「天皇」という巨大な問題

 

 

 

 「網野善彦(あみのよしひこ)を継ぐ」(2004年6月25日、講談社)という中沢新一と赤坂憲雄との対談集の中に、表記のものがある。以下にそれを紹介しよう!

 

天皇という存在の深さ

中沢: 「天皇」は、網野さんが抱えたとてつもなく大きな、複雑きわまりない相手でした。一般の左翼知識人たちみたいに、それを論理的に否定すれば、それで克服できちゃうと、そう思えなかったんですね。そんな生(なま)やさしい相手じゃないよというのが、本心でしょう。だから天皇制なんて簡単に近代的思考方法で克服できちゃうというふうに考えている人たちから見ると、本当は網野さんは天皇のことを好きなんじゃないかと、言われたりするんですね。『異形の王権』が出た後はとくに、後醍醐天皇のことが本当は好きなんでしょう? と言われたこともあったくらいですね。たしかにそれは生やさしいもんじゃなかった。その問題を最後まで、大きい鉄アレイのようなものとして抱え込んだんですね。

『異形の王権』という本は、主題的に言うと、『蒙古襲来』や『無縁・公界・楽』にまっすぐつながっていくものでした。『無縁・公界・楽』にもしょっちゅう出てきた問題が展開されています。後醍醐が武力として組織した人々は、「公界」にかかわりのある人々でした。楠木正成にしても、名和長年にしても、赤松円心にしても、そうでした。後醍醐はこういう人たちを組織して武士政権を倒した。そのことがのちの列島の歴史に大きな問題を残すことになりました。

 後醍醐に代表される天皇勢と、非農業民とのつながりが大きく現実の勢力として浮上してきたわけで、このことが近世の天皇と被差別の人々のつながりという大きな問題をつくりだしてきたわけですね。『異形の王権』という本はとてもよく読まれたわけですけれども、少し面白く読まれすぎちゃったというところがあって、小説家たちにはたいへんに利用されましたが、網野さんの問題意識としてはそういうことよりもはるかに深刻かつ巨大なところをねらっていたと思います。

 この問題を、ぼくたちは果たして担いきれるでしょうか。天皇制の問題は、網野さんとぼくたちでは同じ意味を持っていないという気がするのです。

赤坂: それはたとえば吉本隆明さんが、やはり天皇の問題にこだわりつづけていて、そこには、あるいはあの世代の体験が色濃く影を落としている可能性もあると思うんですね。天皇や天皇制をめぐる問題は、近代主義的なわりきり方では、ぜったいに超えることができないという、その確信の部分では網野さんとつながっているのかな、という気がしますね。

中沢: 吉本さんにしてみれば、網野さんの天皇に対する屈折した理解と、非転向であるということば、そんなにすんなりうまく折り合いはつけられないんじゃないかという感想があるのではないかという気がします。でも、そりゃそれで偉いともおっしゃってましたね。

 ぼくは『蒙古襲来』という本をまた読み返してみて、ここで言われている「原始・未開」というものと、吉本さんが最近言い出している「アフリカ的」ということは、とてもよく似た概念だな、と思いました。吉本さんのはアジア的生産様式の前にある「アフリカ的」なものをとり出そうとしているのですが、それは網野さんの言い方をすると、「原始・未開」の「原-無縁」が存在していた世界ということにつながっています。このふたつは同じ概念なんじゃないでしょうか。

 

天皇は山川草木すべてを支配する?

中沢: 二人が期せずして問題にしていることは、その「原始的なもの」「未開的なもの」、あるいは「アフリカ的なもの」という、歴史の外にあるものを思想のなかに組み込んでいくという主題です。そうするとここで不思議なことが起こるんですね。「無縁」「公界」「楽」を担った人々、あるいは「悪党」と呼ばれる人たちが、人類の原始につながっているとすると、それは「アフリカ的」と呼ばれている段階に根を下ろしているだろう。そこを天皇が支配していたとすると、天皇制の到達している根の深さというのが、今まで考えられていたものより、ずっと深くなっちゃうということなんですね。

