川のキーパーソン

 

TALK&INTERVIEW
 第1回 「関東の川のキーパーソン:山道省三氏に聞く」

山道さん

山道さんは、川や水を中心とした交流活動のリーダーであり、情報の編集者である ― 岩井國臣 ―

【山道省三(やまみち しょうぞう)氏/プロフィール】
1949年長崎県生まれ。環境計画山道省三アトリエ代表。ニックネームは「川道+1」=山道。社会参加、NPOの運営等、環境デザイン以前の仕組みづくりに興味を持ち、在野における環境をはじめとする諸活動の先導者でもある。
NPO法人多摩川センター副代表理事、NPO法人全国水環境交流会代表理事。「川の日」ワークショップ実行委員会事務局長。

 

環境の時代がくれた川との縁

──まず山道さんが多摩川と関わるようになったきっかけを教えてください。

■山道: 僕は東京農業大学の造園学科の卒業ですが、その頃は昭和40年代の後半で、公害から環境の時代と言われていて、水質汚濁の改善とか都市部の整備のあり方についても、公園緑地を増やしていこうとか、そんな時代でした。僕も学生の頃、道路を掘り起こして街路樹や植木を植えるという アルバイトをしていました。そういう時代でもあったのですが、これから環境の時代を迎えるにあたって、緑地を増やすということもいいけれども、もっと大きいスケールの環境問題もあるのではないか、自然保護運動なんかも盛んで、さまざまに迷いつつ、少し世の中を見るつもりで僕は就職をしなかったんです。そのうちに、東急グループが「とうきゅう環境浄化財団」という多摩川の環境をよくするための財団を作ることになったとかで、ある日突然先輩から「手伝え」と言われたんです。とりあえず僕は右も左もわからないままに、とうきゅう環境浄化財団の設立の1975年から1995年までの20年間、嘱託みたいな形でずっとお手伝いをしていました。

 とうきゅう環境浄化財団は「多摩川流域」がフィールドで、助成事業だけではなく、本を作ったり、あちこちのみなさんと交流したりという事業を行う予定になっていました。とはいえ、僕も川の事は全く分からなかったのですが、財団の事務局の方は東急電鉄の社員だから、もっとわからないということで、造園学科の卒業ということもあり、多摩川の研究担当になりました。ちょうどその頃に、岩井さんが国土交通 省京浜河川事務所(旧建設省京浜工事事務所)の所長としておられました。岩井さんは多摩川の自然を守る会の人たちと付き合いがあって、多摩川の河川環境管理計画を一緒にやられた。言ってみれば住民参加のパイオニアみたいなことをやっておられました。

 1993年から東京都主催「TAMAらいふ21」という官民の共同イベントが始まりました。その少し前に、あるところから僕に「多摩川をどうすればいいのか」という論文を書いて欲しいと言われて論文を書きました。それを持って東京都の主催する委員会に呼ばれたんです。「君の考えを述べよ」と言われて、僕は何か裁判所に引っ張られたみたいに思いましたね。いろんな方がおられた前で喋ったのが受け入れられたのか、それがきっかけで「TAMAらいふ21」の多摩川復権部会の部会長をやれといわれて、二年くらいやったのです。

▲多摩川台公園から多摩川をのぞむ
 とうきゅう環境浄化財団での最後のアウトプットは、要するに市民と行政が一緒になって川のことを考えていかなければならないというものでした。特に環境については、多摩川の自然を守る会とか、いろんな地域で活動している人たちもいるので、そのストックや情報を活かしながら、行政がやること、市民がやることをきちんと合意しながらやるようにしなければならない。それが、多摩川の復権をする「キー」になるのだ。そのためにはそのための拠点とネットワークを作ったほうがいいというようなことでした。
とうきゅう環境浄化財団

 当時、河川管理者は河川環境に対し、良く理解がなされていない時代だったんですよ。土木の人たちというのは、水理計算とか土木の構造計算は得意だけれど、生態学とか生物学とか環境学とかを学んだことがないんです。だから、そういう意味からすれば「市民活動から得られたノウハウ」が非常に大事なんだということをずっと言い続けてきたんです。当時は水質をきれいにするとか、もうちょっと市民のために緑地を増やすとか、自然地を増やすとかいうことが中心で、個々の生物がどうのということはなかったのですが、川のそばに情報の交流や発信の拠点を作って、河川管理者と市民が一緒になって環境管理をやっていくような場が必要だろうということで、多摩川情報センターとか多摩川センター設置の提案を僕らが出しました。

 とうきゅう環境浄化財団で編集者として携わった「多摩川」というシリーズが終わる時、最後に私が書かせてもらったのも「官民による多摩川情報センターをやろう」というメッセージでした。でも、TAMAらいふ21協会は時限立法だったので、事業が終わった瞬間、解散してしまいました。提案の持って行き場所がなくて、僕は随分文句を言ったんですが、結局「TAMAらいふ21」は打ち上げ 花火みたいな一過性のイベントみたいな形であったし、責任を持つという体制がなかったんですね 。東京都にも同じような報告を出したけれど埒があかない。それなら自分たちでつくろうということで、「湧水崖線研究会」や「多摩川復権部会」で一緒だった「多摩川クリーンエイド」の人たちとお金を出し合って共同事務所をつくりました。
TAMAらいふ21資料一覧(多摩交流センター)


拠点・多摩川センターの誕生

 僕はその前からいろんな団体に首を突っ込んでいて、組織の運営というのは非常に難しい、特に社団的な意味の「会費」でやるのは大変だとわかっていたので、会費制でやるのはやめようということになりました。業務をやりながら稼ぎながらやっていこう、それで若い人たちを育てていこうという発想で運営を始めました。コアになる若い人たちを中心に、ボランティア活動をやった経験者やコンサルタント、学者、そういった人たちを囲んで育てていく。バウムクーヘンですね。真ん中の人たちは何も知らなくていいから、五年くらいかけて人材養成をしていくという方式で行きましょうということです。

 多摩川センターは会員制は取らないと考えました。既存団体もたくさんあったから、また新しくネットワークをつくるとなるとこれは大騒動になるので、御用聞き機関ということで、官と民をつなぐとか、何かあったら相談に乗るとか、何か新しい仕掛けをやるとか、外部との交流をやるとかということで運営を始めたんです。多摩川の世界の中だけではなくて、いろんな人たちと知り合って、いろんな情報を得たのが財産です。


──山道さんの多摩川センターへ対する思いと方向性をお聞かせ願えませんか?

