大谷川・山と湖と川の霊力「聖なる日光」
勝道上人

日光の山水の美が神仏を呼び起こし、人を心酔させた

始まりは

遙か昔、古墳時代のこと。古代人が、円錐形で神奈備型の男体山に神そのものを見ていたことを、山頂で発見された勾玉 や土器などの祭礼の遺物が、静かに物語っている。

観音浄土をここに投影

仏教が伝わると、男体山は、観世音菩薩の住処(観音浄土)である「補陀洛山(ふだらくさん)」に模されるようになった。男体山の古名「二荒山(ふたらさん)」の由来ともされる。補陀洛山の景色を、玄奘の西域記にみてみよう。「山道は危険で、厳谷は嶮峻。山の頂に池有り。其の水は鏡のごとく澄み、流出して大河となり・・・。」
(日本では他に「那智」も補陀洛として信仰を集めた。)

中禅寺湖に惚れた勝道上人

日光開山の祖・勝道上人は、はじめは大谷川を渡るところから難渋したが、ついに宿願の山頂から碧水澄鏡の中禅寺湖を目にし、「周囲の嶺々が水面 に映り、山と水とが一体となる絶景に飽かず見とれた(二荒山碑)」。湖の霊力に惹かれるように、小舟を作って漕ぎ出し湖畔に霊場を開いた彼は、観音信仰と同時に山の神を権現(※)として二荒山神社を祀り、修行と祈祷を山中で生涯続けたという。

 

長く厳しい「参道」が、いろは坂の原型だった

中禅寺、輪王寺、日光二荒山神社(新宮、中宮祠、奥宮、別院である本宮を含め)、立木観音なども勝道上人が開祖である。どうしてこんなに寺社があるの?とうんざりするほどだが、元はそれぞれ、登山のベースキャンプだったり、湖畔の前進基地、山頂修行の場、あるいは修行のうえ感得した神仏を祀った堂だったりと、険しく遠い修行の一歩一歩と考えれば、納得もできよう。また、今は紅葉目当てのマイカーが列をなす「いろは坂」も、神の山への参道として開かれた道だったのだと知れば、渋滞も苦にならないか・・(?)。

※船禅頂(ふなぜんじょう)といい、遊覧船を供養船に仕立て、湖岸の霊場を船で巡る行事が今も残っている。
※権現とは、仏教がわの言い方として、仏が神となって現れている姿を言う。いわゆる神仏習合の考え方。

→ ひとことメモ:江戸時代からの日光

 

日光二荒山神社中宮祠登拝祭見学記  
子どもみこし

祭り初日。まのびした深山踊りの唄が、観光客を境内へと誘う。中宮祠前の道には、暗闇の中禅寺湖を背に光に溢れた屋台が並び、お祭りムードをもり立てる。人出がさほどではないのは、深夜の登拝に向けて、体を休めている人も多いのだろう。祭りの期間中、男体山登山口は午前零時に開けられる。夜間に登り、山頂でご来光を仰ぐのだ。この「男体禅頂」は、日光修験の名残だが、昔から俗人も参加できる行事として賑わった。

禅頂とは:山水の美しい景色の中に身を置いて心を澄ます行。

 
 

21:00、奉納花火。中禅寺湖に映りこみ、倍の美しさで無事を祈る奉納花火。湖畔のあちこちから歓声があがった。二荒の神も楽しんだだろうか。

23:50、開門10分前。開門を待つ登拝参加者らは、膝を屈伸したり、ヘッドライトの調子を整えたり。トトントトトンと敲かれる太鼓の響きが気持ちをあおる。人々の間を、なだめるようにゆっくりと霧が動いていく。

男体山は中腹が湖に接していて、かつては湖面 より上が結界の地であり、みだりに足を踏み入れると神の怒りをかうとされた。現在も正式には結界されている。今人々が開くのを待ちかまえている登拝口の柵が結界線だ。

山頂まで、中禅寺湖に正対してほぼ直上する厳しい登山道。明治五年までは婦女子の参加は厳禁、精進潔齋も重んじられた信仰登拝だったが、今や、子供連れや、気軽なハイキング姿の若者も多い。「山は闇です。子供さんを見失わないで!」講主が注意を呼びかける。

開門直前。「ふぉおーーーん・・・」腹に響く法螺貝の音に振り向くと、行者姿の講社の一団が、拝殿に列し、気を吐き般 若心経を唱えはじめた。それを聞いて登拝口の前は、ますます意気盛んに。

