共生の論理 (new)

 

 

 私は、去8月1日に名古屋で開催された「グランドワーク東海」主催のシンポジュームで、「宇宙とのひびき合い」と題する20分ほどの私のスピーチの最後を次のような言葉で締めくくった。『 時代が変わるためには人間が変らなければならない。では、人間が変るためにはどうすればいいか。哲学的な言葉でいえば「純粋生命」とか「絶対無の場所」とか「純粋な述語性」という言い方になるのかもしれないが、判りやすくいえば「生きているということ」でいいかと思うが、(人間が変るためにしなければならない大事なことは)「生きているということ」に対する感動であり、そのための「場づくり」である。グランドワーク、それは、「ひびき合いの場づくり」である。

  東大名誉教授に清水博という生命学の大先生がおられる。その大先生がつい先だって「場の思想」(2003年7月17日、東京大学出版会)という本を出された。私のスピーチは、一月ほど前に原稿を用意していたのだが、数日前にその清水博先生のその本を読んだばかりであり、その印象が強烈に残っていたのでついついそれに引きつられて、「純粋生命」荷対する感動とか「生きていること」に対する感動「場の思想」を受けての大変むつかしい本だが、大変役に立つ本である。清水博先生は、1932年生れであるので私より6年上である。東京大学の薬学部を卒業され薬学博士であるので、薬の先生かと思ったらとんでもない。大学院時代は化学物理学を学ばれ、ハーバード大学やスタンフォード大学でも研究生活をされたことのある生命学の大先生なのである。生命に関する学問をバイオホロニスというが、先生の研究は生命というものを分子のレベルから解明しようとするもので、もちろん世界最先端の研究である。先生は、九州大学理学部教授の後、東京大学薬学部の教授、定年後は金沢工業大学で「場の研究所」をはじめられたりしている。その行きつくところは当然かもしれないが、もともと生命学の大先生が哲学書かと見まちがう本を出されたのである。これはもうどうしても読まなければならない。哲学を勉強するものの必読の書だ。

 

 近代文明は行き詰まり、現在、新しい文明を創り出すまさに大転換期にある。人と人、そして人と自然の共存在の実現に、いまや「救済者」の出現が待ち望まれているのであって、そこで問われるべきは、具体的にどうすればいいかということである。具体的にどうすれば「共生の論理」にもとづく新しい文明が作られるかということである。そのことはいうまでもなく「劇場国家にっぽん」の最大の課題であるというべきだが、具体的には、私たち一人一人がコミュニティ的生命世界に生きるということである。それを可能にするのは、いうまでもなく、「共生の論理」である。私は、今後、西田幾多郎の「場所の論理」や中村雄二郎の「リズム論」と田邊元の「種の論理」や中沢新一の「モノとの同盟論」を統合する哲学として、清水博の「共生の論理」を採用したいと思う。

 さて、清水博は、そういう「共生の論理」にもとづく文化、それは「違いを認める文化」だが、そういう文化を「場の文化」と呼んでいる。そして、日本は、歴史的には、仏教を基礎に普遍的な「場の文化」を生み出した経験をもつ世界でも特殊な国であるといっている。私もそう思う。私は、歴史をひも解けば容易にそういう「場の文化」や仏教を基礎とした普遍的な「違いを認める思想」に行き当たる。したがって、わが国の歴史と伝統文化を大切にするということは「共生の論理」にもとづく新しい文明を創造することに他ならないと思うのである。憲法改正に当っては歴史と伝統文化の尊重という条文をどこかに入れなければならないが、その議論は未だ先の議論にしたい。とりあえずは、仏教を基礎とした普遍的な「違いを認める思想」というものを勉強したい。それは「唯識」であり、徳一の思想にその典型を認めることができる。修験道はわが国の古代信仰(スピリットの世界)と結び付いた道教の流れと見ることができるし、密教は古代信仰(スピリットの世界)をそれなりに取り入れた山岳仏教だし、徳一の仏教は古代信仰(グレートスピリットの世界)と仏教の本格的な習合を図ったものと見ることができる。「違いを認める思想」は徳一にもっとも強く現われている。それは言うまでもなく「唯識」にもとづくものといえるが、すでに述べたように「唯識」と清水博の「場の思想」には底通するものがある。

 

 

それでは、以下、「共生の論理」について解説をしていきたい。

 

1、 散逸構造

2、 自己の卵モデル

3、 場のアトラクター

4、 関係子(メディオン)

5、 唯識とメディオン

6、 アーラヤ識 ─マナ識 ─ 意識の関係

7、 アーラヤ識とは何か

8、 マナ識 ─ どうしても自分にこだわる心

9、 「種」と「種子」

10、場とは何か

11、救済者

12、共存在の原理(共生の論理)