■山道: 任意団体を作ったのが約10年前、NPO法人にして今5年目なんですが、当初、多摩川の中で自然保護系のネットワークはあっても、みんなが参加できる緩やかなネットワークはなかったんです。僕は多摩川センターを作るときに理事をあちこちにお願いしたのですが、その中に「多摩川の自然を守る会」とかいろんな老舗の団体のキーパーソンを理事に頼みました。幸い、みなさん賛同してくださって理事になってくださったんです。現場で活動している人たちが参加してくださったから、うまくいったんですね。僕はいろんなことで学んだ経験を活かして、官と民のパートナーシップ的な事業とか、市民の視点でやる事業だとか、いろんな提案をしていって、少しずつ実現化をしていったんです。そのプロセスでは、国のお役人さんとも、若い頃から情報交換を含めて一緒にやってきた関係もあって、河川への住民参加に関わる施策が出てきたんですね。

緩やかなネットワークが育むもの

 この間から言っているのは「多摩川流域リバーミュージアムをやろう」ということです。水防は官民一緒になってやろうとか、多自然型川づくりも発想を変えて河川管理そのものにしていきたいなど、このレベルになると、市民の参加も今まで河川管理者しかやらなかった分野にまで広げてやっていこうというのが特徴です。河川整備に空間的に拡がりを持たせ、水系や流域を頭に入れてやるという視点が強く出てきたということです。

 一方で水害の経験の中では、災害対策本部ができる前にいろんな問題が起きてきているんです。寝たきり老人の水死とか、避難路での事故とか。地域で活動しているNPOの、いざというときに対応できるような仕組みが水防についても協力できるとすれば、そんな大きいことはできないけれども、いつも総合学習とかで交流している学校に駆けつけていって子どもたちを落ち着かせるとか、避難とか救助の手助けをするとか、ソフトな活動であればできるだろう。そういう提案をしていったら、新たな拠点を作ることもあわせて検討しようということになっています。今のところは、地域防災との関係を含めた川沿いの拠点をつくる。ここに常勤の若い人たちがいて、川での福祉や、リクリエーションなどとともに、環境管理も含めてここでやっていく。住民と自治体と河川管理者が一緒になってやろうという考えです。

 多摩川で始めている多摩川流域リバーミュージアム(TRM)懇談会で議論をしながら、多摩川はすでにサテライトを含めていくつか動き出しているんですが、まだ拠点の情報センターがない。二ヶ領せせらぎ館を人が集まりやすい交流の拠点にしたらいいのではないか、源流は体験型の学習拠点にしては、という考え方です。ここが常設で人が専従でするには、資金もいる。この資金をどう確保していくのか、知恵を働かせなければならない。今のところ、河川管理者と市民は歩み寄って来ているけれど、市民サイドも相当な工夫をしていかなければならない。一番大きいのは、人材の問題。もう一つは、金の確保をどうするかということですね。
多摩川流域リバーミュージアム(TRM)

 多摩川センターが事業受託をしているのは、全部リバーミュージアムが受け皿になってもいい。とうきゅう環境浄化財団みたいなファンデーションを持っているところもここに参加をする。その他、私鉄がウォーキングをやっていますよね。近畿日本ツーリストもただ歩くだけなんだけど 「多摩川を七日間で歩く」という有料のツアーをやっているようで大変人気になっています。先日も九州に行ったら、JR九州の「九州を歩く」というプロジェクトもありました。彼らは運賃を稼ぐためでやっている。こういう動きを見ると、潜在的には川を歩くというだけのすごいマーケットがあるんですよ。だから、リバーツーリズムではないけれども、修学旅行とか外国人受け入れだとか、資金を得る仕掛けを作っていけばいいのではないかと思うんですよ。ある意味で、NPOがビジネスをはじめるということを了解してもらえればいいんじゃないかと思っているんです。
河川環境データベース「河川・水辺の国勢調査」(国土交通 省)


韓国河川事情と日本

──グローバルな話として、韓国が日本の河川の動きに興味を示しているということを伺ったことがあるのですが、そのことについて。

■山道: 今、韓国の人たちが非常に注目しているのが日本の環境改善運動です。日本の1960〜80年代位 の頃のように韓国でも都市が一方的に膨張を始めていて、都市計画や環境対策がままならないうちに人口集積が始まっています。必然的に水質汚濁とか大気汚染とかがすさまじい形になってきている。だから、都市計画課と環境対策課が議論をしていなかったり、川の改修で排水管の口径が合わないで水漏れを起こし、とんでもない汚水が出てきているとかいう時期なので、公害とか環境 対策とかについて知りたいわけです。また、市民活動というのが国際的な話になってきていますが、韓国の場合も行政と市民、住民の関係をどうしていくか悩みは多く、日本がそこらへんをどうやってきたのかものすごく興味を持っている。

 それから川の行政がどういうふうに変わってきたのかということに対しての興味もあります。昭和の時代の工法や河川管理計画とか、どうやって運営されたのかとか、今の状態はどうなのかとか、市民が子どもたちに何を教えているのかとか。いろんなものが山積されていて、それを学びに来たいというのがあります。

▲韓国のワークショップ

 昨年秋には、韓国の子どもたちと日本の子どもたちとの交流もかねて、子どもたちに何を教えたらいいのかというプログラムを勉強しに来ました。公害から環境の時代への変遷を我々は30年くらいかけてきたんですが、中国にしろ韓国にしろ10年くらいでバーンと成長したものだから、20年ほど短縮されているんですね。そのプログラムを彼らは知りたがっているんです。


──韓国との交流はいつごろからですか?