24:00、開門。太鼓の音とともに開門。神主のお祓いを受け、霧と闇の神境に人の波が消えていく。この日の登拝者は600人ほど。「いつもより少ないですねえ。天候が今ひとつだったからか・・・」と神職。

翌早朝ご来光を拝し、早い人は一時間半で駆け下りて来るそうだ。境内を掃き清める神官たち。今日も祭りは続く。

祭りの風景

祢々切丸の伝説〜怖い怖い大谷川の氾濫
日光二荒山神社に伝わる御神刀のひとつ「祢々切丸(ねねきりまる)」は、二荒山(男体山)の渓谷に住むネネという妖怪を退治した太刀といわれる。ネネとは、山津波・土石流を形容した言葉であり、大谷川の清流を一変させる神の怒りであった。二荒山の神を鎮め、水害が起きぬ ことを強く祈った伝承であろう。


出典: 「鬼怒川・小貝川 自然文化歴史」(鬼怒川・小貝川サミット会議)

日光二荒山神社の公式サイト


世界遺産・日光の社寺が伝えていくもの

市街から大谷川にかかる神橋を渡った地区を、「山内(さんない)」という。勝道上人が四本竜寺を開いたのを始めとして、様々な信仰の形態を包括した集合体「日光一山」として発展し、社寺が密集している場所である。江戸幕府の聖地として東照宮が建立されたのもここ。 なぜ「山内」地区にばかり、多くの社寺がひしめきあっているのか。理由の一つとして、山を背負い、大谷川と稲荷川が合流する内側にあるこの場所が、自然界の神聖な霊気を感じやすいところだったからと、いえないだろうか?

1999年、山内の社寺が世界遺産に登録されたが、対象は、芸術的価値を持つ東照宮や二荒山神社、輪王寺などの建造物だけなのではない。自然と人とがつながるという伝統的信仰の場として、神聖な山々や森と強く関連づけられて言及されている。つまり、社寺をとりまく自然環境も含め山内全体とそこに今も脈々と続いている「人と神仏との交流」も、世界に伝え残すべき意味があるとされているのだ。

日光なんて、もうケッコウ? いや、そう言わずに、テーマパーク的な日光観光をそろそろ脱して、社寺の助けを借りながらも、山河とその向こうにあるものと対話する旅に回帰するべき時なのではないだろうか。

UNESCO World Heritage Center(世界遺産・英語)

探しに行こう!歴史の香りと水の音。
並び地蔵
勢いのある水流
苔むした石仏の和み顔
憾満ヶ淵と並び地蔵

中禅寺湖から華厳の滝を落ちた大谷川が、はじめて美しい渓流の姿を見せてくれるのがこの憾満ヶ淵だ。男体山から噴出した溶岩が川に磨かれた自然の造形と、清流のうねり。水流の響きが不動明王の真言「憾満(かんまん)」を思わせたことから、この名がついたと伝えられる。黒光りする奇岩に、水流がゴウゴウと踊りかかる様子を見守り何を思うのか、七十数体の石仏が弧 を描いて並ぶ。百体あったが、大谷川の洪水の度に数が減ってしまったとか。落ちた首を直した跡のある石仏も多い。まさか体を間違えたか、据わりが悪く困った表情に見える石仏も・・(?)。数えるたびに数が違う化け地蔵ともいうが、個性豊かな表情は見る者の心を和ませる。

 

山内をゆく古道
清らかな水の流れ
運試しの鳥居
滝尾古道と滝尾神社(二荒山神社別院)

神橋のあたりで大谷川に合流する稲荷川を遡って1kmほどの辺り。観光客の喧噪からも遠く、水の音とヒグラシの声が行き渡るばかりの森に、摩滅した石畳が続く。この古道の行く手は、東照宮以前に庶民の信仰を集めていた滝尾神社である。白糸の滝の上流へ天狗沢に寄り添うように、なだらかな石段を上がって行くと、森の暗さがそう思わせるのか、ちょっと怖いくらいの神気が降りてきた。前方は暗い森に朱が映える門、拝殿、本殿、その背後にご神木の三本杉、そしてご神体の女峰山を望む。天狗沢も稲荷川もこの女峰山が源流部だが、稲荷川は今も土石流対策で工事の絶えない暴れ川だ。ご神刀「祢々切丸」はこの川の妖怪には敵わなかったのだろうか。 運試しの鳥居・縁結びの笹・願い橋・子種石など、素朴な祈りの名残が多いので、当時の庶民の信仰をなぞって歩くと面 白い。

 

(社)日光観光協会オフィシャルサイト
修学旅行のための日光ガイド(個人サイト)

 

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