 近代主義的な天皇制は、天皇という古代的な存在と近代の王権制を結びつけています。王権制は、近代社会の大きなテーマです。天皇制がその王権と結びついているだけなら、それを簡単に克服もできるでしょう。ところがもしも天皇が、近代の王権制よりももっと深いところへ根を下ろしてしまっているとしたら、こいつはとても今まで考えられていたようなやり方では処理できないんじゃないか、というところがあの二人の思考にはあるように思いますね。そういう意味で、君たちは秀才にすぎないと、ぼくたちを批判するんだろうな、と。

赤坂: 吉本さんの天皇論というのは、稲の祭りとしての大嘗祭に絞り込むかたちで、その本義を読み抜くことができるというスタンスですから、網野さんが浮き彫りにした天皇制の基盤としての農業民的な世界と非農業民的な世界、その二元的な構造のひとつの側面にかかわっていると思うんです。それがいったい「アフリカ的なるもの」とどのように交差するのか、ぼくには了解しがたいところがありますね。いずれにしても、ぼくがうまく自分の問題意識に接続できないのは、そういう天皇ないし天皇制によって精神的に呪縛される、つまりそれを絶対的な帰依の対象にするといった体験をしていないことが、とても大きな足かせになっているのかも知れません。それは同時に、たとえば北朝鮮の問題を考えるときにも、あるいはオウム真理教の問題を考えるときにも、自分のまなざしが深いところに届かないという不満を自分ながら感じているのです。

 それはたぶん吉本さんや網野さんが、たとえばぼくのような戦後世代と対したときの、「君のまなざしは国家や天皇制の本質には届いていない」という強烈な批判につながっているのかも知れない。最近の中沢さんの仕事のなかでは、そこを突破するためのとても面白い視座が提示されているな、という感想を持っています。

 

王の二つの身体、さらにもう一つの天皇の身体

中沢: そこで、赤坂さんが先ほどちょっとおっしゃった、天皇制の根を理解していく回路をどこに見つけたらいいかとずっと考えていましたが、『精霊の王』という本のなかで、問題にしていたのは、じつはそのことなんですね。近代的な理解の仕方だと、カントーロヴィチが考えるみたいに「二つの身体をもつ王」として理解していけばいいですね。

 ところが、日本の天皇に関しては、この考え方とは合わない、もう一つの身体性がある。この身体というのは、いわゆる政治権力の主権者とは違うところへつながっている。この身体性がどこにつながっていくのかと考えると、それが王というものが誕生する以前の空間につながっていく。王権がその空間を自分の内部にセットするときには、それを芸能や儀礼のかたちをとおして組み込んでいきます。そうすると王というものは、「三つの身体をもつ者」として考えていかなけりゃいけないのではないでしょうか。

 カントーロヴィチが言うのは、王が生き死にする身体、具体的な身体のことですね。これは歴代天皇のことです。もう一つは、天皇が死んでも持続していくような、法人としての天皇ですね。これがだいたいヨーロッパの王権を考えるときの、二つのテーマですね。それ以上は考える必要がない。

 ところが天皇制では、もう一つの身体を考えなければいけなくなってくる。それを『精霊の王』では、ぼくは「翁としての体」と表現したわけですけれども、芸能的な構造として表現される身体性ですね。この芸能をとおして表現される身体性というものの根源をたどっていくと、これはとても深いところへ降りて行ってしまう。近代的思考が普通、天皇制を処理できると考えている天皇、つまり王権制と天皇を結びつけて処理できる天皇というものは、この第三の身体に及んでいないんですね。

 

天皇の問題をリアルに問う

中沢: ところがこの第三の身体が、現実の政治場面ではなばなしく活動したことがあって、それが後醍醐天皇の南北朝動乱期にあらわれてきた身体なんだと思うんですね。網野さんは、この身体のことを強調した。今後、日本人が天皇制というものを存続させていくか、消滅させていこうとするのか、そういう決定をするときの前提材料を歴史学は研究しなければならないけれども、そのためには天皇制がいちばん深いところで、いったいどこまでつながっているのか見届ける必要があるというのが、網野さんのスタンスだったと思います。