■山道: この5年くらいです。韓国はもともと別 のルートでも関わりがありましたし、行政間の交流もやってきている。国との交流は河川管理や技術など含めてですが、韓国がいきなりそれを飛び越していって、清渓川みたいに高速道路を潰してまで川を復元するというのには、日本は驚きをもって見ている。あれは特殊事情なのか、一般 的なもので国民が認知した都市づくりなのかということについて、今、戸惑いを覚えているわけです。市長の公約ということで、パフォーマンスでやったのか、韓国社会がそれを認知する時代になっているのか?一方では、町のはずれの小河川はまだまだ汚濁した排水路が多いのですが・・・。

 そういう意味で、いろんな注目のされ方をされているとは思うのです。交流は広がっているんですよ。中国やオーストラリアなど、環太平洋の中で国際交流をやりたいというので、昨年の夏は小規模ですけれど、国際シンポジウムを韓国のNGOが主催してやっています。中国はこれからですからね。中国はこれからが大変です。韓国はまだ、先が見えています。だから、「川の日」ワークショップの関係では、韓国では今年で第4回目の「韓国川の日大会」を開き、既に三年先くらいまでは日程が決まっている。そういう運動としても彼らは頑張ってやっています。

「川の日」ワークショップのこと

── 今のお話に出てきた「川の日」ワークショップですが、これも山道さんが仕掛けたられたものと聞いています。始めたきっかけや今後の展開をお聞かせください。

■山道: かつて「名水百選」というのがあった。湧き水とか名水を復元しましょう、それをまちづくりの核にしましょうというのがあって、これは環境庁が仕掛けた話なんです。日本の○○百選とか、10年位 前に一連のブームになったことがありますよね。僕らは川との関係の中で考えたときに、四万十川も一時ブームになりましたが、これぞ名川といわれる川がたくさんあるんです。そこで、「遺したい日本の名流・名川を選ぼう。錦川の錦帯橋がどうだとか、四万十川とか、利根川とかいろいろあるけど、スポットだけを残してもしょうがない。ただ、一本全部を遺すというのも大変だね、どうしようか?」といろいろ議論をしていました。

 多自然型工法でやるとしても、巨石を持ってきて「多自然」というのとはちょっと違う。市民が選ぶとして「川と地域との関係が非常に濃密である」そういうところを名流ということで指定して、文化も含めて余りいじらせないようなことを、我々が提案する。そんなふうに名流百選を作りたいと思っていたんです。でも、我々はそう思っているんだけど、本当にいい川とはなんだろう?名流とはなんだろう?ということは、みんなで共有しなければダメだということで、このアイディアを出しました。その頃はいい川をつくろうとか、多自然型川づくりでもいろんな問題が出てきていて、整備をするほうもカッコいい名前をつけてやっているけれど、できあがったものはなんだ?というのも結構あったし、河川管理者も含めて一緒に議論しよう、地域の人と整備する人がビジョンをきちんと共有しないといい川にならないだろうというのが始まりなんです。

「川の日」ワークショップでの討論

 また、河川の整備というのは、竣工した瞬間に終わるのではありません。それから10年20年かけて味わいのあるいい川を作っていくわけです。景観を含め、かかわり合いも含めて。だからそのためには住民が納得し、住民が愛着を持たないとダメだということでもあります。それじゃあ一体どうすればいいのか、ということで、「いい川」コンテストをやろうということになったのです。そのときのポイントは、つくり手と住民とが一緒になって同じテーブルでいい川とは何かを議論していくということです。

「川の日」ワークショップで、川づくりのビジョンを共有

 河川の管理にかかわりをもった人々や、河川土木技術者とかコンサルタントだけではなく、それ以外の人も入れようということで、哲学者や文化人類学者だとか社会学をやっている人だとか、そういう人たちを集めて実行委員にしたり、選考員にしたりしたんです。そうなってくると、今までとぜんぜん違う視点での評価が始まり、選考の結果 グランプリになった川が、「何でこの川が?」ということもありました。でも、いい川というのは、地域と非常に密な関わりを持った川なのだということが段々とわかってきて、評価のひとつのめやすが見えてきたんです。

 これは正解でしたね。小さな活動でも本当に川のことを一緒にやっていこうというグループがグランプリを取ったりして、見栄えとか形とかとは違うんですね。結局、いい男や女というのはスタイルがいいとか、高級なスーツを着ているとかではない。見かけではなくて、中身の問題だということに近いんだろうということです。だから、つくり方も違う。100%川の整備をやってしまうのではなくて、基盤整備はきちんとやることにしても、上モノは後からみんなで数十年くらいかけてやっていこうというようなプログラムのほうが、みんなが参加している意識につながるし、維持管理しながら「いい川」をつくっていくことが大事なんだと思うんです。

 河川法は「川に地域の人が戻って欲しい」という意味で「河川環境」というのを入れ たというんだから、そういう意味からすれば河川環境を通して地域の人に川の怖さをも含めて知ってもらう。それもあわせて「いい川」だということなんですよ。洪水のない川がいい川ではなくて、洪水はたまにあるのが当たり前、後は人間がうまく付き合えばいいのだからということも含めて、係わり合いを密に持っている川にしていきたいというアウトプットが出てきたのは正解だったと思いますね。

「川の日」ワークショップ実行委員会


 話を展開すると、森の話、里山の話もあります。以前、僕らが川をやっていたときには、農林水産省は絶対話に乗ってこなかったんです。だけど、地域の人にとっては、一緒なんだね。川も用水路も。当時は、そこのところを突破できなかったんだけど、里山をやっている人たちが農水と付き合いが広いから、彼らとネットワークを組んだんです。NPOがネットワークを組んで官の関係を密にしていくという仕掛けをやっていこうということです。官同士として省庁間の交流もあるけれど、まだまだなので、そこのところの仕掛けが出てくるといいねというので、今度から「川の日」ワークショップなんかにも、森も里も海も山も一緒になって参加してよと持ちかけているんですよ。発展形としてはそういうことなんじゃないかと思っています。

進化する「川の日」ワークショップ

 今までの「川の日」ワークショップは東京の代々木で開催されていましたが、昨年は初めて会場を変えて矢作川でした。ワークショップで、みんなが持ち寄ったパネルなどを用いながら三分で発表する。これには不満もいっぱいあったし、それで「いい川」を判断するとは何事だという意見も片やある。それはそうですよね。そこで、我々はグランプリをもらった川に対して「一度、現場に検証をしに行く必要があるね」ということになって、「私たちのいい川、いい川づくりの最前線」という本をつくる基礎になった研究会がはじまったんです。それで検証には行っていたんですが 、それでも十分ではないと思っていました。

