河童に夢を託す

 

 

 私は、日本人は、本来、流動性知性に長(た)けているのだと思う。民族としてこれをもっともっと磨かなければならない。そのためには、それぞれの地域において、その地域の風土というものを大事にしなければならないのではないか。景色10年、風景100年、風土1000年というが、風土というものはその地域かが先祖から受け継いできたものである。私は、これからの日本、「歴史と伝統・文化」を大事にしていかなければならないと考えている。否、大事にするというようなものではなく、生きる目的ぐらいに考えねばならないのかもしれない。私たちは、過去も現在も、そして未来も、「歴史と伝統・文化」を生きているのである。私たちの生きざまそのものが歴史であり、伝統であり、文化であるのかもしれない。

 だとすれば、森もそうだが、各集落の川の自然を復活しなければならない。地域の自然というものは大事にしなければならない。私たちは風土を生きているのだとすれば、地域の自然を生きているとも言えるのではないか。私たちは、地域の川を生きている。

 戦後あまりにも水害が頻発した。そのために河川改修に重点をおいて公共事業を進めてきた。まだまだ災害の危険は解消されていないので、場所のよってはダムをつくらなければならないところはあるし、一次改修を進めなければならないところがある。環境などといっておられないところがあるということだが、今まで河川改修によって自然が壊れているところはその復活を図らなければならない。魚や獺(かわうそ)や河童が棲めるような川に復活しなければならないのである。それが「地域の川を生きる」ということだ。川で生計をたてる人が少なくなったので「地域の川を生きる」というひとがほとんど見られなくなってしまったが、川の生態系を豊かにして、なんとか「地域の川を生きる」という人を増やしたいものだ。

 

 私は、川づくりの専門家である。これから全国の川の診断に出かけようと思っている。そして、「川のカルテ」をつくっていきたい。そして、川を中心とした「水と緑のネットワーク」をつくるよう働きかけていきたい。そう考えている。かって、梅原猛は、「巨木の町づくり」ということを言ったことがあるが、私の場合は、「水と緑の町づくり」ということをいろいろと言ってきた。合い言葉は、「河童の棲む川づくり」であり、「天狗の棲む森づくり」である。もちろんこれは私一人でできることではない。いろんな人と一緒に、まあいえば、国民運動としてやっていかなければならないのではなかろうか。私は、一介の火付け役であり、一介の旗ふり役でしかない。あくまで主役は地域の人びとである。清水博の唱える「地域の文化」というものは、「地域という劇場」のなかで、地域の人びとがつくりあげていくものである。地域のメディオンが主役でなければならないのである。それが「劇場国家にっぽん」の姿(かたち)なのだから・・・・・。

 幸い、全国に河童の伝説が残っている。そういう伝説こそ地域の財産であるから、大事にして子供や孫に残していかなければならない。河童伝説を訪ねるところから始めよう。

 河童は、まあいうなれば水の精霊である。水のスピリットだ。河童伝説を訪ねながら、河童以外にも、水のスピリットが出現するさまをいろいろと実感できればありがたい。また、河童の棲む世界は私たちと違う世界である。「流動的知性」でしか見ることのできない世界である。しかし、そういう世界に身を置けば、私たちの世界のおかしいところがいろいろと見えてくるだろう。河童伝説を訪ねながら、そういう河童的感覚をいろいろと紹介していきたいと思う。いろいろである。ともかく河童伝説である。いろいろと河童伝説を訪ねることから始めよう。 

 

それではまずは**川から始めるとするか。

そうしよう!そうしよう!(工事中)