 『異形の王権』が見出したのは、この根っこがものすごく深いところにつながっているということでした。それはどういうところへつながっていったかと言うと、どうもこれは自然につながっている。それは温泉を支配したり、滝を支配したり、山を、あるいは森を支配したりする。アジールとしての森ですよね。そういうアジールを支配するような天皇というのがそこに出てきちゃう。そうすると、『無縁・公界・楽』が問題にしていた人間の自由の根源というものと、天皇のもう一つの身体性というものがそこでつながっちゃうわけですよね。これを今までの歴史学者も、天皇制を批判する側も、本当に問題にしてきただろうかと、そのことを『異形の王権』は、問題にしたかったのだと思います。

 自然の深いところにつながってしまう天皇制というのが、近代になってマイルドに表現されるとどうなるかと言うと、「生物学者」昭和天皇というのが出てくるんですね。テムズ河水運史を研究する皇太子とか(笑)。渡りの研究ですものねぇ。天皇家が近代になって自分の「芸能」にしているのは、和歌ではなく、生物学や水運だったりしてくるんですよね。天皇制は非常にマイルドなかたちで、自分はそういうものにつながっていますよ、ということを自己表現しているんでしょう。「自然」というきわめて現代的テーマに、こうして天皇制はくい込んでいるわけですね。

赤坂: 繰り返しになりますが、やはりその問題で最初にぼくがつまずいてしまうのは、網野さんとか吉本さんが抱え込んでいたような問題の構図のなかで、天皇制というものをぼくがリアルに問いかける基盤を持っているのか、ということなんですよ。つまり、ぼく自身はたぶん、天皇ないし天皇制というものを、それほどリアルに問いかけなくてもすんでしまうような気がするんですね。少なくとも、リアリティがまったく違う。たとえば網野さんが、『蒙古襲来』から一貫して天皇と差別の問題というものを、最大の問題として掲げつづけたような、そういうリアルな衝迫する力というのを、ぼくは天皇の問題に感じていないような気がするんですよ。それは、世代の問題なのか、あるいはそうではなくて問いを立てる場所が、中沢さんとぼくではズレている、ということなのかも知れない。その辺はちょっとよくわからないですけれどもね。

 たとえば、今の中沢さんのお話を聞きながらぼくが思い浮かべていたのは、岡正雄さんの『異人その他』で、あのなかに南太平洋の秘密結社を論じたたいへんすばらしい論文がありますよね。その「異人その他」という論文のなかで、たしか二十三項目だったか、異人の特性を挙げている。そのなかでいくつか、王権の問題とじかに交差すると思われるものがありました。たとえば、「異人は食物の饗応殊に初成物を受けたこと」「異人がフォークロア化して遊行歌舞団となったこと」「遊行人が神話、神の系譜を語り、或は之を演技で表現すること」「彼等は民間信仰に於ては、侮蔑されつゝも亦高き段階に属すとされたこと」などの項目ですね。

 たとえば、メラネシアの王ないし首長というのは、これら漂泊する芸能者たちとともに、村々の民衆から初穂を献上される存在なんですね。あるいは初物、つまり海や山や大地といった自然の恵みや幸を捧げられる対象として、メラネシア社会のなかの王というものがあった。しかもそこには、芸能や神話語りや祭祀を仲立ちとしてそれらの王に奉仕する遊行の芸能民たちがいて、その構図はまさに日本の天皇と差別された芸能者たちとの関係にまつわる、ある種の原型のようなものだと思うんですね。

 柳田国男が岡正雄さんのそのような仕事に対して、強い逡巡(しゅんじゅん)ないし忌避の態度を示したのは、フレーザー的な王殺しにつながる可能性をそこに認めたからですね。ある意味では弾圧したわけです。そうではなくて、岡正雄さんがやろうとしたことというのは、天皇制の根源に横たわる大地や自然とのつながりのようなところで構成されてくる王という存在、その最も根元的な風景をえぐり出そうとしたのではないかという気がするんですね。岡さんは間違いなく、メラネシアの王と天皇とを同一の地平で、冷ややかに認識していたと思いますよ。

 ですから、たとえば網野さんの仕事を岡正雄さんを仲立ちとして、たとえばリヴァーズの『メラネシア社会史』のような膨大な研究がありますから、そちらにつなげていったときに、何が見えてくるかということです。それは確実に先ほどの結社の問題にもつながっていきます。