 矢作川は、一度グランプリをもらっているんです。彼等は非常に熱心で、毎回来ているもんで、この際グランプリを獲った川に我々が押し寄せて行って、かつて渡したグランプリが正解かどうかを確認してみたらどうだという話になったんです。愛知博もあったし、向こうも乗り気だということで、前から市長さんに会ったり、事務所の人たちに会ったりして、やっぱりやろうという話になって一気に盛り上がって矢作川でやることになりました。現地で議論するというのは、「検証に行くよ」ということです。それは、かつて渡したけれども、行ってみて「なんだ?」ということになったら、グランプリを返上してもらってもいいねというような話とか、そういう柔軟性を持ったワークショップにしようということです。

 一方、全国レベルということであれば、東京でやるということにも意味はあるんですね。一つはアクセスの問題もあります。だから、地方ばっかり行くというのは、考えたほうがいいということで、北海道と九州からオファーはあったんだけど、来年は一旦東京に戻るんです。どうしてもというのだったら、出かけていくけれども、そのコンセプトは一度グランプリを渡し た川を検証に行く、みんなで検証に行きましょう。それで、もてなしも含めていい川にいい人たちがいるということの確認ということになっています。

 今、ワークショップの地域大会を九州や東海、東北、北海道など、全国でやっています。11月には関東大会もあるし 、全国で9ヶ所ですか、地域大会があるんです。地域大会でグランプリをとった人は、全国大会へ派遣する費用が賞品であるというのもありますので、高校野球の甲子園方式みたいになっているんだけれども、あまりそこでトーナメント方式でやっちゃうと、またいろんな弊害が出てくるから、またそれはそれでよしとして、一般 公募もします。地域の大会で評価が低かったからといってあきらめず、直接東京に持っていって、みんなに選考してもらうこともできるよう、窓口は広くしているんです。

 こうしたトレーニングをやることによって、地域と役所との関係が密になってきたというのは 非常にいいですね。そういう意図なんです。だから、森の人たちとか、里山をやっている人たちとかを少し入れて、みんなどう思っているのかも考えなければなりません。先日の幹事会では「川の日」ワークショップはこれはもう知れ渡った名前で、超えるようなネーミングは付けられないから、名前だけは変えるなと言われて、たとえ森や海が入っても変えられません。
第8回「川の日」ワークショップin 矢作川


課題解決型全国ネット「NPO法人 全国水環境交流会」

──「川の日」ワークショップは、今、事務局が全国水環境交流会になっていますが、全国水環境交流会のことについてお話くださいませんか。

■山道: もともとは、全国水環境交流会という名前は僕が提案したのですが、(その前には)全国で活動している人たちが、とにかく一回集まってシンポジウムを柏市で行ったのがきっかけです。

 昔は先ほど申し上げたように名水百選の会合とか、水郷水都全国会議というのがあって、これは中海・宍道湖の淡水化事業の反対運動をスタートにしたんですよ、20年くらい前に。その頃はダム反対グループや、例の長良川河口堰反対運動をやった人とか、錚々たる人たちがいて、それに最初参加したんです。途中で長良川問題のときに、とにかくこのままじゃ解決しないし、官と民が犬猿の仲になっていくんで、解決型、合意形成型の全国ネットを作ろうということで、提案型というか 協働型でいくという団体として、全国水環境交流会にしましょうということになりました。役員はダブっている人が多かった。片や反対運動もやるし、片や協働もやるというようにダブってたんです。僕は両方の事務局長をやれと言われて、これではどうしても自己矛盾を起こすというので一方にしたのですが 、今でも双方との交流はあるのです。

 森清和さんは、その両方の面倒をみておられたんだけれども、それが設立のきっかけなんですね。このネットワークは会費もない。全国水環境交流会はNPO法人にするときに会員を作らなければならないということで、年会費千円にしているのですが、あとは徴収していないんですよ。会員制は管理が大変なんです。NPO法人は会員制で成り立つということが建前としてあるから、とりあえず会員制にはなっているけれど、年会費1000円は寄付金として考え、会費を払っていようがなかろうが差別 はしないということです。

 でも、水環境交流会の場合の特徴は、全国を北海道ブロックとか東北ブロックとか九州ブロックとかに分け、それぞれキーパーソンがいて、彼らは地域のネットワークを持っているわけですね。我々は、彼らキーパーソンを相手にして情報網を作っていって、あとは彼らがその地域独自の交流をやるということでしょう。緩やかなネットワークなんです。何かあったときには全国ネットで知恵を出す。だから多摩川センター方式に近いんですよね。受託事業その他をやりながら運営していこうというわけで、なかなか大変なんです。要は、全国大会とか「川の日」ワークショップだとかを通 して国の政策の中に提案していこうというようなことで、今やっているんです。だから、ピラミッド型だとか、ここが何かの中心になって指令を出す、というような構造では一切しない。そんなことをしたら潰れるということはわかっているんですよ。だってね、一家言持っている人に仕切りを始めたら、大変でしょう。だから多摩川方式なんです。
NPO法人 全国水環境交流会


──ということは、多摩川でいろいろ経験されたことが哲学になって、作り方や仕組みを全国バー ジョンにしていったということでしょうか?

■山道: 僕は、今度官民協働施策が動き出して、防災とかをリバーミュージアムという発想で行こうという話になったら、多摩川でモデル的にやらせて欲しいという提案をしています。多摩川にはこういう人材がいるし、こういうストックがあるからという前提です。それで、調査費だとかモデル的な事業を受けていこうと。そうするとコアの運営がうまくいき、全国にも繋がっていけるということで、循環型のやり取りができるのではと思っているんです。そこで多摩川が独占したら大変になっちゃうので、ここは小規模に少なくともここが維持できればいいというくらいでやっておいて、後は全国にまわしてやっていくということです。


動き出す多摩川リバーミュージアム

──そうなりますと、出発点であった多摩川センターの今後の展望は?

