モノづくり博物館

 

 

 先に述べたように、伝統技術についての情報センター・「モノづくり博物館」と感性を磨くための「響き合いの場所」・・・・、そしてそれを含む・・・・地域の基礎的産業とNPO活動や宗教活動などとのつながりのシステム・・・・、それをつくっていかなければならないのだが、ここでは「モノづくり博物館」について触れておきたい。

 

 「モノづくり博物館」は、わが国における古代から現代までのモノづくりに関するあらゆる情報が収集整理、分析、そしてわかりやすく展示されなければならない。

 小林昭がその著「モノづくりの哲学(工業調査会、1993年)」で述べているように、古代から日本での「モノづくり」は、人間の五感を大切にしてきた。勾玉、水晶玉に始まり、刀や鏡などをつくる時の例に見られるとおり、斎戒沐浴(さいかいもくよく、身も心も清める)して五感を研ぎ澄ませてことに当たったといわれている。

 モノは心をこめてつくらなければならないし、モノは心をこめて使わなければならない。小林昭がいうように、商品のライフサイクルは、日を追って短くなり、故障して直そうとすると、すぐ修理対象外の商品となっており、あるいは新品購入と同じくらいの費用がかかってしまう。寿命がきたり、故障したら、捨てる以外方法がない。自分でつくったモノでないが故に、また寿命が短く永く使い込むということがないが故に、モノに対する愛情がない。したがって、小林昭がいうように、選択・購入したモノは飽きやすく、部屋の片隅に追いやられるか、廃棄物へということになりやすい。大量消費された「モノ」の廃棄物処理は、世界的規模で大きな問題となっている。

 

 私たちは、モノに対する愛情を育てなければならない。そのためには、モノとモノづくり技術に対する理解を深めなければならない。

 

 「モノづくり博物館」は、子供のために小学校校区単位につくらなければならない。そして、それぞれの校区で・・・とはいかないが、特に過疎地域においては山村留学を前提に、その地域の特性に応じて適切な体験学習の場が用意されなければならない。畑づくりや森づくり、そして小屋づくりやいろんな道具づくりを体験する。1年間の留学で十分であろう。こういう山村留学で豊かな自然環境の中でモノづくりの知識と知恵と感性が養われるというものだ。

 モノづくりを国是とするのであれば、これぐらいのことは義務教育としてやらなければならない。これをサポートするのが「モノづくり博物館」である。

 

  小林昭いわく。

 

 わが国における大学の設立方針はほとんどヨーロッパの体制から学んだものであった。ただ、ヨーロッパ大学に見られなかった工学部を設立したことは、当時の先進国から輸入された近代機械・器具類を取り扱える人材を早急に育成するためであったのだろう。これが、第二次大戦後の生産技術の大躍進の原動力の一つとも考えられる。

 ただその当時、「モノづくり」の基礎としての工学に関する哲学や教育のあり方が深く検討されたかどうかについては、定かでない。現在われわれが生活している大量生産・大量消費の「工業社会」の歴史は、ホモ・ファーベルとしての人類の「モノづくり」の歴史の中では、きわめて短い。真の人間の幸福を追求する「モノづくり」の哲学が、今の時代にこそ強く望まれている。・・・と。

 

 中沢新一のおかげで「モノづくり」の哲学が確立されようとしている。ようやくだ。中沢新一の「光と陰の哲学」によって、わが国は21世紀を生きていかなければならない。歴史と伝統・文化に生きるということだ。いや、中村雄二郎流にいえば、歴史と伝統・文化を生きるということである。私たちは、歴史と伝統・文化を生きなければならない。それは、ホワイトヘッド流にいえば、新しい創造の世界に生きるということだ。このような哲学にもとづいて、21世紀に生きる私たちは、「モノづくり」を国是としなければならない。そして、国民共通のインフラとして、「モノづくり博物館」を創らなければならないのである。

 

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Iwai-Kuniomi