 ただね、ぼくはやはり天皇と差別というふうに問題を立てたとき、差別に関してはある種のリアリティを持って応答できる。そういう仕事を自分でしてきましたから。でも、天皇や天皇制に対して、これから持続的にリアルな問題意識をつないでいくことができるのか、ということに関しては、自分でもわからないですね。それはもしかすると、天皇という権威を必ずしも必要とはしない東北、天皇の時間よりもはるかに深い時間を宿した東北、そして「国家に抗する社会」としての精神史を抱いた東北に出会ったということが、大きな影を落としているのかも知れません。

 

権力を国家を東北から考えなおす

赤坂: 吉本さんが「天皇論」のなかで、「天皇の歴史よりも古い、縄文のような時代、そこまで歴史を掘り下げていけば天皇制の根っこを浮かすことができるんだ」とおっしゃっていましたよね。

中沢: まさにそれですよ。

赤坂: ぼくは歴史をずっと掘り下げていくということと同時に、水平軸でね、東北に身をずらしていったときに、西の方で自明とされているような天皇が東北には存在しないことに気づきました。

中沢: うん。東北の天皇はありますけれどね。

赤坂: (笑)。それはまあ、あるんですが(笑)。たとえば、貴種流離譚型の伝説のなかにも、天皇が出てこないことが多いんですよね。貴種がまったく違う流離譚になっている。たとえば東北の箕づくりの村の伝承をたどっていったとき、天皇にぶつからずに、秋田から流れてきたオサト姫といった別の貴種につながっていくわけです。そういう現実をどう考えたらいいのか。あるいは天皇ないし天皇制というのは、東北の地にどのように根を下ろしてきたのか。そして、それは時間的に考えれば、古代蝦夷の時代には「まつろわぬ民」ですから、千年、せいぜい千二百年くらいなんですね。その千二百年前に植民地化されて以来の歴史のなかで、天皇ないし天皇制的なものがどのように東北に浸透していったのかということをずっと考えてきましたが、やはり西の方と比べれば、圧倒的に希薄なんですね。それとパラレルになるのかどうかわかりませんが、差別のシステムというのも東北では底がひじょうに浅いし、部分的ですね。

 こうした天皇制と差別という問題の立て方がリアリティを持つのは、じつは日本列島の西の半分なんじゃないかな、と思います。その西の半分は、じかに朝鮮半島につながっている可能性が高いということを、網野さんが繰り返し指摘されていますね。いずれであれ、ぼくがフィールドにしている東北から見たときには、天皇制の問題、差別の問題というのはあきらかに違って見えてくる。そこに見え隠れしている断層をひとつの根拠にして、たとえば権力の問題、国家の問題について、再考してみるとどんなことが見えてくるのか。そこでたぶん、中沢さんの問題意識とある部分で交差してくる予感があります。

 それは、ピエール・クラストルのいわゆる「国家に抗する社会」という問題の立て方が、東北の古代蝦夷やアイヌの社会というものを前にしたとき、ひじょうにリアルなんですよ。つまり、天皇制に覆われる以前の部族社会的な、国家や王の出現に抗う伝統といったものが、どうもいまだに残っているような気がするんですね。そういう場所から、もう一度、国家の問題、権力の問題、天皇の問題を考えてみたいというふうに思っています。それはぼくにとっては、とてもリアルな問題の立て方ですね。たぶん、天皇制以前の日本列島の歴史までずっと時間を掘り込んでいったときに、天皇や日本国家の根っこを浮かすことができるという吉本さん的な知の戦略に対して、水平軸で北や南に開いていくことによって根っこを浮かせることができるのかも知れない、そういうことは考えているんです。

中沢: よくわかりますねえ。子供の頃からとても好きだった小説家に、深沢七郎という人がいて。この人は笛吹川をはさんで対岸側に生まれた人で、あの人が書いている世界は、甲州の精神世界そのものです。ひと言で言うと、「ふとどき」なんですね(笑)。天皇制にも、日本というものにさえ、きわめてふとどきな考えをする。東北とは違うかたちで、天皇制とか日本国家とかが浸食できない、できなかった部分を心のなかに抱えているんですね。深沢七郎はそういう意味では、天皇についてもものすごくふとどきな、自由きわまりない考えをいだいていました。