■山道: 今、多摩川流域リバーミュージアム(TRM)というものを動かしていこうと国や自治体、市民もNPOも企業も関わってきています。もし、多摩川の中で多摩川流域リバーミュージアム情報センターができたとしたら、「多摩川センターは解散しましょう。若い連中をここに放り込んで、我々はその周辺でこれを支えていきましょう」ということを話し合っています。多摩川センターそのものは、人と情報の交流拠点で新しい河川管理の形態を、市民参加型で作っていこうということで、これがうまく動き出していくと多摩川センターとしての役割は、一旦終わっただろうと思っているんですよ。それで、今、TBネット(多摩川流域ネットワーク)ができていたり、多摩川源流研究所も動き出したし、海は海で東京湾のネットワークがあるし、この中にはまたさまざまな団体が出てきていて、水辺の楽校とか動き出しているから、そういうところが、いろんな情報発信の拠点になっていけばいいわけで、運営は自治体と国と市民が協力して運営していくような形になっていければと考えます。

 リバーミュージアムではここにはもう一つの要件として、若い人たちがきて、ここでトレーニングを積んでいく、勉強をしていく、専従でやっていくというような構造ができるといいと思います。10年経つと、やっぱり社会が変わってくるから、当初の多摩川センターの目的みたいなものは、だいたい風化していくんですよね。潮時としてはもうそれでいいのかなと僕は思っているんです。
 けれども今はその瀬戸際で、リバーミュージアムをどう運営するかのぎりぎりのところで、京浜河川事務所や自治体と調整をやっているけれども、情報センターとしての府中市はもう議会決定して、府中の多摩川べりのところに情報センター作ると言うことを宣言しちゃったんです。だからこの5年のうちには確実にあそこに作りますということです。府中は実際のところ、結構積極的なんです。だから、あとはソフトです。そこのところで、リバーミュージアムとかリバーツアーの情報発信をしていく中で、水辺の楽校や源流研究所などと連携をはかっていけばいい。府中は少し不便だけれど、人がたくさん集まるところとしては、登戸の二ヶ領せせらぎ館をもう少し拡張して、人が集まって何かやるようなにぎやかな楽しい拠点として、カフェテラスなんかもやっていいじゃないか、登戸はそういう拠点すればいいんじゃないかと。で府中は、そういう意味では少し専門的な情報を集めて、ストックをしていくという形にし、源流は合宿で研修型の拠点にすればいい。ただ、まだ双方は逡巡しているところがあるんです。それはしようがないところがあるけど、本省はそれで行こうと言っているんだから、その三角形の中で僕はどう調整すればいかと、頑張っているところなんですよ。京浜河川事務所の中でも、今までの管理とは違う発想だから、まだ職員の間でもどう理解すればよいか分からないところがある。でも、走れればいいなあと考えています。
国土交通省京浜河川事務所
多摩川源流研究所
とどろき水辺の楽校


──そうした拠点ができたら、多摩川センターとしての役割は終了ですか。

■山道: 我々はふれあい教室という 府中の拠点を持っているから、そこを中心にフィールド活動をやりたいと思っています。そこには、若い人たちによる体制をしっかりしてあげたら、そこで一旦終わるということにしようかと思っています。サロンとして残せという案もあるんですが、どうかなと思うんですよ。もうそういう意味では僕らが、引きずらないほうがいいんですよ。あんまり僕らが引きずって、若い人たちに煙たがられるというのは、僕もさんざんいろんなことで良い悪いを含めて経験しているものだから、もうそれでオッサンたちは卒業するよと、一応言っているんです。


夢を語る

──今後の山道さんの大きな道としては、全国水環境交流会としての活動ということになりますか。

■山道: 日本の川に、新しいタイプの活動や運営の仕組みがいくつかできるといい。多摩川でやった方式を参考として拠点型がいくつか出てくればいい。大分の大野川などがシステマティックにきちんとした形の拠点になっていけばいい、地域防災も含めてですね。筑後川の事例など、いくつかモデルになりそうなところができてきて、全国に似たような拠点がもっと出てくるといいと思っているんです。いい川を遺そうということでは、いい川のある町とか村に対しての指定がいいんじゃないでしょうか。たとえば、調布―多摩川というエリア、対岸も含めたあたりは素晴らしい地域である、というようなところを指定していけばいいという具合です。つまり、人間との係わり合いが極めていい、というあたりが「いい川」ということの意味かなと思うので、それをとにかく指定をしてということです。「川の日」ワークショップのやり方でグランプリをやったところをいきなりということにもいかないから、検証をやりながらやっていくということで、指定ができればいいと思っています。

▲多摩川の水ガキたち

 もう一つは、「水ガキ」「川ガキ」をきちんと養成したいということです。これは別 に今の子どもたちの環境学習がどうのこうのというわけではないですけれども、パックテストを持って洋服を着たまま川の中に入っていって、この水質がどうのこうのとは違う、水ガキ養成をと思っています。とにかく釣竿一本で釣りをする。釣った魚を料理して、ちゃんと食べるという、そういうような特技を持った子どもたちを育てていきましょうということにしたい。

 北海道の千歳川「かわ塾」でいろいろやっているけれども、あそこは若い人たちに対してマイスターかなんかの制度を自分たちで作っているんですよ。相当にきついトレーニングだと言っていました。私たちはいずれにせよ、感性の優れた子どもたちを育てていきたいと昨年、夏井川で講座を一度やったんです。釣りだけの水ガキ養成講座を。まだ中途半端なんだけれども、そういうやり方で育てていこうと。いずれは、全国「水ガキ」「川ガキ」大会みたいなものをやって、カッコいいガキは「よくやったな」とほめてあげる。危険回避とか、川の見方とか、魚の捕り方とか、昔我々が尊敬できる川遊びの達人っていたじゃないですか、ああいう人をみんなで応援して育てあげるような制度にすればいいかなと思っているんです。それが二つ目です。

「かわ塾」関連情報(NPO法人水環境北海道)




