自己の卵モデル

 

 

 清水博による「自己の卵モデル」とは次のような考え方にもとづいている。

 

(1) 自己は卵のように局在的性質を持つ「黄身」(局在的自己)と遍在的性質を持つ「白身」(遍在的自己)の二領域的構造を持っていると考える。ちなみに、黄身の働きは意思的頭脳(大脳新皮質)の活き(はたらき)に、そして白身の働きは身体の活き(はたらき)に相当する。この身体には大脳古皮質(大脳辺縁系)の活き(はたらき)も含まれている。

(2) 黄身には中核があり、そこには自己表現のルールが存在している。もって生れた性格に加えて、人生のなかで獲得した体験がルール化されている。黄身と白身はけっして混ざらないが、両者の相互誘導合致によって、黄身の活き(はたらき)が白身に移る。またこの逆に、朱に交われば赤くなるのたとえのように、白身が黄身に映り、やがて黄身を変える。

(3) 場所における人間は、「器」に割って入れられた卵に相当する。白身はできる限り空間的に広がろうとする。器に広がった白身が「場」に相当する。他方、黄身は場のどこか適切な位置に広がらずに局在しようとする。

(4) 人間の集まりの状態は、一つの「器」に多くの卵の割って入れた状態に相当する。器のなかでは、黄身は互いに分かれて局在するが、白身は空間的に広がって互いに接触する。そして互いに交じり合って、一つの全体的な秩序状態(コヒーレント状態)を生成(自己組織)する。このコヒーレント状態の生成によって、複雑の黄身のあいだでの場の共有(空間的な間の共有も含む)がおきる。そして集団には、多くの「我」(独立した卵)という意識に代わって、「われわれ」(白身を共有した卵)という意識が生れる。

(5) 白身が広がった範囲が場である。したがって器は、白身の広がりである場の活き(はたらき)を通して、黄身(狭義の自己=自分)に「自己全体の存在範囲」(自分がいま存在している生活世界の範囲)を示す活き(はたらき)をする。そして黄身は、示された生活世界に存在するために適切な位置を発見する。たとえば、人間はいま自分が外国ではじめて泊まるホテルの大きなホールにいるときは、そのホールが生活世界である。そして人間は「いま自分はその世界のどのあたりにいるか」を無意識のうちにつかんでいる。そしてどのあたりにいるのがよいかと、自分に適した位置を探す。また必要となれば、自分の位置を電話で友人に知らせたり、またそのホールの位置を指定してそこで友人と待ち合わせることもできる。全体があるから、そのなかで部分を定義できるのである。器のなかの黄身を加え合わせた合計は「全部」であって、「全体」ではないのである。たとえば犬という概念は[犬という生きもの全体の範囲]を示している。個人が実際に見る犬はその犬という概念(全体)に属している。しかし、個人がこれまでの人生で見た犬をすべて加え合わせたものは、これまで見た犬全部であって、それは犬という概念(犬全体)とは異なっているのである。全部(total)と全体(whole)という概念は意味が違っているが、日本の社会では両者を混同して使っていることが多い(たとえばtotalismのことを全体主義と呼ぶためにwholismと混同される)。パラドックスで有名な「クレタ人の嘘つき」では、クレタ人全体とクレタ人全部が混同されることによってパラドックスが生れてくる。

(6) 個(黄身)の合計が全体でないとすると、全体はいったいどこからくるのであろうか。明らかに器が、その内部に広がるコヒーレントな白身の場を通じて、黄身に全体性を与える役目をしている。現実の生活世界では、いつもはじめから器が用意されているとは限らない。実際は、器はそのつど生成され、またその器の形態は器における人間の活き(はたらき)によって変化していく(実際、空間的に広がった白身の境界が器の形であるという考えもできる)。しかし、全体(器の形態)は自己(卵)の活き(はたらき)だけで決まるものではない。いっぽうで、卵が空間的に広がろうとする活き(はたらき)によって、器を内部から外へ押し広げる内力が生れる。この内力は卵の広がりが小さいほど大きくなる(大きいほど小さくなる)。そして他方で(あとで説明するように)卵が広がって存在する空間をできる限り限定しようとする活き(はたらき)が存在している。ここから卵の中心に向かって働く外力が生れる。卵がある程度広がったところで内力と外力が釣り合って、そこで卵の境界が定まることになる。いい換えると、全体の範囲を与える境界(器)が生成するのである。これが広い意味での形態形成である。

(7) この二種類の力のうちで、内側からの力は自己拡張の本能的欲望から生れるが、外側の限定力は、終局的には、純粋生命がその内部にさまざまな生命を包摂しようとする活き(はたらき)によって生れる。わかりやすくいえば、全体は器の形態によって与えられるが、それは白身が広がろうとする活き(はたらき)と純粋生命が白身を包摂しようとする活き(はたらき)のバランスによって生成するものなのである。器の形態を決める活き(はたらき)を、場の形成作用と呼ぶことにする。器のなかの卵は全体としての場を共有しているから、その全体におけるそれぞれの位置を決めることができる。二つ以上の黄身が同じ位置を占めようとする場合もある。そこで黄身の位置が最終的に決まるためには、黄身と黄身のあいだの直接的なインターアクションが必要である。

 

 それでは次に、そういう卵モデルというようなモデルをつかって生命関係学という科学的研究を進め行く上で、どうしても明らかにしておかなければならない概念として「場のアトラクター」という概念があるので、ちょっと難しいがそのことを勉強しておこう。

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