明恵の思想「あるべきようは」

 

 

 鎌倉初期の僧、明恵がこんな面白い詩を残している。

   「あかあかやあかあかあかやあかあかや

     あかあかあかやあかあかや月」

 

 明恵は承安三年(1173年)、紀州有田に生まれた。八歳のとき両親と死別し、その後、京都の神護寺に入門して修学に励んだ。のちに後鳥羽上皇から賜わった京都西北の栂尾(とがのお)の地に高山寺を創建し、また東大寺の学頭にもなった名僧である。

 月をこよなく愛し、月を歌った歌が多いため「月の歌人」とも言われている。自撰の歌集『遺心和歌集』があり、これを中心に弟子高信が編んだ「明恵上人集」もある。この歌は一風変わった歌だが、月の明るさ、清らかさ、さらには、求道一途の彼が理想とする、人のあるべき姿を詩ったものという説が一般的である。

 ともあれ、この歌は理屈抜きで味わってほしいものである。京都は栂尾(とがのお)の高山寺、その石水院だからこそ、この歌が生まれたのだと思う。月の光を味わうのにあれ以上の「場所」があるとは思えない。白い砂を敷き詰めた石庭。高台であるために塀の向こうは東の山まで何もない。ただ月の光があるのみである。東の山は遠くもなく近くもない。その空間には月の光が満ちている。石庭・・・それは月の光と石の陰。石庭を前にしてあの広い縁側で座禅を組んでいると、仲秋の明月には自ずとこのような気分になってくるのではないか。それが自然である。月の明るさを感じたままに歌う明恵の、飾らない人柄がよく現れていると思う。

 

 鎌倉時代という時代は、まさに古代から中世に代わる時代の節目であり、日本史上でもまれな変革期であった。文字どおり一所懸命に命を懸けて土地を守るという坂東武士が、奢侈柔和な古代貴族社会に決別し、質実剛健な中世武家社会を作りあげていくのである。

 そして武家社会は地方分権社会の始まりでもある。政治体制も、御成敗式目(ごせいばいしきもく)が示すように、権力は完全に武士たちの手にゆだねられた。「君臨すれど統治せず」の言葉どおり、天皇は権威に生きることとなる。地方分権社会と権威に生きる天皇・・・・ここが大事なところである。さて、この御成敗式目が提示した政治体制は、明治維新まで延々と続くのであるが、その源泉は明恵上人の哲学、「あるべきようは」と、それを実践した北条泰時の政治によるものであった。

 

 明恵は、「阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)」を座右の銘にしていたといわれている。「栂尾明恵上人遺訓」には、

 『人は阿留辺畿夜宇和(あるべきようは)の七文字を持(たも)つべきなり。僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきよう、臣下は臣下のあるべきようなり。このあるべきようを背くゆえに一切悪しきなり。』

 とあり、貞永式目の精神的バックボーンをなすものとも言われている。この意味するところは、たいへん深いものがあるようだ。

 河合隼雄は、その著作「明恵夢を生きる」で『「あるべきようわ」は、日本人好みの「あるがままに」というのでもなく、また「あるべきように」でもない。時により事により、その時その場において「あるべきようは何か」と問いかけ、その答えを生きようとする』ものであると述べている。何でも受け入れる母性的な「あるがままに」でもなく、肩肘張って物事を峻別しようとする父性的な「あるべきように」でもない。白と黒、善と悪、都市と田舎、大企業と中小企業・・・・。どちらかに偏してはいけない。違いを認めながら共和する心が大事だという、古代から連綿と続いている歴史的な知恵と相通ずる思想である。

 

 明恵は、人間同士の争いや諍い(いさかい)を嫌い、山で座禅を組み、ただただ釈尊の教えを修学しようとしていた理想家だったようだ。明恵はほかの鎌倉時代の僧侶と違い、一宗を興したわけではないのに、なぜ多くの人たちが彼のもとを訪れ教えを乞うたか。特に女性の人気が高かったようだ。それもやはり自身を気取らないその人柄に引き寄せられてのことであったろう。

 明恵は亡き父母へを慕う気持ちが強く、仔犬を見ても、父母の生まれ変わりではないかと懐かしく思っていたらしい。鎌倉時代の代表的な彫刻家、運慶作の木彫の仔犬(高山寺蔵)をいつも机のそばに置き、こよなく愛したといわれている。明恵の生き方は極めて自然であった。

 彼はおそらく、自分の生き方について多分こう言ったであろう。

 「私は後生で済われようとは思っていない。ただ、現世においてあるべきようにあろうとするだけだ。修行すべきように修行し、振舞うべきように振舞えばいい。今は何をしてもかまわない、死後往生して助かればいい、などとはどの経典にも書いてない・・・」と。

 やはり法然とは根本的に考え方が違っていたようだ。法然の念仏思想は極楽往生を前提とした他力本願であり、明恵の「あるべきようは」は臨機応変の「自力本願」だ。きっとこれからのインターネット時代というものは即応性と融通性のある「自力本願」が求められよう。「あるべきようは」にこめられた明恵の思いが見直され、注目されるに違いない。

  

註:以上は、最近上梓(じょうし)した拙著「劇場国家にっぽん」の中の一節ですが、私は、この一冊に、私の地域づくりのビジョンを掲げ、日本再生のヒントを挙げてみました。歴史のなかで光明を発する日本民族の魂と知恵。その魅力を紹介することが、日本の未来を切り拓くヒントになる、という衝動に駆られて筆をとりました。今こそ日本民族の魂と知恵の源泉をさぐり、この国のありようを検索すべきとき・・・・その思いに衝き動かされて筆をとった次第であります。この先、日本はどうなるのか? 日本人は何をなすべきか? 見えない未来に光を投げかけるのは、実は、歴史に埋もれた日本民族の魂と知恵ではないだろうか?

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