NPO運営のむずかしさ

──多摩川センターも全国水環境交流会もNPO法人となった今、「寄付制度、会費制度等にかかる運営資金の確保等」などまだ日本になじんでいない部分があると思います。今までのご経験等を踏まえ、運営等の問題点をお聞かせください。

■山道: 全国水環境交流会でいえば、お金の話については今のところぎりぎりなんだけれども、いくつかプロジェクト事業があります。今年の事業でいうと一つは、多自然型のプロジェクトの中で役人と学者が多自然型を変えていこうとやっているけれども、それには市民も理解して応援しないと意味がないから、来年からキャンペーンを行ないたい。これを手伝ってくれという話とかが出てきたり。あと、環境用水として、とにかく都市の中に水路を増やしていきたいということで、全国の環境用水の実態を知りたいので調査をやってくれないかとか、そういうのが別 に営業をやるまでもなく、じわーっときているんですね。たぶん、それは今までのネットワーク活動による蓄積とか、どこかで誰かが「それは全国水環境交流会に頼んだほうがいい」とか、言ってくれる人がいるのかもしれません。

 会費はまったくあてになりません。本を作っても安定資金にはなりません。僕は、そこがどうだというのではなく要は情報も資金も循環が発生してくればいいかなと思っています。事業のオファーがあったときには、うちが独占するのではなくて、調査費などは地域に委託をしていくような形でやります、ということで数十万でもいいからテーマを設定して地域のネットワークに外注して金を振り分けていく。人材と川の状況を僕が判断して、ここに頼めばこういうことができそうだということは一応わかっているからということです。そうしないと、みんなが元気が出ないんですよ。だからわずかばかりだけど、そういう話がでてくると、つながりが出てきて、最終的にはさっき言ったような拠点運営みたいな話へ展開していくのかなというふうに思うんです。

 それで、毎年毎年転がっていくと非常にいいんですけど、いま受託というのはNPOには向かい風です。NPOを一括りにして、NPOには仕事が出せないと言われる。実績を見てくれるところは、ちゃんと見て、そこは大丈夫だからという信頼で業務がおりてくることもあるのですが・・・。

 あとは今、企業に対してそういう協働をしてもらおうと思って、川での学習とか、川の指導者養成とかを要請しているところなんです。 5年契約くらいで、年間100万円か200万円出してくれる企業を少し集めると、楽になるんですけどね。これは、住民、企業双方にメリットがなくては長期に継続しないんです。だから、毎年毎年しんどい。

 幸い、今は契約書があればNPO支援バンクみたいなのがあって、契約書を基にして契約金の何割かは貸してくれるというのがあります。ある程度の信用ができてきたから、書類だけそろえば一週間後には貸してくれるんです。それを運営資金としてまわす、契約をして金を借りて、返してということの繰り返しです。資金はストックできないんです。ですから、企業の寄付の制度が出てきて、それに対する課税の問題とか、認定NPOの話がもっと緩和されていくといいと思うのだけど、非常に難しい。

 そうなってきているから、NPOの活動の団体は残しておいて、片側に営利会社を作って二本立てで行こう。業務についてはきちんと入札をして、ここで得た利益は全部NPOに寄付してしまおうという構造で、ここを認定NPOにしちゃおうという発想です。二つの法人でやったほうが経営上も楽だし、業務発注もしやすいという、今はそういうことを考えているNPOが増えてきました。いびつだとは思うんだけど、これはプロセスとしてしょうがないですね、NPOだけでもだけでもダメだし、そこのところをちょっとうまくやらなければいけない。今度会社法が改正されて、会社を設立するのが楽になりましたよね。有限会社がなくなるとか、見せ金はいらなくなるとか、そういう意味では設立はちょっと楽になりました。

 営利企業は株主に対する利益の還元、NPOの利益は社会に還元するということだから、そこのところをうまく理解して運営すればいいんですよ。営利企業の株主がNPOの理事をやれば、そこはすぐ株主総会を通 過するわけだから、俺たちは金は要らないといった瞬間に成り立つ。さらにそこのところは税金を少なくするような制度が出てくれば、これは楽だねということなので、今はそういう発想がいいんじゃないかと考える人が出てきた。過渡期的な現象と思います。


パイオニアは辛い

――活動をされている中で、自分の思いと現実とのギャップというか、そんなエピソード・・・実際はこんな思いでやったけど、思うようにいかなかったなどの話をお聞かせください。

■山道: それはしょっちゅうあります。多摩川でも辛いところがあって、たとえば、多摩川センターがパイオニアでいろんなことをやって周辺も理解もあったから、仕事をくれたんですよ。それで多摩川センターは受託も多く、若い人も4、5人専従でいたんですね。ところが、それに対する周りからは「多摩川センターがやっていることくらい、私たちでもできるよ。なんで多摩川センターばっかりに委託するの?」というような批判が出たんですね。確かに、そうなんです。だけども、それはそれで、受託をさせてもらう前のボランティアの時間とか、すごい投資や、かけた時間があって、その実績があったから初めて認知されたんです。やることは皆できるかもしれないけれど、その認知されるまでが大変なんだということを、いくら説明しても理解してもらえない。

 それで理解はなかなかされないだろうと全部はずしたんです。我々は新しいことをやればいいやということで、理事会を説得してそれをはずして、じゃあかわりにどうぞとやったんだけれども、やっぱりうまくいかない。それはそうなんだよね。ボランティア感覚で現場だけでやればいいと思ったり、運営資金を獲得しなきゃいかんとかいうのは、みんな無視している。だから、そういう教訓だとか、結構たくさんあるんですよ。これは端から見ると、そういう意味でパイオニアで来ていていたけれど、方や、独占している、金儲けしているんじゃないか、というような言い方をされるんですね。でも、全部経理はオープンにしているし、理事会議事録も常にオープンにしているのに、そういわれる辛さはありましたね。

 それに関わっていたら関係が悪化してくるので、次から次へと放り出して、どんどん新しい仕事をやったんだけど、息切れするんですよ。新しい仕事というのは一からしなきゃならないから。だから今、多摩川センターの受託費が半分くらいになってきています。国だけではなくて、今は自治体からも発注があるから、それで運営しているようなものです。そこらへんもある程度地元住民が動き出し、地元の人々がNPO法人化して動き出したら、我々が受託している業務はすっかりあげて、我々は次のことをやろうという姿勢でずっとやってきたんです。が、そこのところがうまくシフトすることができなかったり、 やってみたら意外と大変だったとか、契約や業務が細かいとことに気づき出して放り投げちゃうんですよね。それが辛いんですよね 。それが思惑と違った部分ですね。

