大谷川・セピア色の記憶「中禅寺湖物語」
外国人避暑地の残り香を辿る

中禅寺湖温泉の宿

「湖畔に建つ、ただ一軒の温泉宿。旧外国人別荘跡」こう聞いて、今回の取材の宿は即座に決まった。「ホテル湖上苑」は、ロケーションも、食事も期待通 り。ほのかに硫黄の匂いがする温泉は、日光湯元温泉源泉からの引湯だが、ここまで来る間にお湯が練れ、かえって源泉よりも良いと喜ぶ人も多いとか。この宿の由来をご主人に伺い、もともとはスコットランド人のカーク・ウッド氏が明治20年に建てた別 荘であったこと。これを借り受けて、大正12年、ホテル湖上苑の前身「大黒屋旅館」が開業したことを知った。

国際的な避暑地だった奥日光

蒸し暑い日本の夏に閉口した外人避暑客で賑わう日光から、もっと奥へ、中禅寺湖へと外国人の姿が現われるようになったのは明治12年ごろからのこと。地元の人たちが「かーくーどさん」と呼び親しんだというウッド氏は、明治政府の「おやとい外国人」、司法省法律顧問だった。先見の明ある人で、「外人遊歩規定※」の時代に、日本人名義で土地の使用権を取り、湖畔の一等地に、外国人として初めて別 荘を建てた。文化・習慣の違う異国で暮す西洋人たちにとって、この閉ざされた湖は、むしろ羽を伸ばすのにもってこいだったのだろう。後に人力車の道がついたが、友人達は、いろは坂の険しい道をものともせずに、徒歩や山籠で別 荘を訪ねた

【外人遊歩規定※】攘夷の気風が残る日本人と外国人との衝突を避けるために、外国人に旅行制限を課したもので、明治25年まで、外国人の旅行範囲は、居留地から10里以内と制限されていた。

ウッド氏の別 荘を訪ねたベルギー公使夫人の日記
「道中の茶屋のほとんどに立ち寄って、短い休みを取りながら3時間半かかって登り、一時過ぎにカーク・ウッドの家に着いた。この家は中禅寺湖で西洋人が建てた最初の家で、湖の岸に立っている。明るい静かな湖のまわりをうっそうとした高い山が取り囲んでいる景色は実に美しく、平和そのものであった。この日は静かな夏の日で、湖は明るく晴れ渡り、水の色もいっそう青く見えた。この景色を見ていると似かよった点が多いイタリアのコモ湖の風景が私の中に浮かんできた。・・・・・」 エリアノーラ・メアリー・ダヌタン著「ベルギー公使夫人の明治日記」(1912年ロンドンで出版) 長岡祥三訳 中央公論社より

マントルピースだけが残る 湖畔に佇むマントルピース

明治35年、中禅寺湖に初めて鱒を放流し、フライ・フィッシングで自らの晩年を慰めたのが、トーマス・グラバー。零落して長崎から東京へと移り住み、ここに別 荘を建てた明治維新影の立役者だ。やがて中禅寺湖は鱒釣りのメッカとなる。

大正14年、国内外の鉱山事業で成功を収めたハンス・ハンターは、湖の西岸、千手ガ浜に約34万坪もの土地を借り受け、フィッシングとゴルフを中心とした国際的社交倶楽部「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」を発足した。昭和2年にグラバー邸を建て替えてつくったクラブハウス「西六番別 荘」は、皇族、内外の名士・高官・実業家ら上流特権階級が集う、リゾート地の「社交界」そのものだった。

中禅寺湖の国際避暑地としての華やかな歴史は、相次ぐ大戦によって断たれ、ついに昭和初期幕を閉じる。菖蒲ガ浜の遊歩道奥には、昭和15年の火事で消失した西六番別 荘のマントルピースだけが、モニュメントのように残されている。一方、歌ヶ浜方面 に向う湖畔には、現在でも利用されているフランス、ベルギー、イギリスの大使館別 荘がある。無論立ち入ることはできないが、かつてのイタリア大使館別 荘敷地が公園となって一般公開されているので、雰囲気を味わうことができる。

イタリア大使館別荘記念公園

昭和3年に建てられ、平成9年まで歴代のイタリア大使とその家族の別 荘として使われていた。敷地に建つ別荘本館は、和風を取り入れたモダンなもの。湖に向って広々と開け放たれた一階の書斎に置かれた大使の椅子は、馬の毛を編んだスプリングが使われているとか。かつて未経験、至上の座り心地だった。職員さんの、「ここは、ずっと靴の生活でしたが、母が床をあまりきれいに磨き上げるんで、大使が気の毒がって15年前からは日本風に暮らすようになっていました」との説明に、過ぎし時を追体験。別 荘に愛着深かったイタリア大使がここを手放す際、民間からの引き合いも多かった。が、国立公園内の法律のもとで、傷んだ古い建物を復元することが出来る譲渡先ということで、栃木県を選んだのだそうだ。

イタリア大使館別荘前の湖 ダイニングルームのテーブルに往時のままセットされたノリタケチャイナや銀器には、見えないほどの傷跡が無数にあった。二階に上がって、湖の桟橋を見下ろしていると、ここで時を過ごした人々のバカンスのときめき、愛憎までが蘇ってくるかのようだ。敷地内の国際避暑地歴史館には、例年各国大使が出場したヨットレース、湖に舞い降りた水上飛行機。何艘もの小舟をゴンドラのよう繰り興じる写 真など、中禅寺湖に故郷を重ね、異国にいることを忘れただろう一刻が、そのまま時を止めていた。
右写真は、別 荘本館の二階から見た中禅寺湖と桟橋


避暑地の残り香をたっぷりと味わえる本のご紹介
宿のご主人は、興味があるのなら是非これをお読みなさいと、日光市職員、福田和美氏が書いた、「日光避暑地物語」「鱒釣紳士物語」の二冊を教えてくれた。ひも解けば、外人避暑地となった中禅寺湖に刻まれることとなった独自の歴史、異国の避暑地で過ごす西洋人たちの暮らしぶりや文化の違いやが史実として余すところなく伝わってくる。

「鱒釣紳士物語」 福田和美/著  山と渓谷社
「日光避暑地物語」福田和美/著  平凡社

中善寺温泉ホテル湖上苑 栃木県日光市中宮祠 TEL:0288-55-0366

もうひとつの物語
「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」の管理人だった、中禅寺湖畔生まれの伊藤乙次郎さんは、明治36年生まれ。魚を獲り、山に分け入ってクマやシカを追い、人里離れた千手ガ浜湖畔の一軒家を離れることなく、自由人として生きた。日光の仙人といわれた乙次郎翁の聞き語りをまとめた「森と湖とケモノたち」には、近道するために中禅寺湖を泳いで横断する熊の話など、獣臭がぷんぷんする、ケモノや猟犬たちのストーリーと共に、中禅寺湖の歴史や風習、外国人避暑客らの姿が散りばめられている。

「森と湖とケモノたち」 伊藤乙次郎述 志村俊司編 白日社 書籍情報

大谷川・聖なる日光大谷川・中禅寺湖物語大谷川・華厳の滝大谷川の恵み大谷川・日光砂防身体検査

pick up 川