 そこから『風流夢謀』事件も発生したわけですよ。深沢七郎は文字どおり放浪者となって、ギター持って全国を逃げ回るわけですね。逃げ回っているその情けない姿に、まくはすごく共感を持ちましたね。文によって対抗する、そんな立派なことはしなかった。尻尾まいて逃げていたんですね。ストリップ劇場とかパチンコ屋とか、そんなところを逃げ回っているんですね。あの姿を見て、子供ながらにすごい人だなあと感心した。

 深沢七郎の心では、天皇制の根がすでにすっかり浮いていたと言えないでしょうか。それは先ほど赤坂さんが言った、東北のなかにある何かと通じているものだと思うんですけれども。

 

天皇という存在の遠さ

赤坂: 山梨県人のふとどきさと東北人の敬虔さというのは、表層においては対極にあるように見えるんですが、じつはね、とても近い、表裏なす関係かも知れないと思うんですよ。東北人にとって、天皇という存在は遠いんですよ。あきらかに遠いんです。まず明治天皇が巡幸の地に選んだのは、東北だったわけですが、これは遠いからですよ。まつろわぬ民が、千年前の植民地の記憶が、まだもぞもぞ蠢いている。戊辰戦争で朝敵にされて敗れてからだって、まだ日が浅い。だからこそ、真っ先に東北に向かったわけです。

 東北人のなかの天皇制的なるものへの敬虔さというのは、やはり底が浅いと思いますね。東北の差別のシステムがひじょうに底が浅くて定着しなかったことと、どこかでつながっているような気もします。たしかに、一見、きわめて敬虔なんですよ。たとえば、会津がきわめて勤皇的な処し方をしながら裏切られ朝敵にされていったことが、どこか象徴的な気がしますね。東北人の律儀さ、敬虔さというのは結局、天皇制をめぐる現実には根を下ろしていなかった、そんな気がするんです。少なくとも、そこには天皇を「玉(ぎょく)」と見なして利用するような冷徹な政治学はありませんね。

中沢: 幕末のときの東北の人の対応の仕方と、甲州の人の対応の仕方は、たしかによく似ています。甲府とか群馬とかは天領でしたから、大名がいませんでした。そこの軍事の大事な部分を握っていたのは、じつはやくざでした。

赤坂: ああ、なるほど。

中沢: 幕末に静岡のやくざたちが、天皇側、明治政府側につきました。清水の次郎長とかね。ところが、甲州側のやくざは佐幕派でした。幕府に最後まで忠誠だったんですね。黒駒の勝蔵親分なんかが中心になって、浪人ややくざどもを組織して(笑)。新撰組が甲州に逃げ込んできましたから、それを擁護したみたいですね。じっさいに官軍との戦いが起こったとき、新撰組は逃げちゃって、官軍とじっさいに戦っていたのはやくざ軍だったと、勝沼あたりでは目撃談として語られているくらいで(笑)。それと会津の対応はよく似ています。「無縁」「公界」「楽」の末裔であるやくざたちが、天皇制にどう対応していったかと考えると、面白いですねぇ。幕末のやくざは徳川について、現代のやくざは天皇制を守ろうと戦っています。歴史とは皮肉なものですね(笑)。

 

 中沢新一と赤坂憲雄の天皇に関する対談は以上のとおりであるが、この対談で明らかなように、天皇制を語るには、「翁」に関する深い理解が必要である。くどいようであるが、「翁」は、「精霊の王」のなかの「王」であり、これは「後戸の神」・魔多羅神(またらじん又はまたらしん)とも底の方で繋がっている。通底しているのである。

 「後戸の神」や「翁」など日本の「歴史と伝統・文化」の心髄に迫った著書としては、中沢新一の「精霊の王」のほか、萩原秀三郎の「鬼の復権」(2004年2月、吉川弘文館)がある。その中から関係の部分を抜粋しておきたい。

 

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