 さきほどのTRMの拠点も多摩川センターが独占するというようなことを思われているので、今回、我々は情報拠点づくりが終わったら解散しますということを盛んに言っているんです。若い連中には世代交代も含めて、きちんと彼らがここで飯が食えるような雇用関係も含めてできれば、我々は用はない。あとはボランティアで後援をしてノウハウを伝えていけばいいと言っているんです。

 辛いといえば、僕らは常に役人さんと付き合っているんだけれども、人事異動によってある日いきなりいなくなる。続けて新しい人にこれまでを伝えていくというのは、やはり大変で、半年とか一年、かかっちゃうんです。それから更に構築をして、またいなくなっちゃうという繰り返しは、やはりしんどいことです。


拠点が果たす役割

――そういう意味でも、拠点というのが必要不可欠なんですね。

■山道: そうなんです。事務所ですごい金をかけてやった調査でも、事務所の倉庫の中で眠ってしまい、取り組んだ人間以外には、もうわからなくなってしまう。だからこういうものが継続的にストックされる仕組みがほしい。僕が今、多摩川情報センターをつくろうと言っているのは一刻も早く手をつけたほうがいい。仮設でもいいから、いろんな人が培ってきている情報や資料がいっぱいあるんですよね、それらをなんとかならないかと言われているんです。写 真とかも含めてどこにでもいいから、とにかく多摩川図書館を作ろう、本棚を用意すればいいんだから、そういうものがあれば注目度が違ってくるから、これは絶対必要だなと思っているんです。多摩川には、まだこういう意味では本格的な情報拠点がないんです。


川には圧倒的な魅力がある

――山道さんにとっての「多摩川」をひとことで言うと?  

■山道:  都市の中の非常に魅力的な空間だと思います。水質がどうのこうのということを超えて、きわめて象徴的な存在です。ですからディテールの話は別 としても、きわめて魅力的な空間だというこ とですね。なんといえばいいんだろう。老舗の飲み屋みたいなものかな?要はみんな気軽に行けて、そこそこのものがあって、楽しもうと思ったらいくらでも楽しめるし、いろんなものが染み付いているし、メニューがたくさんあるという意味では、街の中の老舗の飲み屋みたいなものなんですね。味わおうと思ったら時間をかけてじっくり味わえるし、そこにいろんな人たちが集まってくる。

 そういう意味では非常に魅力的な空間なんだと思うんです。なんだかんだ言っても、やっぱり東京の川ですよ。ある時代からのね。隅田川の対極なんだろうと言う人もいるけれども、ベースは同じですね。ロケーションは違うけれども。隅田川だって、あんなにいろんなものが染み付いた川はないですよ。いい悪いを含めてね。でも、みんなそんなところを求めていて、新宿や渋谷の飲み屋街、思い出横丁みたいなものですね、僕にとっては。

――川のもつ魅力、川が私たちに与えてくれるものは何だとお感じですか。

■山道:  川の魅力はもう圧倒的に僕らが考える以上の豊かなものをつくってくれるところなんだと思うんです。昔の子どもにとっては川遊びは食い物探しだったんですよ。川の中で遊んでいて喉が渇いたら、崖の上のミカンを下からもいで取っちゃうんです。もぐのも大変だから、なったまま剥いて、中身だけ抜くんですよ。そうすると枝が痛まないんです。悪いことを含め、いろんなことをやったし、大人への入り口でした。

 水がらみの話でいえば、それはある意味では博物的な資源というか、情報ということでは、見ようによってはディズニーランドをはるかに超えた魅力的な材料がいっぱいあると思います。だから農業用水をたどっていくだけで、さまざまなものが見えてくるとか、多摩川中流から下のほうでカヌーをやっていても古い水門があって良く見てみると、もうシルクロードが見えてくるような水門のデザインとデコレーションに出会う。葡萄だとかの飾り物が彫られている。たとえばそういう楽しみというものを獲得できるような場であると思うんです。

 だけど、それはあるんだけれども、我々自身がそれを読み取るとか、楽しむための技術を持っていなかった、知識を持っていなかっただけの話なんだと思うんです。我々の心構え次第によっては、ものすごくおもしろい、豊かなものが発見できる場所である。特に川沿いの水門、樋門、合流点、堰、洪水の痕跡、河川改修の跡・・、だから、この護岸工法はなんだろう?というのが、結構ありますものね。昔の遺構とかね。大野川なんかは、まだ昔の頭首工が残っていますしね。これをつくるときには大変だったんだろうと思いつつ、白水の堰に水が流れたときのハーモニーは、もうオーケストラですよ。あんなものが残っているというのがすごいですよね。だから、魅力的で豊かな空間である、それを我々が発見をするということをやっていかなければならないということだと思います。

 そういうことで、解釈はいろいろあるとしても、そこで活動することは我々がここで数十年経験してきた豊かさの指標や考え方のチャンネルをかえる一つのきっかけであるし、時機だろうと思います。だから、川の中で遊ぶことはサバイバル技術を獲得するということであったり、生きる楽しさを知る場なんですね。自然とのつきあいの技術や喜びを獲得することなんだと思うんですね。そういう意味からすれば自然と付き合うことを我々は一回忘れてしまって、なるべく付き合わないようにしてきたんだけど、それによるいろんな問題とか弊害が出てきて、もう一回、きちんと付き合って、感性なり、自然とのつき合い方のノウハウなり、技術なりを獲得していくことによって、社会のありようとか国土のありようが、今後変わっていく可能性があると思うんです。


