことを示しているのである。従って、ある夢を見るということは、そのことが自我とある程度近いということも示していることになる。

 このような点から考えると、夢は無意識の内容を示しているが、意識の状態とも大いに関係しているわけで、夢によってある程度、その人の意識の在り様を推察できるし、意識がある水準に達しなかったら、ある種の夢は見られない、ということもできるのである。つまり、ある程度の修練や努力なしに、意味深い夢を見ることは難しいと言える。

 意識の在り方がある程度夢に影響を与えるし―と言っても自分の見たい夢を見るなどというものではないが―、夢が意識の在り方に影響を及ぼす。意識と無意識の相互作用によって、そこに意識のみの統合を超えた高次の全体性への志向が認められてくる。このような過程を通じてこそ真の個性が生み出されてくると考え、ユングはこのような過程を個性化の過程、あるいは自己実現の過程と呼んだ。

 ユングは夢と自己実現ということとの関連を身をもって体験し、それを示したと言えるのだが、それと同様のことを、明恵が既に十三世紀に行なっていたということは驚異的なことと言わねばならない。

 

 

日本人の夢 

 明恵のこのような業績がいかにユニークなものであるとは言え、歴史の流れと関係なく突然に出てきたものでないことも事実である。日本の文化と夢とは密接に関連しているのである。

 ちなみに、世の中には、歴史的な人物という人がいて、そういう人はいろいろと話題になるし、書物にも書かれることが多い。現在でも、その人が歴史的人物になるかならないかは別として、その人が面白い人であれば、いろいろと話題になるし、書物にも書かれることがるだろう。それがたとえ特定の人であっても、その人は、その時代に生き、その時代の伝統や文化を生きているのであり、その時代というものが、或いはその時代の伝統や文化というものがその人に染み込んでいる。したがって、ある人を語るということは、その人の生きている時代を語りその時代の伝統や文化を語ることにほかならない。ある人を知るということは、その人の生きている時代を知りその時代の伝統や文化を知ることにほかならない。

 かって、宮本常一は、観光文化研究会をつくって「あるく、みる、きく」という・・・誠に彼ならではのすばらしい冊子を発刊したが、私は、「日本の文化と夢とは密接に関連している」という河合隼雄の主張と宮本常一の旅に対する思いとを重ね合わせながら・・・「あるく、みる、きく」という言葉の含意を考えている。どちらかといえば、私の旅は、「あるく、みる」だけであり、あまり人の話を聞かないのだが、これからは、せいぜい宮本常一を見習って「あるく、みる、きく」旅をするよう努めたい。 

 

 さて、合理主義によって武装された自我は強力であるが、それは完成したものではなく一面的存在であることを免れ得ない。現在の自我の状態に安住することなく、常にその成長を願うならば、現在の自我の状態に対して何かをそれにつけ加えようとし、あるいは、それに対する批判を加える存在を必要とする。そのような存在がわれわれの無意識であり、夢は無意識からのメッセージを睡眠中の自我がそれなりに意識化したものと考える。従って、夢の内容を自我の合理性に固く縛られてみるかぎり、ナンセンスと思われることが多いのであるが、その内容を自我を少し超え、現在の自我をより高次なものへと引きあげるための異質な世界からのメッセージとして見るときは、大きい意味をもってくることがある。もちろん、それは覚醒時の自我意識とは異なる意識内容であり、しかも、自我の盲点と何らかの意味でかかわるものであるから、そこから意味を引き出すことは容易ではない。

 このように考えると、夢分析を行なおうとするものは強力な合理性を身につけ、なおそれを超えて、敢えて非合理の世界と向き合う姿勢をもっていることが必要であることが了解されるであろう。強い合理性をもっていないと無害心識の餌食となってしまうし、合理性にのみ固執しているときは、夢の意味を見出すことは難しい。明恵はその点で、夢分析を自ら行なってゆくのにふさわしい能力をそなえた、稀有の人であったと考えられる。

 ちなみに、合理性と非合理性・・・その両面を兼ね備えることの重要性・・・、私が言いたいのはそのことであり、「流動的知性」ということを言っている所以である。 

 

次は「明恵とその時代」です。

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