1039 .Re: 異常渇水

お名前: 岩井國臣

投稿日: 7/28(09:53)

オリジナル: 1004. 長野県「脱ダム宣言」への危惧 [望月倫也] 7/1(14:25)

コメント元: 1037. Re: 異常渇水 [上田 勝] 7/26(15:50)

 

------------------------------

 

 

 

 

上田さん こんにちわ!

 

上田さんが、ダム不要論ではなくて、ダム慎重論の立場で意見を言っておられることが判り安心しました。

 

 

今世の中に、田中康夫さんのような脱ダム宣言が出るのか、長良川河口堰や川辺川ダムや第十堰などの反対運動が起きているのか、上田さんは私などにはその原因が判らないだろ

うとおっしゃいますが、私にもはその原因は判っているつもりです。ダム反対運動をやっている人々の気持ちは判らない訳ではありませんが、反対運動の多くは間違った議論に誘導さ

れているというのが私の考えで、具体的に議論することが大事だと思っています。上田さんは、今までダムについて放埒すぎたのではないかとおっしゃっていますが、観念論ではなし

に、これなども具体的に御指摘いただければ議論ができると思います。

 

 

なお、議論する場合に言葉というものは大事で、上田さんには、異常渇水というものがどういうものか判って欲しいと思い、いろいろと話をしてきました。くどいようですが、今日もその話

の続きです。

 

ダムのない河川を想像して下さい。水系で考えればダムのない水系というのは、もはや我が国には、少なくなりました。水系にダムのないのは、2級水系はともかく、1級水系では、四

万十川や釧路川などごく限られた水系だけですね。でも、河川で考えれば、その上流にダムのない河川というのは数え切れないほどありますね。水系には多くの河川が連なっていると

いうことです。河川だらけです。そういう上流にダムのない河川を想定して下さい。そして、その河川が渇水になった時、その渇水が異常渇水なのかどうかどうすれば判るのか、考えて

みて下さい。

 

 

異常渇水についての理解が深まれば、ダムの必要性が判るはずです。観念論に落ちいっていると、間違っていても、一応、ダム不要論を展開することは可能です。観念論で議論しては

いけません。

 

 

さて、ある河川が渇水になった時、その渇水は異常かどうか、どうすれば判定できるのでしょうか。10年に一度の渇水を10分の1渇水などということがありますね。このへんはお判り頂

いているとして、何分の1という言い方をしますが、ある河川が渇水になった時、その渇水が異常渇水かどうかは、その渇水が何分の1の渇水かを計算して、10分の1を越えていれば

異常渇水、越えていなければ通常の渇水ということでしょうか。

 

ある河川が渇水になった時、その渇水が何分の1の渇水かどうか、そもそも計算ができるのでしょうか。観念論としてはできるはずですが、実際問題として、そんな計算ができるのでし

ょうか。

 

 

ある河川を想定していただいたとして、そもそもその河川には流量資料というのがあるのでしょうか。実をいえば、誠に意外なことに、流量資料のある河川というのはほとんどありませ

ん。水系は別ですよ。水系については、流量の観測地点というのがあって、あるいは基準地点というのがあって、その地点については流量資料が整っています。しかし、9割がたの河

川は流量資料がないのです。

 

ですから、渇水になった時、その渇水が異常渇水なのかどうか、ほとんどの河川では流量による検討ができないのです。

 

もいひとつ致命的なのは、その河川に流量資料が揃っていたとしても、計算方法が判らないのです。異常渇水の定義がないからです。

 

仮に、上田さんがおっしゃるように、10分の1をこえる渇水を異常渇水と定義するとしましょう。現在そういう定義はありませんが、確かにそう定義することは可能ではあります。しかし、1

0分の1を越えているのかどうか、その確率計算はどの流量でするのでしょうか。

流量には、渇水流量(355日流量)、低水流量(175日流量)、平水流量(185日流量)、豊水流量(95日流量)がありますが、どの流量で計算するのでしょうか。確率計算の定義が

ないのです。

 

 

つまり、ある河川が渇水になった時、その渇水は異常渇水かどうかについては、流量では計算できないのです。ではどうすればいいか?どうすればいいのでしょう。

 

 

判断基準は節水なのです。節水しなくて、普通に水が使えている。これが普通ですね。節水が始まれば渇水なのです。しかし、少々の節水では特に社会問題は起こりません。これは

通常の渇水と言っていいのでしょうね。

 

しかし、その節水も何日も何日も続くようだと問題ですね。そこで、%日という概念が出てくるのです。節水率と節水日数をかけたものです。私は、前に1000%日ということをいいました

が、ダムの計画論としては、2000%日というのが言われています。1000%日ではちょっと贅沢ではないかという訳ですね。

 

私は、全国を見渡した時、東京のような大都市と長野ような水源地域とは事情が違うと思っています。水源地域は水に贅沢であっていもいい。水は資源ですから、水は地域の財産です

から、それをうまく使って理想的な地域づくりをすればいいと考えています。利根川にも荒川にも多摩川にも水源地域があります。現実は、東京等大都市のために水源地域は犠牲を強

いられるのですから、大都市の論理で水源地域を考えるわけにはいかないのではないでしょうか。大都市の場合は2000%日でいいでしょう。

 

まあ、そのへんのことはちょっと横において本論に戻りましょう。ある河川が渇水になった。節水が始まった。その場合、ダムがなければ、計画的な節水というのは必要ありませんね。

取水地点で取水できるだけ取水して、その結果、給水量が決まってくる。計画的な節水というのはそもそも生じません。給水量が減って、各家庭で水の出が悪くなってしまう、ということ

が起こるだけです。取水地点では取水できるだけ取水すればいいのです。

 

しかし、上流にダムがある場合はどうか。上流にダムがある場合は、節水が始まった時点で、ダムに水が貯まっていますわね。例えば、多摩川の小河内ダムのように、満々と水が貯ま

っているとしましょう。節水が始まった。できるだけ節水で切り抜けながら、もはやこれ以上の節水は大きな社会問題になるという段階で、はじめてダムからの放水を行なう。つまり、異

常な状態になって、はじめてダムからの放水を行なうという、いわゆる渇水調整が可能です。ダムがあれば・・・ということですね。利根川や荒川や多摩川だけではありません。こういう

渇水調整を行なっているのが現実の河川管理です。

 

 

渇水調整は、ダムがなければ行えません。つまり、異常渇水のためにダムは必要なのです。東京大都市圏では、異常渇水にはダムがないと対処し得ない、このことははっきりしてい

る。

 

 

ダムは、異常渇水のためにやっているというより、増大する給水人口や給水量に対処する、いいかえれば水洗便所や洗車や風呂などのまあいうなれば贅沢な都市生活を支えるために

やっているのでありますが、実際の河川管理としてはせっかくのダムをより有効に活用するために、渇水調整という異常渇水対策もやっているということです。

 

 

贅沢な都市生活をやめよう、節水社会をつくろうという運動をやってください。そういう社会がくれば、結果として、無理無理ダムをつくらなくてもよくなるでしょう。現在の状況ではダムは

必要です。

 

脱ダム宣言もいいけれど、変わりにどうするのか、代替案の議論が必要です。観念論だけで、具体的な議論をしないというのは間違っている。間違っているのです。

 

------------------------------

 

▼コメント

 

1042. Re: 覚悟なき人達の無責任議論 [望月倫也] 7/28(13:44)

 

 

[タイトルへ]

Maintenance:DeltaCommunications support@deltacom.co.jp

Iwai-Kuniomi