川・川空間・流域

――現在、全国水環境交流会の代表理事ということで全国各地に行かれていると思うのですが、川・川空間・流域のもつ今後の可能性をどうお考えですか。

■山道: こういう喩えはどうでしょう。全国各地の仲間が鮭を一本送ってきたり、メロンが来たり、沖縄のマンゴーがきたり、水がきたり、いろんなものを送ってもらうことがあるんです。僕らが今まで体験してきた中で、川の整備をすればいいというだけじゃなくて、実は川と川の周辺にものすごく個性的で豊かなものが存在していたんですよ。川ですばらしい時間を過ごすということもそうだけれども、食べ物とか飲み物とか景色を含めて、そういう豊かな存在が流域の中にずっとあったんです。

 東京に来てみると、我々はそういうものを求めるために、ものすごいお金を払っているわけです。ミネラルウォーターにせよ、何にせよ、われわれにとっては、そういう口に入るものとか、手に触れるものとか、目に見えるものに対する感動や配慮が非常に大事だと気付きはじめているのです。我々、文明に対する欲求は常にあるんだけれども、文明ばかりを追いかけることによって片や失ったものも多いと気づきはじめたと思うのです。

 遠くまで行かなくても車で三時間も走れば、結構山の裾野が広がっています。だけど、要はそこで豊かなものを「獲得」する技術を我々は失ってしまったんじゃないでしょうか。キノコ一つでも見分けられなくなってきた。ここに生えている山菜の旬はいつごろが一番 いいのか、野草はどう保護すればいいのかという技術なんかです。こういう技術を獲得すれば、すごく豊かな世界が、川の周辺に広がっているのではないか、川で 触れることを通して考え直してみたらどうだろうか、そいうようなことを、めざす意識を育てられないのかなと思うんです。

 そういうことで、一極集中型のいろいろな問題、地域コミュニティーの問題など社会的問題のいくばくか、教育の問題も含めて、解決をするヒントになるんじゃないのかなと思うんです。観光はそれの疑似体験です。将来的にはそこに定着をしてというライフスタイルを育めばいい。都市を否定するかというとそうではないんです。都市は、いろんな意味や役割の集積でもあります。それを若いときに体験するというのは、これは一つの意味があるわけだし、我々人生のプログラムの中で都会で生活すること、田舎で生活すること、主体的に豊かさとは何かということを考えていくと、自分の人生の設計というのが変わってくるのじゃないのかなと思います。そこで、まだ幼い子どもたちにそういう働きかけをする方法はないかということで、「水ガキ」、「川ガキ」の養成ということをやっていきたいということなんです。日本の名流を残していきたい、それは川の周辺の豊かさの資源を含めてをきちんと残していくということだと思うんです。


川には変人がいっぱい?!

――地域づくりの仲間の中で、山道さんから見て「変人」と思われる方はおられますか?

■山道: ううーん「変人」は、いっぱいいます。変人も「異常」な「変」ではなくて、「思い込み が激しい人」とかね、「よくやるな」というタイプとかね、それはいっぱいいますよ。全国水環境交流会理事面 々はほとんどそうじゃないですか?要はエネルギーとか情熱を持っている人は、たいてい他から見たら変人ですよ。川にはいっぱいいます。「なんでこんなことに血道を傾けるのか」と言われる人は、いっぱいいます。ただ本人はごくまじめで変人とは思っていないのですが、私を含めて。


川と若者と・・・

――先ほど人材育成の話も出ましたが、現在の若い人たちの活動へのかかわりがなかなか見えてこないのですが、そのあたりはいかがですか?

■山道: いえいえ、若い人も携わってはいるんですが、今の若い人の携わり方というのはきちんと職業としてという意味が基本です。多くは川遊びをしたことはないのだけれども、きわめてまじめに勉強しているんです。地球環境問題とか。それは教育の問題であると思うけれど、すごく純粋で吸収力が高く、彼らが本当に心底から地球環境問題について仕事をしたいとかというけど、そこに職場がないんです。そういう人たちが、食べていける、たとえば「○○川研究所」みたいなものがあって、調査や研究、情報発信などをやるような場所があるといいと思います。

 年間の工事費の数パーセントの維持費でできる話なんだから、もうそういうのがあってもいい社会だろうと思うんです。今、彼らが環境の勉強をしてどこに行くのかという目標を見失っている、行き先を迷っている。要するに環境では食えないと周りが言うものだから理想と現実とのギャップに悩んでいるのではないかと思います。

 少子高齢化で学校の先生になるといっても、大学の先生になるといっても難しいのだから、そういう意味では新しい環境管理だとか地域管理だとか安全だとか福祉だとか、そういうところがきちんとやれるような場所が、新しく創造されたほうがいいのかなと思います。若い連中が将来を担保されて参加をして活発にやっているようなところというのは、なかなかなくて、具体的に活動の拠点なり現場なりというのを持っていません。


――おっしゃる通り若い人たちに入りたいという意思があっても、そのワンステップとしてどこに入ればいいとわかる拠点がないといけませんね。そういう場を河川にとっても作るべきだという人たちが多いようです。そのあたりはいかがですか。

■山道: そうですね。国土をどう管理していくのかという中で、今までの枠組みの中ではちょっと限界があると思うんです。これは戦後の国土の復興の中で、インフラの基本的な整備というのは当然必要だったんだけど、 今度はそれに対して環境とか景観だとか、人間とのかかわりとかが入ってくると、今までとは違う手法を目指していかなければ達成できない。これを誰がやるのかというときに今のコンサルタントとか技術屋、行政マンの中では、たぶん、できないんじゃないかと思います。新しい技術とか発想とか学問を含めて、違う人たちが出てこなければならないだろうというのと、もう一つはそういうストックをも含めた団塊の世代の高齢化、キャリアを持った人たちの第二の活動の場と若い連中の地球レベルまでの意識とをうまくマッチングしてやるということです。

 だから私たちオッサンたちのリタイア組はこれはもうストックを吐き出してもらって死んでもらう、そこから金をもらうというような話ではなくて、そこに金を払いながら、楽しい思いとをする。豊かな活動ができればそれは、フィットネスクラブに金を払って行ったり、ゴルフに金 を払ってやるのと近いんじゃないか。そう考えていくと、そうした魅力的な活動というものをもっと若い人たちと一緒にすることは非常にいいことなのかなあと思うんです。そこのところがうまく仕掛けられるといいなと思います。

――今日は、本当にありがとうございました。

 

 

   
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