[No1]

精霊の王/中沢新一/2003年11月/講談社

註:以下は上記の本からの抜粋である。ただし、緑色の部分は、私の補足説明であり、文責は私にある。

 

 

謎の宿神・まず藤原成通(なりみち)について

 

 

 

 侍従成通卿(じじゆうなりみちきよう)(藤原成通、1097年生)と言えば、比例のない蹴鞠の名人と讃えられ、のちに難波(なにわ)家と飛鳥井(あすかい)家に分れた二つの蹴鞠道の家元からは、「鞠聖」とも呼ばれて尊ばれた人物である。

 優美にして明朗、誰からも好かれる人柄で、白河上皇の取り巻きの中でも、ずば抜けた才能の持ち主であった。笛の名手で今様もみごとに歌った。乗馬にも早業にも巧みで、その方面でも早くから才能をあらわした人であるが、その人がもっとも情熱を注いだのが、蹴鞠の道であった。

 私は先に、京都の白峯神宮を紹介したが、実は、その白峯神宮は、もともと飛鳥井家の屋敷跡で、境内末社としてかの蹴鞠で有名な飛鳥井家の鎮守さんを祀っている。そして、なにあろう・・・その鎮守さん・「精太明神」というのが、蹴鞠の神様のことである。鞠そのものが神様になったらしい。中沢新一の「精霊の王」では「まりの明神」の社と呼ばれている。

 

 『成通卿口伝日記(なりみちきようくでんにつき)』(『群書類従(ぐんしよるいじゆう)』巻354)の記述にしたがえば、藤原成通(なりみち)は、蹴鞠の庭に立つことじつに7000日を超え、そのうち2000日は1日も欠けることなく、連日鞠を蹴り続けたという。病気のときには、病床に鞠を持ち込んで、ふとんの端をまくりあげて、寝たまま鞠を蹴った。よほどの雨降りでないかぎりは、庭に出て鞠を蹴ったが、ひどい土砂降りの日には、大極殿へ出かけて仲間といっしょに練習を続けた。このような人物であったから、明朗な人柄の奥に、なにやら神秘的な雰囲気を感じ取る人たちも多かったらしく、生前から彼のまわりにはさまざまな不思議な出来事の噂が語られていた。 

 なかでも人々に深い感銘を与えたのは、成通卿(なりみちきょう)がある夜「鞠の精」に対面したという出来事であった。この出来事は当時の人々に深く記憶され、のちに後鳥羽上皇は成通卿と鞠精の出会いの光景を描かせて、その絵をおごそかに奉納までした。『口伝日記』によると、その様子はつぎのようであった。

 その成通が1000日の間休むことなく蹴鞠を続けた「千日行」満願の日に、成通は当時の蹴鞠の名手とうたわれていた人々を招いて、盛大に鞠蹴りの祭式を催した。蹴り上げた鞠の数は300、どの鞠も地上に落下することがないというほどの、名人技が繰り広げられた。そのとき庭には二つの棚が設けられ、一つの棚には鞠が置かれ、もう一つの棚には神棚を設け、御幣などが飾られた。蹴鞠のことが果てると、この御幣を取って鞠に捧げ、これを礼拝する儀式をおこない、ようやくめいめい座について、祝宴が始まった。乾杯ののちには各人とっておきの芸が披露され、さんざめく雰囲気の中で、今日の蹴鞠に参加した全員にご褒美の品物が手渡されたのである。

 その夜、ようやくくつろぎをとりもどした成通(なりみち)が、灯火を近づけて文机(ふづくえ)に向かって日記をつけようと、墨を摺っていたやさきのことだ。棚に置いてあった鞠が、ころころと転び落ちて、成通の前でふっと止まった。ゾクッとするものを感じた成通は鞠に目をこらした。するとそこには、いずれも顔は人間であるが、手足と身体は猿という、三、四歳ばかりの童子が三人、鞠の括り目のところを抱いて立っているではないか。あまりのことに驚いた成通は、声を荒げてこの童子たちに、「お前たちは何者だ」と問うた。するとその猿のからだに人間の顔をつけた童子たちは、「私たちは御鞠の精です」と応えるのであった。

 鞠の精たちは、成通をみつめながら、こう話しかけてきた。

 「昔からあなたほど鞠を好んだ人は見たことがありません。ましてこのたびは、念願の千日の蹴鞠も果たされ、私たちにもさまざまなお供え物がありました。まことに悦ばしく存じます。あなたさまのこと、また鞠のことを、いろいろ語りたいと思い、こうして出てきたしだいでございます」

 成通はそこで各人の名前を問うた。三人は「これをご覧なさい」と言って、眉にかかった髪をかき上げてみせた。すると一人の額には春楊花(しゆんようか)とあり、もう一人には夏安林(げあんりん)、さらにもう一人の額には秋園(しゆうえん)という文字が、いずれも金色で描かれていた。これを見た卿(きょう)はますます不思議なこともあったものだと驚きながらも、落ち着いた風情を装って、彼らにこうたずねた。

 「鞠は人が蹴鞠をするときには生きてあると言うこともできるが、人がそれをやめてしまえば、もうそれは生きてあるとは言えないだろう。お前たちはそうなったときには、どこに住んでいるのかね」

 鞠精の一人が楽しそうに応える。「蹴鞠がおこなわれているときには、もちろん鞠に憑いています。でも人が蹴鞠をやめてしまえば、ぼくたちは柳の木の生い茂る、気持ちのよい林中の木に戻って住むことにしているのですよ。人々が蹴鞠を愛好している時代には、国も栄え、よい人が政治を司り、幸福がもたらされ、寿命も長く、また病気もしないと言われております。また蹴鞠は、後世にもよい影響を与えると申されます」

 「蹴鞠が現世によい影響をもたらすとは、そのとおりであろう。しかしどうして死後のことにまで影響を与えることができるのかね」と成通卿。

 すると別の鞠の精がまじめな顔をして応える。「そのようにお考えになるのももっともです。人の心はたえず思い乱れ、一日のうちに心に浮かぶ思いのほとんどが、罪の種子となっています。しかし、鞠を好む人は、いったん庭に立ちますと、それからあとはただ鞠のことの他には何も余計なことを思わなくなります。そうなれば自然と心の罪はなくなっていき、輪廻転生にもよい影響をもたらす縁が生まれることとなるのです。蹴鞠をすれば功徳を積むことになるのですから、ますますこの道にお励みなされますよう。蹴鞠をなされるときには、私たちの名前を呼んでください。そうすれば、木を伝ってすぐに参上します。かならずご奉仕申し上げましょう。ただしまわりに懸木(かかりぎ)のない場所でおこなわれる庭鞠は、ご遠慮のほどを。木から離れてしまいますと、私たちはご奉仕することができません。さて、これから後は、ご自分にはこういうものが見守っているのだと、いつも私たちのことを心に懸けていてください。そうすれば私たちはたえずあなたを守護し、ますます蹴鞠の道に上達することを約束いたしましょう」

 こう言い果てるやいなや、鞠の精たちの姿はかき消すようにいなくなった。

 成通はこの夜の体験に深い衝撃を受け、特別に場所を定めて「まりの明神」の社を建てて、お祀りするようになった。のちの記録にはこう書かれている。「侍従大納言成通ときこえし人。この道の奥義をきはめて、神変不思議のことなどもありき……まりの明神をあがめ申されて、紀行景といふものを神主にさだめられて、種々の神事など行はれける。其みやしろ今にありとかや」(『享徳二年晴之御鞠記(きようとくにねんはれのおまりのき)』)。

 

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